bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

英国のEU離脱

EUを主導するのは名実ともにドイツであることは言を俟たないと思います。
昨今のドイツ隆盛の主因となったのは、ソ連崩壊というロシアの「陰の協力」と宿敵フランスの「陽の協力」という歴史のアイロニーだとの名言があります。
この言葉はまさにEUの本質を言い当てていると言えます。
EUの本質とは経済云々ではなく異文化の野合がもたらした意図せぬ結果としてのドイツ文化圏の強化と拡大であり、
その現状はユニコーンたるドイツの帝国化とその他加盟国のドイツに対する服従と怨嗟の抜き差しならぬ絡み合いだと思います。
 
ドイツというのは偉大な文化国家だとは思いますが人間存在の複雑さを視野から失いがちでアンバランスゆえの強みと恐ろしさがあり、
その権威主義的文化はドイツの指導者たちが専制支配的立場に立つと国民に固有の精神的不安定性を生み出してきたと考えています。
 
いまやEUの盟主となったドイツはその独裁的立場を強化するとともに第二次大戦端緒の電撃作戦を彷彿とさせるするかのごとき
中国への急接近を図りEU枠外へのドイツ圏拡大化に邁進し民族国家としての精神的沸点をEUにまで投射しかねない危険性を覚えます。
 
ドイツとの長年にわたる抗争の歴史から英国がこのような疾風怒濤ドイツへの危惧を持たぬはずはないと思います。
それでも経済的合理性に立脚した判断は国家戦略としてはあり得るかもしれません。
しかし問われているのは国民の意思であり資本主義そのものがその綻びから限界へと死に至る病のいま経済的合理性という即物的判断から
歴史的敗北ともいうべき民族の屈辱に耐えてドイツ支配下のEU圏に残留する価値があるでしょうか。
 
世界の耳目を集めた英国の選択がEU残留となると満天下注視のもとにドイツ国民は「金目ゆえの協力」という不倶戴天の敵からの
これ以上ない皮相的な贈り物を享受し慢心して現代版第三帝国の妄想に走らぬとも限りません。
それはドイツへの勝利の女神の祝福を世界に印象付け、仇敵の繁栄に自らの身を投げ出し延命を図った英国には敗者の烙印を焼き付ける
ことになりかねないからです。
 
英国民が寄って立つべきは金目ではなく世界が認める栄誉ある大英帝国の歴史と不屈の国民精神ではないでしょうか。
それでかっては世界を制覇したのですから。
英国民に骨肉化された大英帝国の誇り、それは経済的合理性という選択肢を葬り去るのではないかと思います。
※ドイツを非難する意図は全くありません。ドイツ好きですので追記します。

日本国憲法について

1。国の在り方または国家ビジョン。
憲法は国民の権利、地位や国家の統治機構およびその運営の根本について定める国の最高法規。つまり国家運営のルールではあるがルール策定と承認そして運用の分離は不可欠。また憲法は国民が統治機構とその運営を監視するツールでもある。ルールとツールはあくまでも明確な目的が存在して意味を持つもの。従いまず検討されるべきは目的。明確な目的とは国民にとり普遍的な価値観を達成するための国家ビジョンではないのか?例え違うとしても先ず国家ビジョンまたは国家の在り方を論ぜずして憲法云々は木を見て森を見ず同様な見当違いではないのか。目標戦略なき手段戦術を独断先行した過去の失敗は繰り返してはならない。
2。憲法の上位法。
憲法の上位法として国連憲章がある?
敵国条項(enemy state clause)は、国連憲章第53条、第107条に規定されている。その内容は、第二次大戦中に連合国の敵国であった国(日本、ドイツ、イタリア、ブルガリアハンガリールーマニアフィンランドの7カ国。しかし日本とドイツを除く5カ国は大戦中に枢軸国側から離脱しており実質的な敵国は日本とドイツ)が、戦争結果の確定事項に反したり、侵略行為を再現するような行動等を起こした場合、国連加盟国や地域安全保障機構は、国連憲章51条に規定された安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を課すことができる、としている。

第53条の執筆者である米上院議員アーサー・ヴァンデンバーグは起草委員会の席上で「主要な目的は、ドイツと日本の永久的かつ有効な非武装化であり、それら2カ国の支配である」とのべたと議事録にある。つまり、あらゆる紛争を国連に預けることを規定した国連憲章51条の例外規定として敵国条項に該当する国が起こした紛争に対しては自由に軍事制裁を課する事ができるのである。さらに旧敵国との紛争については平和的な解決義務すら負わされていないとされている。

国連創始期から世界情勢は変化し日本も大きな国際貢献をしてきたゆえこの条項は死文化したというのが国内大勢の意見のようだ。しかし国連憲章の解説書によるとドイツはともかく日本は未だ敵国条項 の対象として存続している可能性が高い。何故なら世界80余名の法律家による国連憲章解説書によると、ソ連を含む連合国は第107条にもとづく権利を、少なくとも西ドイツとの関係においては放棄したように思われる。とか、東方政策の諸条約は、西ドイツと東側の隣国との関係において第107条をそして第53条をも無効にした。などの記述があるが、日本に関する記述は一切ないらしいのだ。
最後の敵国条項該当国として日米地位協定憲法の上位法ゆえに、沖縄における米軍基地統治の傍若無人な横暴さに切歯扼腕せざるを得ぬのか?

(国連憲章)

第53条〔強制行動〕


安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。


本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。

第107条〔敵国に関する行動〕
この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国(例えば日本)に関する行動でその行動について責任を有する政府(この場合、アメリカ)がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。

歴史の終わり

民主主義と自由経済が最終勝利を収めたとフランシス・フクヤマが「歴史の終わり」に華々しく宣言してから四半世紀を経過しました。この間に自由経済の姿は自由貿易から関税撤廃そして各国内の諸規制撤廃へと進行しいわゆるグローバル・エコノミーへと変貌しました。これで世界経済は拡大し人類はより豊かで幸せな生活が送れる民主主義のさらなる発展により平等で平和な世界が来ると多くの人は夢見ました。ところがいっこうに平和にも豊かにもなりません。グローバル・エコノミーの正体とは単に規制解除をして自由になるというだけの 目的なきネガティヴフリーダムに過ぎない新自由主義に立脚した既得権益層の偽装金権強欲主義であることがようやく分かってきたのです。その象徴的な出来事がOccupy Wall Street運動でした。財力=カネという価値基準だけで不当に差別化、抑圧され生活権をも収奪されかねない市民が金権強欲主義の牙城を占拠したのでした。その金権主義に対する異議申し立てには多くの人が参加していきました。いっぽうで庶民が既得権益層に入り込もうとすると有力大学の肩書きが不可欠その学費は無謀に高額で何とか学生ローンで卒業してもローンの返済に追われるだけの社会人生活。追い討ちをかけるように紛れ込んだ企業はグローバル化で世界中からコストの安い労働力を容易に入手可能で、ここでも金権強欲主義の犠牲とならざるを得ません。

かたや民主主義はどうなったか。そもそも民主主義とは共通の価値観に立脚するからこそ多数決の論理が成立するものですが、カネにすべての価値を置く金権強欲主義では如何なる国でも国民的な共通価値観とはなり得ません。逆説的ですが、それゆえに金権強欲主義はグローバル化し各国の既得権益層と連帯しないと成り立たないのです。そして金権強欲主義が席巻した国ではカネのない市民、つまり経済投票権のないサイレントマジョリティが量産され貧富の格差は時々刻々と拡大していきました。

トランプにサイレントマジョリティ反グローバリズムの勇姿をヒラリーには既得権益層の妄想を見たのでした。

分断と沈黙

米国はトランプ大統領の出現により国内の分断化が、英国はEU離脱によりやはり国内の分断化が危惧されるそうです。

しかしトランプやEU離脱が分断化を引き起こしたのでしょうか。そうではなくこのような事象が発生する以前から経済格差の拡大や移民問題など世論を二分する火種が燻っており真摯な意見が交換されそれぞれの主張が提示されていたのではないでしょうか。その様な議論が白熱化していた所にたまたまこの二つの出来事が発生して日和見主義でないマスコミとジャーナリズムの触媒を経てより議論が沸騰して問題点が明確となり国論の分断化を助長促進したのではないでしょうか。

世論が過熱し国論を分断するまでになるのは国民が国に愛着を持って真剣に国の将来を憂いているからではないでしょうか。その意味では分断化をけっして頭ごなしに否定すべきものではないと思います。

それよりも気になることは我が国の不思議なほどの静けさです。

各種世論調査によれば安倍政権の支持率は60%を超え為政者の意のままで分断化なぞどこ吹く風の感がします。

ところが我が国がかかえるのは逼迫した国家財政、原発処理や社会福祉などの国内問題、中ソ外交やTPPなどの対外課題そして米軍基地をはじめとする対米国戦略など問題は山積みです。本来なら世論が自ずと湧きあがり国論を二分するまでに沸騰するのが自由と民主主義を謳う法治国家の姿ではないでしょうか。

無関心でもなく意見がないわけでもない、しかし真摯な議論などなんとなく面倒くさい、言ってもムダなどいつの間にか国事をあたかも他所の国の他人ごとにして貶めていくような自虐的で冷めた集団心理の下落を感じます。

自由な意見の表出と議論により招来された分断化よりも、国民が笑いもせず怒りもせず沈黙している状態はなぜか不気味でなりません。

「終戦の虚妄を排せ」


特攻に出撃する青年を「俺も後に続くから」と送り出した指揮官が昭和20年8月15日になったとたん「戦後復興に力を尽くすことが大事だ」と言い出す。他人に死を命じながら命を賭した約束を反古にした人間とこれを許容してきた国家、日本の戦後はどんな社会をつくってきたのでしょうか。
極寒を凌ぐ敗残兵が泥水啜り満蒙支那の只中で悪戦苦闘する。それを尻目に戦線から遠く離れた暖房の効いた貴賓室では高級官僚が戦費調達の策謀をめぐらす。泡沫的な戦時経済策の陰でひたすら公益の私益化に励み私腹を肥やした高級官僚は戦犯を免れやがて首相になってしまう。戦線視察などしたこともない作戦参謀は無謀な机上の作戦を強行して多くの部下を死地に追いやるも戦後なんらお咎めはない。生きて虜囚の辱めを受けずと大言壮語した高級参謀は自軍の劣勢を見るや自ら進んで捕虜となって将校待遇で生還すると遺骨収拾どころか同胞、部下の憤死を糧にして大企業の経営者になりあがる。福島原発事故に至っては当事者の無為無策たる人災を天災だと言い換えて為政者ともども失態を隠蔽してしまう。
政治と経済界の指導層が他力本願で先見性がないために生じた失われた20年という国富の損失、これを周囲環境の悪化だと責任転嫁し国民にツケを回して平然と居直る政治家、官僚、大企業経営者・・・。失政、失敗の責任者たちはみな異口同音に、過去の責任清算より復興と再建のため の将来に尽力する、それが使命だと宣わる。そしてやることはおおかた姑息な存命戦術にすぎない。このようなエリート指導層の信義なき偽善が大手を振ってまかり通る無責任社会になってしまったのは何故なのか。
 
現代日本社会の大きな転換点は満州事変から太平洋戦争までの15年戦争、いわゆる大東亜戦争でしょう。この戦争はこの国が始まってはじめて経験した国家総力戦つまり国民総動員の戦いでありながら無条件降伏、その後7年近い米軍統治下におかれたのです。
鍋釜の供出から最愛の子息までをも国家に捧げ尽くし国民が総力を尽くし切った国民の戦争でした。人類史上初めてとなった原子力爆弾を二回も投下された昭和20年8月15日、ラジオから流れる昭和天皇終戦詔書の発表で敗戦を知らされました。
すると一億火の玉となり本土決戦だと国民を叱咤激励してきた国の指導者たちは掌を返したように、昭和天皇と国家に対して一億総懺悔せよ、と言い出しました。
大本営報道機関も一転しての大合唱です。国民の心境やいかばかりかです。
 
このときから今に至るまで当時の戦争指導者にはじまり現政権の為政者にかけて国の指導層からはなぜ戦争になったのかなぜ負けたのかいまだ国民にはまったく説明がありません。それどころか東京裁判で禊は終わったとばかり戦争指導者層はいつのまにか為政者に成り代わり、財閥解体から再編成された平時大政翼賛産業と結託して皮肉にもかっての植民地で起きた朝鮮戦争による経済復興を神風にして、もはや戦後ではない、との宣言を発して戦争の総括責任を一方的に放棄してしまいました。
たしかに大東亜戦争の国家としての責任は国際法的には東京裁判で裁かれ戦争と敗戦の対外的ケジメはつけさせられました。しかし誰が見ても戦勝者に押し付けられたことが明白な東京裁判です。この裁判の判決をもって敗戦の総括だと納得した国民がどれだけいるでしょうか。ましてや東京裁判は戦勝連合国が敗戦日本国にくだした国家的制裁です。ところが日本という敗戦国家として日本の国民に対してあの戦争の敗因と責任に関する総括も説明も未だなされてはいません。それどころか謝罪の言葉すらありません。いうなれば民族国家としてのオトシマエ、心のケジメが未だについていない状態なのです。満州事変に始まり太平洋戦争敗戦まで15年にわたり建国史上最大の犠牲者を生じさせたあの戦争。その目的は何だったのか、戦略なき負け戦の政治的、軍事的責任の所在は何処にあったのか。世界にも稀有な自然派生的な国家である民族国家の日本では国家の形と国民の心が同一でなくては国の存立基盤が危ういものになります。
 
問題の本質は終戦という言葉で過去をリセットしてしまったことではないでしょうか。
国民総動員の戦争はとにかく負けたのです。しかも無条件降伏でした。
戦争に勝ち負けはつきもので負けたのは一歩ゆずって仕方ないとしましょう。
しかし戦争がなぜ起きたのか、そしてなぜ負けたのか、国民に対する説明は国家の責任です。この責任を果たさず戦争は終わったー終戦ーでリセットして新生日本がはじまるとしてしまったのではないでしょうか。
毎年繰り返される8月15日の終戦記念日ですが外交文書で正式に戦争が終わった日は昭和20年9月2日です。また講和条約発効まで含めると昭和27年4月28日が終戦の日ともいえます。多くの国民が昭和20年8月15日ラジオからとぎれとぎれに聞こえた昭和天皇の発表の意味さえ理解できなかったようです。勝っても負けても終戦はどちらにも訪れるものです。終戦記念日などという敗残者の自己弁護と戦争指導者の保身の虚妄は断固として排すべきです。
 
敗戦を知った国民が何の騒ぎも起こさなかったのは不思議です。茫然自失の状態だったのでしょうか、それとも国民の象徴となった天皇のお言葉は国民に論理を越え情緒で訴求したのでしょうか敗戦に激怒した国民の暴動などはなかったようです。(映画「日本のいちばん長い日」に描かれたような軍部クーデター計画はいくつかありましたが)
また突然の終戦宣言で動揺した国民が戦争の原因や敗戦の理由を問う余裕がなかったことは容易に理解できます。それからは食うや食わずの焼け跡貧民生活でこの課題は忘却の彼方へと自然消滅してしまったのでしょうか。
 
現代日本の転換点であり出発点となった大東亜戦争
いうまでもなく歴史は気まぐれな教師ではありません、いかに屈辱的であっても過去をゼロにリセットして国民の歴史は紡がれるものではありません。
あの戦争の総括と反省がないままここまできたのは国の指導層の責任でありますが、また国民の責任でもあります。この状態が70年以上も続いたというより放置してきたことが昨今の道理も信義もないエリート指導層を醸成してきたのではないかと考えます。
 
300万人を超える同胞の命を失った敗戦の総括と反省を行うことは国民の義務とも言えるのではないでしょうか。そして敗戦の総括と反省なくしては軸足のないコンパスであり為政者がいかに地球儀を俯瞰しようが国民の心のキャンパスに国家の大計なぞ描けるはずはありません。
 
ここに大東亜戦争の戦争責任に関するアンケート集計があります。60%近い国民は政治指導者、軍事指導者(この中に昭和天皇が含まれるのか不明です)の責任について十分に議論されていないとの見方をしています。つまり日本という民族国家として敗戦の心のケジメは未だついていないと半数以上の国民が考えていると言えるのではないでしょうか。戦後60年にあたる2005年、読売新聞が3000人に聞き取り調査したアンケートです。
質問「あなたは、先の大戦当時の政治指導者、軍事指導者の戦争責任をめぐっては、戦後、十分に議論されてきたと思いますか。そうは思いませんか。」
・十分に議論されてきた 5.6%
・ある程度議論されてきた24.6%
・あまり議論されてこなかった 43.2%
・全く議論されてこなかった 14.7%
・答えない 12.0%
8月15日は敗戦記念日としてあの戦争の総括と反省の機会にすべきだと思います。

戦後70有余年未だ国家ビジョンさえ描けない状況における改憲論争など枝葉末節の議論でしょう。こんな木を見て森を見ぬがごとき議論を連綿と続けた結果いまや戦略なきまま盲動するは我が国の因習に成り果てました。このような状況をもたらした要因の一つはやはりあの戦争の総括がないまま再出発した新生日本のヘソがないからでしょう。歴史を紐解くまでもなく本来であれば多大な死者を生じた戦争(内戦、国家間戦争問わず)の後には必ず国家としての総括と反省が行われ、新たな社会契約いうなれば憲法の草案となります。戦争の総括がないゆえに社会契約の議論もされぬままに押し付け憲法云々というまったく本筋でもでない枝葉の議論に振り回されている現状は自ら招いた不始末の結果だと思い ます。新生国家日本の原点である敗戦に立ち返り今こそ戦争責任の検証、総括について国民的議論を尽くすべきではないでしょうか。敗戦の総括により国家と民族に内包された失敗の本質が明徴にされるはずです。
遅きに失してはいますがいまなら戦争経験者がまだ存命されておられいくらかは検証可能な総括が可能でしょう。あの敗戦の総括にもとづく反省から学ぶ姿勢なくしては国民的総意による国家ビジョンなど構築できず未来永劫失敗の歴史を繰り返すばかりです。
ここに大東亜戦争の戦争責任に関するアンケート集計があります。60%近い国民は政治指導者、軍事指導者(この中に天皇が含まれるのか不明です)の責任について十分に議論されていないとの見方をしています。つまり日本という民族国家として敗戦の心のケジメは未だついていないと半数以上の国民が考えていると言えるのではないでしょうか。戦後60年にあたる2005年、読売新聞が3000人に聞き取り調査したアンケートです。
質問「あなたは、先の大戦当時の政治指導者、軍事指導者の戦争責任をめぐっては、戦後、十分に議論されてきたと思いますか。そうは思いませんか。」
・十分に議論されてきた 5.6%
・ある程度議論されてきた24.6%
・あまり議論されてこなかった 43.2%
・全く議論されてこなかった 14.7%
・答えない 12.0%


混沌とした閉塞国家日本の国民が今こそ問うべきは負けるべく戦を何故始めたのか、その責任は何処にあったのかであります。この総括と反省が為されぬ限り70年の長きにわたり指導者エリート層が構築してきた言の葉のすり替えと責任転嫁システムに絡め捕られた国民は無責任社会というブラックホールに陥落し国家は奈落の底へと転落することでしょう。

大きな物語の終わり

トランプ米大統領が就任後、初となる首脳会談を英国のメイ首相との間で持ちました
思い起こせば経済的低迷に陥った自由主義経済圏の盟主たる英米両国がいまから 40 年ほ
ど前にほぼ同時期に選出した指導者はサッチャー首相とレーガン大統領でした。
両国家のリーダーは経済的役割を縮小し民間活力の活性化を図りサッチャリズム、レーガ
ノミクスと称される経済的成功をおさめ国家の矜持を復活して新たな経済的発展を世界に
もたらしました。
この成功により英米両国は自由と民主主義の伝統ある先駆者としてのその地位をさらに強
固なものにして世界経済を引っ張っていきました。
両国がスランプから脱して国家の誇りと経済的復活をもたらしたものはなんでしょうか。
その大きな要因は「自由主義」を新たに定義しなおしたことではではないかと思います。
それは個々人の自由を重視しつつ弱者救済的な格差原理を提唱したリベラリズム=自由主
義の時代から、リベラリズムを批判し福祉政策など政府介入を否定し個人の全面的な自由
活動を擁護するネオリベラリズムリバタリアニズム)=新自由主義への転換です。
国家の役割はできるだけ規制して民間の自由を最大限に拡大する自由至上主義
経済効率と効果の最大化のみを図る市場至上主義。この二つのイデオロギーは自由と民主
主義のレガシーを持つ英米の土壌だからこそ相性よく調和できたのだと思います。その結
果として今に至るグローバリズムの展開をみたのではないでしょうか。
自由と民主主義その果実としての経済的繁栄。なんとなく心地がよく耳ざわりの良い言葉
であるグローバリズムは呪文のごとく自由主義社会に広がり新たな神様が降りたかのよう
大きな物語の夢を世界へ普及させてきたのではないでしょうか。
ところが昨年になると英国は EU 離脱を国民投票で決定して米国はグローバリズムを否定
する「アメリカファースト」を唱える大統領を選出しました。
グローバリズムを先導してきた両国の大きな方向転換と思えました。
そこでその原因は何かと考えてみました。
ひとつはネオリベラリズムの徹底化がもたらした格差と分離だと思います。
多くの人はいまでも自由主義とは基本的自由と均等そして格差原理からなるリベラリ
ズムと理しているのではないでしょうか。しかしグローバリズムの大きな要推進
リベラリズムではなくネオリベラリズムでありネオリベラリズムとは格差原理をいて
いるのがその特質と思います。
(格差原理とは競争によってまれた格差は最も不遇な人々の活を改善することにつな
がるものでなければならないということ)
このためグローバリズム浸透化がもたらしたものは福祉政策のやヒュニズ
ム思考への視であり、その結果としてもたらされたのが経済格差拡大であり IS にみられ
るような宗教回帰への過激や難問題だと思います。
もうひとつは普化というグローバリズムがもたらした価値画一化だと思います。
経済のグローバ化では経済的効率を上て効果を最大化するためには製造から流通や
済などすての経済活動プロスを全世界規で統して画一化するのがベストな手段
ありましょう。
しかし経済活動のみで人社会まして国家は規制されるものではありません。
とくに社会制度や習俗、文化などは国家のアイデンティ存立基盤にかかわる問題であ
り経済的効率効果の価値という次元論ずるものではあってはならないと思います。
英国の EU 離脱という選とは、いまEU の盟主となった価値観基づ画一
化などはとうていけ入れがたい栄ある国家の独立存立基盤死守きという国民
価値観が経済的な得失勘定を凌駕したものだと思います。
いっう米国は世界から離脱しようとしているように思えます。
が主導EU とはなり世界の盟主はいまだ米国自です。しかし
から 70 年世界の屋台骨背負ってきた米国の疲労つまり米国民の疲労が大きな要
因ではないかと思います。
ルテイングットとばれる米国はまさに世界の縮図であり多的で多様な人、文化 、
宗教などを自由と民主主義のもと寛容受容し発展してきました。しかし米国の繁栄をも
たらした自由と民主主義を自国以外に普及しようとしてベト戦争に介入してからとい
うもの海外への画一価値普及作戦はことごとく失敗しました。
自由と民主主義の布教という国民のいは多くの者を犠牲にその家族や社会に PTSD
りまき戦闘国では多のロリズムを発せしめて国民の戦争からついには力者とネ
リベラリズムのためのいになり果てました。
画一的な米国価値観しつけは日本く世界から否定され挙句の果ては9.11
いてしまったのです。
かたでは「自由と市場の至上主義」なるものは経済的価値という民主主義的に決
められた画一的な価値共有を徹底しました。その結果は持てる者と持たざる者との格差
級数的に拡大して国民の分化をもたらしてきました。
世界の盟主となった米国の誇る米国的価値海外では否され国ではネオリベラリズム
の成功のき良きリベラリズムれられないサイレントマジョイの疎外感
、経済格差と多様化する価値レンが自由と民主主義への懐疑育む
これらの感情成されて既得権益への反感み出すとともにき良きアメリカへの
郷愁がトランプをして現状打破への起爆剤とせしめたのではないでしょうか。
英国民はツ帝国化する EU に、米国民は価値布教活動の失敗や格差拡大にも任を
らないリート既得権益に「もううんざりだ」と「グローバリーシファティ
グ」(エマュエル・トッ)のを上ているのではないでしょうか。
自由と民主主義を掲げ産業革命降は世界の自由経済主義とグローバリズムをリーして
きた英米両国、今えてグローバリズム軌道かられていくのでしょうか。
自由と民主主義の大きな物語は終わりを告げ個々人の価値と国家のアイデンティ真摯
つめなおす民国家再編成の時代に移行していくような予感がします。

天皇陛下の譲位と国体

日本国憲法の第1章は「天皇」です。その第1条(天皇の地位、国民主権)には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する国民の総意に基く。」とあります。

 

しかしもっとも重要な第1条に国民の権利・義務や戦争放棄ではなくなぜ天皇に関する条文が配置されているのでしょうか。

 

さらに不思議なことに日本国憲法連合国軍統治下で公布されています。

つまり独立国ではない占領下での憲法公布なのです。

 

1945年9月2日から1952年4月28日まで日本は連合国軍(米軍統治部隊)占領下にあり日本国憲法は1946年11月に公布されました。

連合国軍占領開始から1年余で日本国憲法が公布されています。

 

そこで太平洋戦争が敗色濃厚となった1945年初頭から無条件降伏そしてマッカーサー連合国軍最高司令官の日本赴任直後までの期間に限定して状況分析をしてみよう、占領下での憲法公布と憲法第1章「天皇」との関係やその背景が見えるかもしれないと思い歴史を紐解いてみました。

その結果「国体」と「天皇制」がキーワードとして浮上してきたのです。

その経緯を参考にした書籍からの引用で物語風に綴ってみました。

*『 』は書籍からの引用で( )は書名と著者です。

 

一、敗色濃厚となり降伏まで昭和天皇の最大の懸案事項は国体の維持、存続であった。

 

『1945年2月14日、近衛文麿は敗戦必至の見地から「英米輿論は今日までの所、国体の変革とまでは進み居らず・・・国体護持の建前より最も憂ふるべきは敗戦よりも敗戦に伴ふて起こることあるべき共産革命に御座候」と上奏した。(「昭和史」遠山茂樹、他)』

 

これにたいして天皇は敗戦後に予想される英米からの国体の変革要求を回避するには

 

『「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラデナイト中々話ハ難シイト思フ」(「木戸幸一関係文書」)』

 

とのお言葉で

 

『戦争の継続に固執する天皇の(昭和天皇)姿勢に顕著なのは「不名誉」な降伏忌避と自らの地位及び「国体」の護持に対する強い執着(「天皇の昭和史」藤原彰、吉田裕、他)』

がうかがわれます。

 

1945年7月26日のポツダム宣言を黙殺し原子爆弾が投下された後も次のように国体護持への固執を見せます。

 

『1945年8月12日の皇族会議「朝香宮が、講和は賛成だが国体護持が出来なければ戦争を継続するかと質問したから、私は(昭和天皇)勿論だと答えた。」(「昭和天皇独白録」寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー)』

 

その2日後には一転して国体護持には不安なしとしてごポツダム宣言受諾に至ります。

 

『1945年8月14日御前会議天皇昭和天皇)「国体ニ就テハ敵モ認メテ居ルト思フ、毛頭不安ナシ」(「敗戦の記録」参謀本部)』

 

ちなみにポツダム宣言から宣言受諾の間には次のような経緯があったといわれています。

日本側からは「天皇統治の大権」が無条件降伏の条件に含まれていないことを条件に受諾を申し入れ「天皇および日本政府の統括権限はsubject to連合国軍最高司令官」で最終決着。

 

二、降伏後は昭和天皇の戦争責任回避と占領統治に天皇制利用という日米の思惑が結合した日本統治。

 

日本国憲法誕生のとき日本の指導層とマッカーサー連合国軍最高司令官にとりもっとも難しく重要であったのは天皇の処遇問題であったと思います。

 

なぜなら無条件降伏時点で日本軍は内外に700万余名の兵力が残存しており武装解除から降伏まで難航が予想され1945年8月15日終戦の詔勅前夜でさえ終戦反対派のクーデター未遂事件が発生しました。

天皇のもと一億火の玉と一度は本土決戦を決意した日本国民が天皇の処遇次第では何時反乱や暴動が起きるかもわからぬ状況にありました。

 

そこで日本政府は次のような手を打ちました。

 

『1945年8月15日鈴木貫太郎内閣総辞職、後継首相に皇族の東久邇宮稔彦王が推され16日東久邇宮内閣成立。皇族を首相にすえ天皇側近のナンバーワン近衛文麿を副総理格として皇室を前面に押し出し天皇の「権威」と「御仁慈」によって国民を統合し「国体護持」をはかろうとする支配層の送り出した最後の切り札(「天皇の昭和史」藤原彰、吉田裕、他)』

 

この切り札で無条件降伏に対する軍部や民間の不満や不平分子への懐柔と制圧に乗り出しました。

 

かたや

マッカーサー東京裁判の開廷に前後して全く相反する「天皇発言」を裁判対策として実に巧みに駆使した。

すなわち極東諮問委員会の代表団やライフ誌,NHKなど表舞台においては、自分は戦争に反対であったが軍閥や国民の意志に抗することができなかったとの天皇発言を活用、

だからこそ天皇に戦争責任はなく免訴されるとのアピール、

他方裏舞台においては戦争が自らの命令によって行われた以上は全責任を負うとの天皇発言がキーナンや田中隆吉に内々に伝えられることで天皇を出廷させてはならないという覚悟と決意(「昭和天皇マッカーサー会見」豊下楢彦)』

*キーナン:ジョセフ・キーナン、東京裁判の米国側首席検事

 田中隆吉:元日本国陸軍少将、東京裁判の検事側証人

 

を日本指導層に植え付けて

 

東京裁判が東条らに全責任を負わせる一方で天皇の不起訴をはかるという「日米合作の政治裁判」(「昭和天皇マッカーサー会見」豊下楢彦)』

 

とすることで米国の占領統治のために天皇制を残して昭和天皇を利用する間接統治を選択したのです。

 

この統治戦略は統治終了後もマッカーサーの大手柄でした。

下記に引用するごとく占領統治の終了後も日本国内でのあらゆる反体制、革命運動は先天的に失敗を運命づけられ敗戦をいまだ直視できない国民国家の日本としたのですから。

 

『「国体」とは自主的決意による革新・革命の絶対的否定を意味するものである以上、国体護持を実現したかたちでの敗戦は、敗北という外見に反して、その実、革命に対する華々しい勝利にほかならなかった。(「永続敗戦論」白井聡)』

 

三、以上の経緯から日本国憲法の三原則は国民主権基本的人権、平和主義といいながら憲法の第1章が「天皇」であるのは以下の理由によるものと推測します。

 

日本国初めての敗戦に際し昭和天皇が原爆を投下され続けても固執した「国体」、一方ではマッカーサー占領軍の天皇制活用による統治戦略この二つの思惑が「国体の象徴としての天皇」という日本国民の心情にすんなりと入り込み憲法第1条「日本国と日本国民統合の象徴」の中に幻の「国体」が明文化され入れ子のごとく組入れられているからではないでしょうか。

 

天皇陛下の譲位について、さらには憲法との関係を論ずるには「国体」を考慮すべきと思う所以でもあります。

 

追記

日本人は権力と人権に対する一定の諦観をもっており(人権の反対語としての神権)

現人神への情緒的帰属観をもつのではないか・