bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

自由から逃避する日本の若者

 
「革命」と「自由」...この二つの言葉は若者にもっとも相応しい言葉でした。ところがこの国の若者にとり革命が死語となってからほぼ半世紀こんどは自由が死語になりつつあります。
 
いったい自由とは何でしょうか。
 
他のものから拘束や支配を受けずにそのもののあるがままであること、それが自由の定義のようです。
 
しかし1足す1が0にも3にもなるのが人間社会の常であり、ものごとの定義と本質も往々にして異なるものです。
 
自由についても同様のことが言えましょう。
 
私は自由の本質とは孤独、 不安、無力感にあると思います。
 
この本質と真正面から向き合うことで若者は不可逆的な人生の意味を身をもって知るのではないしょうか。
 
昨今この国で一度でもホンモノの自由を経験をしたといえる若者はどれほどいるのでしょうか。
久しぶりの若者の社会行動と期待を持たせたのが国会前を取り巻いたSEALDSでした。あの熱気はどこに行ってしまったのでしょう。ツイッターSNSで飛び交うフェイクニュースにまたユーチューバに一喜一憂する若者たちと所詮は変わりない人たちだったのでしょうか。とても孤独や不安には耐え難いそこで同様な擬似経験で多くの若者は共生感を抱いているのではないでしょうか。
 
いまや若者の多くは肌身話さずスマホを携行してネット経由で誰かと何かと繋がっていないと生きていけないような状態にあるようにみえます。まさに自由とは真逆の常に他者と接続され拘束された状況に自らを置いているのです。
 
スマホとは自由に振舞えぬリアル社会の窒息状況から逃れる唯一の吸気孔でありバーチャルで責任感の希薄な社会との接点の様に思えます。たぶんバーチャルな世界のみで通じる責任担保が不要な偽装の自由を享受しているのでしょうか。
 
若者はなぜ現実社会での自由追求を避けて仮想世界の似非自由に光明を見出すかの如き救いを求めるのでしょうか。
 
かって自由を求めて時には不法で暴力的な行動により自由の本質を体得してきた若者が闊歩した時代がありました。彼らを育てたのは戦後の自由な空気でした。
 
ところがその空気は一転してしまいました。
いまや主観と独善を客観的合理性と言い換える反知性主義的な政財官のエリート指導層の指揮のもと自由の空気は高圧的規制ガスに置換されて若者は瀕死の状況に追い込まれています。
 
さらに民族のDNAが生み出す情緒と空気が支配する閉鎖的社会は若者の無力感を助長しています。KYなどという言葉が流行語になる社会で育った若者たちが組織や体制への異議申し立てを行い自由を主張して行動するなど無謀な自殺行為に等しいものでしょう。
 
また現代の若者は歴史からも自由の本質を賢く学んでいます。それはかって日本の若者が自由を求めて展開した労組運動、安保闘争そして学生運動など社会改革運動の惨めな敗北の歴史です。アカシアの雨に打たれた鳩は二度と青空さして飛べなかったのです。
 
若者は先の見えぬ未来に一抹の不安を抱きつつもしばらくはパンとサーカスの日々が続くだろうと信じていたいのでしょう。
それは未来を切り開くべき自由に賭ける若者の特権からの逃避を続けているに過ぎないのではないでしょうか。
 
おそらくは自由な選択がもたらす栄光の不確実性より統治体制が強制的にもたらす不幸という危険性の方が予測可能だと計算しているのでしょう。予測可能なリスクの範囲内で人生を送るために事あるごとに自己欺瞞を呪文のごとく繰り返しているのでしょう。
 
彼らにとって自由意志の発露としての政治や社会は変革の対象どころか思索の対象ですらなく自己を取り巻くあがらいようもない自然環境なのでしょう。
泥舟とわかっていても一人で大海には飛び込めないのです。それどころか突き落とされてても泥舟に縋り付いてくるのが自由から逃避した若者の実態でしょう。
 
こんな若者が意図せざるもこの国を泥舟全体主義国家に傾斜させていくのでしょうか。

 

教育勅語と森友学園騒動の文脈

「父母に孝・・・夫婦相和し・・・」 という教育勅語の徳目のみを抜き出して、いいこと言っているという表層的な論調が目につきます。
そこで教育勅語、愛国、森友学園の三点セットから読み取る政治の文脈についてです。
 
教育勅語の徳目について。
教育勅語の本質は、徳目ではなく忠君愛国の強制にあります。徳目は一朝ことあれば天皇のために死すべしという天皇制維持の目的に供する手段にしか過ぎません。あえて言うならばこの徳目はものごとの道理として当たり前のことでありまして、これをもって教育勅語のどこが悪いのかという議論は木を見て森を見ずであり手段と目的を取り違えています。戦後に衆参両院が否定した教育勅語の本質と文脈を読み取るべきです。
 
愛国について。
国を愛する素朴な感情はどこの国のどこの人にも共通しています。それゆえ集団になって同じ同胞に向かって高らかに「愛国」を訴えることに精神的幼児性と欺瞞を感じます。妙に大声で愛国を訴える人々には多くの国の歴史が語るように「愛国」を不正と私欲の隠れ蓑にする人が多いのです。それゆえ集団になって同じ同胞に向かって高らかに「愛国」を訴えることに精神的幼児性と欺瞞を感じます。
 
利益供与が公から私に転換。
森友学園の問題の本質は、利益供与が私(民)から公(国家権力)に対してではなく逆に公(国家権力)から私(民)に転換する契機ではないかということです。つまり利益供与が公的目的のためになされ、しかも徳目と愛国教育という美名のもとで公然と遂行中であったのではないかという疑惑です。これこそ国家資本主義の体質を如実に表すものだといえます。
 
文脈について。
過去四年にわたり官主導でおこなってきた民間企業賃上げー「官制の賃金管理システム」、安保法案、特定秘密情報保護法、個人番号法そしていわゆる共謀罪法ー「国家統制体制」。
この整備を終えて国民の収入・言論を掌握した政治の次なるステップは国民思想の一本化です。そこでいま森友騒動から読み取れる政治の文脈とは、私学を隠れ蓑とした(実は公から私への利益供与による公主導の)愛国教育の浸透による「国家資本主義の総仕上げ」の姿でありましょう。

「平和ボケ」ではなく「憲法ボケ」

 

日本は敗戦後の1945年9月2日から1952年4月28日まで連合国軍(米軍統治部隊)占領下にあり日本国憲法は1946年11月に公布されました。

連合国軍占領開始から1年余で日本国憲法が公布されています。

 

わたしの疑問のひとつは憲法第一章第一条がなぜ天皇から始まるのかということです。

戦後教育で憲法のポイントであると教えられた国民の権利・義務や戦争放棄ではありません。(前文には触れられていますが)

 

それは敗戦後の日本を混乱なく武装解除するため日本国民が現人神と崇拝していた天皇を前面に押し出すことで円滑な統治を完了させたいというマッカーサーの統治戦略を盛り込んだものかとおもいます。

 

ふたつめに不思議なことは日本国憲法連合国軍統治下で公布されていることです。

つまり独立国ではない占領下での憲法公布なのです。

独立国ではない憲法に正統性はあるのでしょうか。生殺与奪権はアメリカが握っているのでしょうか。

 

いうまでもなく憲法とは国民の権利、地位や国家の統治機構およびその運営の根本について定める国の最高法規です。つまり国家運営のルールといえます。

 

いっぽう憲法は国家権力の専横と暴走を制御する法規でもあります。

換言すれば国民が統治機構とその運営を監視するツールといえます。

 

とうぜんですがルールもツールも所詮は目的達成のための手段にすぎません。

しかし憲法第九条を唱えていれば戦争にはならないとか第十三条を盾に個人の尊厳と権利、自由は保障されており周囲環境の変化に関係なく何の問題もないとする、いわゆる平和ボケ、自由ボケなどが巷に溢れています。

 

これでは手段を目的化してしまっているのではないでしょうか。

 

このあいだに統治機構は国家運営のルールを改変してきています。

たとえば憲法第九条平和主義は自衛隊イラク派遣からはじまり有事法制3法、安保関連法案により武力行使が可能となり、憲法十三条個人の尊厳は個人情報保護法、特定秘密情報保護法、個人番号法そしていわゆる共謀罪法といつのまにか有名無実化され国民はパノプティコンの罠にはまっています。このようなことが可能になったのは立法、司法、行政の三権分立が実質的に形骸化しつつあることにもその要因があると思われます。

 

いずれにせよ憲法の字面や三権分立形式にその変更はなくとも憲法は大きな変質を遂げつつあるのです。

そんな統治システム水面下の変化を看過している私たちは平和ボケや自由ボケではなくて国民の権利・義務を放棄しかねない「憲法ボケ」状態なのではないでしょうか。

石原慎太郎論


父を亡くした長男の石原慎太郎公認会計士をめざして勉学に励む傍らで弟裕次郎がくり広げる奔放で野放図なブルジョア的青春。
それは日夜机に向かう慎太郎の羨望を秘かに掻き立てたに違いない。

そのプライドゆえに自分にはできようもない破天荒で反倫理的な弟の行動にたいする羨望と身内ゆえの嫉妬も否定できないものがあったと思われる。 

慎太郎が会計を捨て文学に青春の活路を転換したその原点は弟への羨望と嫉妬をみずからの「あらまほし」青春像に純化しえたことにあるのではないだろうか。 

「俺のほうがはるかに賢くハンサム」なのになぜだと既成社会にその怨嗟を叩き付ける彼の文学に経済復興の恩恵に与れぬ苦学生や貧しい若者たちも
なぜにわれわれは不遇かと行き場のない不満と感情のはけ口を見出したのだった。

彼の粗削りな文章は若者のささくれた心に食い込んでいった。 

その躍動的な文体を匕首にして彼は既成文壇の障子紙を突き破ったのであった。

そのまま終われば社会への理由なき反抗を描いただけの風俗小説にすぎなかった。 

しかし「処刑の部屋」から「乾いた花」へと怨嗟の情念を価値紊乱者の行動哲学へと高めることに成功した石原文学は儒教的社会を否定して
プラグマティズム社会へという「あらまほし」社会像を描き出し戦後世代の支持をえたのである。

国民的人気を得て「あらまほし」社会を実現する国家を建設すべく政治に進出した慎太郎は
1968年参議院全国区に出馬し史上初の300万票を得てトップ当選。 

そのあとは衆議院に鞍かえして環境庁長官運輸大臣を歴任するも議員勤続25年の表彰を受けたその当日に辞職表明をした。

大向こう受けを狙ったつもりだったのだろうが彼の文学に心酔した若者たちはいまや多くが社会の窓際族であった。

結局は政治家となりながら慎太郎は羨望して止まぬ総理大臣の座を射止められなかった。

野望は潰えず東京都都知事選挙に出馬して四選を果たして「あらまほし」社会の具現化を目指した。 

ところが彼は大きな間違いをしでかした。なぜかわからぬが首相と都知事を混同させてしまったのだ。

首都東京のトップとはいえ所詮は地方自治体の首長であり日本国首相とは地位も権限も桁違いに異なる。

また文章の追加削除や修正が可能な小説と違って政治はやり直しができない。

これは小説と政治の混同だ。 

その最たる錯覚が国家としての対応事項であるべき尖閣諸島の購入であった。

また新銀行東京もその設立意図は理解できるものの地方自治体の体力と金融知識では無理筋の企画であり国家施策として取り組むべきものであった。 

なぜこのような錯誤をきたしたのか。それは弟への嫉妬と羨望から「あらまほし」青春像を具象化した価値紊乱の行動哲学の成功体験であろう。

その既視感をそのまま政治の世界にも引きずり続けてしまったからだ。

首相の座への嫉妬と羨望から都知事の分際にもかかわらず「あらまほし」国家像を東京都政の現場で具現化してしまったのである。 

慎太郎の公式サイトのタイトルは「宣戦布告」である。

3月3日の豊洲問題では「座して死を待つよりは」と記者会見に臨んだが要領を得ぬままで終わってしまった。

会場に入るその心もとない足取りはかって国立駅前で彼の演説と雄姿に心ときめかせた私の青春を葬り去ってしまった。 

政界入りするや国士を気取り話題を提供してきたがその末路は時代錯誤のパーフォーマンスと勇ましい言葉の羅列であり
なんら国民を鼓舞することなく「あらまほし」国士にはなりえなかったのである。

しかしながら栄光ある文士を国士としての失敗ゆえに否定してはならない。 

慎太郎が少年時代から耽溺したフランス文学風にペダンチックにいう、私が慎太郎に学んだのは「あらまほし」勇者のルサンチマンか・・・さようなら慎太郎。

石原慎太郎論ー嫉妬と羨望そして「あらまほし」

父を亡くした長男の石原慎太郎公認会計士をめざして勉学に励む傍らで弟裕次郎がくり広げる奔放で野放図なブルジョア的青春。

それは日夜机に向かう慎太郎の羨望を秘かに掻き立てたに違いない。

そのプライドゆえに自分にはできようもない破天荒で反倫理的な弟の行動にたいする羨望と身内ゆえの嫉妬も否定できないものがあったと思われる。

 

慎太郎が会計を捨て文学に青春の活路を転換したその原点は弟への羨望と嫉妬をみずからの「あらまほし」青春像に純化しえたことにあるのではないだろうか。

 

「俺のほうがはるかに賢くハンサム」なのになぜだと既成社会にその怨嗟を叩き付ける彼の文学に経済復興の恩恵に与れぬ苦学生や貧しい若者たちもなぜにわれわれは不遇かと行き場のない不満と感情のはけ口を見出したのだった。

彼の粗削りな文章は若者のささくれた心に食い込んでいった。

 

その躍動的な文体を匕首にして彼は既成文壇の障子紙を突き破ったのであった。

そのまま終われば社会への理由なき反抗を描いただけの風俗小説にすぎなかった。

 

しかし「処刑の部屋」から「乾いた花」へと怨嗟の情念を価値紊乱者の行動哲学へと高めることに成功した石原文学は儒教的社会を否定してプラグマティズム社会へという「あらまほし」社会像を描き出し戦後世代の支持をえたのである。

 

国民的人気を得て「あらまほし」社会を実現する国家を建設すべく政治に進出した慎太郎は

1968年参議院全国区に出馬し史上初の300万票を得てトップ当選。

 

そのあとは衆議院に鞍かえして環境庁長官、運輸大臣を歴任するも議員勤続25年の表彰を受けたその当日に辞職表明をした。

大向こう受けを狙ったつもりだったのだろうが彼の文学に心酔した若者たちはいまや多くが社会の窓際族であった。

 

結局は政治家となりながら慎太郎は羨望して止まぬ総理大臣の座を射止められなかった。

野望は潰えず東京都都知事選挙に出馬して四選を果たして「あらまほし」社会の具現化を目指した。

 

ところが彼は大きな間違いをしでかした。なぜかわからぬが首相と都知事を混同させてしまったのだ。

首都東京のトップとはいえ所詮は地方自治体の首長であり日本国首相とは地位も権限も桁違いに異なる。

また文章の追加削除や修正が可能な小説と違って政治はやり直しができない。

これは小説と政治の混同だ。

 

その最たる錯覚が国家としての対応事項であるべき尖閣諸島の購入であった。

また新銀行東京もその設立意図は理解できるものの地方自治体の体力と金融知識では無理筋の企画であり国家施策として取り組むべきものであった。

 

なぜこのような錯誤をきたしたのか。それは弟への嫉妬と羨望から「あらまほし」青春像を具象化した価値紊乱の行動哲学の成功体験であろう。

その既視感をそのまま政治の世界にも引きずり続けてしまったからだ。

首相の座への嫉妬と羨望から都知事の分際にもかかわらず「あらまほし」国家像を東京都政の現場で具現化してしまったのである。

 

慎太郎の公式サイトのタイトルは「宣戦布告」である。

3月3日の豊洲問題では「座して死を待つよりは」と記者会見に臨んだが要領を得ぬままで終わってしまった。

会場に入るその心もとない足取りはかって国立駅前で彼の演説と雄姿に心ときめかせた私の青春を葬り去ってしまった。

 

政界入りするや国士を気取り話題を提供してきたがその末路は時代錯誤のパーフォーマンスと勇ましい言葉の羅列でありなんら国民を鼓舞することなく「あらまほし」国士にはなりえなかったのである。

しかしながら栄光ある文士を国士としての失敗ゆえに否定してはならない。

 

慎太郎が少年時代から耽溺したフランス文学風にペダンチックにいう、私が慎太郎に学んだのは「あらまほし」勇者のルサンチマンか・・・さようなら慎太郎。

             

森友学園騒動の本質は何か。

 
日本国民の社会的統合性は精神的にも経済的にも四半世紀前に解体が始まっていたと思われます。

敗戦に打ちひしがれた国民の意気を投合させたのは1964年東京オリンピック、1970年大阪万博でした。精神的には国民の祭典としてまた経済的には国家再生事業の象徴として先の戦争とは異なる国民全員参加の総力戦でした。

その成果ともいえる経済的繁栄は1990年沸騰点に到達してバブルが破綻しました。
弾けたバブル泡沫の水面下で潜行していた価値の多元化と貧富の格差がその残酷なまでの姿を現すと祝典後の祝宴を維持できなかった政府の無策に落胆した国民の心の中で国家とは空虚な抽象となり果てていきました。

1980年代TV番組「8時だよ!全員集合」の中で「カラスなぜ鳴くのカラスの勝手でしょ〜」という替え歌が子供から大人まで大流行してカラスをXXXに主体変更することで国民の価値観の格差拡大を見せつけました。
価値とは相対的なものですがその象徴としての「主義」の拡大解釈化と絶対的格差の具現化としての「金銭」この二つの持つ魅力に国民は憑かれていきました。

かっての国民の祭典では一致していた日本人の存在(タテマエ)と心(ホンネ)をこの二人の魔女は乖離させやがて魔女共存の困難さの果てに自己分裂の奈落に落ち込んだ国民はいつの間にか統合性を失い分離をかさね離散していったのです。

いっぽう政治では国民総力戦の余勢を駆って首相に上り詰めた平民出身の田中角栄がその強力な統率力とカリスマ的個性により国民的人気を博し経済発展を中央から地方へと拡大していきました。

ところが列強に比肩するまでに成長した資本主義体制と挙国一致の角栄人気に一元的な全体主義へと急傾斜する日本ファシズム再現の兆しをみた米国は真珠湾を回避して今太閤を轟沈させてしまいました。
それに恐れをなしたか米国の愛妾首相が国家目標なく単なる経済的成長の波乗りだけの国家運営をこなす政冷経熱状態が続きました。

ところが1982年栄えある旧帝国軍人の中曽根首相は組閣するや靖国神社に戦後首相として初の公式参拝を行い返す刀で米国レーガン大統領との間に親密関係を構築し日米安保協力の強化に努め再生日本の国家資本主義体制の礎を築いたのです。政熱経熱に転換した国勢は熱い政治の時代を迎えそのあとにつづく歴代の為政者はこの国家資本主義体制化のシナリオに沿い官業民営化、構造改革規制緩和という美名のもと戦後新生国家の公私にわたる構成組織を分断して再組織化し国家資本主義体制にむけて体質転換を図ってきました。

かたや法制的には2003年の武力攻撃事態対処法による自衛隊イラク派遣からはじまり有事法制3法、安保関連法案と平和憲法を実質的に死文化、2005年施行の個人情報保護法、特定秘密情報保護法、個人番号法そしていわゆる共謀罪法と国家主義的情報統制制度を整備してきています。

つまり35年の長きにわたり政府は戦後レジームの破壊を続けることで国家体制を自由民主義体制から国家資本主義体制に転換してきたのです。その結果として国民のレーゾンデートルである国家体制の変質は国民の存在と心をなし崩し的に無力化し虚無化させていると思えます。もはや異議申し立てを唱えるべき組織的手段(強力な労働組合や学生組織など)もなく法的手段もなくなりつつあるのです。

戦後の焼け跡闇市から大阪万博まで国民精神総動員運動を成功させたのは一貫して陰に陽にまたインテリから貧困層までを包括して陰で支えてきた組織、それは日本再生に燃えた戦前派ノーブレスオブリージが活躍した旧中央官庁であり労働者組織でありまたときには意気に殉ずる任侠組織でもありました。

しかし政府はこのような組織を普遍的合理性という美名のもとにタテマエとホンネとを混同させ勝手な法解釈で解体再編または消滅させてきたのです。

いまや体系化された力を持つ組織といえば凌ぎの多い新自由主義的グローバル企業そして税制特権と強権的集票力を併せ持つ宗教団体、この二つの組織のみではないでしょうか。
この二組織はいずれも「一元的な価値観と絶対権力」つまりファシズムの基幹構成要素であり国家資本主義体制を効率的に整備するのには最も効果的であります。
そして情緒と空気に支配されやすくファッショ化することに自虐的快感を覚える日本国民には非常に親和性が高い組合せといえます。

タテマエとホンネ(主義と金銭、どちらが該当するかはともかく)のはざまで統合失調症にある国民を尻目に経済団体との伝統的癒着は言わずもがな自公合体に象徴される宗教との融合を画策してきた政府はいまや現閣僚の大半を日本会議メンバーが占めると国家宗教の黙認を公言するやに至っています。?
世界に類なき平和憲法国民主権を平穏理に無力化したいま戦後体制の打破はようやく総仕上げの段階に到達したのです。安倍首相が誇らしげに国家目標としての「戦後レジームからの脱却」を世界に向けて宣言したのも当然でありましょう。

この国の体制は国家資本主義体制が整い(存在—タテマエ)国家体制の変質を見抜き政府意向を忖度する報道機関の体制翼賛化(心—ホンネ)もあいまっていまや微動だにせぬ超資本主義的国家体制の体裁を確立したと言えます。

森友学園の戦前回帰教育や国有地売却疑惑などいくら国民が騒ぎ立てようが違法性が証明されぬ限り政権には何ら毀損なく逆に中央官庁の管理不行き届きを根拠にして情報管理の徹底など国家独裁管理体制を強化する手がかりとするのではないでしょうか。

資本主義国家体制における国有地とは国民不在の恣意的国策処分地であり、また戦前回帰教育の問題などを首相のパーソナリテイに還元したところで一時の憂さ晴らしにはなっても本質的な問題をなんら解決するものではないでしょう。
ミニ国家ともいうべき東京都政を回顧すれば一目瞭然、為政者が誰になろうと確立された体制はそう簡単には転換できません。

いまや政財宗の三位一体による蜜月体制は国家権力を規制すべき憲法を実質的に死文化して立憲民主主義を無力化させつつあります。
森友学園の経営者は敏感にその目指す方向性を嗅ぎ取り天皇を錦の御旗とした戦前の軍部を模倣し首相夫人を錦の御旗としたのです。神輿に担がれる人物が容易にシナリオに乗る軽薄性も戯作者に見透かされています。?

つまり森友学園騒動が意味するところとは次のようなことではないでしょうか。
国家体制に賛同し協賛する宗教団体(新自由主義的企業)であれば政府は憲法や国民など度外視していつでも互恵の精神で優遇した対応を取る。それゆえ国家の目指す「美しい国」の再興(大東亜戦争敗戦で未完に終わった日本ファシズムの完成)に向け手を携え頑張ろう。

問題の本質はこの国では立憲民主主義体制はすでに壊滅状態にありタテマエとホンネを統合した国家資本主義体制が確立されつつある。しかし国民はタテマエとホンネを統合できぬままに国家への異議申し立てをすべき物理的手段はもぎ取られて放置されてありまた精神的強靭さを支えに連帯して立ち上がる意志もない。国家資本主義体制ではすべてお見通しということではではないでしょうか。
 

日本文化論

私は、文化というものは伝統や芸術など民族の歴史から派生した生活様式を総括した呼称だと思います。そこで生活様式の基本、または、原点というべきものは何かというと、それは「思考様式」であろうと考えます。そして思考様式とは次に述べるようなものではないかと愚考する次第です。思考そのものは個人により形成されるものですが、民族の思考様式とは、個々人の思考にみられる共通多数項の歴史的集積であると思います。

その共通項は何かと考えたものが以下です。


日常生活では、数値や言語による検証と確認(形式 知)を嫌い、過去の経験や言わぬが花などと阿吽の呼吸(暗黙知)を好む傾向にあり、それはやがて議論や論争を回避する姿勢を美徳化して、革命、内乱が稀有な歴史を築き挙げ、ものごとを判断するにあたっては、その場の雰囲気や情緒に流され易く(人情)、主観と独善(暗黙知)を合理的と言い換え、その価値を美的評価に高める傾向が強く(義理や茶道、華道などの…道)その行き着く先は、道を極めた孤高の…などと「唯我独尊」の境地を日本の美の極致(神風、万世一系の神国日本など)とまで賛美しかねない 科学性も合理性もなく客観的ですらないニヒリズム(諦観を美化する散華)を醸成してきた。

ニヒリズムとは突き詰めると孤高の精神の昇華であり、それが芸術のみならず精神構造の共通項として美的評価に連動して構築された日本文化はそれなりに素晴らしいものだと思います。