bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

共謀罪法案とアカシアの雨

共謀罪法案が今日6月15日に成立しました。
安保法案、特定秘密情報保護法、個人番号法と一連の情報統制法案の締めくくりとして
共謀罪法です。これにより国家統制体制への法的整備が終了となるのでしょう。
戦後の焼け跡から営々と築き上げてきた日本の戦後民主主義は臨終に瀕し瓦解の音が聞こえてきます。
 
奇しくも6月15日は60年安保闘争で樺美智子さんが亡くなった日です。
あれから半世紀が過ぎてこのような日を迎えるとは夢にも思いませんでした。
 
法案成立を報じるTVを消して眼を閉じると耳もとに西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」がかすかに聞こえてくる気がします。
1960年6月15日、安保条約に反対する若者を中心とした民衆33万人が国会前に押し寄せました。
しかし空前絶後の参加者数を集結した国会前デモは機動隊と暴力団右翼団体の襲撃にあい、あえなく敗北を喫しました。
東大四年生の樺美智子さんが圧死したのはこの時でした。
まだ小学生だった私はラジオから流れるニュースを布団のなかで聞きながらなぜか目頭が熱くなったことを今でも哀しく思い出します。
 
安保闘争を主導した学生たちの挫折感、その運動を支持した民衆の絶望感、重苦しい梅雨空、それらが重なりあってこの歌に救いを求めたのでしょう。
一番が「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい・・・」と絶望の淵からはじまります、しかし
三番になると「アカシアの雨がやむとき 青空さして鳩がとぶ」とほのかな希望の灯りをみつけだします。
 
あの安保闘争は敗戦の痛手からようやく心身ともに回復した民衆が民族の気概に目覚めてようやく知った被統治体制の矛盾と束縛の実感だったのでしょう。
いうならば「見えざる占領下体制」からの脱却を求めた民族自立運動だったのではないでしょうか。
 
一度は挫折した民衆の気概ですが四年後の東京オリンピックそして十年後の大阪万博と結束は強まり右肩があがりに立ち上った経済力は日本を世界の一等国にのし上げました。
しかし政治の世界では半世紀を経過しても「見えざる占領下体制」のまま主体的独立性への進展がないどころか後退を続けて今日この頃です。
 
このような政治の問題は多くの為政者が状況変革と創造主義者ではなく「見えざる占領下体制」に心地よくからめ捕られた、他力本願と状況依存の機会主義者であったことでしょう。
しかしそのような政治家を選出し承認してきたのはわたしたち国民であり唯々諾々と政治の堕落を看過してきた責任は免れえません。
 
問題の本質は政治支配の正統性を問い国家に対峙すべき民衆がいつのまにか国家に従属する居心地の良さに安住する国民に変身してしまったことでしょう。
戦後復興を支えた民主主義とは個人の自由な意見の表明とその交換に基盤を置く「民衆の主動的活動」でありました。
ところがいまやAKB48総選挙などスマホ片手にSNSと動画投稿に埋没するデジタル・オタク民主主義がこの国を謳歌しています。
 
都会の路地裏から田舎のあぜ道までラジオや蓄音機から流れだして絶望する民衆の気概をやさしく喚起した「アカシアの雨がやむとき」。
それは民衆の主導的活動への応援歌でした。
そんな唄がまったく見当たらない平成文化の衰退に梅雨明けの空を仰ぎ嘆くばかりです。
 

アザミちゃんという名の犬。

半年ぶりに田舎の温泉街で年上のゴルフ仲間と痛飲した。

妻を早くになくした彼の住まいはその温泉町の相模湾を一望する楕円形のマンション最上階にある。

その部屋で彼はアザミちゃんという名の老犬と暮らしていた。

昔その名の由来を尋ねたことがあるが彼は照れ笑いをしただけだった。

海に面した部屋の大きな窓の前には古びたグランドピアノが置かれていた。

彼の母親は子ども相手のピアノ・レッスンで生計を立て一人っ子の彼を育てたという。

陸大卒の父親ラバウル沖で戦死していた。

母が夫の戦死を聞かされたのは彼が2歳の誕生日を迎えた終戦間際だったという。

海軍に騙された父の戦死だと母は言い続けたらしい。

グランドピアノは陸軍士官に嫁いだ音大出の母の形見なのだ。

一緒にプレイしたゴルフが終わると風呂には入らず彼はマンションに直行した。

そして帰りを待つアザミちゃんを海辺の散歩に連れて行くのだった。

私も風呂は使わず山際にあるマンションに戻り温泉で汗を流す。

そして散歩からアザミちゃんが戻る頃合いを見計らって彼の部屋を訪ねるのだった。

ドアを押すと彼の奏でるショパンとともにアザミちゃんが膝元に飛び込んでくる。

アザミちゃんをソファにすわらせ相模湾に沈む夕陽をながめながら冷えたシェリーを酌み交すのが常だった。

そんなアザミちゃんがひと月前に亡くなった。

直後に彼からのメールで知らされた。

慰めの言葉も見つからぬまま今日まで来てしまったのだった。

アザミちゃんの思いで話も尽き閉店時間だと告げられ席を立った。

ドアを開けると季節外れの雨だった。

バーカウンターの隅で私たちの話を聞いていた店主が背後から傘を差し出した。

傘を手にして彼が誰にともなく呟いた。

「アザミちゃんが居なくなって帰り時間を気にする必要がなくなったよ…」

その声は気丈夫には聞こえなかった。

そぼ降る雨の中へと少し左肩を落とした彼の後ろ姿は消えていった。

半開きのドアから有線放送が流れていた。

"雨の降る夜は 何故か逢いたくて
濡れた舗道をひとり あてもなく歩く"

(「雨に濡れた慕情」)

タクシーを呼ぼうと思ったが思い直して雨の夜道を歩き出した。

 

昭和45年という年を抉り取った歌手 1

 学生時代一年ばかり新宿西口の近辺に住んでいたことがある。
当時の西口は淀橋浄水場が埋め立てられ京王プラザホテルを筆頭に高層ビル街建設の最盛期だった。
早朝から槌音が響き建設労働者の汗が陽光に湯気を立て夕方になると駅近辺の酒屋の店先は立ち飲み酒をあおる勤労者と若者の歓声で街は異様な熱気にあふれていた。

いっぽう新宿東口側には伊勢丹紀伊国屋が立ち並ぶおしゃれな街並と繁華街の歌舞伎町が混在していた。そこから流れ出た人々が西口に向かう国鉄ガード下を抜けると戦後の焼け跡の面影を留めた飲食街ションベン横丁だ。そこは西口の肉体労働と東口の知的労働が合流する新宿の胃袋であった。

そこにいつからか藤圭子の唄が流れはじめた。

「まことつくせば いつの日か 
 わかってくれると 信じてた
 バカだなバカだな だまされちゃって」(新宿の女)

新宿の夜の繁栄を陰で支えたバカな女の恨み節はなぜか学生の身にも染みて感じられた。地方から出てきた世間知らずの青年の汗が高層建築を、同じように地方出身の女性の涙が夜のネオンをつくりだしてきたのだ。

夕食にかよった店がいまもある。当時は二階建てで調理場が二階にもありいつも繁盛していた。店の名前を付けた日本酒まで出したが再開発だという地上げ屋に騙されてしまった。いまや見るからに落ちぶれた店になってしまった。先日よったらおばあちゃんが見えない。昔馴染みに聞くと経営者はかわったようでおばちゃん夫婦は郊外に越したらしい。飲食街の名前もいまや思い出横丁となっている。

「ここは東京 ネオン町
 ここは東京 なみだ町
 ここは東京 なにもかも
 ここは東京 嘘の町」(女のブルース)
心に引っ掛かるカスレ声、それは街の明るさとは裏腹に地の底からもれてくるような御詠歌に聞こえた。

藤圭子のデビューは昭和44年9月の「新宿の女」
そして「女のブルース」は昭和45年2月だった。

(つづく)

自虐史観のどこが悪いのか。

日本が戦った大東亜戦争のおかげで多くのアジア植民地は独立することができたのである。それなのに日本に感謝するどころか逆に謝罪を要求するとは恩知らずだという人がいますが、それは日本人が言うことではないでしょう。

ヤマトタケルのように卑劣で残虐な人物が跋扈する古事記日本書紀から司馬遼太郎国威発揚に過ぎぬ坂の上の雲などの歴史物語まで、歴史好きの日本人は美しい誤解と独善で坂本竜馬のような英雄を仕立てあげ勝利の神話を紡いできました。

その挙句が自ら歴史を作り上げることなく公私ともに遺産相続をしただけで英雄気取りの現首相とその政権の思い上がりです。

敗戦後、日本人は戦争により他国に被害を与えたことを反省し二度と戦争は起こさないと誓いました。この理念を保持し表明することを自虐史観と断じて反日だ、自尊史観を持つべきだという人がいます。そんな暴論を抑えるどころか国民の声とばかり便乗しエスカレートさせているのが今の為政者です。
こんなことで実際に国が守れましょうか。

「自虐」と「謙虚」とは表裏一体であり謙虚は日本人の美徳で誇るべき文化です。
日本人は人にものを送るときに「つまらぬものですが」とか身内を「愚息」と言ったりします。であれば自国を「愚国」といってもいいではありませんか。

 

他国の文化、歴史や主張を尊重しなければ自尊は成り立たたない、たんなる主観による思い上がりに過ぎず失敗の歴史を繰り返させ亡国の元凶となる・・・
自尊をしたければ他尊をするのが筋である。

いまの地政学でいいのか。

いまある地政学とは物理的かつ政治的な国境や軍事力などヴィジブルなものを諸元とした論理構成と展開をおこなっています。

ところが物理的国境なるものはいまやインターネット網の世界的な普及により消滅しつつあります。

インターネット網はフェースブックやLINEなどSNS連携を駆使したサイバー社会を容易に構築することを可能にしてきました。
しかもごく普通の人たちが世界中から国境を越えて参加しているのです。
つまり地図の上にはないインヴィジブルな社会が毎日のように出現しているのです。もちろん消滅していく社会もあります。ただそれがわたしたちの眼には見えないだけのことです。

思想も収入も異なるが同一の趣味をもったグループから国籍も年齢も異なるが政治的志をひとつにする仲間など多種多様な社会が見えない世界ですでに構築されているのです。

サイバー社会は物理的な国境だけでなく政治的な国境も超えているのです。
このようなサイバー社会はやがてはサイバー国家というようなものになっていくことはありうるのでしょうか。
最近のクラウドファウンデイングやビットコインの急速な普及をみているとその可能性は十分ありうると思えてきます。
いま政権が躍起になっている共謀罪法案などはこの見えざる社会への恐怖に近い不安によるものかとも思えるほどです。

これが物理的かつ政治的国境を前提にした地政学の問題点の一つです。

もうひとつ問題というより課題があります。
それは第5の軍事力、サイバーテロです。
いままでの地政学では陸海空軍そしては宇宙(衛星)軍とその研究されてきましたがサイバーテロは未着手に近いのではないかと思います。
地政学を脅かすサイバー社会とサイバーテロ、その象徴的な結合はアノニマスです。
サイバー社会は参加者の自主的な合意をともなうインターネット上の接点、サイバーテロはインターネット上の悪意ある強制的な接点といえます。
これからは国境や軍事力などを前提にしたヴィジブルな地政学ではなくインターネットなど時空間を超越したインヴィジブルな接続と結合の地政学に目を向けるべきだと思います。

高等教育の無償化に反対する。

 

「高等教育の無償化」反対ですね。
日本の歴史を通じて今ほど文化が薄っぺらになり教養ある階層を喪失した時代はないでしょう。
教育と教養は別でありまた文化と近代化も別ものです。
政治的作為か否か、この識別をせずに混同させたままいまに至る戦後70年。その教育と近代化の総括をしてから議論すべきです。
過去に対して責任を取りえぬ現在は未来を展望できません。
さもなくば無辜の愚民社会を血税をもって拡大再生産するばかりです。

米中関係と「召使」

 

「中国と米国の関係は正式なものではなく、もちろん結婚ではない。同意の上での同棲ですらない。中国が単に地下室に引っ越してきて使用人として働き始めたようなものだ。そうした関係の危険性は『召使』に描かれている。主人は世間をよく知る人として社交界に出ているが、家では立場が変わるのだ。主人は召使にますます依存するようになり、召使が力を持つようになる。」これは英国のエコノミスト、チャールズ・デュマ(ロンバード・ストリート・リサーチ社チーフ・エコノミスト)の語ったものです。(Quoted in “China’s Holdings of US Securities: Implication for US
economy” a report by the Congressional Research Service, 19.Aug,2013)

 

これだけでも意味ありげなのですがさらに深読みをしてみますとこのコメントの肝は『召使』にあるようです。

『召使』は1963年の英国映画で一つ屋根の下に暮らす主従の人間関係をシニカルに描いた名画です。赤狩りで英国に逃亡した米人ジョセフ・ロージー監督が英国作家そのもののロビン・モームの小説を題材にしてロンドン生まれの貴族然としたダーク・ボガードを召使役に起用するという英国人がいかにも喜びそうなお膳立ての映画です。

デュマは中国が使用人として地下室に引っ越してきたといっていますが映画では使用人部屋は3階にあります。エレベーターのない時代に階段の昇降を厭わぬ主人など稀であったのです。
英国を含む西欧そして米国でも主人の部屋は下層階にあり使用人部屋は20世紀初頭まで屋根裏部屋とも呼ばれた最上階にあったのです。
地下室はあったとしても洗濯や物置用の部屋でした。
ということは中国が洗濯部屋に住んだとしても主人の米国はどこに住むのでしょうか。とにかく中国の上階であればどこでも良いのでしょうが間違っても3階ではないとおもいます。しかし使用人より上階に行ってしまうと下にいる使用人の動向を監視することが難しくなってきます。また外出するには階段の昇降が大変になります。

主人と召使そして建物内での上階と下階それはともに垂直関係ですが、主人と社交界とは水平関係です。家の内部での垂直線そして外部の水平線その座標軸を維持することの困難と矛盾に主人は葛藤します。こんな精神的葛藤をもたらした召使をデュマは関係の危険性と表現しているのでしょう。
さらにボガートは主人を騙して愛人を妹だと称して家に引き込んでしまうのです。やがて主人はその妹に惹かれていくのです。まるで妹という名の愛人は北朝鮮の如きです。


このような背景に浸りながらチャールズ・デュマのコメントを再読すると4年近い前の発言とは思えぬほど的確に米中関係の立ち位置を予言しており未完の戯曲を観賞するような冷めた臨場感を感じる次第です。

※ 余談ですが、20世紀初頭ベルリンに富裕層向け屋上テラス付きアパートメントが建てられ主人は最上階に使用人部屋は地下室や階下にというペントハウスの歴史が始まったということです。