bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

『シグナル&ノイズ』 書評

 

 

著者のネイト・シルバーは統計専門家にして「マネー・ボール」で有名な野球データ分析会社の予測モデルPECOTAの開発者。2008年の米国大統領選挙の結果を予測し50州中49州を的中させたと解説にある。

 

ビッグデータの時代というが多くの予測が失敗をするようになった。

多くの失敗とわずかの成功、その具体的事例を自然現象、政治、経済、スポーツなどの分野にわたり記述統計と確率論の視点から分析する。

 

その結果として失敗の多くはシグナルとノイズの混同、錯誤によるものであるとする。たとえば米政府は45,000もの経済統計を発表する、これらのデータをすべて組み合わせて検証しようとすると10億の仮説を検証することになる。しかし経済の因果関係を示すものは桁違いに少ない。それでも相関関係から予測を試みる。

 

データが多いということはシグナルを見失うことになりかねない、またデータにどれだけ多くのノイズが含まれているのかわからない。そのため最新のデータに重点を置きすぎるというバイアスがかかる。

 

政治記者世論調査の発表で誤差を忘れ、経済記者はほとんどの経済統計が不正確であることを忘れ、その結果として外れ値がニュースになる。

 

さらにデータの精査や検証において彼らの関心が原則やモデルにしか向かわないときに予測は失敗に終わることが多いー真珠湾攻撃を予測できなかった米軍、サブプライム、9・11、3・11、福島原発などー

 

そこで著者は自らの予測経験からベイズ定理の優位性とべき乗則への注意喚起を語る。たしかに確率で事象発生の可能性を予測する楽しみが生計を立て社会的な影響をもたらすことは素晴らしい。しかしベイズ定理の問題点は事前確立の設定にバイアスがかかりやすいことではないだろうか。

 

著者は言う「予測をするときには好奇心と懐疑心のバランスが大切、両者は共存できる」

自動車のEV化に日本企業はついていけるか?


米国駐在から帰国した20年以上前のことです。なにげなくTVをつけると「モノより思い出」というナレーションが耳に飛び込んできました。TV画面に目をやると湖を前に車を止めた両親が車からランチボックスを降ろすと小さな子供と手をつなぎ楽しく野原に向かい駆け出していきました。
自動車のCMというとモデル名とか初速や燃費など仕様の優秀さを訴求するのが当然と思っていた私には、まさに衝撃的なメッセージでした。
家族にとりピクニックが目的であり車は目的地までの移動の手段にすぎない、たぶんピクニックの思いでは家族に取り忘れられないものになるでしょう。
人にとり車(その所有)は目的ではなく生活の黒子だと自動車メーカーが宣言しているのです。CMではモデル名も流れませんでしたが、あとで人に聞いて日産のセレナだと知りました。

「モノからコトへ」と時代のパラダイムが変遷することを予感した素晴らしいメッセージでした。

ところが日産はじめ日本企業はいまだ「モノつくり」に執着しているようです。
精確で耐久性があり美しい日本のモノつくり、まちがいなく日本の独壇場といえましょう。
しかしこのような製品の価値を見出すことと人がその対価を支払うこととは必ずしも一致しません。いいモノだから売れると直線的な感情(メーカー的)を因果関係に直結するのは多くの日本人の習性なのかもしれません。しかし、使用目的にさえ適えばいいモノでなくとも十分だというのも人の非直線的感情(生活者的)です。相関関係があっても因果関係にはならないのです。
モノつくりに生涯をかける職人一代の匠のモノつくりは芸術世界とも呼ぶべきまたべつの価値観で形成されるものでビジネスの世界とは違います。
このような個人のモノつくりと企業のモノつくりを混同して価値を語る傾向が日本では多すぎる気がします。

モノの必要性を否定はしませんが企業にとり重要なことは「コトつくり」です。
家電が世界を席巻した大きな理由は、まだモノがスタンドアロンでも価値があったからでないでしょうか。スタンドアロンで機能するゆえモノはそれ自身に保有する価値があったのです。それゆえ多少高くとも「モノに価値」がある日本製品は売れたのでしょう。

ところがスタンドアロンで価値があるモノは目に見えて減少しています。
いまや多くのモノが接続性を要求される時代です。
いい例が日本人の誰でもが持っているともいえるスマートフォンです。
このモノの価値はどこにでも持って歩けどこでも繋がるという機能でしょう。
「モノの価値」にこだわる一部の人を除きどのメーカーでもいいのです。重要な生活者価値はMobilityとConnectivityです。この二つの機能を統合させる仕組みつくりがビジネスのポイントです。つまりモノではなくコトつくりです。
グーグルやアマゾンなどは最初からこの二点がビジネスの原点でした。
目に見えるモノは誰にもわかりやすく容易に価値が判断できます。
しかし、この特徴は誰でも真似ができるという欠点と表裏一体です。

EV化の波は何度もきたが云々という日本の自動車メーカーの姿勢はなんとも理解しがたい話です。
世界がべき乗則で動いていることがわからないのでしょうか。
AI化、VR化の波も何度かきましたが積極的にビジネス化したのはコトの企業のアップルやグーグル、フェースブックです。
EV化とは燃料が電気に代わることとエンジンがモーターに代わることが要点だと思います。日本企業が得意としたエンジンつくりに不可欠な精密加工とすり合わせ技術ですが、モーターつくりにはその技術価値は大きく目減りすることでしょう。
また燃料のガソリンや水素に比べると電気の特質は容易で比較的安全な接続性です。
アップル・クラウドから無線で走行中でも充電ができるでしょう。MobilityとConnectivityの世界です。またもや米国のGAAFの登場です。

スマートフォンの欠点は電池であり同様にEVの電池の重要性は大きなものです。
モノゴトの本質を見誤る近視眼的発想を捨てこの2点を脳裏においたモノつくりを怠るとパナソニックトヨタも家電業界のようになりかねません。

『東ベルリンから来た女』ー国家への別離を静謐に描く名画。

とにかく題名がいい。(原題はBarbara)東ベルリンというだけで哲学的でミステリアスな雰囲気が漂う。1980年東ドイツ、東ベルリンから田舎の病院に左遷された小児科女医が主人公。落ち葉舞う侘しい街路の一角、病院前でバスから降り立つ主人公、古びた病院の窓から見下ろす医師たち。冒頭シーンから主人公の過去とその神秘性が暗示される。なにか謎を背負った感じの主人公は病院の同僚になじまず孤立した日々を過ごす。そんな彼女のもとに作業所から病気の少女が担ぎ込まれる。怠け者であり嫌われ者の少女だが主人公を慕うようになっていく。やがて少女は作業所から出ていきたい、この国からも脱出したいので出国申請を考えていると主人公に打ち明けるようになる。一方、主人公に好意を寄せる医師がいる。彼は夜勤の続くある夜、田舎に埋もれることになった暗い過去を彼女に告白する。そんな医師に魅かれつつ西ドイツの恋人への思いに揺れる主人公。そして彼女の動向を監視する国民警察。美しい田園風景を背景に自転車、ローカル鉄道と乗り継いで通勤する主人公。その絵は祖国の山河への断ち難い思い、医師と恋人の間で揺れ動く情念、少女への憐憫を包み込み哀感に溢れる。
ヘーゲルヴェーバーによればドイツでは、国家はそれ自体が目的であり、理性の化身であったという。この映画は国家の都合で日陰に追いやられた人たちの日常を淡々と追うことでひそかに燃え上がる人間の情念を浮き彫りにしていく。そして国家への別離による人間の新生をめざすのだ。国家へのアンチテーゼとして自然を背景に対置した人間の情念と理性のアウフヘーベンを暗示するものといえる。それにしても旅券さえあればいつでも出国できる日本人、常に帰国することが前提の出国だが・・・出国申請という言葉の重さと意味を初めて認識した。ラストシーンのどんでん返しなんとなく推測はできたがそれでも涙。
しかし最後まで主人公が左遷された理由がわからなかった。ドイツ哲学の難解さか、いや左遷の理由なぞ無視して素直にみる映画なのだ。

「希望の党」とはだれの希望なのか。

東京都知事小池百合子が国政に進出宣言をしました。

彼女にはもって生まれた才能があると思います。それは機を見るに敏で行動力があることです。その才能は政界入り後まさに風見鶏のように空気を読んで所属政党を渡り歩きそのつど機会を逃すことなく防衛大臣などの要職を射止め続けたことに発揮されています。

そこで彼女はつぎに狙うは日本最初の女性総理と考えたのでしょうか、それとも政界入りの時点からの望みだったのでしょうか。いずれにせよその野望を安倍首相には感知されていつのまにか冷や飯を食わされるようになったのではないでしょうか。

そんな不遇なときに舛添前東京都知事のスキャンダルが出現そこで混乱した東京都政を千載一遇のチャンスとみたのではないでしょうか。まず都知事にそれから総理大臣への道を切り開こうとひらめいたのでしょう。都知事選では所属する自民党に背を向けたポーズをとり築地移転問題や東京オリンピックなど既成の政策をやり玉に挙げ前任者の失政をあげつらうことで庶民感情を掴まえて大勝利をしました。まず野望への第一歩を踏み出したわけです。

ここで特筆すべきは庶民の情緒に訴えるキャッチフレーズのうまさです。都民ファーストといわれるとまず悪い気がする都民はいないでしょう。自己の利得やその下に隠された野望には一切触れずお客様(都民)は神様だと祭り上げたのです。ところが都知事になるや公約の「透明な政治」はいっこうに透明にはなっていません。都民ファーストの代表を独断で決めたり築地再開発をAIの決定であるなど独断先行の政治姿勢が目につきだしています。

都民もようやく彼女の胡散臭さに気づきだしたところにまたもや天佑が巡ってきました。安倍首相が突如として衆議院解散を宣言したのです。そこで都知事選を戦った盟友や民進党を離脱した人たちが推進していた新党結成の計画を看過して様子を見ていたにもかかわらずその動きをリセットするとして突然「希望の党」として自らが党首となると宣言してしまったのです。しかも東京都庁でパンダのネーミング発表会を行った後に新党の設立宣言をしたのです。安倍首相の衆議院解散の記者会見前数時間の出来事でした。さらに小泉元首相と面談して反原発を公約に入れたのです。みごとな手口と演出と言わざるをえません。

この度の選挙では解散の大義名分はありません。いうなれば政策論議のない漠然とした現体制への信任選挙でしょう。そうなると何の政策もない新党でもかなり戦えるはずです。右翼政党「日本のこころ」を取り込み反原発中道左派をも巻き込んでいくと「希望の党」は反安倍層と無派閥層の指示を浅く広く集票できると思います。

そこで問題は選挙後に彼女はどう動くかです。憲法改正に二の足を踏む公明党をしり目に自民党に接近し反原発は放棄して改憲案を合意そして「希望の党」は自民党に合流、彼女は着実に総理の座への道を歩むのでしょう。

希望の党の希望とは小池百合子の希望であり野望なのでしょう。

 

 

カープ女子は現政権への異議申し立てである。

(3年前の投稿)



南海ホークスが消滅してからというものプロ野球への関心は薄れていた。
しかし巨人や阪神など人気球団が札束を積んで他球団の主力選手を引き抜いていく、とくに地元フアンと球団が相携え育て上げた広島カープの選手を強奪していく、その傲慢な姿に憤慨していた。

福島原発のトラブルから三年半を経過するも失敗の反省もなく諸問題は放置したまま、御用学者やマスコミを権益・金欲にまかせて囲い込み原発政策の正統性を唱え原発再稼働にひた走る政府の姿と二重写しになる。

広島から離散したカープ出身選手たちの意気と活躍があるからこそ今のプロ野球の隆盛があるのだと秘かに信じてる。
広島、長崎の被曝経験を国民みなが共有してきたからこそ70年近く平和を維持できたと秘かに同胞を誇りに思っている。

広島カープは強欲と金権が闊歩するプロ野球界へのアンチテーゼだと秘かに喝采を送っている。
そしてカープ女子は人命とカネを天秤にかけ国民を愚ろうする卑劣な現政権への異議申し立てだと勝手に応援している。

三ヶ月の物語。

心温まる後日潭があります。
クルド系シリア人の男児で3歳のアイラン・クルデイの遺体がトルコの人気リゾート地の海岸に打ち上げられ家族4人で一人残された父親アブドッラー。
アブドッラーの一家空爆のダマスカスを逃れトルコに逃亡。そこでカナダへ渡るビザ発給を待っていた。アブドッラーの姉はカナダで美容師として25年暮らしていたのだ。しかしカナダ政府は、アブドッラー一家はトルコに逃れておりこの国は安全だと判断しビザ発給申請を却下した。そこで姉は5,800ドルをアブドッラーに送金した。このお金でアブドッラー一家ギリシアにわたりヨーロッパに亡命することにした。しかしトルコからギリシアへの密航船は大波にさらわれ船長は海に飛び込み逃げてしまい船は沈没。その後カナダでは、一家がカナダを目指していたことが報じられ連邦議会選挙で難民と亡命政策が最優先課題となり自由党のジャステイン・トルドー党首がカナダ首相に選出された。トルドーは即座に2万5千人のシリア難民受け入れを決定。カナダに地を踏む最初の難民を一個人としてトロントのピアソン空港に出迎えた。そしてカナダ移民局はアイランの家族と親戚7人の移民申請拒否を破棄した。しかしアブドッラーはこの申し出を受けた時には違う道を選んでいた。クルド人自治区の大統領の招きに応じてクルデイスタン地域に移り住み地元で難民を支援する仕事に就いていた。彼は語った。「自分の家族を失ったことで、多くのほかの家族に扉を開くことができました。カナダの人たちのことは怒っていません」
アイランが亡くなってから、わずか3か月間の出来事だった。

昭和45年という時代を抉り取った歌手 2

昭和45年4月には「圭子の夢は夜ひらく」7月には「命預けます」と連続してヒットを飛ばした。そして藤圭子は昭和45年の一年間で燃焼してしまったのだ。

ゲバラサルトルそして朝日ジャーナルに象徴される革命的未来に若者たちは憧れた。そんな輝かしいユートピアの構図に立脚した社会変革を試みる大学生が急増していた。それは敗戦が産んだ戦争を知らないベビーブーマーの「曖昧な時代」に対する異議申し立てであった。その異議申し立ては時の権力機構に対する暴力的行為に表象された。口より手の方が早かったのだ。日本中の大学に学生運動が燎原の火のごとく広がった。昭和43年10月の新宿騒乱から昭和44年1月の東大安田講堂陥落にかけて燃え上がった若者たちの刹那的な政治の季節はあっという間に国家権力に打破され不完全燃焼のまま終わっていた。

昭和44年の秋も深まり新宿騒乱から一周年を過ぎたひと夜、私は三平食堂裏の安酒場で友と飲んでいた。終電の時間が近ずき潮が引くように客が居なくなり静寂な時間が流れ始めた途端だった。友は何を思ったか突然バーカウンターの上に身を伏せると「終わった・・・」とつぶやくとしのび泣きだした。

一貫して学生運動に反対の声を上げ一流企業への就職内定を勝ち取った男がなぜ泣くのか。民族主義者のアンチテーゼたる左翼学生運動が消滅してしまった悲しみか?

私は泣くままの彼を放置して店の外に出て涙をぬぐった。

不条理な学生生活、その最後の秋の重さに耐え切れなかった。

有線放送から苦しみもがく歌声が聞こえてきた。

「前を見るよな 柄じゃない
 うしろ向くよな 柄じゃない
 よそ見してたら 泣きを見た
 夢は夜ひらく」(圭子の夢は夜ひらく) 

目に見えぬ巨大な力にねじ伏せられた若者の心象風景をまさにあらわした唄だった。

右も左もノンポリも混迷のあげく無力感と虚無感に陥っていた東京の晩秋は雨が降りやまなかった。

昭和45年3月、大学卒業そして大阪万博の開催。
高度成長の幕開け経済大国日本の春到来、しかしその裏では成田空港反対闘争、よど号事件発生。いまだ残り火はもだえていた。

昭和45年6月、安保条約自動延長。

「雨の降る夜は 雨になき
 風の吹く日は 風に泣き
 いつか涙も 枯れはてた」(命預けます)

貧しい学生生活を送りながら命預ける先も見えぬまま、「不満な時代」への異議申し立ては自滅していた。

昭和45年11月、三島由紀夫割腹自殺。
昭和45年12月、「昭和残侠伝死んで貰います」公開、これが任侠映画の終焉だった。

「ここは東京 ネオン町

 ここは東京 なみだ町

 ここは東京 なにもかも

 ここは東京 嘘の町」(女のブルース)

「女のブルース」には胸が痛みながらもなぜか心が潤む、藤圭子は昭和44年新宿の激動をそして昭和45年の日本の若者の心を切り取った歌手であった。