bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

『第二次世界大戦 影の主役―勝利を実現した革新者たち』-書評

逆説的ではあるが本書はポール・ケネディによる日・独の第二次世界大戦「失敗の本質」論とも言うべき傑作である。

当代きっての歴史学者ポール・ケネディは戦史や軍事行動、指導者に的を絞るのではなく「いかに制空権を勝ち取ったか」、「いかに電撃戦を食い止めたか」など戦局の流れを変えた5つの事象を抽出した。そこから戦局転換の解決策や解決策を編み出した人々を描くことで第二次大戦の陰の主役を描き出した。その結果わかったことはたった一つの驚異的兵器が戦闘の流れを変えることはなかったということで、勝つための要件は兵器だけでなく戦争に勝つための体系―新機軸を用いるという奨励の文化と軍種合同の調和的統合組織―を創り上げた組織であった、との結論にいたる。

全5章のうち4章はドイツ軍の話だが日本軍に関する一章「いかに距離の暴威を打ち負かしたか」は目から鱗。その要点は以下の通り。
ミッドウエィの戦い後に大本営はハワイ攻略をあきらめたとおぼしかったのは驚くべきことだ。その時点では太平洋の米軍兵力はまだ弱体でありハワイ諸島の戦略的重要性に比べればニューギニアビルマを奪うことなどたいした意味がない。緒戦で日本軍は太平洋全体の戦略的拠点をほとんど攻略していたからいずれ手に入るはずであった。しかし第二の戦域―ビルマ、中国南部―に進出し本当に重要な攻撃目標に注意を払わなかった。
大本営は第二次大戦が地政学的チェスということを理解していなかったのである。

歴史に「もし」は禁物というが、もし大本営ハワイ諸島を手に入れ米国本土攻撃への前線基地となしもって距離の暴威(日本軍の致命傷となった兵站線)を克服することに目的を定め、もし真珠湾攻撃が海陸両用作戦であったならば米太平洋艦隊の打撃は甚大で態勢立て直しには多大の時間を要したであろう。そして情緒と空気が支配する日本軍は第二の戦域展開は後回し一気呵成に対米戦に集中し活路を得ていた可能性も・・・。しかし問題の本質は大本営が戦いの目的と地理(地政学)そして人(新機軸を奨励する文化)を理解していなかったことで所詮勝ち目はなかったであろう。

仮想敵国はどこか?

政府が来年度予算案に計上するという「長距離巡航ミサイル導入」が話題になっています。
長距離巡航ミサイルが防衛のみでなく攻撃目的にも供される可能性があり、憲法と政府方針との齟齬が危惧されるからでしょう。

当然ながら政府方針に対しては賛否両論があります。
政府方針への賛同派、懐疑派のマスコミ意見と世論です。
(賛同派)12月13日産経新聞「主張」欄。政府は、ミサイル発射が確実であり、他の手段がなければ、敵ミサイル基地への攻撃は合憲であるとの立場だ。「座して死を待つ」のは、憲法が認める自衛の趣旨に反するからだ。射程約900キロなら、日本海の上空から北朝鮮国内を攻撃できる。
(懐疑派)12月5日付朝日新聞。政府は、航空自衛隊の戦闘機に長距離巡航ミサイルを搭載するための調査費を2018年度当初予算案に計上する方針を固めた。有事の際に敵艦船などを攻撃するためとしている。ただ射程が長いため「敵基地攻撃能力」としての転用も可能で、専守防衛を堅持する政府方針との整合性が問われそうだ。

(世論)産経新聞とFNNが12月16日、17日に合同で実施した世論調査の結果では導入に前向き68.5パーセント、必要ない28.7パーセントとなっています。

専守防衛は基本姿勢だが「守」のため時には「攻」が必要だという情緒的な国民感情のあらわれでしょうか。このような空気を読んで安倍一強の国家社会主義(偽装民主国家)議会はこのまま予算方針を可決し長距離巡航ミサイルは導入されるのでしょう。

そこで問題の本質です。
長距離巡航ミサイル導入の意味するところは「守」から「攻」への国家軍備システムの思想転換であるということです。
では「攻」の対象になる敵ミサイル基地とはどこか、つまり仮想敵国はどこなのか。
中国かそれともアメリカか、ところがどうも政府もマスコミも北朝鮮を仮想敵国と考えているようです。
北朝鮮が仮想敵国などという刹那的で視野の狭い了見で一国の軍備システムの転換が安易に実施されていいものでしょうか。具体的な仮想敵国のない軍備システムなど画餅でまったく無意味です。それどころか地政学的に日本を仮想敵国とする国を生み出しかねません。

日本が仮想敵国を想定できないのは国家ビジョンがないから国家戦略もなく、したがい戦略完遂上でバリアーとなる仮想敵国も特定できないということでしょう。

大東亜戦争では陸・海軍それぞれの仮想敵国が異なるまま戦線を拡大し戦史上まれにみる大敗を喫して無条件降伏しました。
陸軍のソ連か海軍のアメリカか仮想敵国の一本化ができないままでは戦争の基本戦略が立てられません。あったのは主観と独善に基づく先見性も整合性もない無謀な戦術の繰り返しでした。

国家戦略がないまま仮想敵国も想定(あっても志がない)できず明確な戦略なき軍備の増強。また同じ過ちを繰り返しているような気がしてなりません。

ましてやトランプ大統領に忖度した米国兵器の購入だとしたらまったくお話になりません。
いまやることは憲法と政府方針の整合性(国家ビジョン)を包括したうえで腰を据えて国家戦略を立案することではないでしょうか。

12月8日に考える。

 12月8日に考えること。

それは、
なぜ戦争は始まったのか?
分岐点はいつだったのか?
なぜ戦争に敗れたのか?
である。

敗戦直後の1945年11月、わが国は戦争への道を自らの手で検証しようと国家的プロジェクトを立ち上げた。
それが戦争調査会だった。
幣原喜重郎内閣において幣原自らが総裁に就き、長官には庶民金庫理事長の青木得三、各部会の部長には斎藤隆夫、飯村穣、山室宗文、馬場恒吾八木秀次を任命し、委員・職員は100名ほどという、文字通りの国家プロジェクトだった。

多数の戦犯逮捕、公文書焼却など困難をきわめるなかおこなわれた40回超の会議、インタビュー、そして資料収集。
ところが調査会メンバーに旧帝国軍人がいることをソ連が問題化した。調査結果を利用して次は勝利の戦争へと日本を誘導することを危惧したのだ。戦争調査会として目的を達するために軍人を参加させてこそ趣旨に沿うものであることは自明の理であった。そこで占領下における連合国のメンバー米ソ中英で議論が交わされた。最後は日本の精神的独立よりも国際的協調策を選択した米国がソ連に同調した。マッカーサーは戦争調査会の廃止を命じた。
1946年3月の第一回総会からわずか半年後に戦争調査会は調査の経緯も結論も集約することなく静かに幕を閉じたのである。
その時に集められた関係者への事情聴取と資料は、公文書館などの書庫で眠り続けていた。しかし昨年、
『戦争調査会事務局書類』として公開された。
12月8日にやるべきことはこの文書を読み解き引き継いで調査をまとめて結論を導き出すことではないか。

『幼児教育の経済学』ジェームズ•J•ヘックマン著ー書評

 

人間と経済の関係を出生率1.8などと無機質な数値でしか把握できず、公平性と効率性は公的投資における二律背反命題だなどという国の問題点がよくわかります。

また17歳以下の子供の貧困率が16.3%という日本の公共政策に携わる人のみでなく幼少期の子供、孫を持つ人に一考を促す本でもあります。

著者のヘックマン教授は自発的選択によって生じる予測の歪みを修正する方法により2000年のノーベル経済学賞を受賞。

ヘックマン教授は米国における就学前プロジェクトの分析(3-4歳から40歳までの被験者と非被験者の経過分析など)から人生で成功するか否かは認知的スキル(算数、国語などのスキル)だけでなく非認知的な要素(肉体的・精神的健康、根気強さ、注意深さ、意欲などの社会的・情動的性質)が欠かせないとして幼少期への教育介入論を展開します。

この論理に関して教育、経済、法律、心理学など各界の専門家10名が賛否の意見を述べ各コメントに対してヘックマン教授が回答する形で自説を集約します。

いわく恵まれない子供の幼少期への公的投資はその利益率が第二次大戦から2008年までの米株式配当額を上回り、政策的な再配分というものは社会の不公平を減じるものの長期的には社会的流動性や社会的包容力を向上させない、それよりも恵まれない子供の幼少期への公的「事前配分」をすべきである。

その結果として低所得層に終わる人が中間所得層に浮上し暴力や社会保障コストを減少させていく、公的投資の公平性と効率性をともに実現し人と経済の乗数効果を生み出すとしています。

『イエス・キリストは実在したのか?』  レザー・アスラン著 ー書評

 

実際のイエスは平和と愛を説いた救世主や宗教家ではなく、ローマ帝国とその権力に迎合したユダヤ教に対する武力闘争をも辞さぬ革命家であったことを明瞭に示した一冊。

エスの死後そのメッセージを伝えるべき使徒は読み書きもできない農夫や漁師であり代わりにイエスの物語を構成したのは教育があり都会化されたギリシア語を話す離散ユダヤ人であった。

...

彼らはギリシア哲学やヘレニズム思想に浸り、イエスのメッセージをギリシア語を話す自分たちの仲間や異教徒の隣人の嗜好にあうように解釈してローマ風の物語を作っていった。

やがてイエスはローマとユダヤ教権力の抑圧からユダヤ人を開放することに失敗した革命家から浮世離れした天界の極楽トンボとなったのである。

擬似西洋国家の没落

1989年秋あの歓喜と自信に満ちたベルリンの夜明けはどこに行ってしまったのか。世界をリードしてきた西洋はなぜ没落しつつあるのか。公的債務は若者にツケを回し古い世代が安逸に暮す手段と化し、本来なら活気ある社会では革命を起こす力を持つエリート層はただの寄生虫でしかなくなった。いまや市民社会は企業の利害と大きな政府に挟まれ空虚な無人空間に変わり果てつつあるようだ。根本的な制度疲労市民社会の沈滞で西洋は過去500年の成果を帳消しにしつつあるようだ。いっぽう明治維新から150年を迎える日本では疑似西洋国家のメッキがはげ落ちつつある。西洋から遠く離れた東洋の涯てのわが国は西洋帝国主義の魔手を地政学的に逆用してきた。英仏の植民地化政策を米国の黒船で抑えた 徳川幕府の功績を薩長が台無しにした。その倒幕クーデターを維新と言い換え富国強兵、大東亜共栄の美名のもと政治、経済、行政と西洋の仕組みを巧みに取り入れて成長と繁栄を遂げてきた。しかし今世紀に至るや栄誉ある西欧社会の秩序を崩壊させたハイパー・グローバリズム(超・新自由主義)の奔流はわが国を巻き込むや否や制度疲労をきたしていた国家システムに怒涛のごとく襲いかかり、いまや国家そのものがシステム不全に陥入りつつある。栄枯盛衰、昭和と共に邯鄲の夢はついえ、若者は怠惰極まりなき既成権力に慷慨悲憤の気概すら失い、ひたすら現状維持を自己目的化する中高年層と結託して無欲中間層を形成してきた。老年層はあまりにも長きにわたり西洋の経済成長モデルを追い求め奇跡を呼んだ戦後インフラに執着するあまり足もとの人心荒廃を放置してきた。その果てに行きついたのが市民社会の定常状態である。つまり世の中への無関心という名の諦観から産み出された奇妙な安住感を伴う先細り共生社会である。模倣すべきモデルを失った擬似西洋国家はこれから何処に向かうのか。いま明確に言えることが一つある。それは独善と主観のもと刹那的で瑣末な弥縫策をあたかも国家戦略のごとく断行する為政者、彼らにこれから先の舵を取らせてはならないということだ。

 

 

書評『ハロウイーンの文化誌』

 

1938年10月30日、100万人が避難したといわれる米国CBSの火星人襲撃放送。じつはハロウィーン向けラジオ放送だった。

黒猫、魔女、カボチャというハロウィーンの主役三点はポーの「ユーラルミー」ホーソンの「ヤンググッドマン・ブラウン」アーヴィングの「スリーピー・ホローの伝説」それぞれの作品で象徴的に取り上げられたアイコンであった。そこでこれらの作品はハロウィーン小説の原点と言われる・・・。

近年我が国では祝祭的に取り上げられバレンタインをしのぐ経済効果と言われるハロウィーン
その語源、起源から説きおこし現在に至るまで世界各国の文化に根付いたハロウィーンの歴史をたどる。その背景は宗教から人類史まで広範にわたり著者の博識には脱帽する。

また多くの図説が掲載されて読んで見て楽しめるハロウィーンのデズニーランド的楽しさいっぱいの書誌である。

なによりも世界的なイベントに押し上げたのは子供、怖さ、スイートという三点セットをパッケージ化したアメリカの文化だという指摘には納得。