bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

国会閉会で安倍総理の空虚な記者会見

今日は国会の最終日でした。

参院選を前にして安倍総理の口から「消費税増税を延期する」との一言が飛び出すのではないかと期待していましたが、淡き夢でした。

 

国会を終え参院選を前にした安倍総理の記者会見をラジオで聞いていました。

 

年金や憲法参院選の争点にするとの意図でしょうが、年金の財源を確保するため経済の活性化やら憲法審議会での討議が数時間しか行われなかったなど枝葉末節の話ばかりで呆れました。

 

滔々と語っていましたが、国家ビジョンなき憲法改正の話や既に破綻している年金システムの弥縫策など、中身のないその場凌ぎの空虚な戦術論のみです。

具体的な将来の国家像と国民生活の未来像などまったく見えては来ません。

 

一国の為政者にとって重要なことはこの国をどの様な国にするのか、国家の青写真をタイムスケジュールをもって国民に提示することだと思います。

 

国家の基本戦略なくして憲法の何処をどうするのか、野党のみならず国民もまともな議論ができるはずがありません。

 

掛け金支払い層がいずれ受給者層を支えられなくなる年金システムはもはや保守修繕のしようもないでしょう。高所得者から低所得者への強制的所得配分など社会保障システムの発想転換を検討するか、それとも新自由主義に徹底した自助努力次第の放任システムにするか?選択肢は多々あるでしょう。

しかし過去の延長線上での改善発想と独善的合理主義に立脚する限り、政治を市場に放り出すことになりかねないでしょう。

 

国家の明確な戦略なきまま楽観的かつ機会主義的な戦術論を積み重ね、結局は出口を失い敗戦に至った失敗の歴史を繰り返してはならないと思います。

 

 

          

      

 

      

      

反日がどうしたというのか。

そもそも高度な諷刺や諧謔には分からないものには分からないという拒絶を含有している。国家ビジョンなき為政者に否定的な姿勢を取り率直な疑問を呈して何が問題なのか。かって江戸の町人たちは首を賭けて権勢を誇る将軍すら嘲笑の対象にした。それが粋というものだ。衆をたのみ勢いに乗じた薄っぺらな反日という画一的なレッテル貼り、これを野暮という。この程度の意気や粋が分からぬ国に成り果てたのか。

メイはハムレットか。

「愛する国に尽くす機会を得たことを感謝する」英国のメイ首相は辞任表明をした。国家と民主主義そしてグローバリズムのトリレンマ。その狭間で彼女はハムレットたることを選んだ のか。

ブレグジットで指摘されるのはもっぱらEUからの離脱による経済問題である。しかし、ブレグジットが提起した問題の本質はもっと根深いものではないだろうか。英国経験主義と大陸合理主義そしてプロテスタントカソリックという英国と欧州大陸を分断してきた哲学的かつ宗教的な背景を考察しないと英国民の逡巡とメイ首相の苦悶は容易に理解できないように思える。

この課題についていずれ私見をまとめて投稿するつもりです。

秋丸機関を知っていますか。

「秋丸機関」について        

 

戦前日本の最高頭脳を集めたと言われるシンクタンク

名称   陸軍省戦争経済研究班

設立   昭和15年1月

目的  「陸軍省経理局長の監督の下に次期戦争を遂行目標として主として経済政策の見地より研究」し「その成果を陸軍大臣に報告し参謀総長に通報するものとす」

成果   研究の結果は「対英米蘭蔣戦争終末促進に関する腹案」として大本営政府連絡会議にて提示され大日本帝国の戦争戦略=国家戦略として正式決定される。

 

Ⅰ. 秋丸機関の構成

・秋丸次朗中佐

  明治31年宮崎県生まれ。昭和7年、陸軍経理学校をトップで卒業。東大経済学部で

3年勉学、渡満し関東軍参謀付の経済参謀として満州国建設の主任、

昭和14年9月、満洲から呼び戻され戦争経済研究班(陸軍省軍務局軍事課長の岩畔豪雄大佐が中心となり陸軍省経理局内に設立)へ。

  昭和17年12月、第16師団経理部長へ。

 ・メンバー

  有沢広巳‐事実上のリーダー

   明治29年高知県生まれ。東大経済学部助教授、マルクス経済学者。

   秋丸中佐は東大在学中、有沢広巳の統計学講義を聴講し、その卓越した学識に感動。

   「戦争と経済」

   主要列強国の資源自給率分析。鉄、石炭、石油などの資源戦略、国際金融資本、

   石油資本の研究。

   「産業動員計画」

   日本における総力戦と経済統制の研究

  武村忠雄

   慶大教授、召集主計中尉―独伊班    

  中山伊知郎

   東京商大教授―日本班      

  宮川実

   立大教授―ソ連

  

名和田政一

   横浜正金銀行員-南方班

  蝋山政道

   東大教授-国際政治班

  各班が15-26人、事務局22人、総勢200人弱

 

 Ⅱ, 研究概要

  一.「総力戦としての戦争」の本質を明示した。

    総力戦を前提に英米の経済抗戦力についての深い洞察を基に次期戦争のシミュレーションを行い、持たざる国日本のあるべき戦争の姿を描いた。その結論は「時間との競争」であるとし開戦半年前の昭和16年7月には戦略案を完成させた。

    その骨子とも言えるのが「英米合作経済抗戦力調査」である。その要点は以下のようになる。

1 米英が協同した総力戦を想定した時にその最大の欠陥は何か、それは英国の自給力不足である。英国の経済抗戦力と軍事資材不足を補うためには米国からの対英援助が不可欠である。しかし米国は戦時体制にはなく、経済的な余力=最大供給力を発揮するにはネックがある。
それは平時から戦時への体制転換に要する時間の問題(兵力動員、必要労働力、投資、船舶)であり、米国が最大供給力に到達する迄には開戦後一年から一年半の期間を要すると予測される。

2 日本にとっては、この期間が英米合作を打破する大きな鍵となる。
3 総力戦としての日本の核心戦術は米国が最大供給力に達する前に米国から英国に対する軍事資材の供給路を絶つこと。
そのためには「英米の造船能力<枢軸国側による船舶撃沈速度」の態勢とすることである。

英米合計の造船能力は昭和18年においては月50万総トンと推測される

・英国に対して米国から必要とされるのは年間11.5億ポンドに達す

る完成品の海上輸送

      ・そこで月平均50万総トン以上の撃沈をすれば米国の対英援助を無効化

しうる。昭和16年、独Uボートは月平均36~65万総トンを撃沈していたゆえ、これはきわめて現実的な数字

      ∴ 二年程度と想定される持久期間で日本が最大軍事供給力すなわち最大抗戦力を集中発揮できる対象国は、経済抗戦力に構造的な弱点を有する英国である。

 

  二.合理的な戦略の提案

    一.項の結論より、

英米合作の本格的な戦争準備には一年余りかかり一方、日本は開戦後二か年は貯蓄戦力と総動員にて国力を高め抗戦可能、此の間、輸入依存率が高く経済的に脆弱な英国をインド洋における制海権の獲得、海上輸送遮断やアジア植民地攻撃によりまず屈服させ、それにより米国の継戦意志を失わしめて戦争終結を図る。同時に生産力確保のため、現在、英蘭等の植民地になっている南方圏を自給自足圏として取り込み維持すべし」

 

まずは英米と講和に持ち込む。そして次の戦いに備え自給自足を可能とする体制

を確立する。そのためには生産力を増強し得る広域経済圏の充実、発展を図る。

 

昭和16年7月、杉山参謀総長ら陸軍首脳部への最終報告を総合するとこうなる。

これに対し杉山参謀総長は「調査、推論方法はおおむね完璧」と総評した。

 

 大きなリスクを認識しつつも帝国陸軍は少しでも可能性のある合理的な負け

ない戦争戦略案を昭和16年7月には持つに至っていたのである。

 

Ⅲ. 研究成果

「対米英蘭蔣戦争終末促進に関する腹案」(末尾に転載)

   戦争終結への基軸は西進戦略である。

腹案の要領 三では、英屈服と併行して米の戦意喪失に努めるとし通商・資源輸送ルートの遮断、宣伝謀略等に言及。米海軍主力を極東近くに誘い込んで叩くのであり、日本が太平洋を東進して積極的攻勢にでることはまったく意図していない。

   日本海軍の伝統的な守勢作戦思想、漸減邀撃思想に拠った、あくまでも西進思想の

大東亜戦争であり太平洋戦争ではない。

   それゆえに昭和16年12月12日、日本政府は「大東亜戦争」と命名したと思われる。

 

Ⅳ. 疑問

1 統計の罠?

・過去データの延長線での統計シミュレーションに終始し技術革新による将来の抗戦能力変化が考慮されていない。
・損耗率の計算根拠は第一次世界大戦独国の潜水艦による英国船舶攻撃の

データを使用。

・臨戦態勢時の米国の幾何級数的な生産労働力と造船能力の伸長を考慮せず

 例えば、

日米潜水艦の調達価格は1938-39年 米国は日本の1.83倍、1941-42年には

 0.45倍また潜水艦の竣工数は1936-40年 日本10 米国29が1941-44年には

 日本101 米国182となった。(防衛研究所資料)

 *ワシントン海軍軍縮条約(1922年)において潜水艦は建造規制対象外また輸送船を含む

船舶撃沈の主要な手段は潜水艦のため日米比較対象に潜水艦を選択。

 

2「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」にみられる両論併記。 

    ・方針には両論記載。

     戦争目的は、自存自衛の確立か、米の継戦意志を喪失せしむることか不明確になってしまっている。

3科学性と合理性に基づいた判断がなぜ不合理な腹案になったのか?

 

 

 

 

*参考

  

対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案 (昭和十六年十一月十五日)

                  大本営政府連絡会議決定

 

 

           方    針

 

一 速に極東における米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立すると共に、更に積極的措置に依り蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携して先づ英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む。

二 極力戦争対手の拡大を防止し第三国の利導に勉む。

 

 

           要    領

 

一 帝国は迅速なる武力戦を遂行し東亜及南太平洋における米英蘭の根拠を覆滅し、戦略上優位の態勢を確立すると共に、重要資源地域並主要交通線を確保して、長期自給自足の態勢を整う。

  凡有手段を尽して適時米海軍主力を誘致し之を撃破するに勉む。

二 日独伊三国協力して先づ英の屈服を図る。

   (1) 帝国は左の諸方策を執る。

    (イ) 濠州印度に対し攻略及通商破壊等の手段に依り、英本国との連鎖を遮断し其の離反を策す。

    (ロ) 「ビルマ」の独立を促進し其の成果を利導して印度の独立を刺激す。

   (2) 独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む。

    (イ) 近東、北阿、「スエズ」作戦を実施すると共に印度に対し施策を行う。

    (ロ) 対英封鎖を強化す。

    (ハ) 情勢之を許すに至らば英本土上陸作戦を実施す。

   (3) 三国は協力して左の諸方策を執る。

    (イ) 印度洋を通ずる三国間の連絡提携に勉む。

    (ロ) 海上作戦を強化す。

    (ハ) 占領地資源の対英流出を禁絶す。

三 日独伊は協力し対英措置と並行して米の戦意を喪失せしむるに勉む。

   (1) 帝国は左の諸方策を執る。

    (イ) 比島の取扱は差当り現政権を存続せしむることとし、戦争終末促進に資する如く考慮す。

    (ロ) 対米通商破壊戦を徹底す。

    (ハ) 中国及び南洋資源の対米流出を禁絶す。

    (ニ) 対米宣伝謀略を強化す。

       其の重点を米海軍主力の極東への誘致並米極東政策の反省と日米戦意義指摘に置き、米国輿論厭戦誘発に導く。

    (ホ) 米濠関係の離隔を図る。

   (2) 独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む。

    (イ) 大西洋及印度洋方面における対米海上攻勢を強化す。

    (ロ) 中南米に対する軍事、経済、政治的攻勢を強化す。

四 中国に対しては、対米英蘭戦争特に其の作戦の成果を活用して援蒋の禁絶、抗戦カの減殺を図り在華租界の把握、南洋華僑の利導、作戦の強化等政戦略の手段を積極化し以て重慶政権の屈服を促進す。

五 帝国は南方に対する作戦間、極力対「ソ」戦争の惹起を防止するに勉む。

  独「ソ」両国の意向に依りては両国を講和せしめ、「ソ」を枢軸側に引き入れ、他方日「ソ」関係を調整しつつ場合によりては、「ソ」連の印度、「イラン」方面進出を助長することを考慮す。

六 仏印に対しては現施策を続行し、泰に対しては対英失地恢復を以て帝国の施策に協調する如く誘導す。

七 常時戦局の推移、国際情勢、敵国民心の動向等に対し厳密なる監視考察を加えつつ、戦争終結の為左記の如き機会を捕捉するに勉む。

    (イ) 南方に対する作戦の主要段落。

    (ロ) 中国に対する作戦の主要段落特に蒋政権の屈服。

    (ハ) 欧州戦局の情勢変化の好機、特に英本土の没落、独「ソ」戦の終末、対印度施策の成功。

  之が為速に南米諸国、瑞典(スエーデン)、葡国(ポルトガル)、法王庁等に対する外交並宣伝の 

施策を強化す。

  日独伊三国は単独不講和を取極むると共に、英の屈服に際し之と直に講和することな 

く、英をして米を誘凛せしむる如く施策するに勉む。

  対米和平促進の方策として南洋方面における錫、護謨(ゴム)の供給及比島の取扱に関し考慮す。 

 

 

憲法と国家の独立性

 

(占領下に公布された憲法) 

 

1945年9月2日から1952年4月28日まで日本は連合国軍(米軍統治部隊)の占領下におかれていました。そして日本国憲法は1946年11月に公布、1947年5月に施行されています。

憲法が公布されたのは連合国軍の占領(実態は米軍占領部隊、以降GHQの呼称を使用)からわずか1年余が経過したばかり占領終了となる5年半も前のことです。 

 

連合国軍統治下に置かれた日本においてなぜ憲法が必要だったのでしょうか、被占領国すなわち独立国ではない状況で公布された憲法に正統性があるのでしょうか。 

独立承認後に日本国民の総意に基づく憲法を作成し公布すればよかったのではないでしょうか。それにもかかわらず日本政府とGHQは憲法公布をなぜ急いで強行したのでしょうか。

 

憲法の実質的上位法、日米地位協定) 

 

日米地位協定は1960年に締結されました。その前身は日米行政協定で1952年2月に外務省庁舎内で結ばれています。1951年9月サンフランシスコ講和条約が結ばれ日本が独立国となってから半年後のことです。

敗戦後の錯綜した政治・社会的背景で密かに結ばれたのが日米地位協定です。その内容は簡潔にいうと「独立後の日本ではGHQ が在日米軍になりすました」と解釈できるようなものです。 

この実態を証明したのは1959年の砂川事件判決において最高裁が判決放棄をして在日米軍治外法権を認めたことでした。つまり日米地位協定憲法の上位法であることを最高裁が皮肉にも裏書きした判決といえるものでした。 

 

この日米地位協定に基づき日本の官僚と米軍は毎月打ち合わせ協議をしています。協議主体は日米合同委員会という名前ですが、日本側代表は外務省北米局長なのです。防衛大臣でも外務大臣でもありません。なんとも不思議に思えます。

 

(いまだ敵国条項の対象国である日本)

 

国際連合憲章は1945年10月24日に発効した国際連合の目的を達成するための国際条約ですが第53条、第107条には敵国条項(enemy state clause)の規定があります。 

この条項の対象国は第二次大戦中に連合国の敵国であった国すなわち日本、ドイツ、イタリア、ブルガリアハンガリールーマニアフィンランドの7カ国ですが日本とドイツを除く5カ国は大戦中に枢軸国側から離脱しており実質的な敵国は日本とドイツです。

条項の主旨は、条項対象国が戦争結果の確定事項に違反し侵略行為を再現するような行動等を起こした場合には、国連加盟国や地域安全保障機構は、国連憲章51条に規定された安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を課すことができるとしています。

 

ご参考までに 以下は専門家からの仄聞です。

(*)第53条の執筆者である米上院議員アーサー・ヴァンデンバーグは起草委員会の席上で「主要な目的は、ドイツと日本の永久的かつ有効な非武装化であり、それら2カ国の支配である」とのべたと議事録にある。つまり、あらゆる紛争を国連に預けることを規定した国連憲章51条の例外規定として敵国条項に該当する国が起こした紛争に対しては自由に軍事制裁を課する事ができるのである。さらに旧敵国との紛争については平和的な解決義務すら負わされていないとされている。

 

(*)国連創始期から世界情勢は変化して日本も大きな国際貢献をしてきたのでこの条項は死文化したというのが国内では大勢の意見のようです。

しかし国連憲章の解説書によるとドイツはともかく日本は未だ敵国条項の対象として存続している可能性が高いと思われます。何故なら世界80余名の法律家による国連憲章解説書によると、ソ連(ロシア)を含む連合国は第107条にもとづく権利を、少なくともドイツとの関係においては放棄したように思われるとか、東欧政策の諸条約は、ドイツと東側の隣国との関係において第107条をそして第53条をも無効にしたなどの記述があるものの日本に関する記述は見受けられないようです。

 

合意なき離脱がなぜ問題か

英国のEU脱退は合意がないとして問題になっている。しかし、脱退するのになぜ合意が必要なのか。脱退というものは問答無用で、もうやめた、ということではないか。日本も国際連盟を脱退したが、脱退の合意だの一切なかった。事の是非はともかく日本の言い分が通らないから脱退したのだ。英国の国民投票で脱退を決めたのだから合意もヘッタクレもないではないか。