bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

フットボールはなぜ日本ではうけないのか。

例年のごとくスーパーボールを見ながらフットボールが日本で人気がないのは何故かと思いました。

 

フットボールの魅力は多々ありますが、ワン・プレイ毎にタイムが止まりその時点での点差と残り時間から最適なプレイ(戦術)を瞬時に選択して勝利への確度を高める戦略性そこに最大の魅力があると思います。プレイ事前の推定確率と選択した戦術から得た情報を加味したベイズ推定による攻守のプレイ推測が観客には知的興奮をもたらします。プレイが中断する都度この確率推定ゲームはプレーヤーと観客を知的興奮の坩堝に巻き込みます。スピード感あふれるプレイさらには判定にたいしてチャレンジできる批判精神、最後の数秒で逆転が可能な意外性なども魅力です。

 

戦略策定が不得手で周囲環境に対応するだけの戦術は得意でも外部や部下からの批判を忌避する多くの日本企業そして日本政府とはまったく別の世界です。このような社会に順応するだけの多くの日本人にはやはり好まれないのでしょうね。

公務員法の不思議

私達が理解している公務員のイメージと、法律で定められている「公務員」とではどうも違っているように思えます。

憲法国家公務員法とでは公務員に関する明確な定義がなく、その役割にも齟齬があるようです。そのような疑問を考察をしてみました。

 

Ⅰ.憲法における公務員とは。


日本国憲法』 

第15条(公務員)

 公務員を選定し、及びこれを罷免することは国民固有の権利である。 

2 すべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。 

3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

 

下線は私が引いたものですが、この条項でいう公務員とは、私たちが通常に公務員と呼んでいるお役所の職員ではなく、どうも選挙で選定される政治家のことになりそうです。

また公務員には国家公務員と地方公務員がありますが、この規程はどうなっているのでしょうか。国家公務員については憲法、第7条の5号および73条の4号に「官吏」として記載があります。なぜ国家公務員ではなく官吏となっているのでしょうか。

「官吏」という用語は国家公務員法第1条の2号に憲法73条を援用した記載がありますがその定義はなく1号の「国家公務員たる職員」を暗喩する形になっています。つまりこの二つの条文(官吏の定義のない)から国家公務員の意味するところを解読せよと解されます。
 

 

第7条

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

二 国会を召集すること。

三 衆議院を解散すること。

四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

 (以下略)

 

第73条(内閣の職務)

内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。

一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。

二 外交関係を処理すること。

三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。

四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。

  (以下略)


Ⅱ.国家公務員法における公務員とは。

憲法では国家公務員の用語も記載もありませんが、国家公務員法というものがあります。


国家公務員法』 

第1条

この法律は、国家公務員たる職員について適用すべき各般の根本基準(職員の福祉及び利益を保護するための適切な措置を含む。)を確立し、職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、且つ、指導さるべきことを定め、以て国民に対し公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする。

2 この法律はもっぱら日本国憲法第73条 にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定める。

 (以下略)  

第2条

 国家公務員の職は、これを一般職と特別職とに分つ。

2 一般職は、特別職に属する職以外の国家公務員の一切の職を包含する。

3 特別職は、次に掲げる職員の職とする。

一 内閣総理大臣

二 国務大臣

三 人事官及び検査官

四 内閣法制局長官

五 内閣官房副長官

五の二 内閣危機管理監及び内閣情報通信政策監

五の三 国家安全保障局

五の四 内閣官房副長官補、内閣広報官及び内閣情報官

六 内閣総理大臣補佐官

七 副大臣

七の二 大臣政務官

七の三 大臣補佐官

八 内閣総理大臣秘書官及び国務大臣秘書官並びに特別職たる機関の長の秘書官のうち人事院規則で指定するもの

九 就任について選挙によることを必要とし、あるいは国会の両院又は一院の議決又は同意によることを必要とする職員

十 宮内庁長官侍従長東宮大夫、式部官長及び侍従次長並びに法律又は人事院規則で指定する宮内庁のその他の職員

十一 特命全権大使特命全権公使、特派大使、政府代表、全権委員、政府代表又は全権委員の代理並びに特派大使、政府代表又は全権委員の顧問及び随員

十一の二 日本ユネスコ国内委員会の委員

十二 日本学士院会員

十二の二 日本学術会議会員

十三 裁判官及びその他の裁判所職員

(以下略)

Ⅲ. 不可解なこと。

1.国家公務員法では、憲法でいう官吏を公務員と呼んでいます。そして公務員は職員集団の福祉および利益の保護確立をする。その上で、国民に対する職員の集団主義的な運営を目指すものとしています。

2.この内容を換言しますと、国民ではなく公務員が主役でまず公務員自身の福祉および利益の保護を確立して、そののちに国民に対する集団運営を行う、これでは、お役人が事実上の主権者ということになりかねません。そして政治家は特別職として公務員の添え物扱いとなっています。いうならば添え物を選ぶ国民に主権はなくお役人が主権者という隠喩になっているように思えます。

3. 公務員の任用は「国家公務員法および地方公務員法に基づいて、公平な基準により能力を試験し、適任と認められたものを選抜すること」とされています。

  しかし国家公務員の特別職に関する規程はありません。政治家については憲法で任用が規定されている(選挙)ということでしょうか。そうであれば裁判官や宮内庁長官などの選挙がないのはおかしなことです。

 以上のように公務員、特に国家公務員とは不可思議な存在に思えます。                        

                                  以上

 

 

*ご参考までに地方公務員法の一般職と特別職の規程に関する第3条および第6条任命権者を以下に掲載しておきます。

第三条 地方公務員(地方公共団体及び特定地方独立行政法人地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第二条第二項に規定する特定地方独立行政法人をいう。以下同じ。)のすべての公務員をいう。以下同じ。)の職は、一般職と特別職とに分ける。

2 一般職は、特別職に属する職以外の一切の職とする。

3 特別職は、次に掲げる職とする。

一 就任について公選又は地方公共団体の議会の選挙、議決若しくは同意によることを必要とする職

一の二 地方公営企業の管理者及び企業団の企業長の職

二 法令又は条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程により設けられた委員及び委員会(審議会その他これに準ずるものを含む。)の構成員の職で臨時又は非常勤のもの

二の二 都道府県労働委員会の委員の職で常勤のもの

三 臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員、嘱託員及びこれらの者に準ずる者の職

四 地方公共団体の長、議会の議長その他地方公共団体の機関の長の秘書の職で条例で指定するもの

五 非常勤の消防団員及び水防団員の職

六 特定地方独立行政法人の役員

(この法律の適用を受ける地方公務員)

第四条 この法律の規定は、一般職に属するすべての地方公務員(以下「職員」という。)に適用する。

2 この法律の規定は、法律に特別の定がある場合を除く外、特別職に属する地方公務員には適用しない。

(人事委員会及び公平委員会並びに職員に関する条例の制定)

(任命権者)

 第六条 地方公共団体の長、議会の議長、選挙管理委員会、代表監査委員、教育委員会、人事委員会及び公平委員会並びに警視総監、道府県警察本部長、市町村の消防長(特別区が連合して維持する消防の消防長を含む。)その他法令又は条例に基づく任命権者は、法律に特別の定めがある場合を除くほか、この法律並びにこれに基づく条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、それぞれ職員の任命、人事評価(任用、給与、分限その他の人事管理の基礎とするために、職員がその職務を遂行するに当たり発揮した能力及び挙げた業績を把握した上で行われる勤務成績の評価をいう。以下同じ。)、休職、免職及び懲戒等を行う権限を有するものとする。

2 前項の任命権者は、同項に規定する権限の一部をその補助機関たる上級の地方公務員に委任することができる。

 

 

 

予測が当たったBREXIT

                     2016年6月初旬に私は以下のよう国民投票を予想しました。

「英国はEUを離脱するであろう」

その通りになりました。

 

英国のEU離脱についてどうも巷間では政治、経済の問題として論議されているようです。

しかし私はこの問題は文化の問題として考えるべきだと思います。

その理由は以下の通りで英国民はEU離脱を選択すると思います。

 

EUを主導するのは名実ともにドイツであることは言を俟たないと思います。

昨今のドイツ隆盛の主因となったのは、ソ連崩壊というロシアの「陰の協力」と宿敵フランスの「陽の協力」という歴史のアイロニーだとの名言があります。

この言葉はまさにEUの本質を言い当てていると言えます。

 

EUの本質とは経済云々ではなく異文化の野合がもたらした意図せぬ結果としてのドイツ文化圏の強化と拡大であり、その現状はユニコーンたるドイツの帝国化とその他諸加盟国のドイツに対する服従と怨嗟の抜き差しならぬ絡み合いだと思います。

 

ドイツというのは偉大な文化国家だとは思いますが人間存在の複雑さを視野から失いがちでアンバランスゆえの強みと恐ろしさがあります。

その権威主義的文化はドイツの指導者たちが専制支配的立場に立つと国民に固有の精神的不安定性を生み出してきたと考えています。

いまやEUの盟主となったドイツはその独裁的立場を強化するとともに第二次大戦端緒の電撃作戦を彷彿とさせるかのごとき中国への急接近を図りEU枠外へのドイツ圏拡大化に邁進し民族国家としての精神的沸点をEUにまで投射しかねない危険性を覚えます。

ドイツとの長年にわたる抗争の歴史から英国がこのような疾風怒濤ドイツへの危惧を持たぬはずはないと思います。

 

それでも経済的合理性に立脚した判断は国家戦略としてはあり得るかもしれません。

しかし問われているのは国民の意思であります。

資本主義そのものがその綻びから限界へと死に至る病のいま、経済的合理性という即物的判断から歴史的敗北ともいうべき民族の屈辱に耐えてまで、ドイツ支配下EU圏に残留する価値があるのでしょうか。

 

世界の耳目を集めた英国の選択がEU残留となると満天下注視のもとに、ドイツ国民は「金目ゆえの協力」という不倶戴天の敵からのこれ以上ない皮相的な贈り物を享受し慢心して現代版第三帝国の妄想に走らぬとも限りません。

それはドイツへの勝利の女神の祝福を世界に印象付け、仇敵の繁栄に自らの身を投げ出し延命を図った英国には敗者の烙印を焼き付けることになりかねないからです。

英国民が寄って立つべきは金目ではなく世界が認める栄誉ある大英帝国の歴史と不屈の国民精神ではないでしょうか。

かつてはその精神で世界を制覇したのですから。

英国民に骨肉化された大英帝国の誇り、それは経済的合理性という選択肢を葬り去るのではないかと思います。

 

※ここで私はドイツを非難する意図は全くありません。むしろドイツ好きですので追記します。

 

BREXITと地政学

(まえおき)

12月20日付ロイターは「英下院は20日、欧州連合(EU)離脱に向けた関連法案の概要部分を巡る採決を実施し、賛成多数で可決した。主要なハードルを突破し、ジョンソン首相が目指す来年1月末のEU離脱達成は現実味を帯びてきた。」と報じています。

 

国民投票から3年半が経過して英国のEU離脱いわゆるBREXITが実現するようです。

 

しかし英国国立経済社会研究所(NIESR)ではボリス・ジョンソン英首相がEUとまとめた離脱協定案に従って英国がEUを離脱した場合、離脱しない場合に比べて年間700億ポンド(約9兆8000億円)の経済損失が見込まれるとの報告書を発表しています。

 

BREXITに対するこのような否定的な評価は多くの国々や専門識者間では共通認識のようです。

確かに経済がボーダレス化された世界の枠組みから考えますと、EU規制から解放され移民制限などにより雇用環境の改善や社会福祉面で生じるメリットを考慮したとしてもEU離脱は英国にとり負の側面が大きいものと思います。

 

 (地政学的にみると)

しかしBREXITという事態を地政学的な観点から考えてみると異なる局面が見えてくるような気がします。

 

まず英国の地勢はユーラシアの、そしてEU(いわゆる旧大陸)の大西洋における玄関口の地位を占めています。また南北のアメリカ大陸(いわゆる新大陸)へ海路で直結できるというEUに比して優位な立地にあります。いっぽう西の玄関口を英国に抑えられたEUは東にロシア、北には北極海そして南にはトルコそしてイランが位置しています。

 

このような英国とEUの地勢図を背景に、地政学上これから大きな影響を及ぼすと予測される気象の問題を考えてみます。

気象がこの地域に与えている大きな影響は気候の温暖化であろうかと思います。地政学的に考えますと温暖化の一層の進行により北極海経由の航海路が現実味を帯びてくると思えます。

さらにグリーンランドへの評価も高まることでしょう。昨年末にトランプ大統領グリーンランドの購入を言及したように将来グリーンランドが水資源大国となりうる可能性もありえます。

これらの気候変動による影響は、米国やEUに比べ北極海グリーンランドへの距離の利点がある英国とカナダ両国(英連邦)にとり地政学的のみならず経済的にも明るい材料といえるでしょう。

たとえば英国から太平洋への航路ですが、15世紀末の喜望峰航路から19世紀のスエズ運河航路そして21世紀には気候温暖化の恩恵により北極海を経由する最短路の位置を獲得できることになります。英国からロシア北岸を周りベーリング海峡に至り南下すると、太平洋の両岸にシーパワー*とランドパワー(*ハートランド参照)の大国である米国とロシアが控えています。

 

気象問題からEUの地勢に目を転じますと、EUの東側、ユーラシアの生命線と言われたハートランド*を抱えるロシアは先日150年来の宿願をようやく果たし長年の夢を現実化しています。

その宿願とはクリミア戦争ロシア革命そして第二次世界大戦と三度にわたり頓挫を余儀なくされたハートランドを縦断する2500㎞の鉄道を完成させたことです。

バルト海沿岸のサンクトペテルブルクからハートランドを縦断してセヴァストポリに至る黒海への出口を確保したのです。そのさきにはかって国際連盟の本部拠点の候補にまで挙がった東西文明の合流地コンスタンティノープルイスタンブール)が控えています。

さらにロシアの南東にはランドパワー大国の中国が位置し一帯一路のインフラ戦略によりシーパワーを獲得して中華帝国復活への道を邁進しています。

 

(歴史と地政学

ロシアも中国もランドパワーの国です。

しかし、かつては中国からインドを経てコンスタンティノープルイスタンブール)に至るまで英国のシーパワーがハートランドの4分の3を抑えていたのです。

 

ランドパワー論で有名な地政学者のマッキンダーはその著作で次のような指摘をしています。

海上における勝利の頂点としてのトラファルガーとナポレオン戦の戦局の逆転をうながしたモスクワとが、真のヨーロッパの東西の極限に近い位置にあった。」

マッキンダーのこの指摘は第一次世界大戦後の1919年のことでした。

ところが第二次世界大戦においても彼の言葉を裏付ける事態が生じています。それは、ヒットラーの進撃をロンドン空中戦で、また戦局の転換点となったスターリングラード(現ヴォルゴグラード)地上戦で、EUに相当する地域を含む真のヨーロッパの東西両極で食い止めたのです。

 

英国のシーパワーとロシアのランドパワーは不作為にもかかわらず結果的には協力して、真のヨーロッパの守護神のごとく 現EU地域を歴史的に護持してきたとも言えます。

 

バルト海から黒海に直結するロシア帝国夢の鉄路が縦断するハートランドの西側にはバルト海沿岸のポーランドから南下してチェコスロバキアハンガリーそしてルーマニアを経て黒海沿岸のブルガリアに至るまで旧ソ連の友邦諸国が連なります。

これら諸国はいずれも真のヨーロッパに位置しており第一次、第二次両世界大戦の最大激戦地でした。今はEU加盟国となっていますが必ずしもEUの仕組みには満足をしていない様子です。

 

(まとめ)

「歴史は繰り返す」といわれます。

 

この論拠について、次のように私は解釈しています。

歴史を編んでいくのは社会の動態である。

その社会というものは既存の環境を前提としながらも、それを改変していく、それが動態である。

改変とは、歴史の記憶と未来の希望(欲望)を動因とする集団的な動員の継起である。

その結果を考察すると、そこには歴史を通じて一定の軌道のようなものが見いだせる。

 

これがいわゆる歴史の経路依存性*です。

「いつか来た道」というように国家もまた経路依存性を帯びるものといわれます。

 

BREXITという事象がハートランドの西側諸国にどのような影響を与えるかは予測がつきません。

しかし明治維新をはじめ辛亥革命ロシア革命など国家の軌道は内圧よりむしろ強大な外圧により変更されることが数多くあることを歴史は語っています。

外圧に翻弄され続けてきたハートランドの西側諸国(旧東欧)の歴史を顧みますと「ハートランド」、そして「歴史の経路依存性」という二つのキーワードは頭の片隅に置いておくべきかと思います。

 

ひょっとするとBREXITEU包囲という予期せぬ歴史的なハズミを誘発することになるかもしれませんから。

                                                         以上

 

 

 

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 *ハートランド(heartland)

オックスフォード大学で地理学を学びのちに現代地政学の祖といわれたH.J Mackinderがその著作「Democratic Ideals and Reality」(日本版、「マッキンダー地政学」)で次のように使用した。

Who rules East Europe commands the Heartland;

Who rules the Heartland commands the World-Island;

Who rules the World-Island commands the World.

注:World-Island とは ユーラシア旧世界のこと。

彼は「Foreign Affairs , July 1943」 でハートランドを以下のように説明している。

ユーラシアの北の部分であり、かつまた主としてその内陸の部分、北極海の沿岸から大陸の中央の砂漠地帯に向かって延びておりバルト海黒海とのあいだの大きな地峡がその西側の限界になっている。この概念は地図上では明確に限定することはできない。

 

*シーパワー(sea power)

地球表面の12分の9は海が占めており(12分の2は旧大陸、12分の1は新大陸その他の島など)、ここから歴史的な海戦の歴史を分析したアルフレッド・セイヤー・マハンの「海上権力史論」(The Influence of Sea Power upon History, 1660~1783)が生まれシーパワーはランドパワーを包囲して凌駕するといわれたこともありました。

 

*経路依存性(path dependency

あらゆる状況において、人や組織がとる決断は過去に選択した決断に制約されるという理論。

具体的な例としてよく取り上げられるのは、キーボードのqwerty配列で、効率的な文字配列はいくらでもあるのに初期に普及したqwertyを今でも選択している。

この論理からネット時代の幕開けにwinner takes allと予測されたがまさにそのとおりでネットの世界はGAFAの独占となった。

 

反社会的勢力

今朝の朝日新聞によると、

「政府は10日、首相主催の『桜を見る会』に出席していたとされ問題になった

『反社会的勢力』について、『あらかじめ限定的かつ統一的に定義することは困難』

とする答弁書閣議決定した。」と報じています。

 

この記事でまず気になったのは「限定的かつ統一的に定義」という文章です。

そもそも定義とは、概念や用語の意味を正確に「限定」し「区別」することをいうものでしょう。

区別とは、複数にわたる事象間の差異を認識して仕分けることですから、その結果として区別された事象は自ずと統一的な事物(性質や品質など)となるはずです。

 

この解釈が正しければ、閣議決定された答弁書は「定義」という言語の同義反復をしたうえでさらに言語の定義を放棄しているのです。

釈明のための言い訳が馬脚を現したともとられる呆れた答弁書だと思います。

 

ところで、国家の統治者である政府が言語の定義をできないということは大変な問題だと思います。

 

なぜなら言語は社会のもっとも基底的な制度だからです。

言語は社会の中で私たちが生きていくために不可欠なコミュニケーションの重要かつ不可欠な基盤です。

民主主義の概念も法治国家の制度も言語によって(言語を基底として)創造されたものです。

言語の定義が不明確であれば為政者や権力者の恣意的な解釈がまかり通ることになりかねません。

 

その言語の定義ができないという政府に私たちの社会や国政の運営を任して良いものでしょうか。

また言語定義を放棄した政府に国家統治の正統性はありうるのでしょうか。

 

 

それでも経済成長は必要か?

1941年ロシアの秋、破竹の進撃を続けたヒットラー軍はクレムリンまであと十数キロのところまで迫っていた。しかし例年より早い冬の到来が招いた泥濘と降雪が進撃の足を止め、世界で最も近代的な機械化部隊はその攻撃の成功にもかかわらず農業用荷車しか持たぬ歩兵部隊に頼らざるを得ない状況に陥り敢え無くヒットラー軍は敗退した。1812年モスクワ入城を果たすも

冬将軍と食糧欠乏によりロシアからの撤退を余儀なくされたナポレオンの二の舞であった。

 

この敗退の原因は兵站戦術の失敗であった。
兵站戦術とは軍隊を動かし、かつ軍隊に食糧弾薬や他の戦争必需品を補給する実際的方法である。すべての戦需品の消費量予測と補給基地から前線部隊までの搬送手段、距離などを問題に不確定要素をも加味して専門家が叡智を尽くし研究した結果の戦術それが補給線である。

 

ナポレオンとヒットラーの戦争は、その電撃作戦が敵陣に与えた衝撃が大きく攻撃は成功したかにみえた、しかし進軍速度に追いつかない補給線の限界が進撃を停止させ思わぬ敗退を招いた。

 

近世前半における戦争の戦需品は主に食糧であり前線での現地徴収が可能であった。このため補給線としての兵站戦術は戦力増強と戦線拡大策に追従すれば事足りることが多かった。


しかし近世後半以降の戦争では、科学技術の発展により兵器、輸送手段が強化され前線速度の高速化を可能にした。また科学技術はかっての食糧と弾薬のみでなく現地調達が困難な自動車、重火器、燃料など幾何級数的な戦需品の多様化と増大をもたらすことにもなった。そこで兵站戦術=補給線戦略が戦争の勝敗を左右する影の主役に躍り出たのである。

 

20世紀初頭、補給線が世界の注目を集めた出来事がある。それは日露戦争における日本の補給線である。日本側が勝利するたびに日本公債が売られたのである。その理由は、ロシア軍が後退することで日本の補給線が伸びる、その補給線リスクの方がロシア敗退の可能性より大きいと世界は読んだからである。

 

しかし日本は日露戦争に辛くも勝利した。日清戦争に続く連戦連勝は国民に神国日本の不敗神話を生み出させることになった。

いっぽうではこの神話は日本失敗への布石ともなったのである。日本軍をいや日本国民が夜郎自大になってしまった。

満州事変に端を発した日中戦争以降、日本軍の戦争は日清・日露戦への神話的信仰に執着するあまり補給線への配慮を徹底的に欠いていた、あるいは無視し続けていた。これが大東亜戦争にまで戦線を拡大し続けた大きな要因ではなかっただろうか。

 

翻って現代は金権至上主義に堕ちた新自由主義の経済戦争真っ盛り。かっては奇跡的な高度経済成長でジャパン・アズナンバーワンと世界に勇名を馳せたわが国は昔日の栄光を懐かしみ前例を踏襲するまま激動する世界情勢を横目に安逸な日々を過ごしてしまった。そして行き場のない閉塞感が充満する今の日本がある。
政府も多くの論者も日本停滞の原因は経済成長の低迷だと言う。なぜ経済が低迷しているのだろうか。需要と供給の論理から成り立つのが経済だとすれば、日本の産業界には十分な供給力はあるはずだ。問題は需要が無いのか、または需要を喚起、創出できないのではないか。そこで需要の論理だが、これはいうまでもない人の欲望の表象化である。食欲と知識欲とを比較すれば分かるように、人のモノへの欲望は有限でありコトへの欲望は無限である。アナログ経済の勝者たるゆえか日本はこんなことに気付くのが遅過ぎた。それゆえ無限の欲望を個で把握すること、つまりデジタル・ビジネスの本質がわからぬまま太平洋対岸で進むプラットフォームやデータベース構築の大競争など情報産業の傍系かという程度の認識で終わっていた。


世界の経済は、電子・金融業界を中心とするIT技術の進化がもたらしたモノのコモディティ化と情報と知識の集積化と多様化、その結果として実物経済(アナログ社会)からサイバー経済(デジタル社会)へと経済システムのパラダイム転換の激動期であろう。然るに、知の補給線〜教育と人材育成〜が延び切ったこの国では、いまだ経済成長こそ国家の生命線と叫ぶアナログ資本主義の亡霊が徘徊しているようである。 荒野と化した知のインフラ土壌にバブルの塔を建てるかの如きである。

いっぽう社会インフラは腐敗しつつ老朽化、民主主義は陳腐化して政治の専横化を看過、社会システムそのものが制度疲労を起こしている。さらに国民の道徳律の劣化は止まるところを知らぬ状況である。

 

政治の失敗、企業の無策を見て見ぬ振りをし騙し騙され続けてきた官民共謀の弥縫な延命策は知的遺産と経済資産を食いつぶし米櫃の底が見えて来た。今や万策尽きたのではないか。
国家の絶頂期に策定した政策は福祉政策を含めそのほとんどが規制緩和の美名のもと新自由主義の市場に供され、持てる者のみの自由主義が横行する国家となった。いまや中間層は崩壊して国民国家はその態を成しえず瀕死状況にあるのではないだろうか。

 

経済成長が国家至上の命題であり、そして経済成長が進歩であり幸福や善だと国民が信じ切っていた時代は昭和で終焉したのではないだろうか。

デジタル庁を作ったところで、この国にサイバー時代における国家成長の戦略を企図する能力がどこにあるのだろうか、さらに成長を支える補給線の構築が可能なのだろうか?

バブル破綻からの失われた20年それに続くアベノミクス狂奏曲すべて兵站戦術の失敗とその連続ではなかったのか?

いや、そんなことを論じる前に本当に経済成長が日本の最大課題で国民が幸福になれるのだろうか。

過去の遺物に過ぎぬ物量経済という山頂を極めてからはや30年が経過したいま、身の丈に合った知的装備を整え経済損失を最小限にとどめいったんは下山の途につくべきだろう。


そして新自由主義の呪詛を排し沈着に国家能力とその周囲環境を把握し知力と見識を磨きモノからコトへの時代における価値(叡智)創造の戦略を考えるべきであろう。
令和とは、新たなる山頂はどこか見極めて補給線を万全に整えた登山計画を胆力を持って練る雌伏の時期ではないだろうか?

アゾレス紀行

                           

「アソーレスって知ってる」と家内から聞かれたのはこの春だった。

アソーレス?一瞬、何のことかわからず家内に聞くと、カナダに在住する次女の家族が遅れた夏季休暇を過ごす場所らしい。そのメールを見てみるとアソーレスとはポルトガル語アゾレス諸島のことだとわかった。9月にそこに旅行するので一緒に行かないかとの誘いであった。

アゾレスか、とつぶやくと怪訝な顔で家内が知っているのか聞いてきた、私は迷うことなく謎の大陸アトランティス、その残跡といわれ大西洋の真ん中にあるんだと答えていた。 

一万二千年前、一夜にして海中に埋没したといわれる地上の楽園、さんさんと降り注ぐ陽光のもと葡萄、あらゆる香料や主食の穀物が採れ豊かな川や湖そして家畜や野生動物に豊富な餌を提供する草原、また豊かな森林と地下資源に恵まれたアトランティス。 

はるか昔、少年雑誌で目にしたのはアトランティスの楽園が一夜にして海中に埋没するという極彩色の地獄絵図だった。その夜は布団に入ってもなぜか興奮して眠れなかった。それからというもの好奇心に駆られ私はアトランティスに関する書物を漁ってはむさぼり読んだ。

友人からも親からもからかわれながら、ひたすら空想の世界で幻のアトランティスを構築しその再現を夢想していた。その当時からアトランティス埋没の跡といわれていたのがアゾレス諸島であった。

小学校卒業を控えたある日、物知りの友人が教えてくれた。海洋調査と科学技術の発展によってアトランティスそのものの存在が科学的に否定されたのだという。そして中学生になりやがて私の脳裏からアトランティスは消え去っていた。 

次女のメールから私は少年時代の夢を瞬時によみがえらせた。科学的な実証論はともかく少年時代の神話をいまこそアゾレス諸島に追ってみようと思った。 

 

プラトン

そもそもアトランティスについて伝えたのは哲学者のプラトンだ 。プラトンは 「対話篇」と呼ばれる著作群でアトランティスに触れている。アトランティスについて語られているのは、プラトン晩年 (BC350年代 )の対話篇、 『ティマイオス』と 『クリティアス』においてである。

その情報源はアテナイのソロンに遡るといわれる。ソロンは、BC594年にアテナイで民主的改革をおこなった人物で古代ギリシアの「七賢人」の一人でもある。このソロンがエジプトへ旅した際、ナイル川河口の西にあった都市サイスの神官から、アトランティスの物語を聞いたというのである。

そしてクリティアスの曾祖父ドロピデスがソロンからその物語を聞き、クリティアスの祖父に伝え、クリティアスは幼い頃に何度もその話を聞いたのだと述べる。クリティアスはあとで、ソロンが書きとめた記録が手元に残されているのだともいっている。エジプトの神官によると、アトランティスが存在したのは、ソロンの時代から九千年以上前で、ソロンがエジプトを訪れたのはBC593頃と伝える記録がある。つまり、いまから一万二千年ほど前ということになる。人類史の区分ではまだ石器時代のその頃であり、科学的には国家の存在は確認されていない。

アトランティスはどこにあったのか)

クレタ島西インド諸島がその残蹟だという説があるがいずれも私の少年時代には否定されている。

なによりもエジプトの神官がソロンに向けて語っている 。 「… あの大洋 [大西洋]には──あなた方の話によると 、あなた方のほうでは 『ヘラクレスの柱』とこれを呼んでいるらしいが──その入口 (ジブラルタル海峡)の前方に、一つの島があったのだ。そして、この島はリビュアとアジアを合わせたよりもなお大きなものであったが、そこからその他の島々へと当時の航海者は渡ることができたのであり、またその島々から、あの正真正銘の大洋をめぐっている対岸の大陸全土へと渡ることもできたのである」その向こう側 (前方)に存在したというので、アトランティスは大西洋にあったということになる。

そしてアトランティス島は、リビュアとアジアを合わせたより大きい島であったといわれている。 「リビュア」とは当時の北アフリカ一帯、「アジア」は小アジアすなわち現在のトルコあたりを指している。また古代では、大西洋の周りを取り囲んで陸地が存在すると思われていたようである。

「しかし後に、異常な大地震と大洪水が度重なって起こった時、過酷な日がやって来て、

その一昼夜の間に、あなた方 [アテナイ人]の国の戦士はすべて、一挙にして大地に呑み込まれ、またアトランティス島も同じようにして、海中に没して姿を消してしまったのであった。そのためにいまもあの外洋は、渡航もできず探険もできないものになってしまっているのだ。というのは、島が陥没してできた泥土が、海面のごく間近なところまで来ていて、航海の妨げになっているからである。」(『アトランティス・ミステリー プラトンは何を伝えたかったのか』庄子 大亮著(PHP新書)からの要約。下線は筆者が追加)そうか!島が陥没してできた泥土それがアゾレス諸島なのだ、そう思い込みつつ胸躍らせてアゾレス諸島に向かった。

 

アゾレス諸島について)

日本を発つ前に現地に関する予備知識を仕入れようとアマゾンでガイドブックを探した。

地球の歩き方」は無理としても何かあるだろうと思っていたがなんと一冊のガイドブックもヒットしない。探し当てたのはアゾレスの郷土料理に触れたポルトガル料理の本と女子美大教授で美術批評家の杉田敦のエッセイ「アソーレス、孤独の群島:ポルトガルの最果てへの旅」の2冊であった。購入して読んでみたが料理本はともかくとして杉田敦のエッセイはポルトガルとアゾレスに惚れ込んだ大学教授のバックパッカー的な紀行文でそれなりに参考にはなったが旅のガイドブックの用は果たさなかった。ネットサーフィンの結果、ようやく手にした情報は次のようなものである。

 

ポルトガル西方約 1200kmの北大西洋上にある群島。ポルトガル語でアソレス諸島 Arquipélago dos Açoresという。ポルトガルに属し,1976年の憲法によって自治地方となった。群島は三つのグループに分かれ,南東群はサンミゲル,サンタマリアの各島,中部群はファイアル,ピコ,サンジョルジェ,テルセイラ,グラシオサの各島,北西群はフロレス,コルボの各島からなる。サンミゲル島の南岸にあるポンタデルガダ自治地方の行政中心地となっている。 15世紀前半にポルトガル人によって植民が開始された。火山性の島でしばしば地震に見舞われ,どの島も山が迫り周囲は断崖絶壁が多い。最高点はピコ島のポンタドピコ (2351m) 。夏の平均気温 22℃,冬は 15℃程度と温和なところから,保養地として有名。かつては捕鯨が重要な生業であったが,現在は,マグロ,ボラ,カツオ漁が中心。パイナップル,魚の缶詰,刺繍細工を輸出。またピコ島では,15世紀以降ブドウ栽培が行なわれ,島に広がるブドウ畑の景観は,2004年世界遺産文化遺産に登録された。面積 2247km2人口 24万 1592 (1991推計) (『ブリタニカ国際百科事典』)

2009年には「生物圏保護区」としてユネスコに登録。

 

そんなわけで私はほとんど予備知識を持たずして、9月になり家内を伴い次女夫婦が暮らすトロントに旅たった。三年ぶりのトロントはちょうど国際映画祭が終わったばかりであったが、空港近辺からダウンタウンまですべてのハイウエイでは車があふれかえり建築中も含め高層ビルが乱立してそのめざましい発展ぶりにはただ驚愕するばかりであった。

トロントで最大のビジネスは移民ビジネスでおそらく次はITとシネマビジネスとの地元の噂は本当のようだ。

 

サンミゲル島

トロントからアゾレス航空に乗り5時間半でポンタデルガダ空港に到着。

九つの島からなるアゾレス諸島ポルトガル自治領であり最大の島サンミゲルにキャピタルのポンタデルガダがある。

サンミゲル島ポルトガル人により1427年に発見されたといわれ東西に90km南北に8-12kmの横長の島である。島の南西海岸沿いに空港がありポンタデルガダは空港から数キロ北東に位置し市街地は海岸線に平行して横長にほぼフラットに広がる。

ポンタデルガダで買い求めたガイドブックによると人口は68,809人。

アゾレス諸島の総人口は約24万人でサンミゲル等にその半分、その半分がポンタデルガダに居住していることになる。

太陽がいっぱいの島サンミゲル。気温は夏の最高気温が23度、冬も同じく23度と現地の人はいう。島のどこでも温暖なところかというとそうでもない。土産物屋には「Four seasons One day」と書かれたTシャツやキーホルダーが並んでいる。本当かと疑ったが、一日のうちで四季ーー日本の感覚では春夏秋そして冬は初冬という程度だがーーを経験することが確かに可能なのである。

 

空港からは予約済みのレンタカーVWを走らせ15分程度でホテルに着いた。

一週間宿泊する島の南部中央にあるホテルQuinta de Santa Barbara Cases Turisticas だ。帰国後知ったがなんとExpediaの評価4.9。ところが中世の城壁のごとき石塀に囲われたホテルのゲートは閉まっており呼び鈴をいくら押せども何の応答もない。あきらめて車に戻りかけたところ門扉の脇の小さなくぐり戸から老女が出てきた。門扉は夜の10時から朝の9時まで閉鎖されている。「チェックイン時間の9時においで」彼女はそっけなくいう。

スマホを見ると確かにまだ8時前だ。そこで荷物だけでも置かせてほしいと頼みだしたらオーナーらしき中年の男が奥から出てきて門扉を開けて車を内部に誘導してくれた。とりあえず荷物だけは預けて周囲を散策、するとすぐ近くにスパーマーケットがありその前の緩やかに傾斜した道路の先には大西洋の大海原が見える。ふしぎなことに海辺の空気は湿気がほとんど感じられずさわやかだ。

スーパーに入りまず海産物と果物の品数の多さと量に圧倒される。とりあえず飲料水そして朝食のパンとサラダ、ハムなど買い求めたが安いし量も多い。おそらく日本の半分ぐらいだろうと家内はいう。ホテルに戻りの部屋に入るとテーブルに日本茶のティパックが置いてあった、驚いたが後日その理由がわかって納得した。

 

おおむね食事は日本人の舌に合う。街中のレストランで昼食10ユーロ、夕食20-30ユーロ。高級ホテルの昼食30ユーロ、夕食が40-50ユーロ程度。食事はエビやカニをはじめとする魚介類が中心だが地元産ビーフも美味しい。多品種のワインや乳製品を地場生産しており欧州域内ではアゾレスの乳製品は特に人気が高いそうだ。ワインは赤白なんでもいけるがとにかく安い。チーズはソフトゴートのスパイス入りが格別。デザートにはアイスクリームとパイナップルがお勧めでパイナップルは大きな輪切りで数枚提供される。欧州でパイナップルが採集できるのはアゾレス諸島だけらしい。

飲み物は炭酸入りのパッションフルーツジュースがポピュラーでKIMAブランドがお勧め。

 

現地の人は温厚で優しい、英語は通じるが「ボン・デイア」「オブリガード」だけでも用は足せる。私の宿泊したホテルの隣町ラゴアはサンミゲルに移住したポルトガル人最初の居住区の一つであり16世紀のカソリック教会が点在しそのまわりには小さな陶器工場が散在する。栄華を誇った繊維工場の跡がそのまま放置されている。しかしその工場跡の裏手に広がる工場労働者の宿舎と思しきアパート群は清潔で悲壮感というより秘めたる生活力を感じる。

 

島の北部にはサーファーの聖地といわれ第一回世界サーフィーン大会が開催されたリベラ・グランデがある。そこから車で20分ほど走ると島の北東部ファーナスに至る。そこには標高千メートル近い火山がありふもとは広大なお茶畑、そして高級ホテルのテラ・ノストラがありここでランチを楽しむと無料で広大な植物園と温泉が楽しめる。

お茶は200年ほど前に中国人の豪商が栽培を始めていまではサンミゲルの主要産物となっている。

 

西端のセテ・シダデスの町には直径5km水深30mというカルデラ湖がある。その湖は透き通るような青色と美しい緑色と二つの水面に分割されその境界を道路が走る。

その道路は400メートルほどの高さまで山頂を上り展望台に至る。そのふもとには広大な牧場がひろがり白黒まだらの牛がのどかに牧草を食んでいる。

 

島の中央部、標高300-1000メートル超ほどの高地にはいたるところに整備されたトレイルが20か所ほどある。アスリート向けから家族連れ向けまでセグメントされたトレイルを選んで歩きだすと枝葉色づく秋から霧雨の初冬へと移り変わる風景と気候が楽しめる。

 

400年前の首都ヴィラ・フランカ・ド・カンポにはポンタデルガダ港から出発するホエールウオッチング(クジラかイルカどちらかが必ず見ることができるとの保証付きでもし見ることができなかったら無料)の船で行くのが便利だ。

なだらかな坂道の多い古都を手作りのケイジャーダ(卵とミルクを豊富に使ったクッキー)片手にめぐり港からフェリーに乗り10分すると大きな岩をくり抜いたような不思議な海水浴場がある。そこでは大きな波の影響はなく小さな子供から老人まで安心して海水浴を楽しめる。

 

ほとんどの観光客は白人でありアジア、アラブ、アフリカ系は数人見受けただけである。大型観光船が寄港した直後を除きポンタデルガダの繁華街ですら観光地特有の雑踏は見られない。唯一の心残りはファドを聴きに行く時間がなかったことだ。しかし最大の発見は・・・

 

アゾレスとは夢見たアトランティスとは異なり時間が停止するほど心休まるリゾートであった。