bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

国家

財政健全化は必要なのか。

返済不能な債務や毎月の収支が継続的に赤字だと個人生活の継続はできない。 しかし国家の場合は、民間部門と政府部門そして海外部門それぞれの収支があるのだからこの三部門の総収入と総支出が同じであれば国家は存続できるはずである。 そうであれば、 民間…

悪化する日韓関係に思う

たぶん日本の言い分は正論なのであろう。 しかし正論を貫き通さんがためいささか礼節を欠いてはいないだろうか。 かって自由と民主主義というあたかも正義を装う看板を表に掲げながら裏では植民地化政策を巧妙に進めたのが欧米列強の外交であった。そんなダ…

品性ある国だった日本

第一次世界大戦に勝利した連合国の一員として大日本帝国は1919年パリ講和会議に出席して人種差別撤廃を提案しました。ちょうど100年前のことです。 しかしイギリス、オーストラリアが強力に反対しアメリカも中途半端な対応をしたので提案は拒絶されました。 …

自衛隊の違憲論議に思う

私は憲法論議の前に国家ビジョンがあるべきとの意見ですので多くの皆様とは基本的スタンスが違います。(内外の情勢変化と周囲環境に合わなくなった家を修理改善するのではなく家そのものを立て直す) 現行憲法は日米安保条約、日米地位協定の実態的な下位法…

戦後民主主義の命日に流れる唄がない。

白内障の手術が終わり不自由な片目を開けて病室の天井を見つめていると静寂な夕暮れの窓外に雨音が聞こえてきました。電気スタンドの明かりを消して眼を閉じると耳もとに西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」がかすかに聞こえてくる気がします。昭和35…

日本をどういう国にしたいですか?

まず「日本をこういう国にしたい」というテーマは国家のあるべき姿すなわち理想像を語ることと私は理解します。 その前提として、そもそも国家は自主独立した主権を持つ国家でなくてはなりません。 ところが日本の現状は首都の制空権さえままならぬ国家主権…

国会閉会で安倍総理の空虚な記者会見

今日は国会の最終日でした。 参院選を前にして安倍総理の口から「消費税増税を延期する」との一言が飛び出すのではないかと期待していましたが、淡き夢でした。 国会を終え参院選を前にした安倍総理の記者会見をラジオで聞いていました。 年金や憲法を参院選…

AIブームに一言。

AIなど戦術や機能論の前に為政者にはやることがあります。それは国家ビジョンの確立です。国家戦略なき戦術の積み重ねは所詮は滅亡に至る道に過ぎません。これは先の戦で見に染みて民族が知ったことです。

反日がどうしたというのか。

そもそも高度な諷刺や諧謔には分からないものには分からないという拒絶を含有している。国家ビジョンなき為政者に否定的な姿勢を取り率直な疑問を呈して何が問題なのか。かって江戸の町人たちは首を賭けて権勢を誇る将軍すら嘲笑の対象にした。それが粋とい…

メイはハムレットか。

「愛する国に尽くす機会を得たことを感謝する」英国のメイ首相は辞任表明をした。国家と民主主義そしてグローバリズムのトリレンマ。その狭間で彼女はハムレットたることを選んだ のか。 ブレグジットで指摘されるのはもっぱらEUからの離脱による経済問題で…

秋丸機関を知っていますか。

「秋丸機関」について 戦前日本の最高頭脳を集めたと言われるシンクタンク 名称 陸軍省戦争経済研究班 設立 昭和15年1月 目的 「陸軍省経理局長の監督の下に次期戦争を遂行目標として主として経済政策の見地より研究」し「その成果を陸軍大臣に報告し参謀総…

憲法と国家の独立性

(占領下に公布された憲法) 1945年9月2日から1952年4月28日まで日本は連合国軍(米軍統治部隊)の占領下におかれていました。そして日本国憲法は1946年11月に公布、1947年5月に施行されています。 憲法が公布されたのは連合国軍の…

二・二六に思う。

二・ニ六事件から83年目の2月26日がやってきました。 近ごろ思うことですが、あの出来事は失敗に終わった軍部クーデタ事件などではなく日本の針路を方向づける大きな岐路であったのではないかということです。 その理由は、二・二六事件の本質とは軍部クーデ…

北方四島の問題。

ソ連(ロシア)による日ソ中立条約の一方的破棄と北方領土問題をを短絡的に因果関連づける。 これがおおかたの日本人の心情ではないでしょうか。 しかし私は次の様な理由から別個の課題であると思います。 1.中立条約について。 中立条約を無視したソ連(ロ…

北方四島について。

北方領土問題について大前研一氏の気になる論説を目にいたしました。 「北方4島について、日本政府はずっと国民を騙している」というものです。 要約しますと、以下のようなものです。 ・日本敗戦後にソ連(今のロシア)が北海道の分割を要求した。・そこで…

日本は衰退する。

ローマ共和制国家、マヤ都市国家、ソビエト共産国家、名誉革命以降のイングランドなど輝かしき繁栄を歴史に刻んだ国が衰退した要因は何か。それは収奪的な政治制度(権威主義、独裁的)と収奪的な経済制度(高賦課税、中央指令型計画経済)である。さらに為政…

12月8日の神話

いまから77年前の1941年12月8日(現地時間12月7日)大日本帝国軍は真珠湾に奇襲攻撃をおこない太平洋戦争の幕を切って落としました。 この奇襲攻撃を巡ってはローズベルト大統領が当初から知っていたとするアメリカの陰謀説が広く日本国内に流布しています。…

ゴーン問題は日米安保と相似

日産が倒産の危機を救ってくれたルノーに恩義を感じるのは当然だ。ところがいまやルノーの屋台骨を日産が支える状況。収益力のみならず電気自動車はじめ技術力でも日産はルノーを凌駕している。そんな日産にとりもはやルノーは目の上のたんこぶであろう。 し…

擬制国家に終幕を

昨年NHKが全国の18歳と19歳、1200人を対象に行った世論調査によりますと、日本が終戦を迎えた日について、14%が「知らない」と答えました。 12月8日について質問をしても同様な認知度でしょう。 スマホとSNSに没頭する若者、マネーゲー…

昭和天皇は平和主義者なのか。

昭和天皇は、いつも分限とか格好にこだわり国民心情とくに貧者や弱者への洞察と寛容に欠けた小心狭量な人物であったと思います。そして決して立憲君主主義者でも平和主義者でもなかったといえます。 以下にその例を挙げてみます。 人事介入 1939年、阿部内閣…

沖縄県知事かく戦えり

平成最後の夏に翁長沖縄県知事が亡くなられた。 オール沖縄のスローガンを掲げて前知事を破り沖縄県知事に就任してから約4年。まさに孤軍奮闘そして獅子奮迅の政府との闘いであった。日本全土の0.6%に過ぎぬ沖縄の土地に在日米軍基地の70%が配置されている。…

FIFAポーランド戦に美しい日本の終焉を見た

終盤に至るや見るに耐えない含羞なき同胞の球回し。「勝てば官軍」というが、勝ち敗けの前に道理がある。身を呈してでも道理に殉ずるのが清廉な日本人であったはずだ。相手チームに対する礼節を欠いた身勝手な行為はけっして容認できるものではない。そもそ…

「政治の変質―理念から取引へ」

ベルリンの壁が崩壊した『歴史の終わり』からすでに四半世紀が経過しました。 しかし、政治の現状をみるにつけこれが歴史に勝利した自由民主主義のあるべき姿なのかと嘆息せざるをえません。第二次大戦後、戦勝国アメリカは自由と民主主義という政治理念を高…

「開戦神話」-対米通告を遅らせたのは誰か-書評

著者は開戦当時小学5年生の井口武夫、外交官。父君は開戦当時の在米日本大使館ワシントン勤務の外交官でした。 フランクリン・ルーズベルト大統領(FDR)は真珠湾攻撃を事前に知っていたが何の行動も起こさず日本を悪者にして日米戦争に引きずり込んだという…

北朝鮮をめぐる地政学的考察と日本の失敗

北朝鮮をめぐる国際情勢の動きは地政学的なアプローチだけでなく地経学的分析も必要だと思います。 まず地政学の本質が領土の征服から接続優位性に変化していることに目を向けるべきです。 先の大戦で明らかになったことは領土征服が必ずしも国益にはならず…

「二・二六に思う」ーあの日の雪は汚れていたのかー

天皇が年頭の感想で語った満州事変に始まるあの戦争は敗戦から70年、そして今日は雨降りの2月26日、二・二六事件79年目の記念日となる。 あの戦争は国民不在の状況で哲学なきエリートと既得権益者が結託した戦争であり金権強欲主義の敗北でした。 一方、明治…

森友問題の本質は民主主義国家の権威喪失と崩壊である

森友問題に関連して衆参両院の予算委員会で佐川前国税庁長官に対する証人喚問がおこなわれました。ラジオの実況中継を聴きながら思ったこと、それは権威に追従しその意向を忖度することで生き延びてきた庶民の盲点を突き問題の本質を外した政官共謀とも思え…

『ハルビン駅へ』ー書評

ロシア史を専門とするアメリカ人歴史学者の手になるハルビンの興隆史です。 20世紀の初頭、いまだかって自由を知らなかったロシアが国家システムに自由を導入しようと試みました。本土から離れた満洲に入植者を引き寄せ自由な社会を構築してロシア・リベラリ…

『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』-書評

本書で満洲建国大学なるものを初めて知りました。 満州建国大学は関東軍と満洲国政府の手により1938年、満洲国の新京市に創設されました。 民族協和を建学の精神として日本人、中国人、朝鮮人、モンゴル人、白系ロシア人の優秀な学生を集めました。その目的…

『語られざる真実 (「戦争と平和」市民の記録)』

あの戦争で学徒召集され敗戦後にもかかわらず俘虜となり帰国後自殺した哲学者、菅季治。その誠実で悲惨な人生を菅のソ連抑留記、日記でたどる。さらに帰国後に彼のシベリアでの行為をめぐって開かれた衆参特別委員会の議事録と当代の知識人を結集した座談会…