bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

大東亜戦争

「大東亜戦争」は禁句なのか。

4月8日の朝日新聞デジタルは、<陸自部隊の「大東亜戦争」投稿を削除 防衛省「誤解を招いた>と題して、陸上自衛隊第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)の部隊公式アカウントで戦没者追悼式を紹介する投稿に「大東亜戦争」という用語を使ったことについて、…

敗戦と終戦

また「終戦記念日」がやってきました。 「敗戦責任」を不問にしたまま「敗戦」を「終戦」と言い換え戦争の総括を放置してきた国家(そして国民)の「欺瞞」、その結果として歴史継承なき「虚妄の国体の生成」そして問題の本質を回避することでリスクを蓄積さ…

真珠湾の罠

歴史に「もし」は禁物というが、もし大本営がハワイ諸島を手に入れ米国本土攻撃への前線基地とすることで「距離のハンデイの克服」に戦略目的(大戦略)を定める、すなわち真珠湾攻撃が海陸両用作戦であったならば、米太平洋艦隊の打撃は甚大で態勢立て直し…

沖縄復帰50年で思うこと

戦前からこの国の指導者は沖縄に冷酷だ。日米戦の敗色が濃厚になると指導者は、一億火の玉本土決戦、と国民を叱咤激励した。しかし本土決戦を実行したのは一億国民のうち沖縄県民のみだ。そして世界の戦史上類例を見ない軍人と同数に達する沖縄民間人の命(…

令和三年夏の敗戦。

7月7日付け共同通信のまとめによると、新型コロナワクチンの住民接種の予約受け付けを停止もしくは制限している自治体は、少なくとも67市区町であり、その原因は国によるワクチン供給が7月から減少するためと報じています。国内に供給源を持たない日本は海…

「あの戦争は何だったのか」書評

「あの戦争は何だったのか」保坂正康 著(新潮新書) 三年八ヶ月にわたる太平洋戦争、それは当時の日本人の国民的性格がすべて凝縮した最良の教科書だと著者は言います。本書から学ぶ日本失敗の要因を挙げてみました。 ー(国家目標と思想の不在) 日本軍は昭和1…

品性ある国だった日本

第一次世界大戦に勝利した連合国の一員として大日本帝国は1919年パリ講和会議に出席して人種差別撤廃を提案しました。ちょうど100年前のことです。 しかしイギリス、オーストラリアが強力に反対しアメリカも中途半端な対応をしたので提案は拒絶されました。 …

秋丸機関を知っていますか。

「秋丸機関」について 戦前日本の最高頭脳を集めたと言われるシンクタンク 名称 陸軍省戦争経済研究班 設立 昭和15年1月 目的 「陸軍省経理局長の監督の下に次期戦争を遂行目標として主として経済政策の見地より研究」し「その成果を陸軍大臣に報告し参謀総…

二・二六に思う。

二・ニ六事件から83年目の2月26日がやってきました。 近ごろ思うのは、あの出来事は軍部独裁化への引き鉄や大東亜戦争への誘導要因ではなく、戦後日本の姿を方向づけた官僚性の原点だったのではないかということです。 二・二六事件の本質とは、軍部クーデタ…

北方四島の問題。

ソ連(ロシア)による日ソ中立条約の一方的破棄と北方領土問題をを短絡的に因果関連づける。 これがおおかたの日本人の心情ではないでしょうか。 しかし私は次の様な理由から別個の課題であると思います。 1.中立条約について。 中立条約を無視したソ連(ロ…

12月8日の神話

いまから77年前の1941年12月8日(現地時間12月7日)大日本帝国軍は真珠湾に奇襲攻撃をおこない太平洋戦争の幕を切って落としました。 この奇襲攻撃を巡ってはローズベルト大統領が当初から知っていたとするアメリカの陰謀説が広く日本国内に流布しています。…

擬制国家に終幕を

昨年NHKが全国の18歳と19歳、1200人を対象に行った世論調査によりますと、日本が終戦を迎えた日について、14%が「知らない」と答えました。 12月8日について質問をしても同様な認知度でしょう。 スマホとSNSに没頭する若者、マネーゲー…

沖縄県知事かく戦えり

平成最後の夏に翁長沖縄県知事が亡くなられた。 オール沖縄のスローガンを掲げて前知事を破り沖縄県知事に就任してから約4年。まさに孤軍奮闘そして獅子奮迅の政府との闘いであった。日本全土の0.6%に過ぎぬ沖縄の土地に在日米軍基地の70%が配置されている。…

「開戦神話」-対米通告を遅らせたのは誰か-書評

著者は開戦当時小学5年生の井口武夫、外交官。父君は開戦当時の在米日本大使館ワシントン勤務の外交官でした。 フランクリン・ルーズベルト大統領(FDR)は真珠湾攻撃を事前に知っていたが何の行動も起こさず日本を悪者にして日米戦争に引きずり込んだという…

「二・二六に思う」ーあの日の雪は汚れていたのかー

天皇が年頭の感想で語った満州事変に始まるあの戦争は敗戦から70年、そして今日は雨降りの2月26日、二・二六事件79年目の記念日となる。 あの戦争は国民不在の状況で哲学なきエリートと既得権益者が結託した戦争であり金権強欲主義の敗北でした。 一方、明治…

『ハルビン駅へ』ー書評

ロシア史を専門とするアメリカ人歴史学者の手になるハルビンの興隆史です。 20世紀の初頭、いまだかって自由を知らなかったロシアが国家システムに自由を導入しようと試みました。本土から離れた満洲に入植者を引き寄せ自由な社会を構築してロシア・リベラリ…

『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』-書評

本書で満洲建国大学なるものを初めて知りました。 満州建国大学は関東軍と満洲国政府の手により1938年、満洲国の新京市に創設されました。 民族協和を建学の精神として日本人、中国人、朝鮮人、モンゴル人、白系ロシア人の優秀な学生を集めました。その目的…

『語られざる真実 (「戦争と平和」市民の記録)』

あの戦争で学徒召集され敗戦後にもかかわらず俘虜となり帰国後自殺した哲学者、菅季治。その誠実で悲惨な人生を菅のソ連抑留記、日記でたどる。さらに帰国後に彼のシベリアでの行為をめぐって開かれた衆参特別委員会の議事録と当代の知識人を結集した座談会…

《二・ニ六事件の謎》

今日は二・ニ六から82年目の2月26日。 この事件が未だ謎であることを指摘してみます。 歴史教科書では、次のような説明をしています。 「政治的発言力を増した陸軍の内部では、隊付きの青年将校を中心に、直接行動による既成支配層の打倒・天皇親政の実現を…

『日本人の「戦争」』

日本人の精神構造からあの戦争とはなんだったのかを抉る。その論考は哲学的深淵に至る名著。 楠正成、織田信長の戦から明治へと身分差別を打破して国民の時代を築いた日本。日清・日露は「国民の戦争」を戦うことができた日本。 しかし文明開化は欧米人でも…

『「持たざる国」への道 - 「あの戦争」と大日本帝国の破綻』

あの戦争はー英米のブロック経済により困窮化した「持たざる国」日本が追い込まれた結果だーという国家の欺瞞に挑戦した元大蔵省官僚の一撃。 「当時の日本の勢いというものは産業も着々と興り貿易では世界を圧倒する。英国をはじめ合衆国ですら悲鳴を上げて…

『第二次世界大戦 影の主役―勝利を実現した革新者たち』-書評

逆説的ではあるが本書はポール・ケネディによる日・独の第二次世界大戦「失敗の本質」論とも言うべき傑作である。 当代きっての歴史学者ポール・ケネディは戦史や軍事行動、指導者に的を絞るのではなく「いかに制空権を勝ち取ったか」、「いかに電撃戦を食い止…

「沖縄慰霊の日」

今日は72年前の昭和20年6日23日、沖縄戦が終結した日です。 沖縄戦の戦死者は20万人そのうち半数の9万4千人が婦女子を含む民間人でした。 敗戦から27年の長きにわたり沖縄はアメリカの施政権下に置かれ昭和47年にようやく日本に復帰しました。 しかし、いま…

自虐史観のどこが悪いのか。

日本が戦った大東亜戦争のおかげで多くのアジア植民地は独立することができたのである。それなのに日本に感謝するどころか逆に謝罪を要求するとは恩知らずだという人がいますが、それは日本人が言うことではないでしょう。 ヤマトタケルのように卑劣で残虐な…

「終戦の虚妄を排せ」

特攻に出撃する青年を「俺も後に続くから」と送り出した指揮官が昭和20年8月15日になったとたん「戦後復興に力を尽くすことが大事だ」と言い出す。他人に死を命じながら命を賭した約束を反古にした人間とこれを許容してきた国家、日本の戦後はどんな社会をつ…

75年目の真珠湾

安倍首相「敵対国でも同盟国になれる」オバマ大統領「日米は友情と平和を選択した」。同盟国とはその国力比較が5:5またはせいぜい6:4で有効となりかつ同じ仮想敵の存在が必要だ。さらに仮想敵への対抗の意図を扇動するもの、流行りの言葉でいえば利己的ポ…

経済成長は必要か?

1941年ロシアの秋、破竹の進撃を続けたヒットラー軍はクレムリンまであと十数キロのところまで迫っていた。しかし例年より早い冬の到来が招いた泥濘と降雪が進撃の足を止め、世界で最も近代的な機械化部隊はその攻撃の成功にもかかわらず農業用荷車しか持た…