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「終戦の虚妄を排せ」


特攻に行く青年を指揮官が「俺も後に続くから」と送り出しながら、8月15日には「戦後復興に力を尽くすことが大事だ」と言い出す。他人に死を命じながら命を賭した約束を反古にした人間とこれを許容した日本という国家の戦後はどんな社会をつくってきたのか。
極寒を凌ぐ敗残兵が泥水啜る満蒙支那の只中ひたすら公益の私益化に励み私腹を肥やした高級官僚は戦犯を免れ首相に、生きて虜囚の辱めを受けずと無謀な作戦により部下を死地に追いやるも自らは進んで捕虜となり生還すると遺骨収拾どころか同僚、部下の戦果を糧にして大企業の参謀に。そして人災を天災に、無能のツケを周囲環境の悪化だと言い換える中央官僚、大企業経営者・・・。みんな異口同音に、過去の責任清算より復興と再建のため の将来に尽力する、それが天命だと宣わる。このような面従腹背の偽善がまかり通る無責任社会を作った大きな要因は何か。
それは大東亜戦争満州事変から太平洋戦争までの戦争)というこの国始まって以来の総力戦を国民総動員で戦ったものの不幸にも敗戦に終わってしまった。しかしながら、未だその戦争の総括がなされていないことに起因すること大だと思います。鍋釜の供出から最愛の子息までをも国家に捧げ尽くし果てたまさに国民の戦争でした。ところが昭和天皇詔勅で負けたとは知らされたがなぜ負けたのかいまだ国民には説明がありません。一億火の玉本土決戦などと国民を先導しながら8月15日になると掌を返したように昭和天皇と国家に対して一億総懺悔とはあまりにも酷すぎる話です。なぜ戦争になったのか、敗戦の原因は何か戦争責任の所在は何処かなど国の指導者層は国民に説明すべきでした。ところが指導 者層は為政者に成り代わり東京裁判で禊は終わったとばかり朝鮮戦争による経済復興を神風にして、もはや戦後ではない、との宣言を発して戦争の総括を一方的に放棄しました。
たしかに大東亜戦争の責任は国際法的には東京裁判で裁かれ戦争と敗戦の対外的ケジメはつけさせられました。しかし誰が見ても憲法などより戦勝者に押し付けられたことが明白な東京裁判です。この裁判の判決をもって敗戦の総括だとどれだけの国民が納得しているでしょうか。敗戦日本の国民としてあの戦争の敗因と責任に関する総括は未だなされてはいません。いうなれば民族としてのオトシマエ心のケジメが未だについていない状態なのです。満州事変に始まり太平洋戦争敗戦まで15年にわたり建国以来最大の犠牲者を生じさせたあの戦争。その目的は何だったのか、戦略なき負け戦の政治的、軍事的責任の所在は何処にあったのか。
戦後70有余年未だ国家ビジョンさえ描けない状況での昨今の改憲論争など枝葉末節の議論でしょう。こんな木を見て森を見ぬがごとき議論を連綿と続けた結果いまや戦略なきまま盲動するは我が国の因習に成り果てました。このような状況をもたらした要因の一つはやはりあの戦争の総括がないまま再出発した新生日本のヘソがないからでしょう。歴史を紐解くまでもなく本来であれば多大な死者を生じた戦争(内戦、国家間戦争問わず)の後には必ず国家としての総括と反省が行われ、新たな社会契約いうなれば憲法の草案となりますが戦争の総括がないゆえに社会契約の議論もされぬままに押し付け憲法云々というまったく本筋でもでない枝葉の議論に振り回されている現状は自ら招いた不始末の結果だと思い ます。新生国家日本の原点である敗戦に立ち返り今こそ戦争責任の検証、総括について国民的議論を尽くすべきではないでしょうか。敗戦の総括により国家と民族に内包された失敗の本質が明徴にされるはずです
遅きに失してはいますがいまなら戦争経験者がまだ存命されておられいくらかは検証可能な総括が可能でしょう。あの敗戦の総括にもとづく反省から学ぶ姿勢なくしては国民的総意による国家ビジョンなど構築できず未来永劫失敗の歴史を繰り返すばかりです。
ここに旧いデータですが大東亜戦争の戦争責任に関するアンケートがあります。60%近い国民は政治指導者、軍事指導者(この中に天皇が含まれるのか不明です)の責任について十分に議論されていないとの見方をしています。つまり日本という民族国家として敗戦の心のケジメは未だついていないと半数以上の国民が考えていると言えるのではないでしょうか。戦後60年にあたる2005年、読売新聞が3000人に聞き取り調査したアンケート。
質問「あなたは、先の大戦当時の政治指導者、軍事指導者の戦争責任をめぐっては、戦後、十分に議論されてきたと思いますか。そうは思いませんか。」
・十分に議論されてきた 5.6%
・ある程度議論されてきた24.6%
・あまり議論されてこなかった 43.2%
・全く議論されてこなかった 14.7%
・答えない 12.0%

もういい加減に敗戦をもってして終戦記念日と言い換える敗残者の自己弁護と千艘指導者の保身に過ぎない虚勢を排し敗戦の総括と反省に基づく社会契約のあり方を真剣に論ずる時期です。
勝っても負けても戦の終わりは終戦でその物理的処理(形而下)済みました。しかし敗戦には責任がつきものでこれは心の問題(形而上)です。
また心の問題として300万国民の命を失った敗戦の総括と反省を行うことは国民の義務とも言えるのではないでしょうか。そして敗戦の総括と反省なくしては軸足のないコンパスであり国民の心のキャンパスに国家の大計なぞ描けるはずはありません。

混沌とした閉塞国家日本の国民が今こそ問うべきは負けるべく戦を何故始めたのか、その責任は何処にあったのかであり、この総括と反省が為されぬ限り70年の長きにわたり過去の遺産を継続して指導者エリート層が構築してきた言の葉のすり替えと責任転嫁システムに絡め捕られた国民は無責任社会というブラックホールに陥落し国家は奈落の底へと転落することでしょう。