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教育勅語と森友学園騒動の文脈

「父母に孝・・・夫婦相和し・・・」 という教育勅語の徳目のみを抜き出して、いいこと言っているという表層的な論調が目につきます。
そこで教育勅語、愛国、森友学園の三点セットから読み取る政治の文脈についてです。
 
教育勅語の徳目について。
教育勅語の本質は、徳目ではなく忠君愛国の強制にあります。徳目は一朝ことあれば天皇のために死すべしという天皇制維持の目的に供する手段にしか過ぎません。あえて言うならばこの徳目はものごとの道理として当たり前のことでありまして、これをもって教育勅語のどこが悪いのかという議論は木を見て森を見ずであり手段と目的を取り違えています。戦後に衆参両院が否定した教育勅語の本質と文脈を読み取るべきです。
 
愛国について。
国を愛する素朴な感情はどこの国のどこの人にも共通しています。それゆえ集団になって同じ同胞に向かって高らかに「愛国」を訴えることに精神的幼児性と欺瞞を感じます。妙に大声で愛国を訴える人々には多くの国の歴史が語るように「愛国」を不正と私欲の隠れ蓑にする人が多いのです。それゆえ集団になって同じ同胞に向かって高らかに「愛国」を訴えることに精神的幼児性と欺瞞を感じます。
 
利益供与が公から私に転換。
森友学園の問題の本質は、利益供与が私(民)から公(国家権力)に対してではなく逆に公(国家権力)から私(民)に転換する契機ではないかということです。つまり利益供与が公的目的のためになされ、しかも徳目と愛国教育という美名のもとで公然と遂行中であったのではないかという疑惑です。これこそ国家資本主義の体質を如実に表すものだといえます。
 
文脈について。
過去四年にわたり官主導でおこなってきた民間企業賃上げー「官制の賃金管理システム」、安保法案、特定秘密情報保護法、個人番号法そしていわゆる共謀罪法ー「国家統制体制」。
この整備を終えて国民の収入・言論を掌握した政治の次なるステップは国民思想の一本化です。そこでいま森友騒動から読み取れる政治の文脈とは、私学を隠れ蓑とした(実は公から私への利益供与による公主導の)愛国教育の浸透による「国家資本主義の総仕上げ」の姿でありましょう。