bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

『ちあきなおみに会いたい』


就職活動の噂話が流れてきたのはゴールデンウイークが終わって長雨が続く蒸し暑い日だった。

昼どき学食の隅に置かれたテレビからは往年の童謡歌手が「ルルル…ラララ…」と囁やくごとく妙な歌を唸っていた。

ちあきなおみのデビュー曲「雨に濡れた慕情」が深夜のTVから毎晩流れ出したのもちょうどその頃だ。TVを持たぬ私は夜ごと隣室の会社員を訪れ持ち込んだ安酒を肴に、TVに映るちあきなおみに聞き惚れていた。会社員の彼は東北の寒村から17歳の時に上京、それからアパート近くにある製本工場に勤務したという。そして来る秋には幼馴染との結婚をまじかに控えていた。いつもは口下手な彼だが酔いがまわると饒舌になった。学生運動はなぜ崩壊したのか、やがて革命が起きるかも知れぬと期待していたのにとTVに向かい呟くのが癖だった。それはノンポリに転じた私への愚痴とも軽蔑ともつかぬ繰り言に聞こえた。そんな声が聞こえぬふりをして無言で私は酒をあおり続けた。やがて私の頭の中では「雨に濡れた慕情」が「アカシアの雨がやむとき」と混然一体となっていく民主主義のご詠歌のごとく反響していくのだった。

一前年、秋雨に濡れたヘルメットがネオンの下で激しく揺れ動く新宿騒乱、あの夜で別れた友の顔が眼前に浮かんでは消えてくる。

やがて春が来たらこんな学生生活に別れを告げざるを得ない。過ぎ去った日々への哀愁に掻き立てられ私はいつしか涙腺を熱くしていた。こんな思い出に浸りたいとき、ひとりきりで、ちあきなおみを聞きたい。あの会社員と友人は今ごろどうしているのだろうかと思い巡らしたい。ちあきなおみは、ドラマチックなストーリーを秘かに語ってくれるに違いない。

私の耳に「喝采」いまだは鳴りやまない。