bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

昭和45年という時代を抉り取った歌手 2

昭和45年4月には「圭子の夢は夜ひらく」7月には「命預けます」と連続してヒットを飛ばした。そして藤圭子は昭和45年の一年間で燃焼してしまったのだ。

ゲバラサルトルそして朝日ジャーナルに象徴される革命的未来に若者たちは憧れた。そんな輝かしいユートピアの構図に立脚した社会変革を試みる大学生が急増していた。それは敗戦が産んだ戦争を知らないベビーブーマーからの曖昧な「時代」に対する異議申し立てであった。その異議申し立ては時の権力機構に対する暴力的行為に表象された。口より手の方が早かったのだ。日本中の大学に学生運動が燎原の火のごとく広がった。昭和43年10月の新宿騒乱から昭和44年1月の東大安田講堂陥落にかけて燃え上がった若者たちの刹那的な政治の季節はあっという間に国家権力に打破され不完全燃焼のまま終わっていた。

昭和44年の秋も深まり新宿騒乱から一周年を過ぎたひと夜、私は東口にある三平食堂裏の安酒場で友と飲んでいた。終電の時間が近ずき潮が引くように客が居なくなり静寂な時間が流れ始めた途端だった。友は何を思ったか突然バーカウンターの上に身を伏せると「終わった・・・」とつぶやくとしのび泣きだした。

なぜ泣くのか。アンチテーゼとしての左翼学生運動が消滅してしまい思考の昇華ができない民族主義者の悲しみか?

いや今思うと学生生活、最後の秋への感傷ではなかったろうか。

ジュークボックスから苦しみもがく歌声が聞こえてきた。

「前を見るよな 柄じゃない
 うしろ向くよな 柄じゃない
 よそ見してたら 泣きを見た
 夢は夜ひらく」(圭子の夢は夜ひらく) 

目に見えぬ巨大な力にねじ伏せられた若者の心象風景をまさにあらわしていた唄だった。

右も左もノンポリも混迷のあげく無力感と虚無感に陥っていた東京の晩秋だった。

昭和45年3月、大学卒業そして大阪万博の開催。
高度成長の幕開け日本の春到来、しかしその裏では成田空港反対闘争、よど号事件発生。いまだ残り火はもだえていた。

昭和45年6月、安保条約自動延長。

「雨の降る夜は 雨になき
 風の吹く日は 風に泣き
 いつか涙も 枯れはてた」(命預けます)

貧しい学生生活を送りながら命預ける先も見えぬまま、不満な「時代」に対するわたしの異議申し立ては消滅してしまった。

昭和45年11月、三島由紀夫割腹自殺。
昭和45年12月、「昭和残侠伝死んで貰います」公開、これが任侠映画の終焉だった。

「女のブルース」には胸が痛みながらもなぜか心が潤む、藤圭子は昭和44年新宿の激動をそして昭和45年の日本の若者の心を切り取った歌手であった。