bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

『東ベルリンから来た女』ー国家への別離を静謐に描く名画。

とにかく題名がいい。(原題はBarbara)東ベルリンというだけで哲学的でミステリアスな雰囲気が漂う。1980年東ドイツ、東ベルリンから田舎の病院に左遷された小児科女医が主人公。落ち葉舞う侘しい街路の一角、病院前でバスから降り立つ主人公、古びた病院の窓から見下ろす医師たち。冒頭シーンから主人公の過去とその神秘性が暗示される。なにか謎を背負った感じの主人公は病院の同僚になじまず孤立した日々を過ごす。そんな彼女のもとに作業所から病気の少女が担ぎ込まれる。怠け者であり嫌われ者の少女だが主人公を慕うようになっていく。やがて少女は作業所から出ていきたい、この国からも脱出したいので出国申請を考えていると主人公に打ち明けるようになる。一方、主人公に好意を寄せる医師がいる。彼は夜勤の続くある夜、田舎に埋もれることになった暗い過去を彼女に告白する。そんな医師に魅かれつつ西ドイツの恋人への思いに揺れる主人公。そして彼女の動向を監視する国民警察。美しい田園風景を背景に自転車、ローカル鉄道と乗り継いで通勤する主人公。その絵は祖国の山河への断ち難い思い、医師と恋人の間で揺れ動く情念、少女への憐憫を包み込み哀感に溢れる。
ヘーゲルヴェーバーによればドイツでは、国家はそれ自体が目的であり、理性の化身であったという。この映画は国家の都合で日陰に追いやられた人たちの日常を淡々と追うことでひそかに燃え上がる人間の情念を浮き彫りにしていく。そして国家への別離による人間の新生をめざすのだ。国家へのアンチテーゼとして自然を背景に対置した人間の情念と理性のアウフヘーベンを暗示するものといえる。それにしても旅券さえあればいつでも出国できる日本人、常に帰国することが前提の出国だが・・・出国申請という言葉の重さと意味を初めて認識した。ラストシーンのどんでん返しなんとなく推測はできたがそれでも涙。
しかし最後まで主人公が左遷された理由がわからなかった。ドイツ哲学の難解さか、いや左遷の理由なぞ無視して素直にみる映画なのだ。