bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

定年延長は望ましいことなのか


給与「60歳の崖」緩く 定年延長、人手確保へ8割維持。


今朝の日経新聞は、定年を延長してさらに給与の減額を緩やかにする企業が増加していると報じています。このような動きの底流に国家社会主義の影を感じつつ政府の意向を極度に忖度してはいないか、長期的視点から生産性の劣化に陥らないか、若年勤務者の意欲を削がないかなど気になるところ多少です。

それよりも問題は日本社会の風潮として、ヒトを人間としてではなく労働力としてとらえる見方が蔓延しているように思えることです。所詮は使い捨ての労働力補給に過ぎぬのに耳障りの良いヒューマニステイックな語感の定年延長と言い換える。それは不遇にも少子高齢化と経済格差の板挟みに遭遇したと悲嘆する社会に対して国家ぐるみで定年延長というマヤカシで情緒的に大衆迎合している気がしてなりません。
戦後民主主義が立脚してきたヒューマニズムは日本の民衆を健全に育んできました。しかしヒューマニズムはいつの間にかその重心が心から肉体に移動してひたすら身の安全無事(それを担保し保証するカネ)を主張するようになってしまったのではないでしょうか。
労働人口の減少、社会保障制度の破綻など周囲環境の悪化により企業も労働者も身の安全が当面の重要課題であることは理解できるところです。
しかし定年延長という受動的なオプティミズムに身を委ね「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れ」て身の垢のしみついた同一組織で人間らしく生きられるものでしょうか。もちろん、なかには企業から切望され心身ともに充実して再出発する器量のある人もいるでしょう。

 

組織に生きる人間に重要なことは「出処進退」をわきまえることです。

「進」を自ら決めることはできませんが、「退」は自ら決断できます。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言われるように人間はペシミスティックな能動性を梃にして局面を変え飛躍的に向上する能力を有しています。

受け身のオプティミズム対米追従の政治家に任せて、定年を機に心と身のあり方とそのバランスを見直してみることが大切ではないでしょうか。