bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

二・二六事件とは何だったのか。

この事件は陸軍を二分した「皇道派」と「統制派」の内部抗争に端を発した軍部クーデタだった。そしてクーデター失敗により失墜した皇道派にかわり陸軍の覇権を掌握した統制派の独裁が進展した。その結果が軍部の暴走を招いた,

というのが通説です。

私はこの事件の本質は国体護持を錦の御旗とした「天皇制官僚システム」が軍部クーデタを逆手にとった「カウンター・クーデタ」であったと思います。この事件で軍部は戦略なき国軍という醜態を天皇制官僚システムの目の前に晒してしまいました。通説では事件を契機に暴走したのは軍部とされますが、暴走の陰の主役は軍部を機動力に組み込むことに成功した天皇制官僚システムではないでしょうか。満洲支配を完成して満鉄や満映を成功させ朝鮮では失敗した植民地主義の実験に一応の成果を見たといえます。敗戦後の日本を統治したのはGHQでした。戦後の混乱や暴動を静圧して平穏に統治する最善の手法として彼らが選択したのは現人神、天皇を生き延びさせることでした。そのため東京裁判では軍部とくに陸軍を悪者にして天皇を平和主義にすり替え国民の歓心を得ました。やがて日本が独立国家となると戦犯をのがれた天皇制官僚の一人が日本の首班となりました。そして日米安保条約の改定という虚飾ナショナリズムのもとに従米強化をおこなっていったのです。今に至るもこの国の首相は米国大統領のオトモダチになることが最大の関心事のようです。この国の実権を握るのは為政者ではありません。戦前は天皇制官僚システム戦後はGHQ官僚システムではないでしょうか。

まず事件当時の日本の状況はどんなものだったのでしょうか。

ニ・ニ六事件当時の社会状況と経済格差を反映する二つの実証をあげてみます。

一。刑死した高橋太郎少尉の獄中手記。
「ともに国家の現状に泣いた可憐な兵は、今、北満第一線で重任にいそしんでいることだろう。雨降る夜半、ただ彼等の幸を祈る。食うや食わずの家族を後に、国防の第一線に命を致すつわもの、その心中は如何ばかりか。この心情に泣く人、幾人かある。この人々に注ぐ涙があったならば、国家の現状をこのままにしては置けない筈だ。殊に為政の重職に立つ人は。国防の第一線、日夜生死の境にありながら戦友の金を盗んで故郷の母に送った兵がある。これを発見した上官はただ彼を抱いて声を挙げて泣いたという。・・・」

NY発の世界恐慌の波をまともに受けて深刻な不況になり、凶作から農村が荒れて間引きや娘の身売りなどが頻発、満州事変以降の戦線拡大による若者の徴兵強化、これらが農村の困窮化を加速していきました。貧困にあえぐ農村から娘たちは女郎屋に働き手の男たちは軍隊に身を投じて残った家族をなんとか食いつないぐことに精一杯でした。

ところが、軍事産業を中心とする財閥系企業は戦時活況を呈し空前の繁栄を享受していたのです。その状況を事件当時の陸軍大将宇垣一成が記録しています。

ニ。事件当時の陸軍大将宇垣一成が当時を振り返った日記。
「・・・その当時の日本の勢いというものは、産業も着々と興り貿易では世界を圧倒する・・・英国をはじめ合衆国ですら悲鳴をあげている・・・この調子をもう5年か8年続けていったならば日本は名実ともに世界第一等国になれる・・・だから今、下手に戦など始めてはいかぬ。・・・」

このような経済格差の拡大に拍車をかけるように五・一五事件血盟団事件などのテロも頻発し日本社会は暗い空気が流れていた時代であったのです。

農村出身の兵たちに同情した皇道派青年将校は経済格差の拡大を阻止すべく財閥、財閥と結託した天皇制官僚組織に反旗をひるがえしたのです。

事件は彼らの異議申し立てに対し、昭和天皇のご聖断で彼らを賊軍とすることで皇軍相撃つことなく決着をみました。
 
政治の失敗による行き詰まりに対処するため国民の視点を外部に振り向けることは貧困な政治の常套手段です。

貧富の格差の幾何級数的拡大に行き詰まった政府は、この事件を暗黒裁判で葬り去り、国民の関心を国内社会問題から領土拡大による富の拡大という幻想を打ちだしたのです。つまり行き詰った対中戦線を拡大し植民地経営に活路を見出す契機として逆用したのです。それはストック資源を「持たざる国」としての行動の正統性=追い込まれた戦争=を担保するものでもあったのです。

しかし、国民生活が極度に悪化する一方、当時の財閥の隆盛が示すとおり植民地貿易を核とする輸出額は英国を抜き去り世界一になるなど世界が羨む経済というフロー資源を「持てる国」=戦線を拡大する理由なき戦争=であったのです。
けっして「持たざる国」ではなかったにもかかわらず為政者は、日露戦争以降大儲けを続ける財閥や天皇制官僚と結託して、二・ニ六青年将校の屍を乗り越え人民の血涙を横目に栄華の巷を闊歩したのです。