bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

「昭和残侠伝ー死んで貰います」 映画評

「止めはしないわ・・でも次は私だけの義理に生きて・・」と死地にむかう高倉健に縋る藤純子。匂うほどの艶かしさで演じた藤純子の演技がひときわ感動を誘います。
義理に命を賭ける惚れた男への羨望とあきらめきれない想いを籠めた一言でした。恥ずかしながらこのシーンは何度見ても思わず貰い泣きをしてしまいます。

ところが死んだはずの健さんは殴りこみから生還して藤純子の前に姿を現わしました。
このラスト・シーンは昭和残侠伝シリーズでただひとつ居心地の悪さを感じるものでした。
惚れた女への義理だけで生きていく健さん、そんな健さんの姿は惚れた女にとって何の魅力があるのでしょうか。
藤純子が本当に望んだのは健さんの生還ではなく義理に死んでもらうことではなかったのでしょうか。そうなれば彼女は健さんの理想像を永遠にひとりじめできたのですから。「死んで貰います」とは健さんではなく藤純子から健さんへの想いを託した一言ではなかったのだろうか。

この映画が公開された年は春に大阪万博が開催されて秋には三島由紀夫が割腹自殺を遂げました。また学生運動が終息した年でもありました。
オトコの論理が崩壊をはじめ日本の義理が国際化の激流のなかに沈みだした年でした。

「昭和残侠伝ー死んで貰います」は任侠映画の終焉を予感させるメルクマールでした。