bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

北方四島の問題。

ソ連(ロシア)による日ソ中立条約の一方的破棄と北方領土問題をを短絡的に因果関連づける。

これがおおかたの日本人の心情ではないでしょうか。

しかし私は次の様な理由から別個の課題であると思います。

1.中立条約について。

中立条約を無視したソ連(ロシア)の行為は道義的には非難されて然るべきでしょう。

しかし世界の歴史を顧みると、戦争という超法規的行為に入るや中立や不可侵条約は無条件でご破算となり勝者の論理が道理を押しのけているのではないでしょうか。

いずれにせよこの中立条約問題は日本とロシア二国間で締結した条約の問題で条約の履行放棄については両国間で解決すべき問題です。

2.北方領土について。

日本は1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄しています。

この条約にロシアは署名しなかったものの連合国48か国との間で締結された多国間の国際条約であり、国際社会への日本の復帰が承諾されたものです。

サンフランシスコ平和条約第二条C項

(c) Japan renounces all right, title and claim to the Kurile Islands, and to that portion of Sakhalin and the islands adjacent to it over which Japan acquired sovereignty as a consequence of the Treaty of Portsmouth of 5 September 1905. 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

3. ここでの問題は2つあります。

①放棄した千島列島の帰属先が記載されておらずその後も取り決めがなされて

いないことです。

②千島列島には四島は除外されているのか、それとも国後島択捉島は含まれるのか。

 

まず②の件について。

日本政府は国会において、サンフランシスコ平和条約第二条C項で放棄した千島列島に国後島択捉島が入っていることを明確にしています。

*1951年10月19日の衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において、農民協同党の高倉定助議員(委員)の質疑に対して、吉田総理(国務大臣)と外務省の西村熊雄条約局長(政府委員)が答弁を行っています。議事録の詳細は「日ソ国交回復秘録」朝日選書 2012年刊(松本俊一:著、 佐藤優:解説)の257~262ページに再録されています。

①の件について。

サンフランシスコ平和条約に調印しなかったロシアとの間で国交の回復を図るべく日本1955年6月からロシアと交渉を開始し幾多の変遷を経てたどり着いたのが1956年12月12日批准の「日ソ共同宣言」です。

千島列島の帰属に関する条項9は以下のように記述されています。  

 

 9. 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は,両国間に正常な外交関係が回復さ

   れた後,平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。

   ソヴィエト社会主義共和国連邦は,日本国の要請にこたえかつ日本国の利益を考  

   慮して,歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし,これ

   らの諸島は,日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結さ

   れた後に現実に引き渡されるものとする。

 

4.上記から私は次のように推測するに至っています。

 ・千島列島の帰属先はロシアである。

 ・千島列島とはどの島のことか。

   日本側の見解:歯舞、色丹

   ロシア側の見解:歯舞、色丹、国後、択捉