bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

憲法と国家の独立性

 

(占領下に公布された憲法) 

 

1945年9月2日から1952年4月28日まで日本は連合国軍(米軍統治部隊)の占領下におかれていました。そして日本国憲法は1946年11月に公布、1947年5月に施行されています。

憲法が公布されたのは連合国軍の占領(実態は米軍占領部隊、以降GHQの呼称を使用)からわずか1年余が経過したばかり占領終了となる5年半も前のことです。 

 

連合国軍統治下に置かれた日本においてなぜ憲法が必要だったのでしょうか、被占領国すなわち独立国ではない状況で公布された憲法に正統性があるのでしょうか。 

独立承認後に日本国民の総意に基づく憲法を作成し公布すればよかったのではないでしょうか。それにもかかわらず日本政府とGHQは憲法公布をなぜ急いで強行したのでしょうか。

 

憲法の実質的上位法、日米地位協定) 

 

日米地位協定は1960年に締結されました。その前身は日米行政協定で1952年2月に外務省庁舎内で結ばれています。1951年9月サンフランシスコ講和条約が結ばれ日本が独立国となってから半年後のことです。

敗戦後の錯綜した政治・社会的背景で密かに結ばれたのが日米地位協定です。その内容は簡潔にいうと「独立後の日本ではGHQ が在日米軍になりすました」と解釈できるようなものです。 

この実態を証明したのは1959年の砂川事件判決において最高裁が判決放棄をして在日米軍治外法権を認めたことでした。つまり日米地位協定憲法の上位法であることを最高裁が皮肉にも裏書きした判決といえるものでした。 

 

この日米地位協定に基づき日本の官僚と米軍は毎月打ち合わせ協議をしています。協議主体は日米合同委員会という名前ですが、日本側代表は外務省北米局長なのです。防衛大臣でも外務大臣でもありません。なんとも不思議に思えます。

 

(いまだ敵国条項の対象国である日本)

 

国際連合憲章は1945年10月24日に発効した国際連合の目的を達成するための国際条約ですが第53条、第107条には敵国条項(enemy state clause)の規定があります。 

この条項の対象国は第二次大戦中に連合国の敵国であった国すなわち日本、ドイツ、イタリア、ブルガリアハンガリールーマニアフィンランドの7カ国ですが日本とドイツを除く5カ国は大戦中に枢軸国側から離脱しており実質的な敵国は日本とドイツです。

条項の主旨は、条項対象国が戦争結果の確定事項に違反し侵略行為を再現するような行動等を起こした場合には、国連加盟国や地域安全保障機構は、国連憲章51条に規定された安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を課すことができるとしています。

 

ご参考までに 以下は専門家からの仄聞です。

(*)第53条の執筆者である米上院議員アーサー・ヴァンデンバーグは起草委員会の席上で「主要な目的は、ドイツと日本の永久的かつ有効な非武装化であり、それら2カ国の支配である」とのべたと議事録にある。つまり、あらゆる紛争を国連に預けることを規定した国連憲章51条の例外規定として敵国条項に該当する国が起こした紛争に対しては自由に軍事制裁を課する事ができるのである。さらに旧敵国との紛争については平和的な解決義務すら負わされていないとされている。

 

(*)国連創始期から世界情勢は変化して日本も大きな国際貢献をしてきたのでこの条項は死文化したというのが国内では大勢の意見のようです。

しかし国連憲章の解説書によるとドイツはともかく日本は未だ敵国条項の対象として存続している可能性が高いと思われます。何故なら世界80余名の法律家による国連憲章解説書によると、ソ連(ロシア)を含む連合国は第107条にもとづく権利を、少なくともドイツとの関係においては放棄したように思われるとか、東欧政策の諸条約は、ドイツと東側の隣国との関係において第107条をそして第53条をも無効にしたなどの記述があるものの日本に関する記述は見受けられないようです。