(まえおき)
12月20日付ロイターは「英下院は20日、欧州連合(EU)離脱に向けた関連法案の概要部分を巡る採決を実施し、賛成多数で可決した。主要なハードルを突破し、ジョンソン首相が目指す来年1月末のEU離脱達成は現実味を帯びてきた。」と報じています。
国民投票から3年半が経過して英国のEU離脱いわゆるBREXITが実現するようです。
しかし英国国立経済社会研究所(NIESR)ではボリス・ジョンソン英首相がEUとまとめた離脱協定案に従って英国がEUを離脱した場合、離脱しない場合に比べて年間700億ポンド(約9兆8000億円)の経済損失が見込まれるとの報告書を発表しています。
BREXITに対するこのような否定的な評価は多くの国々や専門識者間では共通認識のようです。
確かに経済がボーダレス化された世界の枠組みから考えますと、EU規制から解放され移民制限などにより雇用環境の改善や社会福祉面で生じるメリットを考慮したとしてもEU離脱は英国にとり負の側面が大きいものと思います。
(地政学的にみると)
しかしBREXITという事態を地政学的な観点から考えてみると異なる局面が見えてくるような気がします。
まず英国の地勢はユーラシアの、そしてEU(いわゆる旧大陸)の大西洋における玄関口の地位を占めています。また南北のアメリカ大陸(いわゆる新大陸)へ海路で直結できるというEUに比して優位な立地にあります。いっぽう西の玄関口を英国に抑えられたEUは東にロシア、北には北極海そして南にはトルコそしてイランが位置しています。
このような英国とEUの地勢図を背景に、地政学上これから大きな影響を及ぼすと予測される気象の問題を考えてみます。
気象がこの地域に与えている大きな影響は気候の温暖化であろうかと思います。地政学的に考えますと温暖化の一層の進行により北極海経由の航海路が現実味を帯びてくると思えます。
さらにグリーンランドへの評価も高まることでしょう。昨年末にトランプ大統領がグリーンランドの購入を言及したように将来グリーンランドが水資源大国となりうる可能性もありえます。
これらの気候変動による影響は、米国やEUに比べ北極海、グリーンランドへの距離の利点がある英国とカナダ両国(英連邦)にとり地政学的のみならず経済的にも明るい材料といえるでしょう。
たとえば英国から太平洋への航路ですが、15世紀末の喜望峰航路から19世紀のスエズ運河航路そして21世紀には気候温暖化の恩恵により北極海を経由する最短路の位置を獲得できることになります。英国からロシア北岸を周りベーリング海峡に至り南下すると、太平洋の両岸にシーパワー*とランドパワー(*ハートランド参照)の大国である米国とロシアが控えています。
気象問題からEUの地勢に目を転じますと、EUの東側、ユーラシアの生命線と言われたハートランド*を抱えるロシアは先日150年来の宿願をようやく果たし長年の夢を現実化しています。
その宿願とはクリミア戦争、ロシア革命そして第二次世界大戦と三度にわたり頓挫を余儀なくされたハートランドを縦断する2500㎞の鉄道を完成させたことです。
バルト海沿岸のサンクトペテルブルクからハートランドを縦断してセヴァストポリに至る黒海への出口を確保したのです。そのさきにはかって国際連盟の本部拠点の候補にまで挙がった東西文明の合流地コンスタンティノープル(イスタンブール)が控えています。
さらにロシアの南東にはランドパワー大国の中国が位置し一帯一路のインフラ戦略によりシーパワーを獲得して中華帝国復活への道を邁進しています。
(歴史と地政学)
ロシアも中国もランドパワーの国です。
しかし、かつては中国からインドを経てコンスタンティノープル(イスタンブール)に至るまで英国のシーパワーがハートランドの4分の3を抑えていたのです。
ランドパワー論で有名な地政学者のマッキンダーはその著作で次のような指摘をしています。
「海上における勝利の頂点としてのトラファルガーとナポレオン戦の戦局の逆転をうながしたモスクワとが、真のヨーロッパの東西の極限に近い位置にあった。」
マッキンダーのこの指摘は第一次世界大戦後の1919年のことでした。
ところが第二次世界大戦においても彼の言葉を裏付ける事態が生じています。それは、ヒットラーの進撃をロンドン空中戦で、また戦局の転換点となったスターリングラード(現ヴォルゴグラード)地上戦で、EUに相当する地域を含む真のヨーロッパの東西両極で食い止めたのです。
英国のシーパワーとロシアのランドパワーは不作為にもかかわらず結果的には協力して、真のヨーロッパの守護神のごとく 現EU地域を歴史的に護持してきたとも言えます。
バルト海から黒海に直結するロシア帝国夢の鉄路が縦断するハートランドの西側にはバルト海沿岸のポーランドから南下してチェコ、スロバキア、ハンガリーそしてルーマニアを経て黒海沿岸のブルガリアに至るまで旧ソ連の友邦諸国が連なります。
これら諸国はいずれも真のヨーロッパに位置しており第一次、第二次両世界大戦の最大激戦地でした。今はEU加盟国となっていますが必ずしもEUの仕組みには満足をしていない様子です。
(まとめ)
「歴史は繰り返す」といわれます。
この論拠について、次のように私は解釈しています。
歴史を編んでいくのは社会の動態である。
その社会というものは既存の環境を前提としながらも、それを改変していく、それが動態である。
改変とは、歴史の記憶と未来の希望(欲望)を動因とする集団的な動員の継起である。
その結果を考察すると、そこには歴史を通じて一定の軌道のようなものが見いだせる。
これがいわゆる歴史の経路依存性*です。
「いつか来た道」というように国家もまた経路依存性を帯びるものといわれます。
BREXITという事象がハートランドの西側諸国にどのような影響を与えるかは予測がつきません。
しかし明治維新をはじめ辛亥革命、ロシア革命など国家の軌道は内圧よりむしろ強大な外圧により変更されることが数多くあることを歴史は語っています。
外圧に翻弄され続けてきたハートランドの西側諸国(旧東欧)の歴史を顧みますと「ハートランド」、そして「歴史の経路依存性」という二つのキーワードは頭の片隅に置いておくべきかと思います。
ひょっとするとBREXITはEU包囲という予期せぬ歴史的なハズミを誘発することになるかもしれませんから。
以上
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オックスフォード大学で地理学を学びのちに現代地政学の祖といわれたH.J Mackinderがその著作「Democratic Ideals and Reality」(日本版、「マッキンダーの地政学」)で次のように使用した。
Who rules East Europe commands the Heartland;
Who rules the Heartland commands the World-Island;
Who rules the World-Island commands the World.
注:World-Island とは ユーラシア旧世界のこと。
彼は「Foreign Affairs , July 1943」 でハートランドを以下のように説明している。
ユーラシアの北の部分であり、かつまた主としてその内陸の部分、北極海の沿岸から大陸の中央の砂漠地帯に向かって延びておりバルト海と黒海とのあいだの大きな地峡がその西側の限界になっている。この概念は地図上では明確に限定することはできない。
*シーパワー(sea power)
地球表面の12分の9は海が占めており(12分の2は旧大陸、12分の1は新大陸その他の島など)、ここから歴史的な海戦の歴史を分析したアルフレッド・セイヤー・マハンの「海上権力史論」(The Influence of Sea Power upon History, 1660~1783)が生まれシーパワーはランドパワーを包囲して凌駕するといわれたこともありました。
*経路依存性(path dependency)
あらゆる状況において、人や組織がとる決断は過去に選択した決断に制約されるという理論。
具体的な例としてよく取り上げられるのは、キーボードのqwerty配列で、効率的な文字配列はいくらでもあるのに初期に普及したqwertyを今でも選択している。
この論理からネット時代の幕開けにwinner takes allと予測されたがまさにそのとおりでネットの世界はGAFAの独占となった。