bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

「あの戦争は何だったのか」書評

「あの戦争は何だったのか」保坂正康 著(新潮新書)

 

三年八ヶ月にわたる太平洋戦争、それは当時の日本人の国民的性格がすべて凝縮した最良の教科書だと著者は言います。本書から学ぶ日本失敗の要因を挙げてみました。

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(国家目標と思想の不在)

 

日本軍は昭和17年4月までに東アジアのほぼ全ての地域を支配下に収め開戦当初の占領予定地を手に入れた。ところが、この段階で初めて日本軍は頭を悩ませた。なぜなら次の作戦がないのである。そこでフィリピン基地を失った米軍オーストラリアに拠点を移すだろうと読んでポートモレスビー攻略が次の戦略となった。

そもそも日本は、ヒットラー第三帝国の建設やムッソリーニ古代ローマへの回帰といった明確なイデオロギーや国家目標が無くして戦争を始めたのだ。

また「この戦争をいつ終わりにするか」をまるで考えておらず、勝利が何なのかさえ想定していなかった。

 

(戦術はあっても戦略がない)

真珠湾攻撃までに大局を見ることができる人材は、二・二六事件から三国同盟の過程で大体が要職から外され、視野の狭いトップの下で組織防衛と自己保身に走るものが生き残っていた。

人材の払底した戦争、その悲惨な例が陸軍のインパール作戦である。目的が曖昧、作戦計画も杜撰で司令官に判断能力がなかった。さらに絶望的な例は、海軍の石油神話である。首相に就いた東條が、企画院に命じた必要物資の調査に対し海軍省も軍令部も正確な数字を出さず、そのため石油備蓄量は「二年も持たない」との結論になった。しかし、石油はあったのだ。海軍はある貿易会社の石油合弁プロジェクトを圧力をかけて潰していた。満州事変から陸軍ばかりが国民に派手な戦果を誇り海軍には陽が当たらない、そこで対米依存から脱却すべく東南アジアの油田地帯を押さえるための対米決戦となった。


(説明責任が果たされない)

いまだ国民に対し国家から戦争と敗戦の説明責任が果たされていない。

(愚考)

あの戦争は、戦術の集積を戦略と称し手段を目的化し遂には手段に翻弄されてしまう日本型組織の根源的な問題を浮き彫りにしました。その利己的な遺伝子は今の日本でも健在で組織の隷従者を再生産しているようです。