bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

崩壊する日本人の道徳律

かっては日本人の行動選択に際して大きな影響を与えるものとして道徳律(勤勉、倹約など)が重要な地位を占めていたのではないかと思います。その中でも極めて重要でありかつ日本人の美徳の一つでもあったのが「正直さ」であったと思います。

この道徳律の起源は何かと考えますと、鎌倉時代大乗仏教の思想が出家せずとも在家にて成仏できる思想として庶民に普及したことに、その背景を求めることができると思います。輪廻に起因する因果応報の思想(嘘つきは泥棒の始まり)と、回向がもたらす農、商、工業従事者の求道精神が昇華した道徳律(正直)とは表裏一体となって心のバランスシートを構成し庶民の納得性を獲得することに成功したものと思えます。そして「早起きは三文の徳」のように道徳律(勤勉)は庶民の生活基盤を成すものとして根付いていったものと考えられます。

また、同時期に貴族階級に代わり武士階級が台頭しました。儒教にその萌芽をみる武士道の基礎が確立され自己に対する厳しさと他者への尊敬の一体性という「心に心を恥じる」精神にまで武士の倫理性は高められていったと思われます。その結果として庶民の通俗的な道徳律をスーパーバイズするかのごとく日本的ノーブレスオブリージュ(葉隠)となって日本人の道徳律を洗練されたものにしてきたと思います。そして日本人の道徳律は江戸時代を通じて全国に普及し現代に至ったものと思われます。
ところが昭和末期のいつの頃からか、損得勘定で心のバランシートが左右されるようになってきたように思えます。
その結果として、「正直者の頭に神宿る」ではなく「不心得者が得」をして「正直者は馬鹿をみる」といった新自由主義の黄金律(勝てば官軍)が一世を風靡し今や、日本人の道徳律は崩壊の憂き目に会っているように感じられます