bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

森友学園騒動の本質は何か。

 
日本国民の社会的統合性は精神的にも経済的にも四半世紀前に解体が始まっていたと思われます。

敗戦に打ちひしがれた国民の意気を投合させたのは1964年東京オリンピック、1970年大阪万博でした。精神的には国民の祭典としてまた経済的には国家再生事業の象徴として先の戦争とは異なる国民全員参加の総力戦でした。

その成果ともいえる経済的繁栄は1990年沸騰点に到達してバブルが破綻しました。
弾けたバブル泡沫の水面下で潜行していた価値の多元化と貧富の格差がその残酷なまでの姿を現すと祝典後の祝宴を維持できなかった政府の無策に落胆した国民の心の中で国家とは空虚な抽象となり果てていきました。

1980年代TV番組「8時だよ!全員集合」の中で「カラスなぜ鳴くのカラスの勝手でしょ〜」という替え歌が子供から大人まで大流行してカラスをXXXに主体変更することで国民の価値観の格差拡大を見せつけました。
価値とは相対的なものですがその象徴としての「主義」の拡大解釈化と絶対的格差の具現化としての「金銭」この二つの持つ魅力に国民は憑かれていきました。

かっての国民の祭典では一致していた日本人の存在(タテマエ)と心(ホンネ)をこの二人の魔女は乖離させやがて魔女共存の困難さの果てに自己分裂の奈落に落ち込んだ国民はいつの間にか統合性を失い分離をかさね離散していったのです。

いっぽう政治では国民総力戦の余勢を駆って首相に上り詰めた平民出身の田中角栄がその強力な統率力とカリスマ的個性により国民的人気を博し経済発展を中央から地方へと拡大していきました。

ところが列強に比肩するまでに成長した資本主義体制と挙国一致の角栄人気に一元的な全体主義へと急傾斜する日本ファシズム再現の兆しをみた米国は真珠湾を回避して今太閤を轟沈させてしまいました。
それに恐れをなしたか米国の愛妾首相が国家目標なく単なる経済的成長の波乗りだけの国家運営をこなす政冷経熱状態が続きました。

ところが1982年栄えある旧帝国軍人の中曽根首相は組閣するや靖国神社に戦後首相として初の公式参拝を行い返す刀で米国レーガン大統領との間に親密関係を構築し日米安保協力の強化に努め再生日本の国家資本主義体制の礎を築いたのです。政熱経熱に転換した国勢は熱い政治の時代を迎えそのあとにつづく歴代の為政者はこの国家資本主義体制化のシナリオに沿い官業民営化、構造改革規制緩和という美名のもと戦後新生国家の公私にわたる構成組織を分断して再組織化し国家資本主義体制にむけて体質転換を図ってきました。

かたや法制的には2003年の武力攻撃事態対処法による自衛隊イラク派遣からはじまり有事法制3法、安保関連法案と平和憲法を実質的に死文化、2005年施行の個人情報保護法、特定秘密情報保護法、個人番号法そしていわゆる共謀罪法と国家主義的情報統制制度を整備してきています。

つまり35年の長きにわたり政府は戦後レジームの破壊を続けることで国家体制を自由民主義体制から国家資本主義体制に転換してきたのです。その結果として国民のレーゾンデートルである国家体制の変質は国民の存在と心をなし崩し的に無力化し虚無化させていると思えます。もはや異議申し立てを唱えるべき組織的手段(強力な労働組合や学生組織など)もなく法的手段もなくなりつつあるのです。

戦後の焼け跡闇市から大阪万博まで国民精神総動員運動を成功させたのは一貫して陰に陽にまたインテリから貧困層までを包括して陰で支えてきた組織、それは日本再生に燃えた戦前派ノーブレスオブリージが活躍した旧中央官庁であり労働者組織でありまたときには意気に殉ずる任侠組織でもありました。

しかし政府はこのような組織を普遍的合理性という美名のもとにタテマエとホンネとを混同させ勝手な法解釈で解体再編または消滅させてきたのです。

いまや体系化された力を持つ組織といえば凌ぎの多い新自由主義的グローバル企業そして税制特権と強権的集票力を併せ持つ宗教団体、この二つの組織のみではないでしょうか。
この二組織はいずれも「一元的な価値観と絶対権力」つまりファシズムの基幹構成要素であり国家資本主義体制を効率的に整備するのには最も効果的であります。
そして情緒と空気に支配されやすくファッショ化することに自虐的快感を覚える日本国民には非常に親和性が高い組合せといえます。

タテマエとホンネ(主義と金銭、どちらが該当するかはともかく)のはざまで統合失調症にある国民を尻目に経済団体との伝統的癒着は言わずもがな自公合体に象徴される宗教との融合を画策してきた政府はいまや現閣僚の大半を日本会議メンバーが占めると国家宗教の黙認を公言するやに至っています。?
世界に類なき平和憲法国民主権を平穏理に無力化したいま戦後体制の打破はようやく総仕上げの段階に到達したのです。安倍首相が誇らしげに国家目標としての「戦後レジームからの脱却」を世界に向けて宣言したのも当然でありましょう。

この国の体制は国家資本主義体制が整い(存在—タテマエ)国家体制の変質を見抜き政府意向を忖度する報道機関の体制翼賛化(心—ホンネ)もあいまっていまや微動だにせぬ超資本主義的国家体制の体裁を確立したと言えます。

森友学園の戦前回帰教育や国有地売却疑惑などいくら国民が騒ぎ立てようが違法性が証明されぬ限り政権には何ら毀損なく逆に中央官庁の管理不行き届きを根拠にして情報管理の徹底など国家独裁管理体制を強化する手がかりとするのではないでしょうか。

資本主義国家体制における国有地とは国民不在の恣意的国策処分地であり、また戦前回帰教育の問題などを首相のパーソナリテイに還元したところで一時の憂さ晴らしにはなっても本質的な問題をなんら解決するものではないでしょう。
ミニ国家ともいうべき東京都政を回顧すれば一目瞭然、為政者が誰になろうと確立された体制はそう簡単には転換できません。

いまや政財宗の三位一体による蜜月体制は国家権力を規制すべき憲法を実質的に死文化して立憲民主主義を無力化させつつあります。
森友学園の経営者は敏感にその目指す方向性を嗅ぎ取り天皇を錦の御旗とした戦前の軍部を模倣し首相夫人を錦の御旗としたのです。神輿に担がれる人物が容易にシナリオに乗る軽薄性も戯作者に見透かされています。?

つまり森友学園騒動が意味するところとは次のようなことではないでしょうか。
国家体制に賛同し協賛する宗教団体(新自由主義的企業)であれば政府は憲法や国民など度外視していつでも互恵の精神で優遇した対応を取る。それゆえ国家の目指す「美しい国」の再興(大東亜戦争敗戦で未完に終わった日本ファシズムの完成)に向け手を携え頑張ろう。

問題の本質はこの国では立憲民主主義体制はすでに壊滅状態にありタテマエとホンネを統合した国家資本主義体制が確立されつつある。しかし国民はタテマエとホンネを統合できぬままに国家への異議申し立てをすべき物理的手段はもぎ取られて放置されてありまた精神的強靭さを支えに連帯して立ち上がる意志もない。国家資本主義体制ではすべてお見通しということではではないでしょうか。