bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

任侠映画を超えた名作「博奕打ち 総長賭博」

「これは何の誇張もなしに『名画』だと思った。」と三島由紀夫が絶讃した作品です。

 

一家の総長が倒れ、跡目をどうするかとなったとき格からみて当然と思われた鶴田浩二の兄弟分若山富三郎が騒ぎを起こし務所入りとなる。お鉢は鶴田に廻るが若山を立てるべきと断る。種々の状況から格下の名和宏が継いだ。

 

ニ代目を辞退したうえには、いったん決まった跡目を死守しなければばらない鶴田。それはおかしい、兄弟が辞退したならオレが継ぐのが筋やとゴリ押しに出る若山。

 

仁義と激情のぶつかり合い、それを宿命であるとする日本の諦観に真っ向から異議を唱えアンビヴァレンツ(義と情、愛憎併存)な葛藤の超克に挑んでいます。

 

監督山下耕作の日本的様式美に徹して哀感を醸す映像は人をして深い心理的葛藤の闇に誘います。

そんな名場面がいくつも散りばめられています。

とくに小雨降る墓地のシーケンスは秀逸です。鶴田の女房、桜町弘子は、亭主から大事な兄弟分の子分を預けられたのに、亭主の留守中に逃してしまい手首を切って自害してしまう。その墓前にうな垂れたたずむ鶴田、責めるごとく見つめる妹の藤純子、その亭主若山。この三人が四方深緑に埋めつくされた墓地を前に血縁、婚縁、組織縁のしがらみを軸に展開する組織論。簡潔なセリフのやり取り、それを覆いつくして篠突く雨となり、三人が背負った悲運の性を表象するかの如き薄茶、薄紫、薄緑のそれぞれが手にした番傘、その色合いは哀しいほどに美しい。そして鶴田は若山の前で女房の墓に兄弟分の盃を打ちつけて割る。

 

鶴田、若山は勿論だが脇を固めるキャステイングもまた見事な布陣です。
とくにニ代目に担ぎ出され、あとに陰謀に利用されただけだと知る名和宏が素晴らしい。

 

全編を貫く研ぎすまされたせリフと静謐な映像は一分の隙もなくひたすら悲劇の終末へと向かいます。

日本人の生と死をギリシア悲劇にも匹敵する様式美と格調で描き出した名画です。

(1968年1月14日、東映京都)