今日は72年前の昭和20年6日23日、沖縄戦が終結した日です。
沖縄戦の戦死者は20万人そのうち半数の9万4千人が婦女子を含む民間人でした。
敗戦から27年の長きにわたり沖縄はアメリカの施政権下に置かれ昭和47年にようやく日本に復帰しました。
しかし、いまだ日本全土の0.6%に過ぎぬ沖縄の土地に在日米軍基地の70%が配置されています。
沖縄を見捨てたこの国の指導者らは一億火の玉と国民を叱咤しながら自らは決戦に身を晒すことも玉砕するこもとなく
無条件降伏してしまいました。
本土決戦を決行し無残にも玉砕し果てたのは一億国民のなかで沖縄県民のみでした。
玉砕前夜の昭和20年6月6日夜、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将は、
沖縄県民の悲惨な奮闘を讃え海軍次官あてに次のように打電しました。
のちに「沖縄県民かく戦えり」と呼ばれたものです。
この電文の最後には「沖縄県民に対して後世特別のご高配」を賜るようにと悲痛な懇願をしています。
(不明個所は□にしています)沖縄を見捨て
県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ
残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ
僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難
尚砲爆撃ノ□□ニ中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦 烹炊婦ハ元ヨリ
砲弾運ビ挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ
所詮敵来リ ナバ老人子供ハ殺サルベク
婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セ ラルベシトテ
親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ
□□真面目ニシテ一時ノ感情ニ駆ラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ
輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ
是ヲ要スルニ陸海軍□□沖縄ニ進駐以来終始一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セ ラレツツ
(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)
只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ
遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン
糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト
謂フ
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
この厳然たる史実を日本人として決して忘れてはならないと思います。
戦後73年、日本の平和はいまだ沖縄の人たちの血と汗と涙の美しい結晶にぬくぬくと安住したままなのです。