bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

京都の平熱――哲学者の都市案内 (講談社学術文庫)

京の魅力。それは時空間を集散したカオスが織りなすアナーキーな心地よさであろう。
酒場では京都と書いてあっても京と呼びたい。なんといっても京と京都では酒のうまさが違う。
そこで、こんな本を見つけた。

京都育ちの哲学者が一系統だけの市バスで名所旧跡を周回する。しかし観光案内をするのではない。祇園に降り立つと、ここは都市の隙間のいかがわしきものがぎらぎらと、あるいはくすんでよどみ沈殿してゆく空間だと語る。なぜなら、いかがわしいものは際へ際へと押しやられ八坂まで来るとそこはもう山の麓、この先は行き止まり。そこで行き場を失ったものが町なかにひそかに還流を仕掛ける。しかし洛中はふたたび際へ押し返すそうとして都と鄙のあわい空間が祇園になるという。平家物語を髣髴とさせるが無常にはならないのだ。そして著者は際の極致として舞妓と托鉢僧に正と負の極みを見る。人は極みをとことん追求すると奇人とされる。正と負の両極を見ながら育つ京都人は奇人に寛容、しかし見て見ぬふりをする。おもろいという心の余裕、それが京の 粋だという。やがて文化風土から説き起こし都市論へと発展するものの深みにはまらず、はんなり終わる。著者は同年輩の哲学者、思考の方向も奥深さも各段に違う、脱帽です。