bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

『語られざる真実 (「戦争と平和」市民の記録)』

 

あの戦争で学徒召集され敗戦後にもかかわらず俘虜となり帰国後自殺した哲学者、菅季治。その誠実で悲惨な人生を菅のソ連抑留記、日記でたどる。さらに帰国後に彼のシベリアでの行為をめぐって開かれた衆参特別委員会の議事録と当代の知識人を結集した座談会「菅季治の死をめぐって」を収録する。捕虜生活から帰還した哲学者 の軌跡をたどることから敗戦国日本と日本人の信義を抉る重い一冊。

菅は京都大学大学院で哲学を学ぶ学徒であったが、見習士官として満州第1124部隊(鞍山)に配属された。そして現地で敗戦を迎えた菅は武装解除と共にカザフ共和国カラガンダの俘虜収容所に収容されそこで通訳として4年を過ごすことになった。

哲学専攻の菅が通訳に任命されたのは、日本軍のロシア語通訳士官が二人ともその役割を辞退したからであった。そして主人公はロシア語を独習して日本人俘虜千人の命綱として懸命に尽くした。

菅は4年にわたる収容所生活を通して抑圧的な軍隊の中にあっていかに敬愛すべき人格や優れた能力が日本兵の中にいるかをみることになる。やがて菅は収容所においてこそ軍隊で失われた人間としての誇りと真実を守り抜こうと決意する。

やがてその努力が実のり非情な上官もお人好しの兵もいつかみんなの心が通い合い民主的なコミュニティが形成されていった。やがて主人公は日本に帰還することになった。帰国した主人公は念願の学問の道に戻ろうとする。

しかし冷戦構造の中で日本政治の眼となった「徳田要請」問題に巻き込まれてしまう、というよりも真実を追求する菅は自らを渦中に投ずることとなる。

問題とは収容所内で「われわれはいつ帰れるか」という日本人俘虜の質問にたいしてソ軍政治部将校が答えたーいつ諸君が帰れるか?それは諸君にかかわっているーという回答であった。菅はそのままを通訳した。「諸君がここで良心的に労働し真正の民主主義者となる時、諸君は帰れるのである。」ところが日本共産党書記長トクダは通訳の菅は「諸君が反動分子としてではなく、よく準備された民主主義者として帰国するよう「期待」している。」ーと言ったという。

この発言を共産党はそもそもそんなことはソ軍に言っていないと否定、辛苦を共にした兵たちは民主主義者=共産主義者にならぬと帰国できないと理解した、その理由は主人公が通訳したのは「期待」ではなく「要請」であったからだと申し立てた。

かって身を粉にして尽くした兵たちに裏切られたのかでは並みの話、主人公は死をもって真実を語ろうとしたのか、はたまた通訳の言葉尻をとらえて政争の具とする政治の汚さを暴こうとしたのか。
ビューティフル・マインドはひっそり消えていく。

菅の死から二か月後マッカーサーの指示により日本共産党幹部の追放がおこなわれ更に二か月後には警察予備隊が創設された。

歴史にタラレバは禁物だがソ軍がポツダム宣言を遵守していたなら捕虜はただちに送還され有為な哲学者を失うこともなかった。
そもそもポツダム宣言を受諾した国家はソ軍や占領国にいかなる異議申し立てをしたのか。
真実には目を伏せお人好しで勤勉な庶民はビジョンなき国家で今日も生き続ける。