bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

「淑女は何を忘れたか」-映画評

この名画が日経の日曜版ではコメデイと紹介されていました。実はコメデイに偽装して戦前のエリートを笑い飛ばした市井映画なのです。
なによりも桑野通子には度肝を抜かれます。
そのハツラツさは小津の遺作「秋刀魚の味」冒頭の岩下志麻を彷彿とさせます。
桑野は関西から東京の叔母の家によく遊びに出てくるお嬢様。絵に描いたような洋装のスラリとした“モガ”黒のロングコートは「テファニーで朝食を」のヘップバーンです。なんと盧溝橋事件の年にゴルフはシングル自動車を運転して清元は抜群なのです。映画のはじまり麹町のお屋敷でタクシーが止まり栗島すみ子が降り立つ。そこには泰明小学校ならぬ学習院の制服を着たお坊ちゃんが佇んでいる。栗島の家に遊びに来た母の飯田蝶子を待っているのだ。栗島すみ子が玄関を開ける。「御機嫌よう」と小津定番の東京ことばの挨拶でひとまずホッとさせる。お茶の間では女友達の吉川満子と飯田蝶子が待っている。栗島は姪である桑野が東京に出てくることを明るく話す。吉川は「私あの子好きさ。清潔な感じがして」と即座に返す。桑野を出さずここまで一気に引きずるローアングルの演出にはただ脱帽あるのみです。東京に出て来た桑野はタバコに酒とおじの東京帝大医学部教授の斎藤達雄を困らせおばの栗島すみ子から叱責されるます。ところがおとなしく言うことなんか聞きはしない。お小言に対して乱暴に反発するのでなく柔らかな関西弁で既成概念をチクリと揶揄するのです。酔っ払って叔父の弟子の東京帝大医学部生との仲を疑われる。ところがこのエリートは家庭教師で分数のかけ算ができないのでした。痛快これまさに昭和の“清潔な感じ”の映画なのです。おっと忘れるところでした、淑女が忘れたのモリカケじゃなくて庶民への忖度だったのです。