「秋丸機関」について
戦前日本の最高頭脳を集めたと言われるシンクタンク
名称 陸軍省戦争経済研究班
設立 昭和15年1月
目的 「陸軍省経理局長の監督の下に次期戦争を遂行目標として主として経済政策の見地より研究」し「その成果を陸軍大臣に報告し参謀総長に通報するものとす」
成果 研究の結果は「対英米蘭蔣戦争終末促進に関する腹案」として大本営政府連絡会議にて提示され大日本帝国の戦争戦略=国家戦略として正式決定される。
Ⅰ. 秋丸機関の構成
・秋丸次朗中佐
明治31年宮崎県生まれ。昭和7年、陸軍経理学校をトップで卒業。東大経済学部で
3年勉学、渡満し関東軍参謀付の経済参謀として満州国建設の主任、
昭和14年9月、満洲から呼び戻され戦争経済研究班(陸軍省軍務局軍事課長の岩畔豪雄大佐が中心となり陸軍省経理局内に設立)へ。
・メンバー
有沢広巳‐事実上のリーダー
明治29年高知県生まれ。東大経済学部助教授、マルクス経済学者。
秋丸中佐は東大在学中、有沢広巳の統計学講義を聴講し、その卓越した学識に感動。
「戦争と経済」
主要列強国の資源自給率分析。鉄、石炭、石油などの資源戦略、国際金融資本、
石油資本の研究。
「産業動員計画」
日本における総力戦と経済統制の研究
武村忠雄
慶大教授、召集主計中尉―独伊班
東京商大教授―日本班
宮川実
立大教授―ソ連班
名和田政一
横浜正金銀行員-南方班
東大教授-国際政治班
各班が15-26人、事務局22人、総勢200人弱
Ⅱ, 研究概要
一.「総力戦としての戦争」の本質を明示した。
総力戦を前提に英米の経済抗戦力についての深い洞察を基に次期戦争のシミュレーションを行い、持たざる国日本のあるべき戦争の姿を描いた。その結論は「時間との競争」であるとし開戦半年前の昭和16年7月には戦略案を完成させた。
その骨子とも言えるのが「英米合作経済抗戦力調査」である。その要点は以下のようになる。
1 米英が協同した総力戦を想定した時にその最大の欠陥は何か、それは英国の自給力不足である。英国の経済抗戦力と軍事資材不足を補うためには米国からの対英援助が不可欠である。しかし米国は戦時体制にはなく、経済的な余力=最大供給力を発揮するにはネックがある。
それは平時から戦時への体制転換に要する時間の問題(兵力動員、必要労働力、投資、船舶)であり、米国が最大供給力に到達する迄には開戦後一年から一年半の期間を要すると予測される。
2 日本にとっては、この期間が英米合作を打破する大きな鍵となる。
3 総力戦としての日本の核心戦術は米国が最大供給力に達する前に米国から英国に対する軍事資材の供給路を絶つこと。
そのためには「英米の造船能力<枢軸国側による船舶撃沈速度」の態勢とすることである。
・英米合計の造船能力は昭和18年においては月50万総トンと推測される
・英国に対して米国から必要とされるのは年間11.5億ポンドに達す
る完成品の海上輸送
・そこで月平均50万総トン以上の撃沈をすれば米国の対英援助を無効化
しうる。昭和16年、独Uボートは月平均36~65万総トンを撃沈していたゆえ、これはきわめて現実的な数字
∴ 二年程度と想定される持久期間で日本が最大軍事供給力すなわち最大抗戦力を集中発揮できる対象国は、経済抗戦力に構造的な弱点を有する英国である。
二.合理的な戦略の提案
一.項の結論より、
「英米合作の本格的な戦争準備には一年余りかかり一方、日本は開戦後二か年は貯蓄戦力と総動員にて国力を高め抗戦可能、此の間、輸入依存率が高く経済的に脆弱な英国をインド洋における制海権の獲得、海上輸送遮断やアジア植民地攻撃によりまず屈服させ、それにより米国の継戦意志を失わしめて戦争終結を図る。同時に生産力確保のため、現在、英蘭等の植民地になっている南方圏を自給自足圏として取り込み維持すべし」
まずは英米と講和に持ち込む。そして次の戦いに備え自給自足を可能とする体制
を確立する。そのためには生産力を増強し得る広域経済圏の充実、発展を図る。
昭和16年7月、杉山参謀総長ら陸軍首脳部への最終報告を総合するとこうなる。
これに対し杉山参謀総長は「調査、推論方法はおおむね完璧」と総評した。
大きなリスクを認識しつつも帝国陸軍は少しでも可能性のある合理的な負け
ない戦争戦略案を昭和16年7月には持つに至っていたのである。
Ⅲ. 研究成果
「対米英蘭蔣戦争終末促進に関する腹案」(末尾に転載)
戦争終結への基軸は西進戦略である。
腹案の要領 三では、英屈服と併行して米の戦意喪失に努めるとし通商・資源輸送ルートの遮断、宣伝謀略等に言及。米海軍主力を極東近くに誘い込んで叩くのであり、日本が太平洋を東進して積極的攻勢にでることはまったく意図していない。
日本海軍の伝統的な守勢作戦思想、漸減邀撃思想に拠った、あくまでも西進思想の
大東亜戦争であり太平洋戦争ではない。
それゆえに昭和16年12月12日、日本政府は「大東亜戦争」と命名したと思われる。
Ⅳ. 疑問
1 統計の罠?
・過去データの延長線での統計シミュレーションに終始し技術革新による将来の抗戦能力変化が考慮されていない。
・損耗率の計算根拠は第一次世界大戦の独国の潜水艦による英国船舶攻撃の
データを使用。
・臨戦態勢時の米国の幾何級数的な生産労働力と造船能力の伸長を考慮せず
例えば、
日米潜水艦の調達価格は1938-39年 米国は日本の1.83倍、1941-42年には
0.45倍また潜水艦の竣工数は1936-40年 日本10 米国29が1941-44年には
日本101 米国182となった。(防衛研究所資料)
*ワシントン海軍軍縮条約(1922年)において潜水艦は建造規制対象外また輸送船を含む
船舶撃沈の主要な手段は潜水艦のため日米比較対象に潜水艦を選択。
2「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」にみられる両論併記。
・方針には両論記載。
戦争目的は、自存自衛の確立か、米の継戦意志を喪失せしむることか不明確になってしまっている。
3科学性と合理性に基づいた判断がなぜ不合理な腹案になったのか?
*参考
対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案 (昭和十六年十一月十五日)
大本営政府連絡会議決定
方 針
一 速に極東における米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立すると共に、更に積極的措置に依り蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携して先づ英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む。
二 極力戦争対手の拡大を防止し第三国の利導に勉む。
要 領
一 帝国は迅速なる武力戦を遂行し東亜及南太平洋における米英蘭の根拠を覆滅し、戦略上優位の態勢を確立すると共に、重要資源地域並主要交通線を確保して、長期自給自足の態勢を整う。
凡有手段を尽して適時米海軍主力を誘致し之を撃破するに勉む。
二 日独伊三国協力して先づ英の屈服を図る。
(1) 帝国は左の諸方策を執る。
(イ) 濠州印度に対し攻略及通商破壊等の手段に依り、英本国との連鎖を遮断し其の離反を策す。
(ロ) 「ビルマ」の独立を促進し其の成果を利導して印度の独立を刺激す。
(2) 独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む。
(イ) 近東、北阿、「スエズ」作戦を実施すると共に印度に対し施策を行う。
(ロ) 対英封鎖を強化す。
(ハ) 情勢之を許すに至らば英本土上陸作戦を実施す。
(3) 三国は協力して左の諸方策を執る。
(イ) 印度洋を通ずる三国間の連絡提携に勉む。
(ロ) 海上作戦を強化す。
(ハ) 占領地資源の対英流出を禁絶す。
三 日独伊は協力し対英措置と並行して米の戦意を喪失せしむるに勉む。
(1) 帝国は左の諸方策を執る。
(イ) 比島の取扱は差当り現政権を存続せしむることとし、戦争終末促進に資する如く考慮す。
(ロ) 対米通商破壊戦を徹底す。
(ハ) 中国及び南洋資源の対米流出を禁絶す。
(ニ) 対米宣伝謀略を強化す。
其の重点を米海軍主力の極東への誘致並米極東政策の反省と日米戦意義指摘に置き、米国輿論の厭戦誘発に導く。
(ホ) 米濠関係の離隔を図る。
(2) 独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む。
(イ) 大西洋及印度洋方面における対米海上攻勢を強化す。
(ロ) 中南米に対する軍事、経済、政治的攻勢を強化す。
四 中国に対しては、対米英蘭戦争特に其の作戦の成果を活用して援蒋の禁絶、抗戦カの減殺を図り在華租界の把握、南洋華僑の利導、作戦の強化等政戦略の手段を積極化し以て重慶政権の屈服を促進す。
五 帝国は南方に対する作戦間、極力対「ソ」戦争の惹起を防止するに勉む。
独「ソ」両国の意向に依りては両国を講和せしめ、「ソ」を枢軸側に引き入れ、他方日「ソ」関係を調整しつつ場合によりては、「ソ」連の印度、「イラン」方面進出を助長することを考慮す。
六 仏印に対しては現施策を続行し、泰に対しては対英失地恢復を以て帝国の施策に協調する如く誘導す。
七 常時戦局の推移、国際情勢、敵国民心の動向等に対し厳密なる監視考察を加えつつ、戦争終結の為左記の如き機会を捕捉するに勉む。
(イ) 南方に対する作戦の主要段落。
(ロ) 中国に対する作戦の主要段落特に蒋政権の屈服。
(ハ) 欧州戦局の情勢変化の好機、特に英本土の没落、独「ソ」戦の終末、対印度施策の成功。
之が為速に南米諸国、瑞典(スエーデン)、葡国(ポルトガル)、法王庁等に対する外交並宣伝の
施策を強化す。
日独伊三国は単独不講和を取極むると共に、英の屈服に際し之と直に講和することな
く、英をして米を誘凛せしむる如く施策するに勉む。
対米和平促進の方策として南洋方面における錫、護謨(ゴム)の供給及比島の取扱に関し考慮す。