bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

戦後民主主義の命日に流れる唄がない。

白内障の手術が終わり不自由な片目を開けて病室の天井を見つめていると静寂な夕暮れの窓外に雨音が聞こえてきました。
電気スタンドの明かりを消して眼を閉じると耳もとに西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」がかすかに聞こえてくる気がします。

昭和35年6月15日、安保条約締結に反対する若者を中心とした民衆33万人が国会前に押し寄せました。
しかし空前絶後の参加者数を集結した国会前デモは機動隊と暴力団右翼団体の反撃にあい、あえなく敗北を喫しました。
東大四年生の樺美智子さんが圧死したのはこの時でした。

その直後から倦怠感と哀愁を帯びた西田佐知子の歌声が洪水のごとく巷に流れ出したのです。

安保闘争を主導した学生と若者たちの挫折感、その運動を支持した民衆の絶望感、重苦しい6月の梅雨空、
それらが重なりあって民衆はこの歌に救いを求めたのでしょう。

唄の一番は「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい・・・」と絶望の淵からはじまります、
しかし三番では「アカシアの雨がやむとき 青空さして鳩がとぶ」とほのかに希望の灯りをみつけていきます。

あの安保闘争は敗戦の痛手から心身ともにようやく回復した民衆が民族の気概に目覚めて
はじめて知った被統治体制の矛盾と束縛その実感からの解放運動だったのでしょう。

挫折した民衆の心意気は四年後の東京オリンピックそして十年後の大阪万博の成功と
民族再起への結束は強まり右肩あがりに立ち上った経済力は日本を世界の一等国にまで持ち上げたものでした。

流した汗と涙に相応のものが信じられる時代でした。

平成29年奇しくも6月15日に共謀罪法案が成立しました。
それは安保法案、特定秘密情報保護法、個人番号法と一連の情報統制法案の締めくくりといえるものでした。
これにより日本は国家統制体制への法的整備を完了したのです。
戦後の焼け跡から営々と築き上げてきた日本の戦後民主主義はいまや臨終に瀕しています。

昭和35年の梅雨明けに都会の路地裏から田舎のあぜ道までラジオや蓄音機から流れだして
意気消沈した民衆の気概をやさしく抱擁してくれた「アカシアの雨がやむとき」。
それは戦後民主主義の応援歌であり賛歌でもありました。

そんな唄がまったく聞こえてこない平成文化の衰退に梅雨明けの空を仰ぎ嘆くばかりです。