bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

品性ある国だった日本

第一次世界大戦に勝利した連合国の一員として大日本帝国は1919年パリ講和会議に出席して人種差別撤廃を提案しました。ちょうど100年前のことです。

しかしイギリス、オーストラリアが強力に反対しアメリカも中途半端な対応をしたので提案は拒絶されました。

また大日本帝国第一次世界大戦の反省から創立された国際連盟の有力メンバーとして話し合いによる国際紛争の解決に注力して、軍縮会議では自国に不利になる条約を締結するなど国際平和維持に努力を払いました。

英米が建前として述べる理想を性善説に依拠する日本人は額面通り受け止めていたのでした。しかし英米列強は理想とは裏腹に決して植民地主義を放棄しませんでした。

その現実に気づいたとき、日本人は列強のダブルスタンダードに騙されたと悟り憤慨しました。

そこで、そのような二重基準のいかさまゲームをやるより、没他あって没自なく公益あって私益なき道義を導入して新たなゲームをすることにしたのです。それが大東亜共栄圏の構築でした。