bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

沖縄復帰50年で思うこと

戦前からこの国の指導者は沖縄に冷酷だ。
日米戦の敗色が濃厚になると指導者は、一億火の玉本土決戦、と国民を叱咤激励した。しかし本土決戦を実行したのは一億国民のうち沖縄県民のみだ。そして世界の戦史上類例を見ない軍人と同数に達する沖縄民間人の命(県民の1/4の9万4千人)が失われた。

沖縄玉砕の前夜、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将は、沖縄県民の悲惨な奮闘を讃え海軍次官あてに次のように打電した。
「謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

ところが指導者たちは本土決戦に身を晒すことなく玉砕などどこ吹く風と手のひらを反すように無条件降伏してしまった。

敗戦から二年が経過した1947年9月19日、宮内庁御用掛の寺崎英成はシーボルトGHQ外交局長を訪ねて次の天皇の意向を伝えた。「天皇は、25年から50年あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクションのもとで、アメリカが沖縄を含む琉球の他の島を軍事占領しつづけることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることになる。」シーボルトはこの内容をまとめ9月20日付で連合国最高司令官、22日付で国務長官に報告(この写しは沖縄県公文書館に展示されていたが数年前に展示を止めたと聞く。しかしネットで公開されている)

沖縄は戦争末期の沖縄戦に続いてまたも国体護持のため本土の代わりに犠牲となったのである。

余談だが「沖縄メモ」と朝鮮戦争勃発の翌日1950年6月26日、帰国直前の大統領特使
ダレスに伝えられた「天皇メッセージ」*
この2件は新憲法下で違憲の疑念が残る昭和天皇の行為であり、かつ政府や外交当局をバイパスしたもので二重外交と日本が揶揄されかねないものであろう。
*「講和条約とりわけその詳細な取り決めに関する最終的な行動がとられる以前に日本国民を真に代表し永続的で両国の利害にかなう講和問題の決着に向けて真の援助をもたらすことができるそのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべきであろう」

余談だが、
あえて極論すれば戦後日本の基本的な外交の枠組み(対米追従構造)は国体護持の達人で現実主義者の昭和天皇が築いたともいえよう。すなわちそれは菊から星条旗の国体への道である。

沖縄復帰から50年経過するもいまだ国民に向けてとりわけ沖縄県民に対して政府から敗戦にかんする謝罪の一言すらない。
この国の指導層はひたすら米国への従属を担保にして自己保身と私利拡大を図っている。
ビジョンなき永久敗戦国日本。その姿が象徴的に凝縮されているのが沖縄だ。

亡き翁長沖縄知事は、国土の0.6%を占める沖縄に駐留米軍基地の70%が存在し、憲法の実態的上位法といえる日米地位協定により米軍基地占領下のごとき人民主権不在の沖縄の状況を改善すべく政府に請願し続けた。しかし政府は冷たかった。癌闘病中にもかかわらず上京した翁長知事に当時の首相は面談することさえ拒否した。マスコミも大多数の日本国民も沖縄には無関心であった。いまだけここだけ自分さえ良ければ同胞の惨状などどうであろうと構わぬということか、日本国民として何とも嘆かわしい限りだ。
日本国と国民統合の象徴たる平成天皇は皇太子時代を含め計11回にわたり沖縄慰霊のご訪問をなされているというのに何たる有り様か。

マスコミは北朝鮮ミサイル、台湾有事やウクライナ侵攻と競って海外メディアの垂れ流し、政治はアメリカ政治の受け売りの惨事便乗型政治、国民は海外メディアとアメリカ政治に乗せられ空虚な擬制国家への不安から官制の愛国心をかき立てる。これは喜劇なのかそれとも悲劇なのか。