bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

民主主義連呼の虚しさー安倍元首相の銃撃死

安倍元首相が参議院選の応援演説中に銃撃されて昨日死亡しました。一夜明けるや主要新聞の社説をはじめマスコミ報道は、テロ行為は言論に対する暴力による凶行であり民主主義の破壊、民主主義への挑戦で断じて許されず民主主義の危機をしたり顔で繰り返しています。
暴力には、いうまでもなく物理的暴力のみならず権力に裏付けされた「言論の暴力」(成文化されると法律)とがあります。
「他者に投影された暴力性」(自分は暴力的でないが他者が野蛮で暴力性のある可能性がある以上は、自分も対抗上腕力で自衛するしかない、と思い込む心理)を事あるごとに国民に訴求して、力には力で対抗すべきという世論の流れをつくり出し「言論の暴力」を法制化することで民主主義への挑戦を行ってきたのは安倍政権だったのではないでしょうか。八年近い首相在任期間において安倍政権が掲げた政治テーマは、戦後レジームからの脱却でした。戦後レジームの脱却という言葉に当初は安倍元首相の脳裏に祖父岸信介大日本帝国への回帰願望があったと思えます。しかし政治家のトップたる首相となり地球儀を俯瞰してみると国土上空に旗めくは星条旗でした、ようやく國体の実態は米国の植民地なることを知った彼は大日本帝国への回帰は不可能として小泉政権が口火を切った新自由主義の強化と徹底(いわゆるアベノミクス)に方向を切り替えたのだと推測します。

安倍元首相が率いた政権は、基本的人権を蹂躙するものゆえに平成の治安維持法と言われる「特定秘密保護法」とそれを補完する「共謀罪法」を成立させました。そして、解釈改憲という反則技で「集団的自衛権の行使容認」を決定し、一連の「安保法制」を強行可決し、醜の御楯と我立つ先はなんと星条旗に化すという不思議な戦争が出来る国にしてしまいました。
さらに、自作自演のモリカケ騒動では公文書改竄が行われ関係者の自殺者を生じさせる事態に至るもドヤ顔で押し通し桜を見る会など公私混同の極みを尽くして安倍元首相は辞任していきました。

安倍元首相が亡くなるや民主主義の危機を超え高に叫ぶ多くの報道機関ですが、彼らは安倍政権がおこなってきた民主主義を毀損する政治に対して、正面から立ち向かってその是非を問うたことが一度でもあったでしょうか。問題が起きると瞬間湯沸かし器のごとく燃え上がるも、徹底した問題追求や原因究明など行うことなく後はお茶を濁すだけ、ときには体制翼賛の報道さえ垂れ流しポピュリズムを煽ってきただけではないでしょうか。こんな報道姿勢が国民とくに若者の民主主義と政治に対する諦観を促進し数の論理で勝てば官軍という独裁政治を助長してきたのではないでしょうか。

安倍元首相の死を奇貨として、原爆被災地広島出身の岸田首相には首相就任時の約束通り公文書改竄の経緯を徹底究明し政治の透明性の確保と民主主義政治への信頼性回復に努めてほしいと切に願います。
「広島極道は芋かもしれんが旅の風下には立ったことはいっぺんもないんで」(映画「仁義なき戦い」)

投票日一日だけの国民主権、こんな専制国家に誰がした。
いうまでもなく民主主義を教条化し傲慢政治家を看過してきた日本国民にその大きな責がある。