岸田首相は、9月8日の衆議院議院運営委員会において安倍元首相の「国葬儀」閣議決定の経緯について説明を行った。
説明によると「国葬儀」の実施は、内閣府設置法4条3項「内閣府は、前条第二項の任務を達成するため、
次に掲げる事務をつかさどる」の33号「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」
に基づき、7月22日に閣議決定したという。(下線は筆者)
この文章から儀式の事務処理権限はあるものの儀式の決定権があるとは読み取れない。
また安倍元首相の「国葬儀」の意義として首相在任期間の長さや国際的評価、弔問外交を挙げたが、
岸田首相が特に強調したのは「民主主義」である。
「国として葬儀を執り行うことで・・・我が国は民主主義を断固として守り抜くことを示し」
ていくことで「安倍元総理が培われた外交的遺産をしっかりと受け継」ぐことを「国葬儀」の意義と説明した。
昨年コロナ禍のなか開催した東京オリンピックの意義を「新型コロナに打ち勝った証」とした菅前首相を
彷彿とさせる岸田首相の滑稽なデジャブーであった。
新型コロナとオリンピックというコロナウイルス退治には因果関係のない両者を強引に関係づけオリンピックを
強硬開催した日本の為政者、今度は為政者は代われど日本の民主主義のために実施する国葬だと見得を切ったのである。
国葬と民主主義にいかなる相関や因果関係があるというのか。
そもそも法的根拠や法令が存在しないにもかかわらず、閣議決定で「集団安全保障関連法案」を独断的に決定して
国権の最高機関を無視するという民主主義の根幹を無視したのは安部元首相である。
岸田首相は今回この安部元首相の遺産を律儀に踏襲するわけである。
見方を変えれば、これは民意など度外視した恣意的な独断専行の政治宣言であり民主主義にたいする死刑宣告ともいえる。
モリカケ、桜など公私混同、公文書の改竄など政治の私物化を図る一方、北方領土、拉致問題など米国追従外交の失敗、
富者を富ませ貧困層から搾取するアベノミクスなど歴代最長の首相任期を通じて民主主義の棄損(公正、平等、自由、人権)
に果たした実績には枚挙のいとまのない安部元首相。
こんな人物を国葬にすることは極言するなら国辱的(国民への侮辱)行為であり民主主義の否定といえる。
安部元首相の国葬を看過黙認し「民主主義の密葬」に加担してはならない。