bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

リスキリング

第210臨時国会が10月3日召集され、岸田首相は所信表明演説で個人のリスキリング支援に5年で1兆円を投じると表明しました。

「リスキリング」という言葉に初めて接した浅学のわたし、これはリスク云々(デンデンでなくリスク回避などリスク対処)のことかなと思いました。

しかしどうも腑に落ちないので、ネット経由で調べてみると

reskilling=the process of learning new skills so you can do a different job, or of training people to do a different job(Cambridge  Dictionary)とあり、2020年のダボス会議でReskilling Revolutionが発表され注目を集めたということでした。

 

この言葉について日経新聞などはリスキリング(学びなおし)などと記載していますが、むかし流行ったコンプライアンス法令遵守)同様で読者に誤解を与えかねない表現だと思います。

 

「学びなおし」とは知識のアップデートと理性のブラッシュアップであり、その目的は社会事象におけるノイズとシグナルを識別する能力の向上にあるものと思います。いっぽうスキルとは単なる事態処理の要領や器用さでしかないと思います。

スキルとは言うなれば入試のための受験技術などものごと処理のための技術であり、学びなおしとは人生をより良く生きるためものごとの本質を追求することだと思います。

こう考えてみるとリスキリングとは処世術のようなものに思えてきます。

岸田首相は構造的な賃上げを目的とするリスキリングとしていますから、たしかに社会人が処世術として持つべき技術の一つかもしれません。いっぽう「今だけ此処だけ自分だけ」といったいった末世の風潮を助長する政治スキルの弊害も無視できないと思います。

このリスキリングに血税1兆円を投じる国益上の意義が果たしてあるのでしょうか、わたしは大いに疑問に思います。