bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

モノからコトへ。

 

米国駐在から帰国した30年ほど前のことです。なにげなくTVをつけると「モノより思い出」というナレーションが耳に飛び込んできました。TV画面に目をやると湖を前に車を止めた両親が車からランチボックスを降ろすと小さな子供と手をつなぎ楽しく野原に向かい駆け出していきました。

 

自動車のCMというとモデル名とか初速や燃費など仕様の優秀さを訴求するのが当然と思っていた私には、まさに衝撃的なメッセージでした。

 

家族にとりピクニックが目的であり車は目的地までの移動の手段にすぎない、たぶんピクニックの思いでは家族に取り忘れられないものになるでしょう。人にとり車(その所有)は目的ではなく生活の黒子だと自動車メーカーが宣言しているのです。CMではモデル名も流れませんでしたが、あとで人に聞いて日産のセレナだと知りました。

 

「モノからコトへ」と時代のパラダイムが変遷することを予感した素晴らしいメッセージでした。

 

ところが日産はじめ日本企業はいまだ「モノつくり」に執着しているようです。精確で耐久性があり美しい日本のモノつくり、まちがいなく日本の独壇場といえましょう。しかしこのような製品の価値を見出すことと人がその対価を支払うこととは必ずしも一致しません。

 

いいモノだから売れると直線的な感情(メーカー的)を因果関係に直結するのは多くの日本人の習性なのかもしれません。しかし、使用目的にさえ適えばいいモノでなくとも十分だというのも人の非直線的感情(生活者的)です。相関関係があっても因果関係にはならないのです。

 

モノつくりに生涯をかける職人一代の匠のモノつくりは芸術世界とも呼ぶべきまたべつの価値観で形成されるものでビジネスの世界とは違います。このような個人のモノつくりと企業のモノつくりを混同して価値を語る傾向が日本では多すぎる気がします。

 

モノの必要性を否定はしませんが企業にとり重要なことは「コトつくり」です。家電が世界を席巻した大きな理由は、まだモノがスタンドアロンでも価値があったからでないでしょうか。スタンドアロンで機能するゆえモノはそれ自身に保有する価値があったのです。それゆえ多少高くとも「モノに価値」がある日本製品は売れたのでしょう。

 

 

ところがスタンドアロンで価値があるモノは目に見えて減少しています。いまや多くのモノが接続性を要求される時代です。

 

いい例が日本人の誰でもが持っているともいえるスマートフォンです。このモノの価値はどこにでも持って歩けどこでも繋がるという機能でしょう。「モノの価値」にこだわる一部の人を除き、どのメーカーでもいいのです。重要な生活者価値はMobilityとConnectivityです。この二つの機能を統合させる仕組みつくりがビジネスのポイントです。つまりモノではなくコトつくりです。

 

グーグルやアマゾンなどは最初からこの二点がビジネスの原点でした。目に見えるモノは誰にもわかりやすく容易に価値が判断できます。しかし、この特徴は誰でも真似ができるという欠点と表裏一体です。

 

 

自動車のEV化の波は何度もきましたがようやく日本メーカーも動き出したようです。世界がべき乗則で動いていることがわからないのでしょうか。AI化、VR化の波も何度かきましたが積極的にビジネス化したのはコトの企業のアップルやグーグル、フェースブックです。

 

EV化とは燃料が電気に代わることとエンジンがモーターに代わることが要点だと思います。日本企業が得意としたエンジンつくりに不可欠な精密加工とすり合わせ技術ですが、モーターつくりにはその技術価値は大きく目減りすることでしょう。

 

また燃料のガソリンや水素に比べると電気の特質は容易で比較的安全な接続性です。アップル・クラウドから無線で走行中でも充電ができるでしょう。MobilityとConnectivityの世界です。またもや米国のGAAF(*GoogleAppleAmazonFacebook)の登場です。

 

スマートフォンの欠点は電池でありEVにおける電池の重要性も大きなものです。モノゴトの本質を見誤る近視眼的発想を捨てこの2点を脳裏においたモノつくりを怠ると自動車業界も家電業界のようになりかねません。