まず資本主義と市場経済とは異なるものであるという私の見解をご説明します。
市場経済とは、貨幣(M)の仲介によって財(C)を交換する方法: C―M―C‘
資本主義とは貨幣を使ってより多くの貨幣を獲得する術策 : M―C-M‘
市場経済は、明瞭かつ透明でわずかな利潤を求めて、市は一つの解放、一つの出口、別な世界への入口となるものである。
これに対して、反―市場の地帯は、巨大な略奪者が徘徊し弱肉強食の論理がまかり通る。
資本主義とは反―市場のことである。
いうなれば、
資本主義=市場経済プラス拡大・成長である。
以下にあげるのは、フランスの歴史家、フェルナン・ブローデル(1902-1985)の唱えた論理です。
市場経済とは、小さなコミュニテイであり、みんな知り合いで、どこでだれが採ってきたのか明らかな野菜を競りで販売して、販売者はそのお金で果物のセリに出向いてリンゴを手に入れる。
先の読める透明で小利潤で真の需給関係で成り立つというものです。
ところが、これでは満足せずに利潤の拡大を図ったのが資本主義で、市場経済に投機や力と策略による弱肉強食の論理を追加していったと主張しています。
ここで、一つ問題に思うところがあります。
資本主義は、限りなき資本の増殖をするため意図的に需要を喚起し創出する必要があります。
このため人工的な希少性を生み出してきました。しかし、そんな希少性はいまやたちどころにコモディティ化してしまい世界にはモノもコトもあふれかえっています。
このような状況では利益が出ず資本は増殖しません。
豊富さが資本主義の天敵なのです、しかし豊富さが資本の増加には不可欠です。
豊富と希少のジレンマという本質的な問題を資本主義は内包していると思います。
この問題の本質を突き詰めると、資本主義は終焉向かわざるを得ないと思われます。
資本の果てしなき増殖のため、
人工的なバブル創出を繰り返してきた資本主義。その資本主義が近ごろ注力しているのは、惨事便乗型資本主義(略奪による蓄積と新自由主義的経済政策の押し付け)への模様替えのようです。その最終版ともいえるのが脱炭素化に向けた再生可能燃料へのエネルギーシフトという新たなバブル(グリーンバブル)だと思います。なぜなら、グリーンバブルはcommonを取り戻す世界的な反成長運動を本質とするものですから、資本主義の再生どころか自殺行為となりかねないからです。
惨事便乗型資本主義の巧妙なシナリオは、第二次大戦の終わりまで国民国家への脅し文句であった「切迫する社会革命への恐れ」が終戦後もはや現実的でなくなると核兵器による大量虐殺の亡霊を直ちに出現させ、そしてそれが現実的でなくなると「地球温暖化」を発見したのです。資本主義という化け物は不断に自分自身の消滅の手段を想像するか、あるいは実際に生み出す必要性つまりバブルが不可欠なのです。
化け物としての資本主義は人間社会の共通的富=共通財産=common(*)を物理的形態と社会的形態の両方から驚くべき勢いで破壊してきました。
(*)二つのcommon
・物理的形態(物質世界)とは、空気、水など自然の賜物
・社会的形態(社会的生産の諸要素)とは、知識、言語、情報など社会を構成し発展させる諸元
その結果、世界中でcommonの私有化と専有化が進んでいます。無限の富の追求=利益至上主義が民主主義と資本主義のハネムーンに始まった国民国家至福の時代を終わらせ今や国民の分断と民主主義国家の崩壊を加速させているのです。
資本主義とは社会主義と同様にcommonを排除する所有制度であることが明白となったいま、
経済成長が幸福をもたらす社会的進化であり美徳でさえあるという成長神話は完全に終焉しました。
コモンを取り戻す=「脱成長コミュニズム」(斎藤幸平「人新生の資本論」)言うなれば意図せざる「打倒資本主義」は世界の趨勢になっていくものと思います。