ロシアのウクライナ侵攻に端を発して台湾有事や北朝鮮のミサイルなど我が国の国防議論が活発化しています。そこで気になるのは国防が即戦争に結び付ける論議が大手を振ってまかり通っていることです。
歴史を遡れば、 日本国憲法公布(1946年11月3日)直後の12月1日に民衆(国民)への憲法普及を推進するため帝国議会内に「憲法普及会」が組織されました。
会長は芦田均ですが、理事の横田喜三郎は戦争放棄と平和について次のように語っています。
「日本は今まで自衛行為と称して実は露骨な侵略をしばしば行ってきた。満州事変がそうであるし支那事変もそうである。
従って、世界では日本の自衛ということはだれも信用しない。日本が憲法で紛争解決のために戦争は放棄するが自衛のための戦争は差支えないといえば世界はまた日本が満州事変や支那事変や太平洋戦争のようなことをやるつもりであろうと疑います。
・・・つまり自衛の戦争といえども今後は戦争をいっさい行わないつもりであるというのが一つの理由であります。
もう一つの理由は、今後の国際社会においては各国が自分勝手に自衛であるとかないとか決定して、自衛ならばやってもよいということは
計るべきものではない・・・。」
これが平和憲法の基本精神です。
その後、国体は菊の御紋から星条旗へと代わり実態的な植民地となっても日本は平和憲法を遵守してきました。
そしてアジア諸国をはじめ世界の多くの国々では日本(平和憲法)への尊敬の念を抱き続けていると思います。
戦争とは敵国憲法への否定行為であるとルソーは言います。
平和憲法(日本)を否定する戦争、そんな戦争を内外で煽る軍備強化論、このような(平和憲法の)精神のデフレスパイラルを是正する
国民的な規模の議論が必要でした。
しかし、政権維持のため政府の対米追従はその度合いを強めるばかりで遂に岸田首相は宗主国を訪問し日本は星条旗の盾のみならず矛ともなることを宣言してしまいました。 これで多くの国の信頼を失ったことでしょう。
満面笑みを浮かべたバイデン大統領は首脳会談後の共同会見には顔を見せませんでした。
用済みの悲哀を感じたのは私だけでしょうか。