アメリカの大統領選挙は、ペンシルベニア州・ミシガン州など激戦7州で民主党ハリス候補が共和党トランプ候補の支持率を僅差でリードしているとメデイアは伝える。
アメリカの大統領選挙は長くて騒々しい、この長い期間に要する費用と時間を考えたときそれだけの意味があるのか疑問に思う。なぜだろうかと考えるに、大統領選挙の前年始めから始まる予備選挙が重要になりすぎているのではないかと思った。高坂正堯さんによると、大統領選とは元来は民主・共和両党の議員がそれぞれの大統領候補を選出し、その後に大統領の決定選挙がおこなわれるものであったらしい。予備選は1910年代にオハイオ州で初めておこなわれたものの1950年代までは一部の州で行われるだけで、世論の動向を見るサンプル調査のような扱いだったらしい。ところが、1960年代半ばから大衆民主主義の大きなうねりが訪れ予備選を行う州が増えて1980年には35の州で行われいつの間にか全州に普及したという。投票権はなかったがアメリカで7年近く生活し、お隣さんのご意見やメデイアの報道に接したわたしの経験からいうと、大統領選は広く民意を求めて政治に反映させるという民主政治の原則に徹底するあまり、政治がなすべき目的「未来の制度設計」論議を忘れ、一般大衆に訴求するため政治家ではなく政治屋になってしまっている、またそうでないと選挙に勝てないと感じていた。
翻って、日本では来月予定される自民党の次期総裁選について岸田首相が「自民党が変わることを国民の前にしっかりと示す、変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ。来たる総裁選挙には出馬しない」と述べ、立候補しない意向を表明。国民の目からすれば岸田政権の大きな汚点は派閥の政治資金パーティー問題であろう。しかし政治資金規正法の改正を行ったと自慢するが、実態は政治資金のブラックボックス化を図っただけでないのか。聞く耳を持つと公約しながら結果は聞き流すだけ、民意を無視してやりたいことを勝手にやった岸田政権だと思う。
次期総裁選も国民はまったく蚊帳の外におかれ欺瞞と狡猾に塗り固められた政治屋どもの私利私欲の談合で次期総裁たる日本の首相が決まるのであろう。民主政治の原則である国民の政治参加さえも入り口でシャットアウトである。これではカネとヒマを使うが「民意」に広く耳を傾ける仕組みが維持されるアメリカ大統領選の方が遥かにましだと思う。投票日一日だけの国民主権や政府指導の賃上げに満足し政治の横暴に対しては徒手空拳、黙認するだけの日本国民、「未来の制度設計」なき政治屋の横行を助長し独断専行の暴挙を許容しているのは誰か考えないのだろうか。