年初の震災から復旧途上にあった能登半島が、今度は大雨に見舞われ甚大な被害が発生している。しかし、被災地住民の惨状を横目に、政府・自民党は次期総裁選に熱中している。
政府・自民党は台湾有事をはじめとする地政学的リスク(予測可能な危機・人災)を国民に訴求し国防の危機感をあおってきたが、国民が生死の境に瀕している能登半島の豪雨災害(予測不能な不確実性・天災)に対しては、緊急事態に臨む危機感はまったくうかがえない。
党利党略に他ならない自民党政治家の危機感に基づく総裁選挙は、一時棚上げにし、早急に対策本部を設置して二次災害の回避に向かうべきではないか。危機にさらされているのは自民党ではなく国民なのである。
また、自民党総裁選を傍観して感じることは、いずれの候補者も革新の旗を掲げるものの、言うことは色あせた常套句の繰り返しで、なんら斬新さは感じられないことである。問題の本質は、自民党総裁は日本国首相となる可能性が高いにもかかわらず、国家のあるべき姿、国家ビジョンを打ち出す候補者がひとりもいないことである。
国民の勤勉性に胡坐をかいた政治の腐敗と言えばそれまでだが、石破候補が沖縄で「日米地位協定の見直し」に言及したことがせめてもの救いかと思える。石破候補に肩入れするつもりは毛頭ないが、国防費をいくら積み上げても防災にはならないことは自明の理であり、人災と天災の危機を識別した危機管理を意図しているからこその「防災省」提案と思えた。
いま日本国民は「政治の荒廃という人災」と「自然災害という天災」に同時に見舞われ、救うすべなき状況に置かれているのではないだろうか。