bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

ウクライナ問題 一つの見かた

その際立った個性によるためか、連日のごとくメデイアはトランプ大統領の話題を取り上げ世間は彼の言動に物議を醸している。政治ではロシアのウクライナ侵攻の終結が、経済ではトランプ関税が、国際的な焦点になっている。

ウクライナ侵攻問題は、先のゼレンスキー・トランプ会談が物別れに終わった。

この結果に対する日本国内の論調は「トランプけしからぬ、ゼレンスキーが可哀そう」といった感傷的な情緒論が目についた。窮地のゼレンスキーに救済者への敬意が云々やバンスの発言が云々などと枝葉末節の報道が多く、物別れになった原因に迫るコメントは見られない。メデイアは相変わらずの表象的ワイドショウに終始している。

 

そもそもウクライナ問題の発端は、ドイツ統一の決まった1990年アメリカのベーカー国務長官ソ連ゴルバチョフ書記長に対して「NATOを東方へは一インチたりとも拡大しない」と伝え、さらに翌日には西独のコール首相が「NATOはその活動範囲を広げるべきでないと考える」と伝えている事実が(ロシア侵攻の)背景にある。

ところがNATOには1999年にポーランドハンガリーチェコ、2004年にはルーマニアブルガリアスロバキアスロベニアエストニアラトビアリトアニアが雪崩を打って加盟したのである。歴史上類例をみない(武力行使なき)EUの版図拡大であった。これはロシアにとっては大きな衝撃であった。アメリカとEUが、「NATOは東方に拡大しない」と言う約束を公然と反故にしたからだ。ロシアはアメリカに抗議するもアメリカは協定を否定した。いっぽうゴルバチョフは協定書を作成しなかったとして追放の憂き目にあう。

そして2014年3月18日、ロシアによるクリミアの併合がおこなわれた。ところがクリミア併合直前の2月22日ウクライナでは「ユーロマイダン革命」と呼ばれる親EU派のクーデターが発生し親ロシア政権は打倒された。ロシアがクリミア併合に衝動的にも乗り出した直接的理由はおそらくこのクーデターに起因すると考えられる。

クリミア併合に際してアメリカもEUも素っ気なかった。他国の戦火には、ここぞとばかり乗り出す民主陣営のヒーロー、アメリカは不思議なほどおとなしかった。ウクライナの親EU派を支援してクリミア奪回を推進しなったのは何故か。

 理由の一つとして考えられることは、

クーデターそのものがウクライナ国民の半数程度の支持しか得ていなかったことであろう。その理由はソ連から独立した直後の混乱からウクライナは民主主義国家への道を遅々として歩んでいた。民主主義への遅すぎる転換に業を煮やした有意な若者は祖国を捨て経済は行き詰まり親EU的であったヤヌコーヴィチ大統領はロシアへの急接近を図った。(この変節を裏切り的な行為として民衆が反発、蜂起した。この結果起きたのがユーロマイダン革命と呼ばれるクーデターである)このクーデターはウクライナを分割させた。民主主義の追及を掲げながら非民主主義的な暴力的手段によって政権を転覆してしまったからだ。

もう一つの理由は、ロシアとの約束「NATOを東方へは一インチたりとも拡大しない」を裏切ったことに対するアメリカの罪悪感である。

アメリカは、NATO発足時から膨大な経済的支援を行っていたが、1950年代に入り応分の負担を欧州各国に要請するも欧州側は一向に応ぜず、そこで制裁策としてアメリカは関税政策の検討を開始、しかしようやく成長軌道に乗った世界経済を阻害しかねないとして関税障壁策を見送った。いっぽう、燃え広がる共産主義を阻止すべくアメリカは欧州側に何らの相談もせずにベトナム戦争に独断で乗り出し以降は対テロ戦争と称してアフガニスタン侵攻に至るまで挫折の戦争を繰り返した。ついにアメリカは自由陣営のみならず非自由陣営でもチャンピオンとなることができなかった。

こんなアメリカの歴史を振り返る庶民が「偉大なアメリカよ、もう一度」とMAGAに心情的に呼応するのは理解できないことでない。トランプは時勢に乗った狂言回しにすぎないのである。

トランプがゼレンスキー会談で言いたかったことは「もう沢山だ!NATOEUよ、ウクライナの始末はお前たちでつけろ」という「アメリカのホンネ」であり、ゼレンスキーをNATOEUに見た立て「アメリカの真意」をぶつけたのではないか。解決策をNATOEUに放り出すことでロシアに対する積年の罪悪感は薄れ少しは贖罪も果たしたことにしよう。