「言い換え」とは、ものごとをより明確に説明するために異なる表現を使用することである。しかし、本来の意味そのものを変えてしまう言い換えがある。情報の受け手に誤解や混乱を引き起こすことを意図したものだ。多くは権力機構の自己正当化や失政隠蔽を目的としたものだが、いまや欺瞞が横溢する日本社会の文化になってしまったようだ。
なぜ言い換えが常態化したのだろうか。その根源は明治維新にあると考える。明治維新とは、統治者徳川幕府に対する薩長のクーデタである。「維新」ではなく「謀叛」だった。そのため大義なき薩長は天皇を担ぎだし反逆の正統化を図るいっぽうで内乱回避のため大政奉還した幕府を「賊軍」と貶め自らを「皇軍」と言い換えたのである。
さらに、ペリー来航から日米和親条約の締結、無血開国に至るまでの幕府功績を倒幕運動の成果であると偽称し、「葵への謀反」を「菊の盾」と言い換え開国を自らの手柄にした。このような「維新の言い換え」が日本古来の精神土壌に道義なき「勝てば官軍」という卑劣容認の勝利至上主義を植え付けた。
明治維新以降、権力の言い換えは枚挙にいとまがない。大東亜戦争下での「転進」は「撤退」、米軍占領時における「進駐軍」は、「占領軍」であった。看過しがたい言い換えは、大東亜戦争の「敗戦」を「終戦」と言い換え8月15日を終戦記念日と閣議決定したことだ。8月15日は昭和天皇がポツダム宣言受諾の詔書を国民に朗読し停戦を命じた日、終戦日は米艦ミズーリー号上で降伏調印した1945年9月2日である。「終戦」とは、勝敗の明示なき虚な言葉である。勝利を信じて散華した英霊、本土決戦を覚悟した国民の歴史を空洞化する言い換えである。国家権力は、「一億火の玉」を「一億総懺悔」と言い換え国民を敗戦共犯者に仕立てあげ、既得権益者は統括責任をトカゲの尻尾に言い換える。「お上」の日本社会で感染した言い換えは空虚な戦後文化を形成しその中で私たちは純粋培養されてきたのではないだろうか。