週刊東洋経済7月26日号掲載の「ゲーム理論で読み解く関税交渉の行方」と題した、元米国務省チーフ・エコノミストエミリーブランチャードさんの記事を読んだ。
その中で「囚人のジレンマ(*)」を援用した関税交渉論に大いに興味をひかれた私は、この発想に誘発されて、先の大戦での「ハル・ノート」を連想しました。
「歴史から垣間見えたのは強者に対峙する弱者の交渉術つまり戦術である」
その中で「囚人のジレンマ(*)」を援用した関税交渉論に大いに興味をひかれた私は、この発想に誘発されて、先の大戦での「ハル・ノート」を連想しました。
「歴史から垣間見えたのは強者に対峙する弱者の交渉術つまり戦術である」
ハル・ノートはアメリカの最後通牒であったと今でも信じている人がいるようだ。
しかし、ハル・ノートとは1941年4月米国務長官ハルから駐米野村大使に手渡された「日米了解案」に始まる外交交渉が煮詰まり同年11月26日ハルからアメリカ側の原則として開示されたものである。冒頭には、Strictly Confidential, tentative and without commitmentと記載して「Outline of proposed basis for agreement between the United States and Japan.」と題して交渉妥結の諸要件を列記している。
これに先立つ10月3日、アメリカ駐在の野村大使は交渉最大の対立点は中国からの全面撤退であると本国に打電した。
これを受け10月12日近衛首相は豊田外相、東条陸相、及川海相、鈴木企画院総裁の五相会議を開催。
近衛首相は交渉継続を主張したが、豊田外相は「陸軍が従来の主張を譲らねば交渉の見込みはない」と答えた。
及川海相は和戦の決定は「総理に一任したい」と海軍の態度表明を避けた。
東条陸相は「駐兵問題は一歩も譲れない」と主張。それぞれが戦争決意の責任を転嫁して10月16日近衛内閣は総辞職。
後継内閣の首班には東条が指名された。
11月1日、アメリカが要求する中国からの全面撤退に対する日本側回答は、「米国政府は日支両国の和平に関する努力に支障を与えるがごとき行動に出でざるべし」で婉曲表現のNO!であった。
交渉妥結の可能性(面子に固執せず目的達成の自助努力)を自ら放棄し、話を振り出しに戻してしまった。
その直後の11月5日開催された御前会議で以前から持ち越しとなっていた「帝国国策遂行要領」が決定され、「武力発動の時期を12月初旬として、対米交渉が12月1日午前零時までに成功せば武力発動は中止」と決まった。
海軍の真珠湾奇襲作戦の計画は、この御前会議直後に陸海軍統帥部の両総長から天皇に上奏されている。
交渉相手のアメリカの返答を待たずに、戦闘態勢に入っていったのである。
(日本国の無線通信はアメリカに盗聴されており、自ら墓穴を掘っていた)
日本にハル・ノートが届いたのは日本時間11月27日、振り上げた戦闘計画は3日間では容易にとまらない。
すでに連合艦隊は真珠湾を目指して太平洋上にあったのである。
ここで考慮すべき歴史の教訓は(力を背景にして)選択権を握っている強者が弱者に対して選択肢を提示したにもかかわらず、何ら交渉(デイール)することなく弱者が自ら選択肢を絞って負の行動に出てしまったのである。
これでは交渉ゲームにならない。
そこで日本軍はハル・ノートが一方的な最後通牒であり、日本に選択肢はなかったという責任回避の物語にしたのだろう。
これは日中戦争の妥結を図るべくドイツの協力を得て進めていた停戦案を「国民政府を相手とせず」とした近衛内閣の発言とは真逆のもので、いずれも交渉を勝手に放棄した自縄自縛の行動である。
ひょっとしたら10月3日の時点で日本は「囚人のジレンマ」ゲームを展開できたのではないだろうか。
中国からの全面撤退という「損切り」を決定して臥薪嘗胆の決意をしたならば国土は満州事変時点に縮小するが対米戦は回避され、アメリカは(チャーチルの要請に応じて)欧州戦線に参戦(国民の同意を得られず)できす、したがい戦後世界のリーダーシップを手に入れる機会を失っていたであろう。どちらが得かではなく、劣勢を挽回することが目的の痛み分けのゲームである。
一方、トランプ関税であるが日米二国間の交渉であるものの、あの戦争と異なり交渉(交易)先はアメリカ一国ではない。
医薬品と半導体は未だ合意に達していないという。
であれば、即時にアメリカ市場の代替えにはならずとも中国、インド、EU、グローバル・サウスなど広大な交易先は数多ある。
落日のアメリカから今こそ離乳する絶好の好機と事態をとらえ、日本政府お得意の参事便乗型(対象は国民でなくアメリカ)の政治に切り替えて、血税で蓄えた1.1兆ドルの米国債をジョーカーにしてトランプ・ゲームならぬ「囚人のジレンマ」に挑戦してみてはどうだろうか。アメリカ一強の独断政治に不満を抱える多くの国の共感を得るのではないか。
しかし、ハル・ノートとは1941年4月米国務長官ハルから駐米野村大使に手渡された「日米了解案」に始まる外交交渉が煮詰まり同年11月26日ハルからアメリカ側の原則として開示されたものである。冒頭には、Strictly Confidential, tentative and without commitmentと記載して「Outline of proposed basis for agreement between the United States and Japan.」と題して交渉妥結の諸要件を列記している。
これに先立つ10月3日、アメリカ駐在の野村大使は交渉最大の対立点は中国からの全面撤退であると本国に打電した。
これを受け10月12日近衛首相は豊田外相、東条陸相、及川海相、鈴木企画院総裁の五相会議を開催。
近衛首相は交渉継続を主張したが、豊田外相は「陸軍が従来の主張を譲らねば交渉の見込みはない」と答えた。
及川海相は和戦の決定は「総理に一任したい」と海軍の態度表明を避けた。
東条陸相は「駐兵問題は一歩も譲れない」と主張。それぞれが戦争決意の責任を転嫁して10月16日近衛内閣は総辞職。
後継内閣の首班には東条が指名された。
11月1日、アメリカが要求する中国からの全面撤退に対する日本側回答は、「米国政府は日支両国の和平に関する努力に支障を与えるがごとき行動に出でざるべし」で婉曲表現のNO!であった。
交渉妥結の可能性(面子に固執せず目的達成の自助努力)を自ら放棄し、話を振り出しに戻してしまった。
その直後の11月5日開催された御前会議で以前から持ち越しとなっていた「帝国国策遂行要領」が決定され、「武力発動の時期を12月初旬として、対米交渉が12月1日午前零時までに成功せば武力発動は中止」と決まった。
海軍の真珠湾奇襲作戦の計画は、この御前会議直後に陸海軍統帥部の両総長から天皇に上奏されている。
交渉相手のアメリカの返答を待たずに、戦闘態勢に入っていったのである。
(日本国の無線通信はアメリカに盗聴されており、自ら墓穴を掘っていた)
日本にハル・ノートが届いたのは日本時間11月27日、振り上げた戦闘計画は3日間では容易にとまらない。
すでに連合艦隊は真珠湾を目指して太平洋上にあったのである。
ここで考慮すべき歴史の教訓は(力を背景にして)選択権を握っている強者が弱者に対して選択肢を提示したにもかかわらず、何ら交渉(デイール)することなく弱者が自ら選択肢を絞って負の行動に出てしまったのである。
これでは交渉ゲームにならない。
そこで日本軍はハル・ノートが一方的な最後通牒であり、日本に選択肢はなかったという責任回避の物語にしたのだろう。
これは日中戦争の妥結を図るべくドイツの協力を得て進めていた停戦案を「国民政府を相手とせず」とした近衛内閣の発言とは真逆のもので、いずれも交渉を勝手に放棄した自縄自縛の行動である。
ひょっとしたら10月3日の時点で日本は「囚人のジレンマ」ゲームを展開できたのではないだろうか。
中国からの全面撤退という「損切り」を決定して臥薪嘗胆の決意をしたならば国土は満州事変時点に縮小するが対米戦は回避され、アメリカは(チャーチルの要請に応じて)欧州戦線に参戦(国民の同意を得られず)できす、したがい戦後世界のリーダーシップを手に入れる機会を失っていたであろう。どちらが得かではなく、劣勢を挽回することが目的の痛み分けのゲームである。
一方、トランプ関税であるが日米二国間の交渉であるものの、あの戦争と異なり交渉(交易)先はアメリカ一国ではない。
医薬品と半導体は未だ合意に達していないという。
であれば、即時にアメリカ市場の代替えにはならずとも中国、インド、EU、グローバル・サウスなど広大な交易先は数多ある。
落日のアメリカから今こそ離乳する絶好の好機と事態をとらえ、日本政府お得意の参事便乗型(対象は国民でなくアメリカ)の政治に切り替えて、血税で蓄えた1.1兆ドルの米国債をジョーカーにしてトランプ・ゲームならぬ「囚人のジレンマ」に挑戦してみてはどうだろうか。アメリカ一強の独断政治に不満を抱える多くの国の共感を得るのではないか。
閉塞日本を打開する一抹の灯りがみえてくるのではないだろうか。
*「囚人のジレンマ」
相手と協力する方が協力しないときよりもいい結果になることが頭では分かっていても、 協力しない者のほうが利益を得るような状況ではお互いに協力しなくなる、というジレンマを指す言葉です。また、ゲームを無期限に繰り返すことで協力の可能性が生まれます。そのため本来自己の利益を追求する個人の間で、どれだけ協力が可能となるかという社会科学の基本問題となっています。(マイナビニュースより抜粋)