米国トランプ大統領の打ち出した関税政策は、彼の特異な気質による常識を超えた独断的な自国第一主義の政策であり、なんとも理解不能だという評価が世界の大勢を占めているようである。たしかに、そうなのかも知れない。関税率アップは最終的に自国経済に跳ね返り悪影響を与えることは明白である。これに関しても、トランプ大統領だから仕方がない、彼の土俵で何とかうまく対応するしかないだろうという声がアメリカ国内そして国外でも一般的な反応のようである。
私は違う見方もあり得るのではないかと考える。
トランプ大統領は単なる狂言回しに過ぎず、アメリカは崩壊しつつある「資本主義の再構築」、または「資本主義に代わる経済システムの構築」、その実験を始めようとしているのではないかと推測している。その第一段階が自ら作ったグローバリズム(ブレーキを作り忘れ歯止めの効かない仕組みだった)の破壊ではないだろうか。ウクライナやNATOに対するトランプ大統領の対応などを見ているとこんな考えも現実味を帯びてくる気がする。
長くなるが、この考えの背景を記してみる。
アメリカの苦悩
私は、トランプ大統領の再選を予期していた。なぜなら、今世紀初頭の同時多発テロからアメリカは見えざるテロの脅威と台頭著しい中国の経済力に脅威を感じ、あらゆる手段を講じて世界のリーダーたる地位を死守しようとしてきた。
しかし、2001年9.11を契機にアメリカは政治と外交、戦争とビジネスの区別がつかなくなり、国家は社会への関心を喪失、所得と再配分の課題(資本主義社会の永遠課題)を放置したまま繁栄と貧困は深刻な社会問題化していった。
いったん陰った斜陽は容易に戻らない。バイデン前大統領に反映されたアメリカの姿は、陰にこもった苦悩と焦燥であった。トランプならカネ勘定に長けた過信家だから、論理や法など形振り構わず他国をねじ伏せて苦境のアメリカに光明をもたらせるのではないか。そう考えてトランプに賭けるほど自棄になったアメリカ国民がいるだろう、というのが私の想定であった。
アメリカの栄光
第二次世界大戦後、アメリカは名実ともに世界のリーダーとして君臨してきた。
アメリカは民主主義と資本主義を掲げて、戦後社会を発展させる両輪に組み立て普遍的な世界システムを作り出したのである。
アメリカは、孤立した共同体の寄せ集め国家だったが二つの大戦を経て国家と企業が均等に権益を主張する共同体に変化した。そして経営学が登場すると国家・企業経営戦略と市場対策を一緒くたにしたモール型経営資本主義を打ち出し、その理想のモデルとしてコングロマリットを演出して見せた。その象徴が当時世界一の高さを誇りシカゴにオープンしたシアーズタワーであった。それは古き良きアメリカの絶頂期だった。そのアメリカに憧れて私はタワー内のプレーボーイ・ホテルに宿泊予約をしていた、しかし前日同ホテルで発生した殺人事件のため宿泊を断念せざるを得なかった。当時から夢と暴力が同居して美を生み出すアメリカだった。
アメリカはニクソン大統領訪中からベトナム戦争終結へと経済から政治の季節に移行を始める。すると、オイル・ショック、ドル・ショックと立て続けに経済不安が襲いかかり、次第にアメリカは疲弊し始めた。
しかし、この窮地を変動相場制で乗り切ったアメリカは英国サッチャリズムを模倣してカーター大統領が規制緩和と民営化に着手、レーガン大統領のもと航空・鉄道・運送業の規制緩和を断行、さらにブラックマンデーにより規制緩和は加速化されていった。
欧州でベルリンの壁が崩壊し単一の世界市場が視野に入ると再び陽の目を見たアメリカのモール型経営資本主義は金融機関と手を携え金融工学を駆使してヘッジファウンドを考案、モノの価値や生産力とは、ほとんど無関係な債券市場を肥大化して行き、金融資本主義の時代に入っていく。
アメリカが黄金時代を築いた背景には、第二次大戦直後にアメリカが仕組んだブレトン・ウッズ協定があった。ブレトン・ウッズ体制は、IMFと世界銀行に切り替わり、国際的看板を掲げてはいるが、実態はアメリカ国際経済政策の支援組織になっていく。
アメリカは、そこにレーガニズムを組み込んで、サプライサイドに立ちながら消費主義という民主的自由市場なる幻想を創造した。その無限拡張を金科玉条とするグローバリズム(または市場原理主義)が世界を金権主義の渦に巻き込んでいった。
エアコンの効いた部屋でマティーニを口にしながら投資家や投資機関が荒稼ぎする、いっぽう額に汗して生暖かいコークでのどを潤すモノづくり産業は後退を重ねていく、富は金融に集中した。
追い詰められた資本主義
大きな問題は次の二つにあると思われる。
一つは、商品化する対象の払底。
資本主義は飽くなき資本の蓄積をめざすものであり、そのためにあらゆるものを商品化してきた。モノの商品化からコトの商品化へ、そして金融工学を駆使した仮想通貨に至り、いまや商品化できるものが底をつき、暗号資産から終には戦争や国家までを商品化の対象にせざるを得なくなってきている。このままでは資本蓄積の無限拡大は困難至極であろう。
もう一つは、社会格差の拡大。
資本蓄積を肯定すべく用意された「進歩主義」と「合理化」というイデオロギーが、進化論と科学技術の啓蒙を受け無意識的良心というバイアスを増殖して、労働に向かわせる強迫観念と進歩・合理化至上主義という宗教と倫理観念を私たちに植え付けてしまった。そのため、私たちは人生の目的を喪失し、生存するための手段に過ぎないおカネを増殖(資本蓄積)すべく、こま鼠のごとく踏み車を必死で踏み続けている。私たちは、資本蓄積の過程で生産されたモノやサービスの分配が適正に行われているかを認識することさえ忘れてしまった。
そのあいだに、政府は徴税で集めた資本を公的援助の形で巨大な資本を持つ集団や個人に手厚く分配してきた、too big to failなりと金融混乱時等に大企業の損失補填を行うのがその良い例である。持てる者と待たざる者とが生まれて、日々幾何級数的な社会格差を拡大させている。