bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

経済成長は必要か?

1941年ロシアの秋、破竹の進撃を続けたヒットラー軍はクレムリンまであと十数キロのところまで迫っていた。しかし例年より早い冬の到来が招いた泥濘と降雪が進撃の足を止め、世界で最も近代的な機械化部隊はその攻撃の成功にもかかわらず農業用荷車しか持たぬ歩兵部隊に頼らざるを得ない状況に陥り敢え無くヒットラー軍は敗退した。

 

これすべて兵站戦術の失敗であるといずれの戦史家も述べてきた。

兵站戦術とは軍隊を動かしかつ軍隊に食糧弾薬や他の戦争必需品を補給する実際的方法でありすべての戦需品の消費量予測と補給基地から前線部隊までの搬送手段、距離などを問題に不確定要素をも加味して専門家が叡智を尽くし研究した結果の戦術即ち補給線である。

 

ナポレオン、ヒットラーの戦争は電撃作戦が功を奏し敵陣に与えた衝撃は大きく攻撃は成功したかにみえた、しかし進軍速度に追いつかないのが補給線であった。その限界が進撃を停止させ思わぬ敗退を招いた。

 

近代前の戦争において補給線の主たるものは食糧であり前線での現地徴収が可能であった。

しかし近代戦は科学技術の発展が兵器、輸送手段の強化と前線速度の高速化を可能にする一方で科学技術はかっての食糧と弾薬のみでなく現地調達が困難な自動車、重火器、燃料など幾何級数的な戦需品の多様化と増大という負荷を補給線にもたらすことになった。

 科学技術の兵器転換の境目で起きた前近代戦が日清・日露戦争であり、これは日本軍に幸いした。

しかし近代戦の時代に突入した満州事変に端を発した日中戦争では日本軍は大失敗を喫した。その敗因の本質とはまさに補給線の欠如だった。

 

翻って現代は金権至上主義に堕ちた資本主義経済の戦争時代である。かっては奇跡的な高度経済成長でジャパン・アズナンバーワンと世界に勇名を馳せたわが国。ところがアナログに固執し可視化されたモノにしか経済的価値を見いだせずIT技術を刺身のツマ程度に放置してきた。その結果、デジタル発想が欠落し現代の経済戦争には必要不可欠な情報カオス戦の高速化と多様化に追いつけずお隣さんにも周回遅れのテイタラク。この国の指導者は起死回生とばかり金融緩和に株価つり上げと特攻的な戦線拡大こそ国家の生命線なりと関東軍の亡霊のごとく妄動するも一向にインフレ目標に達せず。そもそも2%の根拠さえ国民には不明。こんな状況で果たして経済成長を支える知の補給線の構築が可能だろうか?いや必要なのだろうか?失われた30年とは知の兵站戦術の失敗の連続ではなかったのか?

 

経済という山頂を極めてからもう規範とすべきモデルはなく自ら新しい発展モデルは作り出せなかったのだ。高度成長期に知の補給線の確保を怠ったツケが回ってきたのだ。いまや身の丈に合った知的装備を整え大嵐の到来前に下山の途につくべきだろう。そしてモノ(可視化できる経済価値)からコト(不可視の経済価値)へ脱資本主義の新たな価値創造という潮流を認識して新たな登山計画を真剣に練る時期に入ったのではないだろうか?

 

ー18世紀の軍隊と近代の軍隊とを比較すると18世紀の軍隊は進軍が遅く軍需品倉庫に拘束束縛されていた、どころか、当時の運搬手段の理論的限界に対して近代の軍隊よりも優れていたのであるー

ルート66

カリフォルニアに在住している友人が不慮の事故で亡くなった。

日本では松の内のある日、妻と共にトロントにいる娘を訪ねた。家の戸口を開けるなり悲報が娘の口から飛び込んできた。

信じられない。

1日前にメールで新年の挨拶を交わしたばかりだった。

同年代の彼とはデンバー在住時に知り合った。それから彼は自身が経営する事業の都合でロスアンジェルスに移住した。半年後に私も転勤で同地に転居した。その間足掛け6年にわたるアメリカでの交流だった。それから数十年なぜか気ごころが合って彼が日本へ来るたびに日米の社会諸情勢を肴に酒を飲み交わす仲だった。

70歳になる前に車でルート66を辿る旅を一緒にしようと約束していた。

そろそろ実行しようかと思っていた矢先のことだった。

 

私が娘を訪ねたのは二人の幼児を持つ娘の家族とデズニークルーズでカリブを旅行する目的だった。

トロントからプエルトリコに飛びサンファンから出航しグレナダ、バルバドスなど東インド諸島を一週間で巡る旅。デズニーのエンターテイメント精神に溢れたおもてなしに孫たちは歓喜し私は初めて訪れたカリブ諸国の美しい自然と陽光溢れる船旅に心身ともに癒やされた。

やがてクルーズ船にはアダルトフロアという大人だけのデックがあることを知った私は夕食後のある夜そのフロアへ一人で出かけた。

客室フロアからの階段を降り切るとそこは一面に地図を模したフロアーであった。足を踏み入れたカーペットの靴先にはSanta Monicaの文字その先には車道が描かれている。

ルート66だ!廊下一面に描かれた車道と都市を辿り長く迂回した通路の先にたどり着くと灯りを絞ったバーがあった。

カウンターでジントニックを頼んで私は窓ぎわのソファに腰を下ろした。窓越しに見えるカリブ海は静かで暗闇の底に沈んで行くように思えた。運ばれてきた酒を口に含んで目を閉じた。

瞼にサンタモニカ・ピアの観覧車が浮かび、ゆっくりと回転する座席に彼の後ろ姿が一瞬浮かんで消えていった。