bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

岸田首相の訪米

そもそも岸田首相は、国家運営や政策構想など政治家としての理念など持たず、ひたすら首相になりたいだけだ、と公言して憚らぬ人。安倍元首相の国葬に際しては「国として葬儀を執り行うことで・・・我が国は民主主義を断固として守り抜くことを示し」「安倍元総理が培われた外交的遺産をしっかりと受け継」ぐことを「国葬儀」の意義だと説明しました。

そして国葬についてその是非が世論を沸騰させる渦中、確たる法的根拠や法令がないまま、閣議決定国葬儀を強行したのです。

この岸田首相の発言を分析すると、以下の二点が国葬の意義だということです。

 ・元首相の国葬を執行することは、民主主義を守ること

 ・元総理の外交的遺産を受け継ぐこと

この二点は元首相の後継者としてあたりまえのことでしょう。

アメリカに対する隷属は不変だというだけのことです。

この論理を展開すると、国葬に反対した人は私も含めて反民主主義・非民主主義になってしまいます。こんな為政者の勝手な発言を黙認して国葬に賛同する国民、これが民主主義国家でしょうか。

 

街頭演説で街宣車の上から、聴衆に向かって「こんな人たち」呼ばわりしていた安倍元首相を思い出します。その安倍元首相はと言えば、多数決により民主主義(多数決は手段の一つの選択肢であり民主主義の理念には本質的に反するもの)の正当な支持を得た国民政権なりと民主主義を錦の御旗に掲げ国権の最高機関たる国会を無視して「集団安全保障関連法案」など国家の命運をアメリカに託す法案を独断決定、挙げ句の果てに、いまだアメリカ大統領として正式承認がされていないトランプ氏のもとに馳せ参じアメリカへの従順なる隷属を世界に顕示した人物でした。民主主義の御朱印を見せられると国民は沈黙してしまう虚妄の民主主義の典型でした。

 

こんな経緯を考えると、今回の岸田首相訪米はアメリカ国会でのスタンデイング・オベーションに迎えられて安倍元首相の遺産つまり下賜された虚妄の民主主義と外交的遺産(菊に変わる星条旗の醜の御楯)の相続、そのお墨付きを得たということになるのでしょう。

 

しかし、私は岸田首相のみならず戦後一貫して続く国家ビジョンなき政府の対米追従と隷属姿勢にはまったく賛同できません。いやしくも独立した民主主義国家というのであればその国家基盤(国会と三権分立)を無視する政府の独断・専権は容認できません。

こんな政府ができたのはなぜか。

ことの発端は戦前に外交官として戦後は外務大臣そして通算7年にわたり政権を担当、アメリカの政治と外交に通暁した吉田元首相、彼がアメリカのダブル・スタンダード(民主主義と民族自決主義の使い分け)を国家運営の手法として巧みに模倣・駆使することで敗戦国家の建て直しに成功しました。その転機となったのが朝鮮戦争です。他国戦争で金儲けというアメリカのお陰で日本は好景気に沸きました。この実績をもって反共の精神が民主主義と資本主義を養成するという戦後日本の精神構造を政界・官界のみならず産業界を巻き込み構築して成長神話を生み出したものと思います。

時系列は前後しますが、吉田元首相のバカ野郎解散をはじめとする専横政治、その背景には昭和天皇マッカーサー連合国軍最高司令官という葵の御紋と星条旗による協同シナリオがあったと私は考えています。

 

そのシナリオを象徴するものは占領下で公布された憲法に透視されています。

憲法の根幹は基本的人権国民主権と平和だと謳いながらもなんと憲法の第一条は天皇、これは国民の自尊心と菊の御紋を配慮して冒頭に打ち出したこと(民族自決)、憲法第九条二項は、「国家主権に対する決定的な制限条項」として規定されていること(国権の発動をするために戦力を保持することはできない、つまり国家主権は原理的に存在せず日米安保条約と日米協定とを抱き合わせた相互補完でしか日本の主権は保持できない。ところが、国家の主権をもってして非戦も開戦も可能だと多くの人は解釈しているようです、非戦云々よりも問題は主権なのですが。非戦という国民の願いを逆手に取った民主主義の幻想=虚妄の民主主義というアメリカの手品的手法)

私が主権なき虚妄の独立国家に気付いたのは、砂川判決において最高裁在日米軍治外法権を認めたことでした。つまり日米地位協定憲法の上位法であることを最高裁が裏書きした判決でした。この判決以降、三権分立は崩壊をはじめ戦後民主主義も自壊を余儀なくされてきたと思います。

 

ちなみに、戦後の首相経験者で国葬されたのは、吉田元首相と安倍元首相の二人のみです。

宗主国の覚えが抜群によかったのでしょう。

 

ところで、岸田首相の訪米前にNHKスペシャル未解決事件下山事件が放映されました。ご存じのように下山事件終戦後の混乱期1949年、当時の国鉄下山総裁が突然失踪し轢死体で発見された事件ですが、自殺か他殺か、公式の捜査結果を発表することなく捜査本部は解散、捜査は打ち切られました。当時からGHQの謀略説が囁かれ松本清張さんはこの事件を徹底調査してGHQ謀略説を世に問いました。GHQ謀略説の多くの論拠は、国内で勢いを増す共産勢力を抑えるため共産主義者国鉄の10万人首切り問題に激怒しておこした事件だというGHQの筋書き、というものでした。この番組ではNHK独自調査で日本、アメリカに生存する事件関係者と関連資料にあたりドラマとドキュメンタリに仕上げていました。余談ですが児玉誉士夫が新聞記者に語ったという、「国鉄輸送網をGHQに供出せよという指示に対して下山総裁は断固首肯しないので殺されたのだろう、アメリカは対ソ連戦争を予定していたからね、急いでいたのだろう」この話は初めて知りました。翌年に朝鮮戦争が勃発、国鉄は2週間で12,000車両を稼働する史上記録を打ち立て日本経済は未曽有の好景気に浮かれ、共産主義の炎は消え民主主義と資本主義が取って代わっていきました。

 

いっぽう事件を担当した東京地検の主任検事、布施健を軸としてドラマは展開。捜査本部解散後も上司の内諾を得て捜査を継続した布施はGHQの謀略との結論に至り、上司に話します「一度真正面から聞くべきだと思うんですよ、吉田(吉田茂元首相)に聞くのが一番早いんじゃないか」上司「驚いたね」その直後、布施は地方への転勤を命じられた

赴任挨拶に出向いた布施に上司が言う「向こう(吉田)は国民代表でこちらは国家権力だからね」長い沈黙のあとに布施は問いかける「独立って何でしょうね」上司「アメリカとの関係は国の存亡にかかわる」無言で立ち去る布施は廊下でひとり呟く「俺も反共に利用されたのか」

私の心情が詩的な映像で投射された思いをしました。

 

そして番組の終末にアメリカ文書保存館に保管された文書が大写しされました。そこには、事件発生から布施検事の動向が克明に記録されていました。

 

注:固有人名が出ていますが、歴史上の固有名詞という意味以外に何らの意図もありません。

  問題は為政者や政府ではなく、国民(為政者も国民です)そのものだと思います。

  血も汗も流さず下賜された民主主義と憲法をそのまま神棚に祭り上げたままで、新生日本に適応すべく民主主義の分析をおこない日本の民主主義(国家ビジョンにも底通)を作り上げる努力をしてこなかった、その結果が今の日本だと思います。

  簡単に言うなら、哲学の欠如でしょうか。