bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

安倍元首相の国葬は民主主義の密葬だ。

岸田首相は、9月8日の衆議院議院運営委員会において安倍元首相の「国葬儀」閣議決定の経緯について説明を行った。

説明によると「国葬儀」の実施は、内閣府設置法4条3項「内閣府は、前条第二項の任務を達成するため、

次に掲げる事務をつかさどる」の33号「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」

に基づき、7月22日に閣議決定したという。(下線は筆者)

この文章から儀式の事務処理権限はあるものの儀式の決定権があるとは読み取れない。

また安倍元首相の「国葬儀」の意義として首相在任期間の長さや国際的評価、弔問外交を挙げたが、

岸田首相が特に強調したのは「民主主義」である。

「国として葬儀を執り行うことで・・・我が国は民主主義を断固として守り抜くことを示し」

ていくことで「安倍元総理が培われた外交的遺産をしっかりと受け継」ぐことを「国葬儀」の意義と説明した。

 


昨年コロナ禍のなか開催した東京オリンピックの意義を「新型コロナに打ち勝った証」とした菅前首相を

彷彿とさせる岸田首相の滑稽なデジャブーであった。

新型コロナとオリンピックというコロナウイルス退治には因果関係のない両者を強引に関係づけオリンピックを

強硬開催した日本の為政者、今度は為政者は代われど日本の民主主義のために実施する国葬だと見得を切ったのである。

国葬と民主主義にいかなる相関や因果関係があるというのか。

 


そもそも法的根拠や法令が存在しないにもかかわらず、閣議決定で「集団安全保障関連法案」を独断的に決定して

国権の最高機関を無視するという民主主義の根幹を無視したのは安部元首相である。

岸田首相は今回この安部元首相の遺産を律儀に踏襲するわけである。

見方を変えれば、これは民意など度外視した恣意的な独断専行の政治宣言であり民主主義にたいする死刑宣告ともいえる。

 


モリカケ、桜など公私混同、公文書の改竄など政治の私物化を図る一方、北方領土拉致問題など米国追従外交の失敗、

富者を富ませ貧困層から搾取するアベノミクスなど歴代最長の首相任期を通じて民主主義の棄損(公正、平等、自由、人権)

に果たした実績には枚挙のいとまのない安部元首相。

こんな人物を国葬にすることは極言するなら国辱的(国民への侮辱)行為であり民主主義の否定といえる。

安部元首相の国葬を看過黙認し「民主主義の密葬」に加担してはならない。

敗戦と終戦

また「終戦記念日」がやってきました。
 
「敗戦責任」を不問にしたまま「敗戦」を「終戦」と言い換え戦争の総括を放置してきた国家(そして国民)の「欺瞞」、その結果として歴史継承なき「虚妄の国体の生成」そして問題の本質を回避することでリスクを蓄積させてきたエリート層、これらが日本の国論(国家ビジョンなき憲法改正など)を分断し続け極東の果てに浮かぶ「魂なき孤島」にしてきた原因の一つではないでしょうか。

あの戦争は敗戦ではないという、旧日本陸軍の4人のA級戦犯(いずれも故人)が、自らの「戦争責任」などについて語った「ラジオ番組」の音源が、9年前に見つかりました。この番組は、関東地方をエリアとするラジオ局・「文化放送(東京)」が1955年に録音し、56年4月に放送したものですが、この放送内容を「高知新聞」が2013年8月13日の「朝刊」で記事にしています。

既得権益に安住し体制に媚を売るだけの大手メディアと違い、戒能通孝・東京都立大教授(故人)の1956年3月16日内閣委員会での憲法改正論議への見解を引用した点など職業としての専門意識に徹した真摯な地方紙の報道姿勢を評価したいと思います。
 
同紙の「全文」を下記に引用します。
 
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                「高知新聞記事(2013年8月13日)の転載」
 
A級戦犯 ラジオ番組で語る 57年前の音源発見 「敗戦・我々の責任でない」”

日本陸軍の「荒木貞夫大将」ら4人のA級戦犯(いずれも故人)が自らの戦争責任などについて語ったラジオ番組の音源が、このほど見つかった。番組の中で4人は「敗戦はわれわれの責任ではない」、「戦争中にあったことをいつまでもグズグズ言うのは間違いだ」、などと述べている。
 
番組のプロデューサーだった「水野繁さん(92)=奈良市=」は、「高知新聞」の取材に、
 
憲法改正を望むなど4人の姿勢は、今の安倍(晋三)内閣に相通じる点がある。国民の置かれていた状況が戦前と同じになっていないか、危惧している」
 
と語った。

番組は、「マイクの広場 A級戦犯」で、約30分間。関東地方をエリアとするラジオ局・文化放送(東京)が1955年に録音し、56年4月に放送した。音源は最近、水野さんが知人から託された。

番組では「荒木氏」のほか、「橋本欣五郎氏(元陸軍大佐)」、「賀屋興宣氏(開戦時の大蔵大臣)」、「鈴木貞一氏(元陸軍中将」の4人(いずれも判決は「終身刑」、それぞれ、55年6~9月に仮釈放)が取材に応じ、私見を述べている。

「橋本氏」は、日本の敗戦を国民に謝罪すると述べる一方、「外国に向かって相済まないとは、一つも思っておらない」と語っている。

「賀屋氏」は、「敗戦はわれわれの責任じゃない。けしからんと言って、(A級戦犯に向かって)憤慨するのは少し筋違いじゃないか」と発言。
 
「鈴木氏」は、「世論が(戦争反対の方向に)はっきりしていないから(戦争は)起こっている」とし、当時の日本の指導者層に責任はなかった、と話している。

一方、「A級戦犯」への批判的な意見として、広島市の「被爆女性」、治安維持法違反で身柄を拘束されたこともある高知県出身の経済学者、故「有沢広巳氏」らの声も収録されている。

文化放送によると、「マイクの広場」は、50年代に放送されていた。
水野さんによると、主にニュースの背景を探る内容が放送されていたという。

A級戦犯とは、

第2次世界大戦時、日本の指導者的な立場にいて「平和に対する罪」を犯したとされる人々。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)によって対象者が選定され、100人以上が逮捕された。東条英機元首相ら28人が極東国際軍事裁判東京裁判)で審理され、病死者や免訴者3人を除く25人全員に有罪判決が言い渡された。東条元首相ら7人は絞首刑の判決、残る18人は終身刑・有期刑だった。

1950~56年にかけ、終身刑・有期刑のうち、獄中で病死した人などを除く13人が仮釈放された。その後、閣僚を務めるなど政界に進出した人もいた。

「通例の戦争犯罪」、「人道に対する罪」に問われた人は「BC級戦犯」と呼ばれ、約5700人が起訴されたとの資料がある。900人以上が死刑になった。

第2次世界大戦中、日本で指導的な立場にあった人たちは、戦後間もない時期に何を考えていたのか。それを知る貴重なラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」(文化放送制作、1956年4月放送)の音源が見つかった。
 
極東国際軍事裁判東京裁判」で、「A級戦犯」として裁かれた4人の男性は、それぞれに自らの責任を否定し、「敗戦」と認めず、戦争放棄を定めた現憲法の改正などを求めていた。この番組から何を読み取ることができるのか。番組制作者や識者に聞いた。あと2日で今年も「8月15日」がやってくる。

◇元プロデューサー・水野繁さん 右傾化に危機感じ制作 民主主義考える契機に


ラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」のプロデューサーを務めた水野繁さん(92)=奈良市=は、なぜこの番組を制作しようと考えたのか。制作から半世紀以上がすぎた今、番組を聞き直して何を思っただろうか。

―「A級戦犯」を取材しようと考えた理由は、どこにあったのでしょう。


「企画を練り始めた(1953年)ころ、A級戦犯の釈放の動きがありましたが、彼らを犯罪人ではなく、名誉ある日本のために尽くした人とする傾向が強くなっていました。多くの政治家がそういう方向で活動し、その政治家たちが憲法改正を掲げる。民主主義を否定する空気です。こりゃ、まずいんじゃないか、と」
「その当時、右派的な人たちはこぞって、『もとの教育勅語が必要だ』『(戦後制定された日本国憲法とは別の)新しい憲法が必要だ』と言いだして。政治の世界でそういうことが広がっていたわけです」

A級戦犯の肉声にこだわり、放送する意義は。

「ラジオを聞いた人たちがどう思うか、投げ掛けたかった。それに尽きます。A級戦犯の声をきちんと出し、(それに批判的な)有沢(広巳)さんらの声も紹介しました。民主主義について、具体的に何が大切かを考えてもらいたかったからです」

―番組では「民主主義」にこだわっていますね。

「民主主義が実現していれば、言いたいことが言えるし、最低限の生活が保障できる社会になると考えています。一人一人が相手を大切にする、基本的人権を尊重するということを実現したかった、と」

―取材時、A級戦犯の様子は。

「どなたも確信を持っているので、悪びれた様子はありませんでした。『自分の言いたいことを放送してくれるならそれでいい』と嫌がらずに応じてくれた」

―あの番組の制作者として、今の日本の状況をどう見ますか。


「今、目の前には、戦争したいという人がうようよしています。そして、権力を持っています。国民の置かれている状況が戦前と同じようになっているんじゃないか、と思います」

―昨年末の安倍政権発足後、憲法改正に向けた動きも強まっています。


「(憲法調査会を内閣につくるための法案が審議されていた)1956年3月16日の内閣委員会で、公述人として出席した戒能通孝・東京都立大教授は『(憲法改正では)国民の主権の存在をどうするかの問題が第一に出てくる。主権の所在を移行させる憲法改正となると、これはもう改正ではない。革命なり反革命なりということになる』と述べています=注。安倍内閣も同じです。憲法改正を掲げることは、革命を企てているということにならないか。そういう懸念があります」

―番組制作から50年余りになります。聞き直して、どう思いましたか。

A級戦犯は昔のことじゃないかと、受け取る人もいると思います。何で今更、と。だけど、これは靖国(神社合祀)の問題にもつながるし、現在の憲法改正論にもつながっている。A級戦犯の『教育勅語に戻ろう』『昔の(明治)憲法の方がいいんだ』という発言は、現在の政権の動きと相通じるものがあります。A級戦犯の人たちが当時言っていたことが、今は、一般の人たちにも浸透してきたんじゃないか、と」

(注)=戒能通孝・東京都立大教授(故人)は1956年3月16日の内閣委員会で、主に以下の数点を理由に憲法改正論議にくぎを刺している。

(1)内閣は行政機関であり、憲法の忠実な執行者でなければならない。内閣には元来、憲法に対する批判の権限がない。
(2)国務大臣憲法擁護の義務を負う。その者が憲法を非難、批判するのは論理矛盾であり、間違い。
(3)基本的人権、つまり法律によって制限できない思想、言論、表現、結社の自由を認めないと、政治体制の決定権が国民に存在しないことになる。これらに制限を加えてはならない。
(4)不戦は日本国憲法の基本。これに変更を加えることは、憲法改正にとどまらず、(体制の)変革だ。

《制作の経緯》


「マイクの広場 A級戦犯」のプロデューサー、水野繁さんによると、取材は1953年7月に始まった。「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」の衆院可決に合わせての企画だった。
 
制作は文化放送教養部が担当。同年8月にA級戦犯19人(逮捕後の不起訴を含む)をリストアップ。その全員に取材を申し込んだ。
その結果、15人が内閣情報調査室を通して断ったり、病気を理由に親族が断ったりした。取材に応じたのは、荒木貞夫氏ら4人。放送された番組は約30分間だが、収録は1人2~3時間に及んだという。
 
56年4月の放送後、大きな反響を呼び、当時再放送もされた。

◎水野さんの資料によると、取材を断ったA級戦犯と理由は次の通り。(敬称略)

【病気を理由に親族が断った】岡敬純、畑俊六、嶋田繁太郎大島浩佐藤賢了星野直樹
内閣情報調査室が断った】平沼騏一郎、南次郎、岸信介木戸幸一児玉誉士夫正力松太郎鮎川義介、真崎甚三郎、天羽英二

A級戦犯の言葉 今に影 57年前のラジオ音源 戦争責任を語る

ラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」はナレーションを挟みながら、約30分間続く。A級戦犯の言い分はどんな内容だったのか。それに疑義を唱えた人たちは何を語っていたのか。音声の一部を掲載する。(発言趣旨を変えない範囲で、語尾など一部表現の修正や省略をほどこしている箇所があります)

□戦争責任□  けしからんというのは筋違いだ
 
橋本欣五郎氏(陸軍大佐、大政翼賛会常任総務)】
 
「戦争をやるべく大いに宣伝をしたということは事実ですよ。そうして、これが負けたということは誠に、僕は国民に相済まんと思っておるですよ。そりゃ、はっきりしとりますよ。けれども、外国に向かって相済まないとは、一つも思っておらない」
 
橋本欣五郎(1890~1957年) 陸軍大佐。天皇帰一主義の超国家主義体制を実現させるとして、三月事件と十月事件(いずれも1931年)という2件のクーデター未遂事件を起こす。大政翼賛会では、壮年団本部長を務めた。

賀屋興宣(おきのり)氏(開戦時の大蔵大臣)】
 
「敗戦は誰の責任か? われわれの責任じゃない。それをだな、われわれに(対し)けしからんと言って憤慨するのは少し筋違いじゃないか。お前、自分の責任が大いにその原因してるぞ」、「あらゆる責任は、いわゆる軍閥が主です。財閥や官僚というものは、戦争を起こすことについては、非常に力が薄いです。むしろ反対の者が相当にあった。主たるところは軍人の一部です」
 
賀屋興宣(1889~1977年) 太平洋戦争開戦時の東条英機内閣で大蔵大臣を務める。中国資源の収奪や大東亜共栄圏を中心とするブロック経済を視野に入れ、軍事優先の予算を編成した。戦後は、池田勇人内閣で法相を務めた。

【鈴木貞一氏(陸軍中将、戦時中は内閣顧問)】
 
「戦争責任を考える上については、やっぱり国民のね、政治的な、その何と言うか、責任と言うかね。もし、国民が戦争を本当に欲しないというそれが、政治の上に強く反映しておれば、そうできないわけなんだ。だから、僕は政治家の力が足りないと。足りなかったと。もしも、戦争が誤りであるとすればだよ、その誤りを直すだけの政治の力が足りなかったと」「政治の力が足りないということは、何かと言うと、国民の政治力が、すなわち、政治家は一人で立っているんじゃないわけだからね。国民の基盤の上に立っているんだから。今日の言葉で言うならば、世論というものがだね、本当に、はっきりしていないことから起こっていると思うんだな」、「当時の堂々たる政治家が、極端に言うなら、軍に頭を下げるようなことをやっておった。そういうことでは、軍人を責めることが、むしろ僕は無理だと思うんだ」
 
●鈴木貞一(1888~1989年) 陸軍中将。第2次近衛文麿内閣で国務相兼企画院総裁を務める。1941年の御前会議で、日本の経済力と軍事力を分析した結果として、天皇に対し「座して相手の圧迫を待つに比しまして、国力の保持増進上(対米開戦は)有利であると確信いたします」と進言した。100歳まで生き、A級戦犯最後の生き残りと言われた。

□敗戦か終戦か□  イチかバチか戦争するのが普通の人
 
荒木貞夫氏(陸軍大将)】
 
「(米軍が戦争に)勝ったと僕は言わせないです。まだやって勝つか、負けるか、分からんですよ。あの時に(米軍が日本本土に)上陸してごらんなさい…彼らは(日本上陸作戦の)計画を発表しているもんね。九州、とにかくやったならば、血は流したかもしれんけど、惨たんたる光景を、敵軍が私は受けたと思いますね。そういうことでもって、終戦になったんでしょう」、「だから、敗戦とは言ってないよ。終戦と言っとる。それを文士やら何やらがやせ我慢をして終戦なんと言わんで、『敗戦じゃないか』『負けたんじゃないか』と言っとる。そりゃ戦を知らない者の言ですよ。簡単な言葉で言やあ、負けたと思うときに初めて負ける。負けたと思わなけりゃ、負けるもんじゃないということを歴戦の士は教えているものね」
 
「(対米開戦をしなければ)ジリ貧と言った東条(英機)君の言葉も、必ずしも一人を責めることはできんじゃないかと。どうせしなびてしまうようにさせられるなら、目の黒いうちにイチかバチか(戦争を)しようというのは、普通の人の頭じゃないかと、こう、私は言いたいのです」
「戦争中にあったことは、いつまでもグズグズ言うのは、これは間違いだ」 
「逆コース(1950年代前半の日本の再軍備などを指す)なら逆コースでよろしい、と。いま端的に言うなら、憲法問題。(改正反対などと)グズグズ何か言うなら(明治政府の)五箇条のご誓文でいいじゃないかと」
 
荒木貞夫(1877~1966年) 陸軍大将。陸軍大臣、文部大臣も務める。天皇親政のもとで、国家改造を進めようとした「皇道派」の首領格。文相時代は「皇道教育」を軸に、軍国主義教育を推し進めた。

言論の自由□  自らが自らを縛っている格好に
 
【鈴木貞一氏】
 
(国民に対する言論弾圧について問われ)「治安維持法も総動員法も議会でやるんだな。議会でやるんだから、その政治力が『そういうもんはいかん』ということであればだね、(戦時関連の立法は)できないわけなんだな。そういうものを作ったということは、自分(政治家)がそれを承認してだ、そういうものに服するということにしたんだから。自らが自らを縛っている格好になっているんだよ」

□戦犯の余生□  
 
いつまでも責めるべきじゃない
 
清瀬一郎氏(東京裁判の特別弁護人)】

「過去における失敗を、いつまでも責めるべきじゃない、と思っております。(山口県の)下関へ速く行く汽車は、ひっくり返したら、青森へ速く行けるんですから。あれだけ力を持っている人(A級戦犯)がいっぺん戦犯になったからと言って、ぐにゃーとしてしまわないで、新たな方向へ残年を、残っておる生涯をお使いになることは、私は賛成しておるんです」

□戦犯への目線□  
 
戦争起こしていいなんて人間じゃない
 
原子爆弾被爆した広島の匿名女性。年齢も伏せられている。】
 
「(被爆直後は)鏡のかけらで、私の顔をのぞいて、本当にもう、これが自分の顔だったかって信じられないくらい。うみや血の塊が乾いて、顔全体が噴火口の塊だっていうくらいだったんですけど」、「母がいわゆる原爆症だと思うんですけど、何か下痢がすごく続いて、血を吐いたり、歯ぐきから(血を)出したり、毛が抜けたりして(少し前)息を引き取ったんです。母の、戦争がなかったらって繰り返し繰り返し言ったその言葉を思うにつけても、私のこの醜い身体と心の痛手を残した戦争を、もう二度と絶対に起こさないでほしい」、「これからまた戦争を起こしてもいいなんて考える人があったならば、この私の顔、体をその人に見せてやりたいと思います。私のこの体を見て、目を見て、そのことが言えるんだったら、そのような人は、人間じゃ絶対にあり得ない」

□戦犯への目線□ 
 
民主主義 一歩譲ると結局百歩を

【有沢広巳氏(高知県出身の経済学者。戦前、治安維持法違反で身柄拘束)】
 
「世界情勢に明るい人とか、日本の国のことをよく知っている人々は戦争を起こしたら、大変だということを考えておりましたし、言ったもんですけれども。そういう人々は全部、国の方針に反するアカだ、容共論者だというふうになって、弾圧されていったわけです」、「結局、何かものを言う人は、みな国策に迎合したことしか言わなくなって、あたかもそれが、国民(全体)の声のようになっていった。だんだん民主主義の権利を狭める、言論の自由、思想の自由を狭める。そういう小さな態勢でも、一歩を譲りますと、結局百歩を譲らなければならなくなると思うんで、一歩のうちにですね、この民主主義は守らなければならないと思うんです」
 
●有沢広巳(1896~1988年) 高知県出身の経済学者・統計学者。東京大学名誉教授。反ファシズム反戦主義を呼びかける結社支持を理由に38年、治安維持法違反で起訴され、東大を追われる。戦後は東大に復帰し、原子力委員会委員長代理を務めるなど国の経済政策やエネルギー政策に関わった。

《小幡尚・高知大准教授に聞く》 
 
詭弁と欺瞞 被害顧みず

A級戦犯4人の発言を聞くと、彼らの中で戦争の被害がなかったことになっている。終戦からインタビューを受けるまでの間に、原爆投下や東京大空襲、各地の空襲など国民が知らなかった被害状況が明るみに出た。東京裁判では、連合国軍の行為が不問にされるなど評価は分かれるが、満州事変が謀略だったことなど旧日本軍による侵略の実相も分かった。4人は、そうした事実をごまかすどころか、あたかもなかったかのように完全に目をそらし、発言していることが印象に残った。
詭弁(きべん)と欺瞞(ぎまん)と言っていいと思う。
 
その欺瞞には、自己欺瞞も含まれる。1945年の日本軍の負け方は、ぎりぎりで負けたという状況ではないことは軍人であれば分かっているはず。「日本は負けてない」というのは単なる言い回しにすぎない。
 
2011年3月の東京電力福島第1原発の事故後、政府も東電も「健康に直ちに影響はない」など、他人も自分も欺く話法を使ってきた。そうして危機から目をそらし、さらに危機を増幅させてきた。
 
東京大学東洋文化研究所の「安富歩教授」は「東大話法」という表現を用いて、この点を突いている。A級戦犯4人の発言は、「東大話法」にそのまま当てはまると感じた。
 
番組が放送された1956年の流行語の一つは、政府の経済白書に記載された「もはや戦後ではない」という言葉だった。
A級戦犯だけでなく、政府も戦争の総括をしていないことが分かる。
 
昭和の時代に入ると、陸軍の中で明らかな作戦ミスをした人がその後、出世するということが起き始める。
戦前からの軍のそういう無責任な体制が、戦後も続いているのではないか。
問題を直視しないのはエリートの特徴と言いたいところだが、原発事故後の社会状況を見る限り、残念ながら、今の日本全体に広がってしまっている。
 
私自身は、4人の発言から直接には「右傾化」の危機はそこまで感じなかった。日本社会の中にある、「問題を直視しないという伏流」が強くなったときに、世の中が右傾化したように見えるのではないかと読み取れた。
 
問題を直視しないという伏流は、戦時中からずっとあり、原発事故の危機で流れが大きくなったのではないか。

戦争を総括してこなかったA級戦犯原発事故を直視していない政府。両者には共通項がある。
 
問題をどう総括し、どう出発していくか。日本は今、そこが問われている。

(以上)

国葬は政治手段にすぎないー姑息な岸田政権

人の窮状につけ込み利得を得ようとする行為を「弱みにつけこむ」とか「火事場泥棒」などと言いますが、
最近では政府が国民を対象にし、惨事に便乗して利得を得るいわゆる「惨事便乗型」の政治手法が横行しているようです。

その例が安倍元首相の銃撃死に便乗した「民主主義の危機」と「国葬」発言にみうけられます。
安倍元首相の死は確かに衝撃的な出来事で国民の心胆を寒からしめました。
それよりも驚いたのは安倍元首相の葬儀さえ整わぬのに岸田首相は国葬とすると宣言したことです。

国民がショックのあまり情緒不安になっている時を狙った間髪おかぬ岸田首相の発言でした。
銃撃死ショックにより感情と理性・知性との相互補完のバランスを失った人々は、思考停止のまま
恐怖と民主主義の危機とを混同し、死者への憐みの情に溢れ死者を聖人化してしまう傾向があります。
とくに情緒過敏な日本人にとって、日本では稀な銃撃による元首相の暗殺は直截に民主主義の危機という
岸田首相の声に共感したものと思われます。

銃撃現場に急遽設けられた献花台に行列をなして参列に駆け付けたのは、情緒的な情動、つまり「今ここ効果」
(here and now effect)に駆られ弔意と賛美を混同一体化した人が多かったのではないかと私は思います。

たとえ元首相殺人であろうと日本国内で毎日のように発生している殺人という事象に変わりはありません。
衝撃的な一事象をとらえてあたかも普遍的な事態の発生であるかのごとく「民主主義の危機」と断定する
岸田首相の発言には論理の矛盾と飛躍があります。
もし殺人が民主主義の危機であるならば、それは安倍元首相の銃撃死に始まったことではなく日本の常態であったことに他ならないからです。

この岸田発言は、日本人の情動を熟知し惨事直後のタイミングをとらえたものでまさに惨事便乗の政治手法だと思います。
参院選挙を安倍元首相の弔い合戦と忖度した国民の同情票を獲得して岸田自民党は見事勝利を納めたのです。
この間「民主主義の危機」発言に同調したメディアや有識者の民主主義論議は今更ながらの体制翼賛の空論でした。
そもそも公文書改竄など政治の私物化を強行し民主主義を崩壊してきたのは安倍元首相ではありませんか。

ところで国葬には安倍元首相の盟友トランプ氏はじめ多数の海外要人が弔問来訪する見込みとのこと。
岸田首相にとっては、惨事便乗で造り出した晴れの檜舞台で世界に顔を売る絶好の機会です。
安倍元首相の遺志を踏襲するという岸田首相ですが惨事便乗型からトランピニズム(今だけ、金だけ、自分だけ)
の政治に陥らぬよう祈るばかりです。崩壊した民主主義国家の一員として。

安倍元首相の国葬に異論あり。

今朝の産経新聞によると、『岸田文雄首相が14日、参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の国葬」を秋に実施する方針を表明した。昭和42年の吉田茂元首相の国葬以降行われておらず、戦後2例目。

政府内にも慎重論があったが、首相が押し切る形で決断した。』岸田首相は「最初から国葬でやると決めていた。法的な問題を詰めていた」との報道。

また法的な問題については、日刊スポーツが『政府関係者によると、内閣法制局などと調整し、実施のメドが立ったのは記者会見前日の13日だった。岸田文雄首相は14日の記者会見で、国葬内閣府が所管する国の儀式で、閣議決定を根拠に実施できると指摘。

「行政が国を代表して行い得る」とも強調した。

内閣法制局とも調整済みだとして、法的には問題はないとの認識を示した。』と報じている。

 

国葬とは、「国家に功労のあった人の死去に際し、国家の儀式として国費で行う葬儀」(デジタル大辞泉小学館)だという。

とすると、国家の儀式として国費で行うからには<主権者たる国民の評価>をふまえて、そのうえで安倍元首相は国家に対する功労があったという判断をしたのだろうか。

メディアの報道ではこの辺の事情が皆目わからない。

 

民主主義の危機を叫んだ岸田首相だが、国葬の決定過程で<民主主義政治の根幹である国民の意向(民意)>は考慮されたのだろうか。

それとも安倍政治を踏襲すると公言する岸田首相は、民意など聞く耳を持たず最初から国葬を決めていたとして民意を押し切る意図であったのだろうか。もしそうであれば、民主主義政治の成立要件である「政府の政策に反対する権利の認識」と「異なる考え方の許容」、つまりその表象としての民意を測ることなき為政者の独断であり、民主主義の基本原則に反するものではないだろうか。

 

安倍元首相の死後、あれほど民主主義の危機だと騒ぎ立てたメディアが今回の国葬報道では民主主義に触れていないのも不思議な気がする。

参院選の応援演説中に起きた衝撃的な銃撃事件を多くのメディアは民主主義への挑戦として報じた。

それは国民をして銃撃死した安倍元首相をあたかも「襲撃された民主主義のアイコン」のごとき幻想と錯覚に陥らせるものではなかったのだろうか。

日本における悲劇的な死とは、人格や業績その功罪を論じることは死者への冒涜であるとして死者無罪放免、とにもかくにも死者を美化する。

それが日本の常識であり美徳でさえあるという人もいる。

昨今の日本メディアはそんな世界の非常識を助長することが仕事のようにもみえる。

 

2020年夏、安倍元首相が体調不良を理由として総理辞任の意思を表明するや否や、「可哀そうに」とコロナ対応への不満から下がり続けていた支持率が大幅上昇した。

この国民反応は、「こんな人たち」と蔑まれいっこうに給料は上がらずお先真っ暗でも今回の「長い間お疲れ様でした」といった一億横並び感情と軌を一にしているように思える。

国葬という国家行為の大義(正統性の論理)が論じられることなく感情論に押し流されてしまう国家の悲哀を感じる。 

 

民主主義連呼の虚しさー安倍元首相の銃撃死

安倍元首相が参議院選の応援演説中に銃撃されて昨日死亡しました。一夜明けるや主要新聞の社説をはじめマスコミ報道は、テロ行為は言論に対する暴力による凶行であり民主主義の破壊、民主主義への挑戦で断じて許されず民主主義の危機をしたり顔で繰り返しています。
暴力には、いうまでもなく物理的暴力のみならず権力に裏付けされた「言論の暴力」(成文化されると法律)とがあります。
「他者に投影された暴力性」(自分は暴力的でないが他者が野蛮で暴力性のある可能性がある以上は、自分も対抗上腕力で自衛するしかない、と思い込む心理)を事あるごとに国民に訴求して、力には力で対抗すべきという世論の流れをつくり出し「言論の暴力」を法制化することで民主主義への挑戦を行ってきたのは安倍政権だったのではないでしょうか。八年近い首相在任期間において安倍政権が掲げた政治テーマは、戦後レジームからの脱却でした。戦後レジームの脱却という言葉に当初は安倍元首相の脳裏に祖父岸信介大日本帝国への回帰願望があったと思えます。しかし政治家のトップたる首相となり地球儀を俯瞰してみると国土上空に旗めくは星条旗でした、ようやく國体の実態は米国の植民地なることを知った彼は大日本帝国への回帰は不可能として小泉政権が口火を切った新自由主義の強化と徹底(いわゆるアベノミクス)に方向を切り替えたのだと推測します。

安倍元首相が率いた政権は、基本的人権を蹂躙するものゆえに平成の治安維持法と言われる「特定秘密保護法」とそれを補完する「共謀罪法」を成立させました。そして、解釈改憲という反則技で「集団的自衛権の行使容認」を決定し、一連の「安保法制」を強行可決し、醜の御楯と我立つ先はなんと星条旗に化すという不思議な戦争が出来る国にしてしまいました。
さらに、自作自演のモリカケ騒動では公文書改竄が行われ関係者の自殺者を生じさせる事態に至るもドヤ顔で押し通し桜を見る会など公私混同の極みを尽くして安倍元首相は辞任していきました。

安倍元首相が亡くなるや民主主義の危機を超え高に叫ぶ多くの報道機関ですが、彼らは安倍政権がおこなってきた民主主義を毀損する政治に対して、正面から立ち向かってその是非を問うたことが一度でもあったでしょうか。問題が起きると瞬間湯沸かし器のごとく燃え上がるも、徹底した問題追求や原因究明など行うことなく後はお茶を濁すだけ、ときには体制翼賛の報道さえ垂れ流しポピュリズムを煽ってきただけではないでしょうか。こんな報道姿勢が国民とくに若者の民主主義と政治に対する諦観を促進し数の論理で勝てば官軍という独裁政治を助長してきたのではないでしょうか。

安倍元首相の死を奇貨として、原爆被災地広島出身の岸田首相には首相就任時の約束通り公文書改竄の経緯を徹底究明し政治の透明性の確保と民主主義政治への信頼性回復に努めてほしいと切に願います。
「広島極道は芋かもしれんが旅の風下には立ったことはいっぺんもないんで」(映画「仁義なき戦い」)

投票日一日だけの国民主権、こんな専制国家に誰がした。
いうまでもなく民主主義を教条化し傲慢政治家を看過してきた日本国民にその大きな責がある。

新しい資本主義

政府は昨日、岸田首相の目玉政策である「新しい資本主義」の実行計画案を公表しました。

その計画によると、官民連携のもとで経済成長を目指すとして、「人」、「科学技術・イノベーション」、「スタートアップ」、

「グリーン、デジタル」の4分野に重点的な投資を行うとしています。

 

首相官邸ホームページのトップ画面には、成長と分配の好循環のイメージを描きその下に「成長と分配」それぞれの戦略が掲げられています。そこで

このイメージに沿った投資戦略であるのかみてみました。

 

ちなみに公表された4つの重点的な投資項目の内容は次のようなものです。

「人」への投資

賃上げへの取り組み、転職やキャリアアップについて社外で相談できる体制の整備、非正規を含めた能力開発や再就職の支援。

 

「科学技術・イノベーション

量子技術やAIなどで国家戦略を策定、総理大臣官邸に「科学技術顧問」を置く。

 

「スタートアップ」

起業支援を進める5か年計画を策定、スタートアップ企業が事業全体の価値を担保に資金調達を可能とする制度創設。

 

「グリーン、デジタル」

脱炭素社会に向け今後10年間で官民協調して150兆円の関連投資を実現。

 

そして、「資産所得倍増プラン」なるものが追加されています。

これについては、個人の金融資産を貯蓄から投資にシフトさせる。

そのため、個人投資家向けの優遇税制「NISA」や「個人型」の確定拠出年金iDeCo」の改革を策定するとあります。

 

どこを見ても「分配」に関連するようなものは探し出せません。

いっぽう、傍線を付した個所から読み取れるのは公金(税金)を使用して私的資産を安全資産からリスク資産への移行を促進する仕組み構築

という文脈ではないでしょうか。

 

GPIFが公金の半分をリスク資産に配分するような状況で今度は個人資産までリスクに晒そうというのでしょうか。

さらに気がかりなことは、スタートアップ企業に実質無担保で資金支援をおこなうとすれば私企業に公金を投資するという不公平かつ公金のリスク化という問題が生じますが、

国民が納得する対処はどのようにするつもりなのか。

また日々将来への不安が募る社会情勢のなか、金融資産を投資に回せるほど経済的に余裕のある人はどれだけいるのか、

経済的余裕のある人は公助により資産を増加させることができても、経済的余裕がなく投資ができない人は富者への公助という税金を収奪されるだけではないか。

このように持てる者はますます豊かに、持たざる者はさらに貧しく、国民の分断化を促進する公助になるのではないだろうか。

 

資本主義とは、果てしなき資本の増殖を宿命とするものゆえ、弱者切り捨てと強者支援による貧富の格差拡大という方策により

落差エネルギー(人工的なバブル)を生み出し続けなければならないのであろうか。

水は高きより低きに流れ落ち落差エネルギーを生む、富は持たざる者から持てる者へ流れて格差エネルギーを生み資本増殖に寄与するのだろうか。

 

「新しい資本主義」とは何かと問う前に、まず「資本主義の本質とは何か」、政府の説明をはぜひとも聞かせてほしい。

 

 

真珠湾の罠

歴史に「もし」は禁物というが、もし大本営ハワイ諸島を手に入れ米国本土攻撃への前線基地とすることで「距離のハンデイの克服」に戦略目的(大戦略)を定める、すなわち真珠湾攻撃が海陸両用作戦であったならば、米太平洋艦隊の打撃は甚大で態勢立て直しには多大の時間を要したことであろう。そして情緒と空気が大勢を支配する日本軍は一気呵成に対米戦のみに集中し、形勢有利な隙に早期講和への活路を見いだし得たかもしれない。

しかし、大本営はこのような大戦略など考えて戦争に望んでいなかった。

陸軍は、南方のシンガポールを陥落し、フィリピン、蘭領インドネシアへ。海軍は、ハワイ作戦とイギリスの東洋艦隊を叩く。そのあいだに盟友ドイツはロシアを叩きイギリスに上陸しているだろう、そしてイギリス植民地に乗り込んだ日本は容易に自給線を確保できる。このように楽天的で他力本願の機会主義の戦術が大本営の考えであった。したがって、奇襲作戦以降に次ぐ第二段階の戦略などまったく考えてはいなかった。

 

近代の戦争で開戦当初から陸海軍が一斉に戦線拡大する戦術を実行したのは日本だけである。ドイツ、ロシアなど大陸国家は陸軍に注力、イギリス、アメリカなどの海洋国家は海軍中心の軍事戦略をとっていた。だからこそ地勢と経済を効果的かつ効率よく活かして軍事大国となったのだ。ランドパワーとシーパワーの地政学である。

ところが日本軍は陸海軍が一斉に戦線拡大を行い、真珠湾から始まり昭和17年春までに予想外の勝利を収めた。そこで次はどうすればよいかわからなくなった。大本営が考えていたのは第一弾作戦のみで第二段階以降の作戦どころか、ドイツが敗退する可能性や兵站の確保などの長期戦略などまったく考えていなかった。

 

そもそも日本軍には大戦略など論じる空気はなく、それを考える人がいなかった。たとえば海軍の機動部隊の長官をハンモックナンバー1番の南雲忠一を選んだが、彼は魚雷専門で飛行機のことなぞ全く知らなかったという。また補給線を確保する兵站参謀は、陸軍大学校の成績下位の者で、成績優秀者は作戦参謀や情報参謀になり兵站参謀を馬鹿にして兵站計画など聞く耳を持たなかったともいわれる。いわゆる平時の人事そのままで戦争に臨んだのである。

以上のような状況から察するに日本軍は太平洋(対英米)戦争の目的を勝利に置いていなかった、いや勝利そのものが曖昧であったと言えよう。

 

目的と勝利の定義が不明確な戦争を継続して日本軍を滅亡に誘導したのが、「真珠湾攻撃の成功」ではないだろうか。

 

海軍軍令部総長永野修身連合艦隊司令長官山本五十六という海軍の戦略と戦術を統括する責任者は開戦前からじっくりと話すことなく何ら打ち合わせもせずに真珠湾攻撃に突入したという。山本五十六は、真珠湾攻撃が承認されなくば辞めると啖呵をきり一年半程度は暴れてみせると言ったという。そこまで言うならやらせてみてはということで真珠湾攻撃が決定されたといわれる。

 

中国戦線の収拾の目処がつかぬまま、蒋介石支援ルート壊滅と石油確保という一石二鳥を狙って自らを追い込んだのが対米英戦争である。したがい大戦略(戦略と政略の統合)なき戦争の方針は、戦争の局面を見計らって講和のに持ち込む戦略であった。しかし、真珠湾の成功は「緒戦の短期的な戦況を長期的かつ世界的、全軍的な情勢である」とする大本営の伝統的な独善判断を助長し講和の機会を逸してしまった。

日本軍は外部に対しては論理性を無視した自己陶酔と膨張本能をむき出しに、内部では二・二六事件後に残った皇道派軍人への粛清と報復をおこない人材不足を来し二流将官ばかりの軍隊と成り果て、最期まで戦争目的が不明確なまま国家を破滅に追い込むことになった。

大戦略なくして平時の人事で戦時に臨んだにもかかわらず、日本軍は初戦で予想外の戦果を挙げた。大本営はこの局地的な戦局をすべての戦線にわたる戦局情勢と判断して兵站を無視して戦線拡大を続けた。日本軍の独善的な主観判断はミッドウエイ海戦など戦術の失敗による敗戦であるにもかかわらず問題の本質を隠蔽したまま、楽観的で非自律的な機会主義(ドイツの勝利などアナタ任せの天祐)が破綻をきたすと、転進という欺瞞の文脈が主たる戦術となり最後には死ぬことが目的の戦争にならざるを得なくなった。

問題の本質は、大本営が戦いの「目的」と「地政学」そして「人」を理解していなかったことである。この三要素を編集することで大戦略(グランド・ストラテジー)が構想されるものゆえ、大戦略なき戦争になったのは当然である。

たとえ、歴史に「もし」が存在しても所詮日本軍に勝ち目はなかったであろう。