bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

新しい資本主義

政府は昨日、岸田首相の目玉政策である「新しい資本主義」の実行計画案を公表しました。

その計画によると、官民連携のもとで経済成長を目指すとして、「人」、「科学技術・イノベーション」、「スタートアップ」、

「グリーン、デジタル」の4分野に重点的な投資を行うとしています。

 

首相官邸ホームページのトップ画面には、成長と分配の好循環のイメージを描きその下に「成長と分配」それぞれの戦略が掲げられています。そこで

このイメージに沿った投資戦略であるのかみてみました。

 

ちなみに公表された4つの重点的な投資項目の内容は次のようなものです。

「人」への投資

賃上げへの取り組み、転職やキャリアアップについて社外で相談できる体制の整備、非正規を含めた能力開発や再就職の支援。

 

「科学技術・イノベーション

量子技術やAIなどで国家戦略を策定、総理大臣官邸に「科学技術顧問」を置く。

 

「スタートアップ」

起業支援を進める5か年計画を策定、スタートアップ企業が事業全体の価値を担保に資金調達を可能とする制度創設。

 

「グリーン、デジタル」

脱炭素社会に向け今後10年間で官民協調して150兆円の関連投資を実現。

 

そして、「資産所得倍増プラン」なるものが追加されています。

これについては、個人の金融資産を貯蓄から投資にシフトさせる。

そのため、個人投資家向けの優遇税制「NISA」や「個人型」の確定拠出年金iDeCo」の改革を策定するとあります。

 

どこを見ても「分配」に関連するようなものは探し出せません。

いっぽう、傍線を付した個所から読み取れるのは公金(税金)を使用して私的資産を安全資産からリスク資産への移行を促進する仕組み構築

という文脈ではないでしょうか。

 

GPIFが公金の半分をリスク資産に配分するような状況で今度は個人資産までリスクに晒そうというのでしょうか。

さらに気がかりなことは、スタートアップ企業に実質無担保で資金支援をおこなうとすれば私企業に公金を投資するという不公平かつ公金のリスク化という問題が生じますが、

国民が納得する対処はどのようにするつもりなのか。

また日々将来への不安が募る社会情勢のなか、金融資産を投資に回せるほど経済的に余裕のある人はどれだけいるのか、

経済的余裕のある人は公助により資産を増加させることができても、経済的余裕がなく投資ができない人は富者への公助という税金を収奪されるだけではないか。

このように持てる者はますます豊かに、持たざる者はさらに貧しく、国民の分断化を促進する公助になるのではないだろうか。

 

資本主義とは、果てしなき資本の増殖を宿命とするものゆえ、弱者切り捨てと強者支援による貧富の格差拡大という方策により

落差エネルギー(人工的なバブル)を生み出し続けなければならないのであろうか。

水は高きより低きに流れ落ち落差エネルギーを生む、富は持たざる者から持てる者へ流れて格差エネルギーを生み資本増殖に寄与するのだろうか。

 

「新しい資本主義」とは何かと問う前に、まず「資本主義の本質とは何か」、政府の説明をはぜひとも聞かせてほしい。

 

 

真珠湾の罠

歴史に「もし」は禁物というが、もし大本営ハワイ諸島を手に入れ米国本土攻撃への前線基地とすることで「距離のハンデイの克服」に戦略目的(大戦略)を定める、すなわち真珠湾攻撃が海陸両用作戦であったならば、米太平洋艦隊の打撃は甚大で態勢立て直しには多大の時間を要したことであろう。そして情緒と空気が大勢を支配する日本軍は一気呵成に対米戦のみに集中し、形勢有利な隙に早期講和への活路を見いだし得たかもしれない。

しかし、大本営はこのような大戦略など考えて戦争に望んでいなかった。

陸軍は、南方のシンガポールを陥落し、フィリピン、蘭領インドネシアへ。海軍は、ハワイ作戦とイギリスの東洋艦隊を叩く。そのあいだに盟友ドイツはロシアを叩きイギリスに上陸しているだろう、そしてイギリス植民地に乗り込んだ日本は容易に自給線を確保できる。このように楽天的で他力本願の機会主義の戦術が大本営の考えであった。したがって、奇襲作戦以降に次ぐ第二段階の戦略などまったく考えてはいなかった。

 

近代の戦争で開戦当初から陸海軍が一斉に戦線拡大する戦術を実行したのは日本だけである。ドイツ、ロシアなど大陸国家は陸軍に注力、イギリス、アメリカなどの海洋国家は海軍中心の軍事戦略をとっていた。だからこそ地勢と経済を効果的かつ効率よく活かして軍事大国となったのだ。ランドパワーとシーパワーの地政学である。

ところが日本軍は陸海軍が一斉に戦線拡大を行い、真珠湾から始まり昭和17年春までに予想外の勝利を収めた。そこで次はどうすればよいかわからなくなった。大本営が考えていたのは第一弾作戦のみで第二段階以降の作戦どころか、ドイツが敗退する可能性や兵站の確保などの長期戦略などまったく考えていなかった。

 

そもそも日本軍には大戦略など論じる空気はなく、それを考える人がいなかった。たとえば海軍の機動部隊の長官をハンモックナンバー1番の南雲忠一を選んだが、彼は魚雷専門で飛行機のことなぞ全く知らなかったという。また補給線を確保する兵站参謀は、陸軍大学校の成績下位の者で、成績優秀者は作戦参謀や情報参謀になり兵站参謀を馬鹿にして兵站計画など聞く耳を持たなかったともいわれる。いわゆる平時の人事そのままで戦争に臨んだのである。

以上のような状況から察するに日本軍は太平洋(対英米)戦争の目的を勝利に置いていなかった、いや勝利そのものが曖昧であったと言えよう。

 

目的と勝利の定義が不明確な戦争を継続して日本軍を滅亡に誘導したのが、「真珠湾攻撃の成功」ではないだろうか。

 

海軍軍令部総長永野修身連合艦隊司令長官山本五十六という海軍の戦略と戦術を統括する責任者は開戦前からじっくりと話すことなく何ら打ち合わせもせずに真珠湾攻撃に突入したという。山本五十六は、真珠湾攻撃が承認されなくば辞めると啖呵をきり一年半程度は暴れてみせると言ったという。そこまで言うならやらせてみてはということで真珠湾攻撃が決定されたといわれる。

 

中国戦線の収拾の目処がつかぬまま、蒋介石支援ルート壊滅と石油確保という一石二鳥を狙って自らを追い込んだのが対米英戦争である。したがい大戦略(戦略と政略の統合)なき戦争の方針は、戦争の局面を見計らって講和のに持ち込む戦略であった。しかし、真珠湾の成功は「緒戦の短期的な戦況を長期的かつ世界的、全軍的な情勢である」とする大本営の伝統的な独善判断を助長し講和の機会を逸してしまった。

日本軍は外部に対しては論理性を無視した自己陶酔と膨張本能をむき出しに、内部では二・二六事件後に残った皇道派軍人への粛清と報復をおこない人材不足を来し二流将官ばかりの軍隊と成り果て、最期まで戦争目的が不明確なまま国家を破滅に追い込むことになった。

大戦略なくして平時の人事で戦時に臨んだにもかかわらず、日本軍は初戦で予想外の戦果を挙げた。大本営はこの局地的な戦局をすべての戦線にわたる戦局情勢と判断して兵站を無視して戦線拡大を続けた。日本軍の独善的な主観判断はミッドウエイ海戦など戦術の失敗による敗戦であるにもかかわらず問題の本質を隠蔽したまま、楽観的で非自律的な機会主義(ドイツの勝利などアナタ任せの天祐)が破綻をきたすと、転進という欺瞞の文脈が主たる戦術となり最後には死ぬことが目的の戦争にならざるを得なくなった。

問題の本質は、大本営が戦いの「目的」と「地政学」そして「人」を理解していなかったことである。この三要素を編集することで大戦略(グランド・ストラテジー)が構想されるものゆえ、大戦略なき戦争になったのは当然である。

たとえ、歴史に「もし」が存在しても所詮日本軍に勝ち目はなかったであろう。

 

 

 

憲法記念日に思うこと

憲法記念日に思うことは毎年のように同じことだ。

一つは、我が国は名目だけは独立国家というものの未だ占領下にある永久敗戦国であるということ。

もう一つは、そのような状況を変革しない限り憲法改正になんの意味ががあるのかということである。

憲法にまつわる本質的な問題点と第9条がらみの戦争論を記述する。

 

憲法の実質的上位法、日米地位協定) 

日米地位協定は1960年に締結されたが、その前身は日米行政協定で1952年2月に結ばれている。それは、半年前にサンフランシスコ講和条約が結ばれ日本が名目だけは独立国となったものの敗戦後の錯綜した政治・社会的状況のなか密かに外務省庁舎内で締結されたものだった。その内容は「独立後の日本ではGHQ が在日米軍になり替わった」と解釈できるようなものである。

 

この実態が明確になったのは、1959年に最高裁が判決放棄をして在日米軍治外法権を認めた判決である。つまり日米地位協定憲法の上位法であることを最高裁が皮肉にも裏書きした判決を下したのである。

 

日米地位協定に基づき日本の官僚と米軍は毎月打ち合わせ協議をおこなっている。主体は日米合同委員会という名前だが、日本側代表は外務省北米局長で防衛大臣でも外務大臣でもない。なんとも不思議に思えるが実は公務員法トリックといわれる憲法第15条が鍵である。これについては長くなるので省く。

 

いまだ敵国条項の対象国である日本

国際連合憲章は1945年10月24日に発効した国際連合の目的を達成するための国際条約だが第53条、第107条には敵国条項(enemy state clause)の規定が存在している。

 

この条項の対象国は第二次大戦中に連合国の敵国であった国すなわち日本、ドイツ、イタリア、ブルガリアハンガリールーマニアフィンランドの7カ国だが日本とドイツを除く5カ国は大戦中に枢軸国側から離脱しており実質的な対象国は日本とドイツである。

 

条項の主旨は、条項対象国が戦争結果の確定事項に違反し侵略行為を再現するような行動等を起こした場合には、国連加盟国や地域安全保障機構は、国連憲章51条に規定された安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を課すことができるとしている。

 

第53条〔強制行動〕  

1.安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。

2.本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。

 

第107条〔敵国に関する行動〕

この憲章のいかなる規定も、第二時世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国(例えば日本)に関する行動でその行動について責任を有する政府(この場合、アメリカ)がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。

(カッコ内注記は筆者)

 

 

憲法とは何か

西洋哲学に基づく法解釈と西洋文化の影響からであろうか、憲法を客体とし国民を主体とする二元論に立脚した論議が主流である。このような思考法は我が国の国民性からし

妥当なものとは思えない。

同胞330万人の屍を乗り越え戦火の廃墟から立ち上がった国民が築き上げたのが新憲法に基づく統治体制と社会の基本秩序でありそれが今の日本をもたらした。

しかるに、憲法議論となると統治体制の議論を回避して、草案は誰が作ったかとか第9条

などの特定条項が憲法三原則に優先するのは不思議なことだ。まるで国家ビジョン無くして場当たり的政策を積み重ね国益を見失う昨今の日本政府にも似て、まさに木を見て森を見ずのごとき本末転倒の議論である。

 

憲法を論じ改正を云々するならまず憲法とはいかなるものか、その定義を明確にすることが議論の前提条件であろう。

憲法とはなにか、それは「社会を成り立たせている基本秩序であり、この秩序に基づき承認された政治権力を支援、監視する機能」であると私は定義する。

憲法三原則といわれる基本的人権国民主権・平和主義、この三点セットの共通基盤となる思想は基本的人権であろう。

基本的人権とはなにか、それは「すべての人が生命と自由を確保しそれぞれの幸福を追求する権利、簡単に言うと人間が人間らしく生きる権利のこと」である。

この理念について、憲法第97条は次のように謳っている。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、

侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」

日本国憲法には《人類の多年にわたる》国家や民族を超えた人々の憲法観と人権思想が

《侵すことのできない永久の権利》として反映されていると思う。

 

基本的人権において自他二元論があり得ぬごとく、私たちは生まれた時から憲法に包まれ主客一体で暮しており、憲法と国民一元化された生態系として「私たちは日々、憲法を生きている」それが日本人の粋なのでもある。人間が人間らしく生きるために、腕力には腕力などとは呆れるほどの野暮なのだ。

 

(戦争とはなにか)

「戦争とは相手方の権力の正統性原理である”憲法”を攻撃目標とする」(ルソー)

日本に対する戦争とは、物理的な核戦争や領土侵略などではなく基本的人権への攻撃そのものである。当然そのような戦争は国際法違反となるだろう。

しかし、ロシアや中国そしてアメリカが国際法国連憲章に違反したとして日本を含む国際社会は何ができるだろうか。

ICC( International Criminal Court、国際刑事裁判所)に違反国の為政者を訴追すべきですが、訴追をしても裁くことは難しいであろう。なぜならロシア、中国そしてアメリカともに

ICC非加盟国だから。

また、国連において上記三か国はいずれも安全保障理事会常任理事国ゆえ自国への

いかなる非難決議案に対しても拒否権を発動して廃案にできる。つまり、いかなる総会決議をしようと法的拘束をかけることは不可能なのである。

 

第二次世界大戦後、アメリカの戦争はロシア同様に他国領土で行われたが、戦争犯罪を問われても不思議でない事例があったと思う。しかし、ICC非加盟国かつ国際連合常任理事国であるアメリカが訴追されたことはなかったと記憶する。それよりもアメリカは人道主義(民主主義)と民族自決主義(孤立主義)を上手に使い分けることで、国際社会の火の粉を避けながら民主主義の旗手として国際社会における覇権の道を歩んできたと思う。

その大きなバックボーンは国際連合第二次世界大戦戦勝国パラダイム)ではないだろうか。ロシアもそして中国も同様だ。国際的な免罪符つまり「法的拘束力の回避特権」を持った戦争ができるのだから。

 

 

日本国憲法施行直後における昭和天皇の行動

敗戦から二年が経過した1947年9月19日、宮内庁御用掛の寺崎英成はシーボルトGHQ外交局長を訪ねて次の昭和天皇の意向を伝えた。いわゆる「沖縄メモ」といわれるもので

次のような内容のものである。

沖縄復帰50年で思うこと

戦前からこの国の指導者は沖縄に冷酷だ。
日米戦の敗色が濃厚になると指導者は、一億火の玉本土決戦、と国民を叱咤激励した。しかし本土決戦を実行したのは一億国民のうち沖縄県民のみだ。そして世界の戦史上類例を見ない軍人と同数に達する沖縄民間人の命(県民の1/4の9万4千人)が失われた。

沖縄玉砕の前夜、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将は、沖縄県民の悲惨な奮闘を讃え海軍次官あてに次のように打電した。
「謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

ところが指導者たちは本土決戦に身を晒すことなく玉砕などどこ吹く風と手のひらを反すように無条件降伏してしまった。

敗戦から二年が経過した1947年9月19日、宮内庁御用掛の寺崎英成はシーボルトGHQ外交局長を訪ねて次の天皇の意向を伝えた。「天皇は、25年から50年あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクションのもとで、アメリカが沖縄を含む琉球の他の島を軍事占領しつづけることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることになる。」シーボルトはこの内容をまとめ9月20日付で連合国最高司令官、22日付で国務長官に報告(この写しは沖縄県公文書館に展示されていたが数年前に展示を止めたと聞く。しかしネットで公開されている)

沖縄は戦争末期の沖縄戦に続いてまたも国体護持のため本土の代わりに犠牲となったのである。

余談だが「沖縄メモ」と朝鮮戦争勃発の翌日1950年6月26日、帰国直前の大統領特使
ダレスに伝えられた「天皇メッセージ」*
この2件は新憲法下で違憲の疑念が残る昭和天皇の行為であり、かつ政府や外交当局をバイパスしたもので二重外交と日本が揶揄されかねないものであろう。
*「講和条約とりわけその詳細な取り決めに関する最終的な行動がとられる以前に日本国民を真に代表し永続的で両国の利害にかなう講和問題の決着に向けて真の援助をもたらすことができるそのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべきであろう」

余談だが、
あえて極論すれば戦後日本の基本的な外交の枠組み(対米追従構造)は国体護持の達人で現実主義者の昭和天皇が築いたともいえよう。すなわちそれは菊から星条旗の国体への道である。

沖縄復帰から50年経過するもいまだ国民に向けてとりわけ沖縄県民に対して政府から敗戦にかんする謝罪の一言すらない。
この国の指導層はひたすら米国への従属を担保にして自己保身と私利拡大を図っている。
ビジョンなき永久敗戦国日本。その姿が象徴的に凝縮されているのが沖縄だ。

亡き翁長沖縄知事は、国土の0.6%を占める沖縄に駐留米軍基地の70%が存在し、憲法の実態的上位法といえる日米地位協定により米軍基地占領下のごとき人民主権不在の沖縄の状況を改善すべく政府に請願し続けた。しかし政府は冷たかった。癌闘病中にもかかわらず上京した翁長知事に当時の首相は面談することさえ拒否した。マスコミも大多数の日本国民も沖縄には無関心であった。いまだけここだけ自分さえ良ければ同胞の惨状などどうであろうと構わぬということか、日本国民として何とも嘆かわしい限りだ。
日本国と国民統合の象徴たる平成天皇は皇太子時代を含め計11回にわたり沖縄慰霊のご訪問をなされているというのに何たる有り様か。

マスコミは北朝鮮ミサイル、台湾有事やウクライナ侵攻と競って海外メディアの垂れ流し、政治はアメリカ政治の受け売りの惨事便乗型政治、国民は海外メディアとアメリカ政治に乗せられ空虚な擬制国家への不安から官制の愛国心をかき立てる。これは喜劇なのかそれとも悲劇なのか。

 

崩壊する民主主義

そもそも民主主義とは、市民が自由選挙で選出した代表を通じて市民としての権利を行使しかつ責任を負う統治形態というものだが、

いくら美辞麗句を並べようと所詮は数の論理による統治形態である。

統治者と被治者である市民との間を媒介するのが選挙で選ばれた代表者であり、代表者は市民の意見を代表して国会に参加する。

国会では各代表者は自己の意見を通す為に同様の意見を有する代表者と徒党を組んで政党を結成する。国会では政党は意見を貫徹するためには多数派となる必要がある。

市民の意見や権利は政党を通じて実現されるというが、これは多数派の政党に関しての話であり少数派はときどきおこぼれにあずかるだけである。

これで何とか日本は回ってきた。

 

ところが、いまや市民権利を代表する政党の機能は衰えて消失してしまっていることが大きな問題である。

なぜなら、グローバリズムとデジタル化により社会が液状化してしまい政党は社会の輪郭と特徴を把握したコミュニテイのセグメンテーションができなくなったからである。

増加する一方のサイバーコミュニテイなどカオス化した個の見えざる集合体であり、市民像をイメージすることさえできない。

その結果として社会と政治との接点という機能を政党が果たせなくなっているからである。

したがい、国会が法律の発議や起草をする場ではなくなり、主要な機能は与党は多数決で政府を支持し野党は政府の座を奪おうと非難に傾注する、ということになっている。

その行く着く先は、次のようなことになる。

与党は権力者に継続的な正当性を付与するだけの目的で戦い、野党は権力者の失墜を準部する。

つまるところ、政党は市民の主張を統治者に対して代表することよりも、統治者の主張を市民たちに代表することになっているのである。

このような民主主義のファッショ化、専制化は今にはじまったことではなくヴァイマール憲法下のドイツ以来、民主主義の不治の病といえよう。

この解決策として、フランスをはじめとして幾多の諸国が統治者を別に選出する大統領制に切り替えているのであろう。(アメリカの大統領制は経緯が異なる)

日本が欧米諸国に遅ればせながら民主主義の危機に至ったのはなぜか。

それは戦後日本の優秀な官僚が作り出した中間層が復興経済のおこぼれに等しくあずかり自由の幻想に浸れ弥縫策でも民主主義がもってきたからであると思う。

民主国家と強権国家

民主国家と強権国家という二項対比は直感的にわかりやすいのですが、
ふたつの「国家」そのものの本質を定義したうえでの比較論であるのか疑問を感じます。

わたしは民主、強権いずれの国家も「国民国家」だと思います。
国民国家とは何かというと、わたしは次のように定義します。
単一民族国家といえる日本人には容易に受け入れがたいと思いますが)
"ほとんど人為的でしかない国境や民族を(フィジカルな)基礎に置きながら、
観念としての国民というフィクションを(メンタルな)基盤に拠って強制的に
同化と統合を図ることで成立する形態″

したがい民主、強権や専制などの国家に付された形容詞の意味するものは
国民国家における統治と政治社会形態の違いと解すべきと思います。
フィジカルとメンタルの統合失調がもたらす宿命を背負った国民国家は、
国内外で様々な矛盾や差別を噴出させ、その相克不能の妥結への正当化と拒絶
という思想的葛藤と政治的競合を繰り返してながら、
それぞれの国家は政治社会の近代史を形成してきたと考えます。
「民主国家と強権国家の議論とは」
国民国家という本質には言及せず、"いまここだけの状況"論から民主と強権との
ラベルを張りをしているにすぎないのではないでしょうか。

追記)
このような国民国家とは被動的国民がメジャーであり、
主動的国民がメジャーたるべき主権国民国家というものを目指すべきであります。
主権国民国家はいまだ形成途上にあり、他国民との文化・伝統の差異性を理解し承認することで排他性に拠らない自己確立を遂げつつ、同時に国家としての同質性(ジェンダーなど多様性の容認と平等性の担保など)の認知を国際的に求めなければならないという、これまた矛盾した要請にさらされている状況と思います。

 

惨事便乗

1.惨事便乗とは。

「人の弱みにつけこむ」という昔からの言葉がある。

これはひとと人との関係における私的な脅迫や略奪行為である。

近頃は、国民や世界社会を対象にして権力が「窮状に便乗して利得を得る」という公的搾取いわゆる惨事便乗型の政治や経済が国内外で注目されているようだ。

2007年に出版されたナオミ・クラインの「The Shock Doctrine」という本があるがこの書物に起因するのではないかと思う。

同書は、”9.11”からイラク戦争に至るまで、ショック・ドクトリンがどのように働いたかを分析してみせた。国防省の民営化をはかるラムズフェルド国防長官は、2001年9月10日(9.11の前日)国防総省の官僚を指して「執拗な敵がいる」と発言。9.11以降は今までのナラティヴが通用しない政治家と社会の座標軸を見失った人々を対象にして、文明の衝突悪の枢軸論をぶつけて衝撃を与えるや間髪おかず2002年11月には国土安全保障省(Department of Homeland Security)を設立。テロとの戦いは先制攻撃(preemitive      

strike)にありとして、民間セキュリティ産業や戦争請負会社などに積極投資をおこない2001年からの戦費は年間7千億ドルと一挙に倍増した。大発展したセキュリティ、軍需産業は戦争という惨事に対するビジネスとしての戦争という「惨事便乗型資本主義」(disaster capitalism)の先導者となった。その後アフガン戦争、タリバン崩壊による社会混乱、グアンタナモ基地での人権侵害などアメリカの対外活動を総してチョムスキーは三つのショック戦術(戦争、経済、弾圧)と総括、アメリカこそがテロリストであり「ならずもの国家」と評した。

ナオミ・クラインはショックとはいずれは消え去るもの、重要なのは自分に起こったことを知ることだという。また人は守ってやると約束する指導者に従いがちだと指摘する。

 

2.ロシアのウクライナ侵攻にみる惨事便乗型の政治、経済そしてマスコミ。

国内のTVニュースはウクライナ侵攻の報道オンパレードの感がある。

当初は西側メデイァの情報を垂れ流すだけであったが、最近では日本から報道陣をウクライナ現地に派遣しての報道が目に付くようになってきた。

しかし、ウクライナ侵攻が連日TVのトップ・ニュースなのかと疑問に感じていた、そんなとき「知床半島沖の観光船遭難」と「不明女児と類似の靴発見」という悲惨な情報が飛び込んできた。すると早速この報道がTVニュースのトップになっている。

ウクライナ侵攻とともに国民の感情に訴える悲惨な事故ではあるものの、2か月の長きにわたりTVのトップ・ニュースが惨事報道ばかりなのか大いに疑問に思う。

 

日本政府はウクライナ侵攻を世界最大の危機であり、わが国防体制への警鐘だとして防衛力の強化(防衛費の増額)さらには念願の憲法改正へと向けてウクライナ惨事に便乗した政治戦術と世論喚起の活動を活発化させている。

またウクライナの惨状をTVやSNSで目にした国民はあまりの悲惨さにプーチン憎し一色である。こんな国民感情を取り込んで岸田首相は北方領土問題をかなぐり捨て強硬一点張りのロシア政策を打ち出し内閣支持率の上昇へとつなげた。

アメリカではウクライナ支援に供する軍事兵器の生産がフル稼働しても間に合わないと噂されているという。ウクライナ支援のためアメリカ議会は3月に136億ドルの予算を可決したが、先日バイデン大統領は支援強化のためさらに330億ドルの追加予算の承認を議会に求めた。民主主義の旗手アメリカの人道主義を称賛する声がある一方でウクライナを捨て石にしたアメリカの惨事便乗資本主義だという説もあるようだ。ウクライナを舞台に戦争が長期化するほど、プーチンを世界の悪者にしてアメリカの相対的な地位を高めつつ実戦でアメリカ製兵器の優秀性が世界中に報道される。惨事に怯える各国から商談が舞い込むこと間違いないのかもじれない。まさに一石二鳥の惨事便乗型資本主義である。

 

3.なぜ惨事便乗はかくも容易に人を掌握できるのだろうか。

オレオレ詐欺」にみられる惨事によるショックで、「今ここ状態に陥り感情に流されてしまう」いわゆる「今ここ効果」(here and now effect)の罠に人は陥るのではないだろうか。

今ここは、多くの場合にその時点でしか通用しないのに恒常的または普遍的な事態と思い込んでしまう。それは、ショックにより感情と理性・知性が相互補完のバランスを失い不寛容には不寛容(目には目を)になってしまうからだと思える。

 

追記)

 台湾有事やロシアのウクライナ侵攻など国民の不安に乗ずるかのごとき政府が主導する国防強化と防衛費増額論そして改憲論議

これらも惨事便乗型政治の類と警戒してかかるべきであろう。