bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

ニ・二六事件 異聞(前)

JR熱海駅からお宮の松に下るバス通りをしばらく歩くと国道135号線に合流する。その合流点の右手には切り立った崖がそそり立っている。その崖上は石塀で囲まれているが、元熱海衛戍病院(陸軍病院)の跡地である。ひと気のない歩道沿いから脇道を上がると山腹を切りひらいた段々畑のような地形が現れる。振り返ると眼前に初島がぽっかりと浮かぶ熱海湾が一望できる。

その崖下、国道沿いの狭い歩道沿い、かすれた文字で「河野寿大尉自決の地」と書かれたブリキの標札が建っている。 

 

河野寿大尉はニ・二六事件に参加した青年将校である。

ニ・二六事件は東京だけではなく湯河原でも起きていた。

湯河原、伊藤屋の別館光風荘に逗留していた元内大臣牧野伸顕伯爵を襲撃した部隊があった。それは河野寿大尉を部隊長とする総勢8名の部隊である。事件当時、河野大尉は陸軍航空兵大尉、前年10月に満州から戻り所沢陸軍飛行学校で操縦を学ぶ28歳の若者であった。

河野大尉は所沢から出向いたとはいえ、事前から伊藤屋に宿泊するなど入念な下見を行い襲撃には万全を期していた。

しかし、果敢な護衛警官の抵抗と牧野伯爵お付き女中の機転により牧野伯爵を取り逃がし襲撃は失敗に終わった。

 

以降は、河野司著「私のニ・二六事件」(河出文庫)からの抜き書きを中心に事態を追う。

 

河野大尉の兄、河野司は上野松坂屋に勤務していたが26日の号外で事件を知り「さては、やったな」「弟もかならずこの渦中にある」とピンときた。しかし弟の消息がわからぬまま27日が過ぎた。河野司(以降、司)は勤務先に欠勤届を出して翌日、所沢の飛行学校に向かった。そこで聞き出したことは、河野寿大尉(以降、寿)は湯河原の河野伯爵襲撃に向かったこと、同所で負傷したらしいこと、負傷した将校が一人、湯河原の病院に入院しているらしいということことだった。ただちに司は所沢を発ち高田馬場から東京駅経由で湯河原に向かった。しかし夕暮れ時の伊藤屋旅館で来意を告げると何も知らぬと冷たくあしらわれる。それでも何とか聞き出した町医者に向かうと治療したのは宮田という下士官ですでに去ったあとだった。他の人はどうなったか聞くが一切知らぬと突っぱねられた。だが帰りがけ、自動車の運転手から「熱海の陸軍病院に入った人がいるらしい」と聞いた。

深夜帰り着いた東京では「蹶起部隊」は「騒擾部隊」と変わっていた。

翌29日には、奉勅命令が下り、「兵に告ぐ」放送が繰り返し流された。

ラジオは東京駅発の列車はすべて運行停止と告げ、司はやむなく熱海行きを断念した。

市中に流れる「兵に告ぐ」に続く「全員帰順」の放送、いまや逆賊になろうとしている弟を案じ眠られぬ夜を過ごした司は3月1日朝八時の熱海行き列車に飛び乗った。

車中で目を通した朝刊は、事件鎮圧しすべてが平常に戻ったと報じていた。

 

熱海衛戍病院に着くと院長の軍医少佐、瀬戸尚二は物静かに司を出迎え「じつは今朝、お勤め先の方へおいでいただくよう連絡したところでした」という。

院長に導かれるまま熱海湾に急角度に迫った山腹に階段状に立った一番高い病棟に司は入った。弟の収容されている将校病舎である。廊下から日本間の病室に入る。六畳の次の間に八畳の病室、南側一杯がガラス戸越しに開け熱海湾がみえる。

院長は「どうぞごゆっくり」と室外に去った。同時に次の間に詰めていた者も(憲兵だと後で司は知った)静かに姿を消した。

「ご心配かかけてすみません」「怪我をしたそうじゃないか。でも経過が良いそうで安心した」「不覚の負傷でした。大失敗でした。おかげでなにもかもめちゃくちゃです。私が負傷をしなかったら牧野をやり損じるようなことはしなかったでしょう。東京の同志たちが逆賊になるような過誤をおかさせやしませんでした。それがなによりも一生の遺憾です」「こんな結果になろうとは夢にも考えなかったことです。無念この上もありません」司は、はっとした。寿は私を決意している。「国家のため、陛下のために起ち上がった私が、夢にも思わなかった叛徒に・・・」「叛徒という絶体絶命の地位は、一死もって処するのみです」

 

司は思った。決意はすでに決まっているが時期は決しかねているようだ。

それは負傷の経過と遺書を書き残す時間の問題である。

負傷のため腕の自由を欠いていることは自決に障害で不成功に終わりかねない。

 

兄弟の会話は一時間ほど時間が経っていた。

寿は、三島の重砲兵連隊長、橋本欣五郎大佐(三月事件・十月事件の首謀者、寿と同じ熊本陸軍幼年学校卒)からの見舞いの果物籠からリンゴを取って司にすすめた。古武士のような父や弟たちの話に花が咲いた。

ニ、三日中の再開を約して司は座を立つと「兄さん、お願いがあるんです。湯河原で死なした皆川巡査には可哀そうなことをしました。すまないと思っています。ことに遺族のことを思うと、個人としてお詫びのしようもありません。どうか私に代わって詫びてあげてください。よろしくお願いします」司は必ずその気持ちを遺族に伝えて弔問すると約束した。

 

3日の朝、戸畑の姉から上京するという電話を司は受け取った。

翌4日の朝9時過ぎに司は沼津駅で姉夫婦を出迎えて熱海衛戍病院に向かった。

通された応接室で瀬戸院長の口ぶりから司は寿の東京収容の時期が迫ってきたことを感じる。寿は朝から憲兵隊長の取り調べを受けているという。

しばらくして、憲兵隊長の取り調べが終わったと知らされ寿の病室に入った。

病床に正座して三人を迎えた寿の面持ちは三日前とは別人のように落ち着いた柔和さに満ちていた。「委細は司さんから聴きました。よく決心してくれました。残念ですがやむをえないことです。どうか後のことは決して心配しないで安心してください」義兄と姉は静かにこもごも語った。

寿は司と二人だけになると、依頼したものを持ってきたか尋ねた。司が所沢の下宿から持ち出した亜砒酸の包みを渡すと寿は「これだけですか」という。

司が首をかしげると、寿は右手を喉に擬して突く仕草をする。

寿は声を落として「私は武人として立派に切腹して死にたいと思います。せめて短刀でもと思いますが無理です。しかし見舞いにいただいたものがたくさんありますから果物ナイフならあっても不思議はないと思います」

翌朝早く、道玄坂の刃物屋が開店するのを待ちかね折り畳み式の果物ナイフを購入した司は午前十時過ぎに熱海に着いた。どうしても寿には会う気になれぬ司は姉の心つくしの下着数枚の中に果物ナイフを忍ばせた風呂敷包みを瀬戸医院長に手渡した。

「あとはよろしくお願いします」「たしかに」お互いの胸中にすべてを託して司は病院を去った。駅に向かう坂道で見上げる病室は浅春の柔らかい日差しを受けて平和に静まっていた。

東京に帰った司はその足で松坂屋に向かった。

すでに三時を過ぎていた。いまごろはもう自決を決行しているに違いない。

四時のラジオニュースを聞いたが、それらしいニュースはなかった。

帰宅すると家には近親の人が集まっていた。

六時のニュースでも寿の自決の報道はなかった。

体力の回復が不十分で果物ナイフも切れなかったのではないか、不安が覆った。

九時のニュースでも何も言わなかった。

夜十一時過ぎに横浜の叔父が玄関を開けて飛び込んできた。

熱海の病院に様子を見に行ったが、すでに寿は自決を決行した後で会うことは許されなかった。午後三時半ごろ自決を企て目下手当て中であるとのことだった。

不眠の一夜を明かした司は夜明けを待ちきれず「様子知らせ」と医院長に電報を打った。ほとんど折り返しに「河野大尉、今朝六時四十分死去す、来られよ」との官報が配達された。

義兄と司はただちに熱海に急行した。

ラジオが寿の死を報じたのは午後一時だった。

 

六日午後一時戒厳司令部発表 第八号

湯河原にて牧野伯襲撃に際し負傷し、東京第一衛戍病院熱海分院に入院中の叛乱軍幹部元航空兵大尉河野寿は、昨五日自殺を図りて重態に陥り、本六日午前六時四十分遂に死亡せり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

資本主義は末路に向かう

資本の果てしなき増殖のため、

人工的なバブル創出を繰り返してきた資本主義が近ごろ注力しているのは、惨事便乗型資本主義(略奪による蓄積と新自由主義的経済政策の押し付け)のようです。その最終版ともいえるのが脱炭素化に向けた再生可能燃料へのエネルギーシフトという新たなバブル(グリーンバブル)の熾りだと思います。なぜなら、グリーンバブルはcommonを取り戻す世界的な反成長運動を本質とするものですから、資本主義の再生どころか自殺行為となりかねないからです。
惨事便乗型資本主義の巧妙なシナリオは、第二次大戦の終わりまでに切迫する社会革命への恐れがもはや現実的でなくなると核兵器による大量虐殺の亡霊を直ちに出現させ、そしてそれが現実的でなくなると「地球温暖化」を発見したのです。資本主義という化け物は不断に自分自身の消滅の手段を想像するか、あるいは実際に生み出す必要性つまりバブルが不可欠なのです。

 

化け物としての資本主義は人間社会の共通的富=共通財産=common(*)を物理的形態と社会的形態の両方から驚くべき勢いで破壊してきました。
 (*)二つのcommon
   ・物理的形態(物質世界)とは、空気、水など自然の賜物
   ・社会的形態(社会的生産の諸要素)とは、知識、言語、情報など社会を構成し発展させる諸元

その結果、世界中でcommonの私有化と専有化が進んでいます。無限の富の追求=利益至上主義が民主主義と資本主義のハネムーンに始まった国民国家至福の時代を終わらせ今や国民の分断と民主主義国家の崩壊を加速させているのです。
資本主義とは社会主義と同様にcommonを排除する所有制度であることが明白となったいま、

経済成長が幸福をもたらす社会的進化であり美徳でさえあるという成長神話は完全に終焉しました。
 
コモンを取り戻す=「脱成長コミュニズム」(斎藤幸平「人新生の資本論」)言うなれば意図せざる「打倒資本主義」は世界の趨勢になっていくものと思います。
 

 

 

 

永久被占領国、日本

新型コロナの感染防止対策で失敗してきた日本政府ですが、今回は異例ともいえる迅速さで日本政府はオミクロン株感染防止の手段を講じ徹底した水際対策を実施してきました。そのためか欧米各国に比し感染者数は微少に抑えられ見事な手際だと感心していました。しかしながら年明けとともに感染者数が急増し今や感染第六波という状況で沖縄、山口、広島県には蔓延防止策が講じられると報道されました。政府主導による全国民参加の一億総水際作戦でした。奏功しなかったことは一国民としてまことに残念です。

 

この水際作戦が失敗した一つの要因は在日米軍基地にあると思われます。なぜなら、日本国における米軍の地位を取り決めた「日米地位協定」ですが、これは敗戦後のGHQ占領体制をそのまま継承したようなものだからです。
この日米地位協定第9条によると、アメリカ兵だけでなく軍属に加えてアメリカ兵の家族も含めアメリカ軍関係者は日本入国時の検疫が免除されることになっています。またアメリカ軍関係者はチャーター便でアメリカ本国や海外の基地から直接、在日米軍基地に入ることができます。つまりノー・ビザで入国できるのです。つまり在日米軍に対して水際対策は何ら意味のないものだったのです。

 

米軍基地では日本人が基地従業員として日本のルールに基づきマスクをして働いています。
ところがその横でアメリカ兵はマスク無しで自由に歩き回っているのです。

 

米軍基地で働く日本人はこんな状況に耐え被占領的状態を黙認していたわけではありません。


日米地位協定」の著者である山本 章子さん(琉球大学人文社会学国際法政学科准教授)によると「日本人基地従業員の組合である全駐労沖縄は、従業員の安全のために基地内でアメリカ兵がマスクを着用するよう繰り返し団交している。全駐労沖縄の要請は沖縄防衛局にも上がっていた」として「もし、防衛省が同じ要請を在日アメリカ軍司令部と国防総省に行っていれば、感染状況がここまで悪化することは防げたのではないか。」と述べています。
(筆者注:国土の0.7%に過ぎない沖縄には在日米軍基地の70%が駐留しています)

 

日本の報道機関も基地の外でマスクをせず出歩くアメリカ兵の映像を流していました。

 

日米地位協定の所管は外務省ですが、いったい日本政府は何をしていたのでしょうか。「在日○○」と聞いただけで気色ばむ人々が「在日米軍」に異議を唱えないのはなぜでしょうか。

 

敗戦の焼け跡に天使の如く現れ至福の時をもたらしたアメリカ兵、GHQ占領体制が未だ日本人の心に残照を残しているのでしょうか。

 

戦後の被占領体制をそのまま引きずった日米地位協定のような協定は、同じ敗戦国のドイツやイタリアの駐留米軍には認められていないと聞きます。

ところが日本では被占領的状況の是正努力をするどころか、安倍元首相は大統領にもなっていないトランプ氏の下に馳せ参じる醜態を演じて日本の立ち位置=subject to Stars and Stripes =「星条旗への忠誠」を世界に表明したのです。

 

それ以降の日本は為政者はじめ政官エリートによるトランプ直伝フェイクニュースとポストトウルースの花盛りです。もとより虚妄に過ぎぬ日本民主主義(投票日だけの主権在民と多数派の専横を担保するだけの代表民主制度)は崩壊し、本当のボスはアメリカであることを認識した官僚体制は官の道義を放棄し日本は完全に星条旗の国体となってしまいました。

 

岸田首相のオミクロン水際作戦も所詮は宗主国アメリカ主導のフェイクニュースの類いだったのかも知れません。
それよりも日米地位協定は国民に公表されているものですから、騙されたと勝手に思う国民が無知なだけだというべきかも知れません。

 

いずれにせよ米軍基地の問題は氷山の一角です。首都東京の制空権さえ自由にできない我が国の置かれた永久被占領体制、それを看過してきた(権力に飼い慣らされ思考停止の居心地よさに安住してきた)国民に問題の本質があると思います。
 

GDPは生活向上の指標たり得るのか。

GDPとは、一定期間内に国内で生産された財とサービスの付加価値の合計額を示し、国の経済規模や健全性を表す指標である、と一般的に定義されています。

そしてGDPの増加率がすなわち経済成長率とされているようです。

しかし生活の質が向上して経済成長した場合のみでなく、生活に負の影響を与える場合でもGDPが増加することがあるのではないでしょうか。例えば自然災害により道路や家などが破損した場合の災害復興工事です。復興に費やされる財とサービスは新たな経済的付加価値をもたらすものの被災者や被災地の経済的かつ精神的な犠牲を代償にしてこそ成り立つものです。森林を伐採してゴルフ場を作ることで経済的付加価値は創出されますが、自然破壊が進み生物多様性を失っていきます。GDP増加率では量の比較はできても、GDP増加の原因など質的な評価、比較はできるのでしょうか。

もしできないのであれば、私たちの生活にとりGDPという経済指標は如何なる意味があるのでしょうか。

経済とは「経世済民」のことだと教えられた世代にとっての素朴な疑問です。

ポスト・トゥルースとフェイク・ニュース

ポスト・トゥルースの起源は、米作家Ralph Keyesの「The Post-Truth Era」(2004年刊行)といわれるが、環境問題誌「グリスト」の編集者、David Robertsが地球温暖化懐疑論者のキャンペーンに用いたのが起源との説もあるらしい。

定義は「事情をわきまえたうえで、人を欺くつもりで間違ったことを断言すること」である。

米国トランプ大統領の誕生により「ポスト・トゥルース現象」=「政治家がいくら嘘をついたとしても、国民の支持率には大きく影響しない」は日本を含め世界的な現象となり専制政治の出現を助長してきた。

 

フェイク・ニュースとは、意図せる(せざる)誤報または捏造報道のことである。

ニュースの取材側には事実の信憑性をどこまで検証できるか限界がある。報道が誤りか否かまた意図的かどうか、判断可能性はニュース受信側のみならず報道側でも疑問である。

さらに、ニュースの受信側には「メディアは真実を報道するもの」あるいは「メディアは善ではなく快を追求するものだ」といった思い込みが存在する。

フェイク・ニュース氾濫の原因を、*ブルムバーグは「人々は自分が無知であることに気づかなくなった。それゆえフェイク・ニュースに接しても本当かどうか調べようとする気を起こさなくなった」「本物を見分ける能力の過信」と指摘、ガーディアンは「フェイク・ニュースの拡散速度)が上昇、コストは低下して手間がかからなくなった」ためだと評している。

*MITのTwitter調査では、事実が伝播するのは1,000人程度であるのに比べ噓は多い時には10万人まで拡大する。拡散力は100倍、拡散速度は20倍としている。

 

「嘘でもいいから、クリックしたくなる話」を作れば大きな利益が生み出せる仕組み(フェイク・ニュースとポスト・トゥルース)、これが現代資本主義と政治の象徴であろう。

*(駒澤大学グローバルメディアスタデイーズ学部、柴﨑厚士教授の講義資料抜粋)

 

「真実はただ一つか

「真実」:起こった事柄に対する解釈 「真理」:確実な根拠に立脚する普遍的に正しい事柄

 

「群盲、巨象を評す」という言葉がある。大きな象の鼻や足などに触れた盲人の群れが、象というものは云々とそれぞれ評するがいずれも象の全体像を言い当てることはできない。鼻にふれた人にはその鼻が足に触った人にはその足が象の真実なのである。もし象の各部にそれぞれ触れた盲人が10人いれば、真実が10あることになる。

「本当の色は存在するのか」

ある色を見て「赤」という人がいれば「ピンク」や「オレンジ」という人がいる。

人は「本当の色が一つある」という発想でものを見て、間接的な情報やイメージで事物を判断しがちである(いわゆる先入観、偏見)

 

真実は百面相であるにもかかわらず、人は真実の前提として、「正しい真実はただ一つ」と考える。それゆえ、フェイクでないニュースや正しい真実という本物が存在するという前提に立つからこそフェイク・ニュースもポスト・トゥルースも成立することになる。

 

この世の中には真実はいくつも存在し、実際にはすべて真実なのである。

真実とは、実はグローバルな*想像共同体が新たに生み出す虚像なのかもしれない。

 

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「フィルター・バブル」

  ネット利用者個人の検索履歴を学習・分析して、関連性が高いと推測される情報が優先的に表示される。利用者の志向・行動傾向に合わない情報は隔離され、自身の価値観や考え方のバブルの中に孤立する情報環境。

 

「エコー・チェンバー」

  SNSでは自分の興味・関心事に沿ったユーザーをフォローする。

結果的に、SNSで意見を発信すると自分に似た意見が返ってきて自分の意見が広く支持されていると感じてしまう現象。

 

 

 

眞子さまのご結婚

 秋篠宮家の長女・眞子さんと小室圭さんは、結婚されて日本を離れニューヨークでの生活を始めました。

眞子さまのご結婚については、小室さんに関する醜聞から賛否両論がありました。

この問題は、眞子さまが皇族であるために一般国民の結婚とは異なる視点で論じられていると思います。皇族は私たちと同じ国民であるのか否か。この点を明確にしてからでないと、どうも考えようもありません。
この問題に関係するのは憲法ですが。
憲法1条では、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
憲法11条では、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」とあります。
ここでいう国民とは「国籍法」により定められた日本国籍の所有者のことです。

しかし、姓も戸籍もない天皇と皇族は日本国籍を有するのでしょうか。戸籍のない人が国籍を取得できるのでしょうか。眞子さまはじめ皇族が外国に入国する際のパスポートはどうなってるのでしょうか。憲法の規定を読み替えると国籍がなければ基本的人権の享有は妨げられることになります。ということは、さまざまな自由や権利つまり表現の自由や移動の自由、職業選択の自由もないことになりかねません。
天皇については、「象徴という地位」ですから、基本的人権を超越した概念で理解すべきか(イデオロギーとしての天皇制は戦前と戦後に断絶はない?)とも思いますが。しかし、皇族については、どうなるのでしょうか。

リベラルの衰退

リベラリズムの中核的概念をなすのは、自由、個性、社会性、公共利益、進歩、合理性だが、このうち自由と合理性のみを強調するのがニューリベラリズムである。このニューリベラリズムに政治と市場を売り渡したのがアベノミクスといえる。アベノミクスは、株高と雇用増大をもたらしたが、株高の恩恵を受けたのは株式を保有する一部の富裕層であり、雇用増大は非正規雇用比率を増やし人件費低下を享受できた大企業だった。為政者の偏狭な価値観が生み出したアベノミクスは経済成長を停滞させ国民の経済格差を拡大したばかりでなく、アベノマスク、モリカケやサクラを観る会など為政者の横暴を生み社会性や公共利益を損なってきた。その結果、リベラルな理性を蔑視する風潮が社会に蔓延した。今後の政治は沖縄の基地、福島の原発など自国民に対してますます非人道的になり、他国民には戦争を仕掛けるような動向が顕著になっていくことであろう。