bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

アメリカの民主主義

週間エコノミスト12/31・1/7合併号に一橋大大学院の福富満久教授が寄稿、アメリカ民主主義の特殊性に関するエマニュエル・トッドの論考を紹介している。

今回のアメリカ大統領選では、ヒスパニック系もアジア系もトランプ氏を拒絶しなかったのはなぜかが話題になった。その理由について、トッドは自身の仮説「黒人やインディアンに対する差別が結果的に日系、朝鮮系、ベトナム系、中国系を準白人として格上げしているに過ぎない」アメリカの社会状況からして、黒人と同じ扱いをされては困るというヒスパニック系とアジア系の意識がなせる投票の結果だと説明する。

福富教授は、このようなトッドの考えを一笑に付すことはできるだろうかと疑問を呈する。

弱者は生き残りを賭け強者に縋り、ひたすら忖度を重ねる。その結果、持てる者をさらに富ませて強くしていく。そしてアメリカでは富そのものが力となり権力を握り法をも屈服させて支配下に置く。これがアメリカの民主主義というものであろう。

新大統領の就任式まじかのアメリカでは、退任を控えたバイデン大統領が恩赦を否定していた自身の次男ハンター・バイデン氏の恩赦に署名、また2021年の米議会襲撃事件を誘発したとされていたトランプ氏に対する起訴を特別検察官は取り下げた。

 

畢竟アメリカ社会では、自由で平等な人間関係というものは白人だけのものであり、この前提のもとアメリカの民主主義は構築され成立しているのであろう。

イギリスの名誉革命にはじまるボトムアップ型「法の支配」とは縁遠く、見えざる手から見える手へとピュリタニズムの倫理に育まれてきたアングロサクソン型の資本主義とは異質の優勝劣敗の「資本主義の精神」、このような精神風土から誕生した新生アメリカは銀行・運河・大学など国家インフラの設立はトップダウンで特許会社が独占的に請け負って構築してきた。

アメリカ独立宣言の起草者の一人、トーマス・ジェファーソンは裏庭で数百人の奴隷プランテーションを経営し自らも数十名の奴隷を所有していた。また初代大統領のジョージ・ワシントンは1785年ポトマック社(運河網構築のためのポトマック川改良工事会社)の社長となり、トーマス・ジェファーソンはその取締役におさまったのである。いうならば大統領と総理大臣で会社を作り国家システムの構築に励んだようなものである。

その半世紀後にアメリカを歴訪したフランスの思想家トクヴィルは、アメリカの民主主義を次のように評した。「情報の過剰から生まれる無知というものがある。専制国家では、誰も何も言わないので人は行動の術を知らない。民主国では、ありとあらゆることを言われるので、人はでたらめに行動する。前者は何も知らず後者は言われたことを忘れる。一つ一つの絵の輪郭が無数の細部の中に埋もれて見えないのである。」

 

リベラル哲学の泰斗、MITのチョムスキー名誉教授は「1950年代こそアメリカ社会の黄金時代であった」という。

1950年代とは、第二次大戦が終わり、民主党ハリー・トルーマン第33代大統領の政権後半、共和党ドワイト・アイゼンハワー第34代大統領の政権前半の時代である。

平均的労働者に正当な賃金が支払われ。労働者たちはローンで家を買い、新車を買った。誰もが家族と一緒に「アメリカン・ドリーム」を満喫できる時代だった。

アメリカの製造業が生産した製品をアメリカ国民が買う、そこにはアメリカ企業・工場の海外へのアウトソーシングなどあり得なかった。労働者を守る労働組合は強固で労使関係はすこぶる良かった。いうならばアメリ戦後民主主義(50年代に生まれ瞬時に消滅した)と国民国家の理念が一致したハネムーン時代であった。

ところが、その後、自由貿易の負荷を担ったアメリカ経済は退化の一途を辿り、ベトナム戦争を端緒に対外戦争に活路を求めるも失敗の連続。高い失業率、企業倒産や銀行破綻、大学授業料の高騰が平均的労働者の生活を圧迫、貧富の差は年々広がって行った。しかし、対外戦争は無意味ではなかった。DARP(Defence Advanced Research Projects Agency,国防高等研究計画局)がインターネットの原型ARPANETアメリカ国内の大学と協力して開発したのである。インターネットにより世界は激変した。アトムからビットに、アナログからデジタルへと情報伝達手段が一変し社会・経済価値の革命的な変動が起きたのである。日本の産業界が半導体開発や生産効率化に血道をあげている間に、アメリカはインターネットのプラットフォームたるポータルサイトを独占的に占有する戦略でパックス・アメリカーナ復活の栄誉を手にしたのである。(アメリカ政府投資額はAppleのみで当時40億ドル超といわれGAFAでは莫大な額になったと思われる)その結果、いまや人口比1%に満たない超富裕層がアメリカの富の99%を独占しWinnner takes all、ハイエクフリードマンも驚嘆する新自由主義の極地と化している。

アメリカの歴代政権は民主党共和党も平均的労働者の生活を守る政策を推進すると口先では言いながらも実践はしなかった。保守もリベラルも政権を取ると、既得権益のための政策に終始した。それはジョン・F・ケネディからバイデン大統領まで変わらなかった。アメリカの国家システムとはアメリカの会社システムと本質的に同じものであったのである。

 

アメリカの歴史をこのような観点から解釈してみると、トランプ氏の大統領再選はアメリカ社会のDNAがなせる結果であり、イーロン・マスク氏の閣僚登用もUSスチールの売却拒否も素直に納得できるのである。

(まさに)アメリカにしかないアメリカの良さといったものは、アメリカが国際政治に参加しないことを前提として可能なものであった。(「文明が衰亡するとき」高坂正堯

 

日本製鉄のUSスチール買収

日本製鉄によるUSスチール買収は、アメリカ政府は対米外国投資委員会が結論を出せず判断を任されたバイデン大統領は「国家安全保障上の懸念」を理由にして買収の禁止命令を出した。

これに対して日本製鉄とUSスチールは、大統領の買収禁止命令は違法な政治介入であるとしてアメリカ政府に対して審査のやり直しを求める訴えをアメリカの裁判所に起こしたと発表。

また日本政府も石破総理大臣が「日本の産業界から今後の米国投資について懸念の声が上がっている」として「いかに同盟国であろうとなぜ国家安全保障上の懸念があるのか、きちんとのべてもらわないと話にならない」と述べている。

同盟国として集団安全保障を謳いながら、国家安全保障の共通認識はない様子である。

 

それはともかくとして、日本製鉄とUSスチールは「経済的合理性」の観点から検討を重ね両者合意の上で合併を決定した。しかるにアメリカ政府は「国家の安全保障」に懸念がありと国民国家の観点から反対なのである。これが争点の本質と思える。

いうなれば、「グローバリズム」と「国民国家」それぞれ包摂するあるべき姿=理念(思想)の相克から発生するジレンマの問題であると言えるのではないか。

グローバリズムの覇者として富の極大化を求めるアメリカが、他国との文化・伝統の差異を強調しつつ同時にその同質性を国際的に認知されること=国民国家の理念を本気で考えた結果、本件は国民国家の理念を優先専行してその下にグローバリズムを跪かせる構図を見て取ることができるのではないだろうか。

 

このような見方をしてみると、毎年恒例のユーラシア・グループ「世界の10大リスク」とは、事象面は変化しても本質的には「グローバリズム」「国民国家」「民主主義」という三つの理念のトリレンマ(トライレンマ)の相克問題に集約されるように思えてくる。

 

 

なぜ真珠湾なのか?

真珠湾奇襲について、その背景を推測してみた。

 

1 なぜ対米開戦を決定したのか。

 抜き差しならぬ状況下の選択

 ー外部要因と内部要因

 ー物理的要因と精神的要因

 ー宿命論(石原莞爾、「世界最終戦論」)

 


1. リスク回避

行動経済学による説明

高い確率で敗北、だからこそ低い確率に賭けてリスクを取って開戦する。

a 確実に3,000円払わねばならない

b 8割の確率で4,000円払わねばならない   

  2割の確率で1円も払わずともいい

プロスペクト理論(bを選択する人が多い) 

2. 社会心理学による説明

集団意思決定の状態では、個々人の意思決定よりも結論が極端になることが多い。

 


3. 優柔不断  非決定と両論併記の国家体質による説明 (機会主義)

日本という国は戦争や武力行使が必要となるとき、自分はやりたくない、もしくはしたくないように見せたいという行為を反復してきた国ではなかったのか。

 


日清戦争陸奥宗光外相、「なるべく平和を破らずして、国家の栄誉を保全し、

日清両国の権力平均を維持すべし、また我はなるたけ被動者たるの位置を執り、つねに清国をして主動者たらしむべし」

 


「及川海相と豊田外相が二人づれで自分を訪れて、海軍は開戦に反対だが従来無敵海軍を誇っていた手前、海軍の口から反対と言えないので、企画院総裁の立場で物資不足の面から反対してくれと頼んだので、自分は拒否した。海軍として反対なら反対と堂々と主張せよと進言したが、結局海軍は正式には開戦反対を唱えなかった。日本開戦最大の責任は海軍の責任回避にある」(鈴木貞一、当時企画院総裁)

 


「(昭和16年)7月2日の御前会議では対ソ宣戦論を抑へると共にその代償の意味を含めて南仏印進駐を認めた」(昭和天皇独白録)

     米国の対日政策決定的に硬化させた、昭和天皇が承認したことで「対英米戦ヲ辞セズ」として国策を縛ることになった。

 

変化に柔軟に対処可能、しかし長期的視野で物事を進めてくる相手には一貫した態度をとることができず支離滅裂となるという致命的欠陥。

 


4. 不都合な真実と現実とのギャップが引き起こしたという説明

持たざる国ではなく持てる国だった。

1930年代半ばになっても欧米列国は1929年の大恐慌の痛手から脱することができなかった。一方、日本は高橋是清蔵相による一連の政策(為替放任による輸出拡大、低金利による公債発行の容易化、財政支出の拡大)により、いち早く恐慌を脱出できた。1930年代半ば日本経済は十分な勢いに輝き、日本がその植民地向けに輸出した額と英国がその植民地向けに輸出した額の比較では一億ポンドのラインで一・二位を競い1937年(支那事変勃発)には日本が世界最大の植民地帝国となった。

 


「その当時の日本の勢いというものは産業も着々と興り、貿易では世界を圧倒する・・・英国を始め合衆国ですら悲鳴を上げている・・・この調子をもう5年か8年続けて行ったならば日本は名実ともに世界第一等国になれる」(二・二六事件当時を振り返って記したかっての陸軍大臣宇垣一成宇垣一成日記」)

 


ところが中国戦線の泥沼化とともに国民生活が逼迫しはじめると、その責任を国民に説明するにあたり国家は『英米ブロック経済が「持たざる国」である我が国を追い込んだため』と宣伝。

 


1936-7年当時、英米が悲鳴を上げるほど繁栄していた日本が突然に「持たざる国」になったわけはない。

満州事変以降の財政、金融政策を中心とする経済戦略の失敗と軍部の華北経営の失敗が日本を国際的な孤立の中でじり貧に追い込んだのではないか。

 


理解されやすいが欺瞞的な説明と理解されがたいが構造的な真因とのギャップ。

加藤陽子

そして国民は国家の欺瞞にうまく乗せられ、国家もまたその理性を国民輿論の暴走の前に封印せざるをえなくなり奈落の底に。

 


5. 神話的思考による説明

神国日本の不敗神話、教育はあるが教養のない国民が神話を助長する没我帰一の神話共同体。

独善と主観を客観的な合理性と言い換える非合理性(国体の本義)。

 


6. 革命(内戦)より戦争がまし

中国戦線からの撤退ができなかったのは革命(内戦)への懸念が大きな理由ではないか。

過酷な戦場から心身をすり減らして帰国した帰還兵が見るものは・・・

富める者はますます冨み貧しい者はますます貧しく格差拡大、帰還兵の大部分は農村出身であり、農村は疲弊・困窮のどん底、そこに武器を手にし気分も荒んだ戦場帰りの兵隊が何万、何十万と戻ってきたら暴動から革命への大いなるリスク

が予想される。その不安を煽ったのは二・二六事件を通して社会平準化と共産主義への脅威に恐怖感を強めた政官財指導層だった。

 


「若しあの時、私が主戦論を抑へたならば、陸海に多年錬磨の精鋭なる軍を持ち乍ら、ムザムザ米国に屈服すると云ふので国内の与論は必ず沸騰し、クーデターが起こったであろう」(昭和天皇独白録)

 


2 山本五十六は英雄か。

「対米英蘭蔣戦争終末促進に関する腹案」の機軸をなす西進戦略を壊したのは連合艦隊長官の山本五十六

・大局観のない読みの甘い偏った発想が結局、想定を超えた短期間のうちに米国の軍事供給力を高度に発揮させてしまった。

真珠湾攻撃は真逆の結果を招いた。

 米国の士気を喪失せしめるどころか米国民の戦意を強烈に高揚させ、戦争準備を劇的に加速化させてしまった。

 


*参考図書

 日米開戦陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書、林 千勝

 経済学者たちの日米開戦-秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く、牧野 邦昭

持たざる国への道、松元 崇

 日本人の戦争、河原 宏

 国体の本義、文部省教学局

 日本国家の神髄、佐藤 優

 昭和動乱の真相、安倍 源基

 二・二六事件青年将校、筒井 清忠

 二・二六 弱者救済という叛乱、小林 亮

 二・二六事件全検証、北 博昭

 昭和天皇独白録

徹底検証 昭和天皇独白録、藤原 彰、吉田 裕ほか

昭和天皇七つの謎、加藤 康男

失敗の本質、野中郁次郎ほか

日本人論、南 博

日本改造法案大綱、北 一輝

終戦争論、石原 莞爾

日本二千六百年史、大川 周明

戦争調査会―幻の政府文書を読み解く、井上 寿一

マイナ保険証に異議あり。

2022年10月14日、「河野太郎デジタル相はマイナンバーカードと健康保険証の一体化に伴い紙やプラスチックカードの健康保険証を2024年秋に廃止する方針を発表した。

既存保険証の新規発行を停止することで、マイナンバーカードへの置き換えを推し進める狙い」と、国内大手メデイアは一斉に報じた。

それから2年経過、明日から紙・プラスチックの健康保険証の新規交付は停止される。

 

なぜ長年にわたり国民および医療機関に親しまれ大きな支障もなく使用されてきた健康保険証を敢えて廃止してマイナンバーカードに統合するのか?

政府は、国民の利便性を高めワンストップで行政手続き等が完結するものとしている。

しかし、自動車運転免許証をもマイナンバーカードに統合すると公表しているが、これからも現行のプラスチック自動車運転免許証の交付は継続するという。

なぜ、このようにマイナンバーカードの運用方針が異なるのか?なぜマイナ保険証は自動車運転免許証と同様の対応ができないのか?寡聞にして政府の説明を聞いたことがない。

 

そもそもマイナンバー制度は、国民の利便性の向上・行政の効率化・公平公正な社会の実現を目的としたものである。

それゆえマイナカードは国民の任意取得が原則でスタートした。目的達成の一手段ゆえ任意取得は当然のこと。

ところがマイナンバーカード交付開始から6年を経過した2年前の時点で普及率は50%程度、政府は普及率向上策として血税を使い子供だましにすぎないポイント付与策まで掲げたが成果は思うように上がらない状況であった。

マイナカードを国民が取得しなかったのは、頻発するマイナカードのトラブルから肝心の個人情報が駄々洩れで漏洩してしまうことへの不安、換言すれば政府への信頼感が乏しいことが大きな原因であると思えた。

そこで政府が考えたのは、国民の生命(健康保険証という命綱)を人質にしてマイナンバーカードの取得を国民に強制しようというなんとも姑息で愚劣な発想だったのではないか。

というよりも、国民に対する一種の恫喝であろう。

 

なぜ、政府はこんなにまでして血道をあげてマイナカードの普及を急ぐのか。

こんな疑問を解く一つのヒントがある。

マイナカード発行などマイナンバー事業の中核を担うのは「地方公共団体情報システム機構(J-LIS)」である。ここは国と地方公共団体の共同運営法人で、副理事や理事は所管の総務省出身者が務める。2014年の設立当初から、即戦力の民間人材を活用する名目で、特定の企業からの出向者が多数在籍。出向元となっているのは、マイナンバーの制度設計に深く関与した電機・通信などの大手企業。

「制度設計を担ったのは、11年に内閣官房に創設された「情報連携基盤技術ワーキンググループ(WG)」だ。メンバー21人のうち、13人は民間企業の管理職が務めた。

NTTコミュニケーションズNTTデータNEC日立製作所──当時、WGに名を連ねた大企業が、現在は機構の出向元となり、「出向者が4割を占める部署もある」(機構関係者)というほど密接な関係を築き上げている。問題は出向社員が在籍しながらも、機構側が出向元企業への受注を制限していないことだ。機構が公表した昨年度の契約実績を分析。すると、驚愕の「お手盛り」実態が見えてきた。

発注事業211件(計約783億円)の受注先には前出の大手4社がズラリ。同じくWGに参加した富士通、NTT、セコム、日本IBMを含めると計137件、全体の約64.9%を請け負っていた(関連会社、共同事業体含む)。多くは競争を経ない随意契約で、受注件数に占める割合は実に75.9%。契約額は計約718億円に達し、全体の9割を優に超える。

制度設計段階から関わったホンの一握りの大企業が、マイナンバー事業を独占とはムチャクチャだが、その見返りだろう。受注先には幹部官僚が天下りしている。

21年4月から22年12月の間にNTT、富士通、日立、NEC、セコムの本社や関連企業には、総務省など関係省庁OB26人が再就職していた。加えて日立、NTTデータNECは関連企業を巻き込み、自民党政治資金団体国民政治協会」にセッセと献金。その額は21年までの3年間で計2億5750万円に上る。ランニングコストに毎年、数百億円もの税金が投じられ、事業規模はトータル1兆円ともいわれるマイナンバー事業。」

日刊ゲンダイDIGITAL2024年6月10日付)

 

このように、政官財の三者が庶民目線ならぬ欲得がらみで構築したシステムーデジタル利権ーのせいか、マイナカードはスタートからトラブルの連続。マイナカードと健康保険証を連携させる煩雑さは尋常なものではなく、申請者も受付現場も狼狽と狂騒の日々であったとメデイアが競って報じた。

マイナカード利用者である国民を無視して、マイナンバー制度の目的を忘れた政府はデジタル化という美名のもと、なんと5種類もの健康保険証を交付することになったのである。まずこれから、計4枚のカードもしくは紙がマイナ保険証として世の中に並存することになる。一つめは、「暗証番号あり」のマイナカード、二つめは「顔認証(暗証番号なし)」マイナカード、三つめはマイナ保険証を持たない人向けの「資格確認書」、四つめはマイナ保険証が使えない医療機関で診療を受ける際に必要な「資格情報のお知らせ」である。さらに来春からはスマホ(アンドロイドとアイフォン)搭載のマイナ保険証が加わって5種類となる。

 

マイナカード読取り機の導入・既存システムの変更など医療機関・関係者は降ってわいた財政的負担と事務処理に苦慮、地方と言わず都市部でも廃業に追い込まれるところが頻発していると聞く。医療関係者の怨嗟の声が高まるも政府は暴走を止めようとしない。これでは過疎に泣く地方生活者は医療難民となり地方はますます崩壊してゆく。

手段を目的化して突進する政官財の指導層、日本永久敗戦の本質を如実に観戦している

気がする。

トランプ大統領の再登場、その意味するものは。

アメリカ大統領選はトランプ氏が第47代大統領に選出された。4年のブランクを経たトランプ大統領の再登場は何を意味するのであろうか。トランプ氏選出の社会的な背景を考えてみた。

 

まずトランプ氏の大統領再選に対する国内外の反響と評価は、彼のアメリカ・ファースト政策が公約とおりに実行されると世界経済はシュリンクアメリカ国内は移民規制の強化と高関税からインフレ再燃、規制緩和がもたらす格差拡大、そして強権国家との軋轢が激化して地政学的リスクが拡大するといった悲観的な予想が大勢を占めているように思える。

しかし、楽観論ではないが肯定的な見方もあるようだ。ハリス氏が敗北したことでアメリカは内乱が起きなかった(佐藤優、作家)、トランプ大統領の要請により日本の国防予算は増大せざるを得ず、なし崩し的に憲法改正に向かう、対中国包囲網が強化され日本の安全保障政策が強化されて改憲論議が脚光を浴びる(国防強化と憲法改正論者)などである。

ちなみに、NHKが11月15日から3日間、全国の18歳以上を対象に世論調査RDD方式)では調査対象2,905人のうち、42%にあたる1,213人から回答を得た結果、日本にどういう影響があると思うか尋ねたところ、「よい影響がある」4%、「どちらかといえばよい影響がある」

23%、「どちらかといえば悪い影響がある」47%、「悪い影響がある」が13%であったという。

 

トランプ氏が選出された社会的背景を考える。

トランプ氏はTV番組「The Apprentice」の司会を6シーズンにわたり務め、実業家とは異なる立場と視点から民衆の注目を集め人気を得る要領を獲得してきたと推測する。その経験を通して論理ではなく如何にしたら視覚的かつ感覚的に人心をつかむことができるか第一期トランプ政権で体験してきた。そして独断的な暴論の連発、しかしその極言こそが社会的弱者の人心を理屈抜きで鷲掴みにする術を会得してきたと思える。

いっぽう、ハリス氏はあまりにもカリフォルニアン過ぎた。

多くの民衆の住むところはシリコンバレーやハリウッドやビバリーヒルズでもないのである。

屈託のないサニー・スマイル、著名な芸能人を招いたキャンペーンは経済的弱者の多いラストベルトや朽ちたショッピングモールが悲哀を誘う片田舎では鼻白むものだったのではないだろうか。ドイツのメルケル元首相を想起させるパンタロン・スーツで教条的な民主主義そ訴求する姿は、庶民は彼女の情熱に対してすべからく共鳴すべきだという知識層の使命感が横溢し共感ではなく強制的な感情を持った庶民が少なからずいたのではないだろうか。それはフランス語を学び始めた学生相手にフランス語でフランス哲学を語る教師の使命感を思わせる不釣り合いな情景を想起させた。

 

民主主義や自由といったアメリカの美しい理念が今や権力者やエリート層のためのモノとなりこの理念を切り札にして、意に添わぬ選挙結果はポピュリズムと斬って捨てる。こんな政府に多くの庶民はうまく利用され騙されてきたのではないだろうか。人々の期待、怒り、悲しみや感情のたかまり、そういうものをうまく吸い上げて悪口雑言に乗せたのがトランプ氏であろう。ウクライナを支援しながらガザを見捨てるダブル・スタンダードの政治、他国での戦争を企図・助長して戦地への武器輸出などで国益増大の基盤強化を図る惨事便乗型経済、このような体制(権力と結びついた知性)に異議申し立てをしたのが今回トランプ大統領を支持した民衆だったと思う。アメリカ社会は反知性主義へと方向転換をしつつある、この潮目を見て取ったトランプ氏は時流に乗れると自らを客寄せパンダ化して、何を訴えようが聞き入れられない抑圧された民衆の怒りとの融合に成功したのではないだろうか。

 

アメリカの草創期、ピューリタン牧師と建国の父という二つの知識層は彼らの知性と権力を統合して独立戦争を勝ち取った。それから国家意識とアイデンティティなるものを庶民に植え付けた。孤立した大陸と農村社会の安全性からなる絶対的優位の地政学的ポジションのもとで、アメリカ社会はプロテスタントの精神に包まれ産業資本を育んできた。しかし、20世紀に突入するとコスモポリタニズムや懐疑主義の思想が否応なく侵入してくると社会の安全性は危機に瀕し、伝統に固執した産業資本の衰退という事態に追い込まれた。この想定外の状況変化に対応できぬ知性に対して、その実用性が大きな問題としてクローズアップされる。顕在化した知性の非実用性は庶民の社会認識と知性感覚を徐々に変容させていった。そんな状況下に勃発した第一次大戦は知性に対して現実との対立を余儀なくされる。これに対して知性は確たる回答が出せなかった。いっぽう戦争経験は大胆で実用的なプラグマティズムを醸成し、発育不全を起こした知性に対する民衆の懐疑主義が育成、強化されていった。第二次世界大戦が終わると、アメリカ社会はビジネスにもっとも広い関心を持つようになり、生活分野では実用性を圧倒的に重視するようになった。そして、「アメリカの仕事はビジネスである」(カルヴィン・クーリッジ第30代大統領)に象徴されるごとく実業界が知性への社会的な懐疑を強力にバックアップし勝者独り占めの独占資本主義に邁進した。凡庸なアイゼンハワーが1952年の大統領選においてプリンストン卒のスティヴンソンに勝利したが、これは知性に対する俗物の勝利としてマッカーサーを切歯扼腕させ反知性主義アメリカ社会に浸透させる画期的な大統領選となった。このようにアメリカの社会思想史を振り返ると、21世紀に入り露呈した民主主義と資本主義の融合理念の行き詰まり現象を打開するひとつの思想的な切り口としての「反知性主義」Anti-Intellectualism 顕在化ではなかろうかと解している。

 

 

金融資本主義からデジタル資本主義へ

xの使用を再開したトランプ氏のフォロワー数は8915万、ハリス氏のSNSフォロワー数は2076万人だという。(山田敏弘、ジャーナリスト)この数字は8月末時点のものでその後の変動は把握していないがネット・コミュニティではかなりトランプ氏が有利な選挙戦を進めていたと思われる。

デジタル技術の活用では群を抜く、イーロン・マスク氏がトランプ氏の陣営に参加した。彼のトランプ氏支持がいかほど再選に貢献したかはわからぬが、彼がトランプ政権に参画することは金融資本主義からデジタル資本主義、ドルから仮想通貨へのパラダイム転換の兆候と思える。

トランプ氏が唱える関税障壁の制裁はアトム経済には有効であってもビット経済圏に対してどの程度の制裁力が及ぶのか予想は難しい。

しかし、デジタル経済が暗示するアトムからビットへの価値観の変容はドルから仮想通貨へと通貨概念のパラダイム転換を誘因する可能性を秘めているのではないだろうか。

 

トランプ大統領の再選は、反知性主義とデジタル資本主義への転機となるのか、または時代の仇花にすぎないのか。それとも、こんな考察が無意味なのであろうか。

 

 

 

 

政府の危機感

年初の震災から復旧途上にあった能登半島が、今度は大雨に見舞われ甚大な被害が発生している。しかし、被災地住民の惨状を横目に、政府・自民党は次期総裁選に熱中している。

政府・自民党は台湾有事をはじめとする地政学的リスク(予測可能な危機・人災)を国民に訴求し国防の危機感をあおってきたが、国民が生死の境に瀕している能登半島の豪雨災害(予測不能な不確実性・天災)に対しては、緊急事態に臨む危機感はまったくうかがえない。

党利党略に他ならない自民党政治家の危機感に基づく総裁選挙は、一時棚上げにし、早急に対策本部を設置して二次災害の回避に向かうべきではないか。危機にさらされているのは自民党ではなく国民なのである。

また、自民党総裁選を傍観して感じることは、いずれの候補者も革新の旗を掲げるものの、言うことは色あせた常套句の繰り返しで、なんら斬新さは感じられないことである。問題の本質は、自民党総裁は日本国首相となる可能性が高いにもかかわらず、国家のあるべき姿、国家ビジョンを打ち出す候補者がひとりもいないことである。

国民の勤勉性に胡坐をかいた政治の腐敗と言えばそれまでだが、石破候補が沖縄で「日米地位協定の見直し」に言及したことがせめてもの救いかと思える。石破候補に肩入れするつもりは毛頭ないが、国防費をいくら積み上げても防災にはならないことは自明の理であり、人災と天災の危機を識別した危機管理を意図しているからこその「防災省」提案と思えた。

いま日本国民は「政治の荒廃という人災」と「自然災害という天災」に同時に見舞われ、救うすべなき状況に置かれているのではないだろうか。

 

アメリカ大統領選と自民党総裁選

アメリカの大統領選挙は、ペンシルベニア州ミシガン州など激戦7州で民主党ハリス候補が共和党トランプ候補の支持率を僅差でリードしているとメデイアは伝える。

アメリカの大統領選挙は長くて騒々しい、この長い期間に要する費用と時間を考えたときそれだけの意味があるのか疑問に思う。なぜだろうかと考えるに、大統領選挙の前年始めから始まる予備選挙が重要になりすぎているのではないかと思った。高坂正堯さんによると、大統領選とは元来は民主・共和両党の議員がそれぞれの大統領候補を選出し、その後に大統領の決定選挙がおこなわれるものであったらしい。予備選は1910年代にオハイオ州で初めておこなわれたものの1950年代までは一部の州で行われるだけで、世論の動向を見るサンプル調査のような扱いだったらしい。ところが、1960年代半ばから大衆民主主義の大きなうねりが訪れ予備選を行う州が増えて1980年には35の州で行われいつの間にか全州に普及したという。投票権はなかったがアメリカで7年近く生活し、お隣さんのご意見やメデイアの報道に接したわたしの経験からいうと、大統領選は広く民意を求めて政治に反映させるという民主政治の原則に徹底するあまり、政治がなすべき目的「未来の制度設計」論議を忘れ、一般大衆に訴求するため政治家ではなく政治屋になってしまっている、またそうでないと選挙に勝てないと感じていた。

翻って、日本では来月予定される自民党の次期総裁選について岸田首相が「自民党が変わることを国民の前にしっかりと示す、変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ。来たる総裁選挙には出馬しない」と述べ、立候補しない意向を表明。国民の目からすれば岸田政権の大きな汚点は派閥の政治資金パーティー問題であろう。しかし政治資金規正法の改正を行ったと自慢するが、実態は政治資金のブラックボックス化を図っただけでないのか。聞く耳を持つと公約しながら結果は聞き流すだけ、民意を無視してやりたいことを勝手にやった岸田政権だと思う。

次期総裁選も国民はまったく蚊帳の外におかれ欺瞞と狡猾に塗り固められた政治屋どもの私利私欲の談合で次期総裁たる日本の首相が決まるのであろう。民主政治の原則である国民の政治参加さえも入り口でシャットアウトである。これではカネとヒマを使うが「民意」に広く耳を傾ける仕組みが維持されるアメリカ大統領選の方が遥かにましだと思う。投票日一日だけの国民主権や政府指導の賃上げに満足し政治の横暴に対しては徒手空拳、黙認するだけの日本国民、「未来の制度設計」なき政治屋の横行を助長し独断専行の暴挙を許容しているのは誰か考えないのだろうか。