bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

国旗損壊罪

「国旗損壊罪」の制定については、自民党と日本維新の会との連立合意書に明記されており、自民党は法制化に向けての議論を3月27日に開始したと報じられています。

これに先立ち昨年10月、参政党は「国旗損壊罪」を刑法改正案として参議院に提出しています。その法案条文は以下のとおりです。

「日本国に対して侮辱を加える目的で、日本国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、

又は汚損した者は、2年以下の拘禁刑又は20万円以下の罰金に処する」

 

この条文を読んでまず疑問に思うことは、1999年に制定された国旗・国歌法では国旗を日章旗と定めたものの、国民に尊重義務を課す規定や罰則は設けていません。

内閣府のホームページには、内閣総理大臣の談話として次のように掲載されています。

今回の法制化は、国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありませんが、本法律の成立を契機として、国民の皆様方が、「日章旗」の歴史や「君が代」の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただくことを願っております。」

なぜ今になって罰則規定が必要なのか、また条文そのものが曖昧で「侮辱」の定義は明示されていません。これでは、セクハラ・パワハラと同様に当事者(国家権力)の恣意的な判断で一方的に侮辱と断定されかねません。

東大大学院、斎藤幸平准教授いわく「外国には似たような法律があるじゃないかといわれますが、日本が大好きなアメリカは表現の自由を重視していて、そういった法律はないんです(国旗汚損罪に違憲判断)。逆に、皆さんが大嫌いな中国では、香港とかの抗議活動をする人を弾圧するために使われたりする。やはり、国民を弾圧するような懸念があるものは、そう稚拙に作ったりしない方がいいんじゃないかと思いますね」

国旗とは、国家の象徴です。この象徴に対して今回あえて罰則規定を設けるという背景は何か?

推測するに国家権力が国家の象徴を法的に管理すること、それが「国旗損壊罪」(刑法改正)の意図ではないでしょうか。もしそうであるなら、それは国家権力の国家(すなわち国民共同体および国民アイデンティティ)への過剰介入であると考えます。

日本における国家の象徴とは、天皇がそうであるように単なるシンボルや記号ではなく文化的自立性の象徴です。文化的自立性とは、国民の内面的な独立性から「象徴の尊厳」が歴史的に生成され維持・発展してきたものです。天皇を「天チャン」と呼んだら侮辱になりますか?文化的自立性は決して国家権力に強制されるべきものではありません。それゆえに、文化的自立性は国家権力の抑制機能を持ち得るのです。

この象徴を国家権力が管理することは、表現・内心の自由を制約して文化力の低下を招きかねません。そもそも「国旗損壊」という言葉は西洋かぶれの匂いが芬々で、国旗に対する思いやりと優しさのない官製の押しつけがましさしか感じません。

 

 

 

 

「国民会議」への危惧

「国民会議」は、2008年に当時の福田康夫首相が「社会保障国民会議」として閣議決定によって設置したことに端を発します。

その設立趣旨は、与党単独の多数決による決定では国民の強い反発が予想される重要な政策課題について、学識経験者や経済界、労働界など多様な立場の関係者を広く招き、建設的な議論を通じて社会的合意を形成することにありました。これは法律に基づく常設機関ではなく、特定の課題解決のために期間を限って設けられる協議体です。

 

今年2月の衆議院選挙で異例の首相選択という国民投票(?)を経て首相に選出された高市首相は、消費税減税と給付金付き税額控除の導入を目指し、新たに「国民会議」を設置しました。

ここで注目すべき事態が生じました。

高市首相は、給付金付き税額控除の導入に賛同することを野党参加の前提条件としたのです。さらに、「社会保障国民会議」であるにもかかわらず、議員定数削減といった別の政策課題にも議論を広げようとしています。

本来、多様な意見を持つ関係者が集い、合意形成を図るべき「国民会議」でありながら、異なる立場や意見を初めから排除する姿勢が見受けられます。

申すまでもなく、国政の重要課題を慎重に論議すべき場は国会です。しかし、現状では自民党が単独で3分の2を超える議席を有しているため、高市首相の意向に沿った参加者によって構成された「国民会議」の結論は明白であり、自民党による一党支配体制、すなわち戦前の大政翼賛会を彷彿とさせる状況が再現される恐れがあります。民主的な手続きにより国民が首相を選出したとはいえ、その帰結としてこのような政治体制が生まれることに、改めて民主主義政治とは何か熟考させられます。

トランプ・高市会談で得をしたのは誰か。


トランプ大統領と高市首相の日米首脳会談の後に開催された夕食会の参加メンバーに驚きかつ成程と思わされました。夕食会に招待されたソフトバンク孫正義会長兼社長ですか20日、米中西部オハイオ州で5000億ドルの投資を表明したというのです。
この巨額投資の内容は、データセンターを中心に電力や通信など幅広い産業が集積し、孫氏によれば「1カ所の投資として人類史上最大」ということです。
孫氏は昨年からこのプロジェクトの話をしていました。それを日米首脳会談後の夕食会に同席して翌日には公式発表したわけです。

トランプ大統領にすれば、5000億ドルの巨額投資を手にしたのですから、中間選挙に向け大きなフォローの風です。ホルムズ海峡に自衛隊が出動するより遥かに大きな政治・経済的に価値ある成果でしょう。一方で高市首相にとっては、危惧されたトランプ大統領からの無理難題は何ら投げかけられることなく、訪米は無事終了。めでたしめでたしです。
今回一番得をしたのは、ソフトバンクの孫氏ではないでしょうか?
日米トップの夕食会に参加というお墨付きですから、プロジェクトは財政的にも政治的にも両国の支援が期待できるのですから。
どうも今回の日米首脳会談のシナリオは孫氏が手がけたようにも思えてきます。

「国富論」250周年

'Wealth of Nations' 「国富論」は今から250年前の1776年3月9日に発表されています。

奇しくもアメリカの独立宣言と同じ年です。

 

アダム・スミスは本著作で輸入を最小限に抑え輸出を最大化しようとする重商主義帝国を強く非難しました。

それから歴史は流れて、今日のアメリカを見ますとトランプ大統領の関税政策や「アメリカ・ファースト」は、スミスが指摘した重商主義帝国との間に幾多の類似点を見つけることが出来ます。

 

アメリカは、スミスの教義すなわち自由市場や自由貿易にあまりにも実直に従った結果、自ら窮時代遅れの重商主義帝国に傾斜し、自虐的な関税戦術や無法な腕力競争に陥落したのではないでしょうか。

富の獲得と集積に熱中した結果、近視眼的な利益増大に走り国内生産を海外に放出してしまった兵站消滅のツケを一気に支払わされる

羽目に至っているように思えます。

 

「公共費用に対して、富裕層が自らの収入に比例する分だけでなく、それ以上のものを負担することは決して不合理なことではない」とアダム・スミスは書いてます。

また「いかなる社会も、その大多数が貧しく惨めな社会であれば、繁栄し幸せであることはありえない」とは彼の有名な言葉の一つです。

アメリカは、強欲国家から「富の配分」に思考のパラダイムシフトをすべきときではないでしょうか。

 

高市首相の作戦勝ち

今回の衆議院選挙は政党や政策選択の選挙ではなく、国民が現政権の全権を高市首相に白紙委任するか否か、その回答を要請された異様な選挙でした。

最初から政権維持目的の選挙であり、高市首相(その一味)の選挙戦略が上手かったと思います。
その戦略は三つの戦術から構成されていました。
一つは、短期決戦宣言(第二次大戦初期にドイツ国防軍が行った電撃戦を模倣か)による敵側の錯乱、
二つ目は簡単明瞭なスローガン「強い日本」を強烈に(「それしかない」)打ち出したこと、
三つ目は首相のイメージ(見栄え)戦略です。
この三つの戦術の編集が成功を挙げています。

この背景を辿ってみます。
・短期決戦

「首相への白紙委任を要請する選挙」を目的に、高市首相は国権の最高機関である国会の召集日、その冒頭に衆議院解散を表明しました。
野党も国民も「寝耳に水」の首相声明であり、さらに投開票日は2月8日と短期決戦の選挙を宣言されたたのです。
野党は政策云々や戦略立案どころではなく、国民は候補者の主張など十分に検討する時間的余裕もなく、投票日を迎えたと思います。

・簡単明瞭なスローガン
高市首相は衆議院解散の理由を次のように述べました。
高市早苗が、内閣総理大臣で良いのかどうか、今、主権者たる国民の皆様に決めていただく、それしかない。
『日本列島を、強く豊かに。』今、着手しなければ、間に合いません。」  
政策については何も語らず(ここがミソです)、「日本を強く」「高市早苗」そして「それしかない」の歯切れのいい啖呵、三語です。短期決戦ですから、これで十分でした。

・イメージ構築(見栄え良さ)
日本の選挙で有権者の支持を獲得するには、論理や政策ではなく肝心なのはイメージであることを高市首相は熟知していました。
そこで、投票者に政策や首相の発言を熟考する時間的余裕を与えず、直感で感覚的に投票先を決めさせるべく、短期決戦戦略を採ったのです。
さらに一昨年の自民党総裁選での敗北から学んだと思われる戦略つまりイメージ転換を図ったのです。(以下--部分は、東洋経済オンライン2月11日号記事からの要約です。)ーーまず見た目ですが、黒くて濃い眉毛をブラウン系に、ルージュは濃色からナチュラルカラーに、ダークスーツから
ライトカラーの柄物スーツに変えて、--険しい目つきはいつも笑顔となり、全身から親しみやすさを滲ませて国民に訴求したのです。
短期決戦は、投票者に熟慮の時間を与えぬこと、また笑顔の女性候補は真顔の女性候補より10%以上好感度が高く、投票者が直感で投票した候補者の当選率は70%であることなど各種データから高市陣営は学んでいたのでしょう。
FB友達でドイツ在住の女性大学教授は次のように述べています。
「最近、日本のメディアが拡散する「サナ」のイメージの影響で、大粒の真珠のネックレスや青色のジャケットがドイツの街中や通販サイトで、私の目にも入ってくるようになりました。
ARD(ドイツ公共放送連盟)の特派員は高市首相就任後のイメージ戦略を次のように報道しています。ー日本語では「サナ活」とも呼ばれる現象は、
彼女が常に持っている同じハンドバッグを人々が買い求めるところから始まりました。
そのバッグは日本製で、価格は約800ユーロ(約15万円)と決して安くはありませんが、すでに完売しています。テレビ番組では、彼女の服装がことさらにもてはやされています。
彼女が化粧品について何か発言すると、その発言は視聴者から非常に好意的に受け取られ、模倣されます。つまり、彼女本人やその外見に関わるあらゆることが、現在は大きな意味を持っているのです。」

・以上のような戦術を多角的に活用することで、首相としての能力も実力も分からぬのに「私で良いか決めなさい」それしかない、と問答無用で国民に質した結果、多くの国民は直観短慮で投票したのでしょう。
そして、高市首相は衆議院選挙で見事な戦略勝ちしたものと思います。

 

今のアメリカ、明日は日本か。

市首相は、国権の最高機関である国会、その召集日冒頭に衆議院解散を表明しました。

高市首相は衆議院解散の理由として次のように述べました。

高市早苗が、内閣総理大臣で良いのかどうか、今、主権者たる国民の皆様に決めていただく、それしかない

そのように考えたからでございます。 『日本列島を、強く豊かに。』今、着手しなければ、間に合いません。」

 

 

本来であれば国会で諮るべき審議案件について与野党の主張と議論を踏まえたうえで、政府の信を問うのが民主主義政治の本筋だと思います。

ところが、高市首相は政府ではなく首相個人への信を国民に問うというのです。

首相としての能力も実力も分からぬのに「私で良いか決めなさい」それしかない、と問答無用で国民に質すに等しいものではないでしょうか。

トランプ大統領を彷彿とさせるような話です。

さらに問題は、高市首相への信認投票をするためには自民党日本維新の会所属の立候補者へ投票するしか方法はありません。

この場合に、投票対象は立候補者ではなく高市首相個人への投票(信認)とみなされるのでしょうか。

「民主主義の根幹である選挙」(解散表明で高市首相が唯一口にした民主主義という言葉)はこれでいいのでしょうか。

 

高市首相の言動からは、民主主義からの逃避と強権政治への願望が垣間見える気がしてなりません。

なぜなら、アメリカから学んだ民主主義が(クーデターによらず)独裁に変わる「とき」が私はあるような気がするからです。

それは、為政者の口から「選挙で勝ったのだから何をしてもいい」、「民意を得た『正義』だからとして反対意見を無視し、「敵」や「非国民」という言葉を使ったとき。「緊急だから」「今だけ」と言って規則を捻じ曲げて主張を押し通したとき。 メディアが政府を忖度して「監視と説明」から「体制の翼賛と代弁」に機能変更したとき。

総じて為政者が国民に成り代わり政治の主語となる論法を展開し始めたときです。

このような「とき」を政府は小泉政権から継続して作り出して、国民の思考を刹那的で狭窄的視野へと転換してきたのではないでしょうか。

 国権の最高機関である国会、その召集日冒頭に衆議院解散を表明しました。

高市首相は衆議院解散の理由として次のように述べました。

高市早苗が、内閣総理大臣で良いのかどうか、今、主権者たる国民の皆様に決めていただく、それしかない。

そのように考えたからでございます。 『日本列島を、強く豊かに。』今、着手しなければ、間に合いません。

 

本来であれば国会で諮るべき審議案件について与野党の主張と議論を踏まえたうえで、与党政府の信を問うのが民主主義政治の本筋だと思います。

ところが、高市首相は政府ではなく首相個人への信を国民に問うというのです。

首相としての能力も実力も分からぬのに「私に任せなさい」それしかない、と国民に質すに等しいものではないでしょうか。

トランプ大統領を彷彿とさせるような話です。

さらに問題は、高市首相への信認投票をするためには自民党日本維新の会所属の立候補者へ投票するしか方法はありません。

この場合に、投票対象は立候補者ではなく高市首相個人への投票(信認)とみなされるのでしょうか。

「民主主義の根幹である選挙」(解散表明で高市首相が唯一口にした民主主義という言葉)はこれでいいのでしょうか。

 

高市首相の言動からは、民主主義からの逃避と強権政治への願望が垣間見える気がしてなりません。

なぜなら、アメリカから学んだ民主主義が(クーデターによらず)独裁に変わる「とき」が私はあるような気がするからです。

それは、為政者の口から「選挙で勝ったのだから何をしてもいい」、「民意を得た『正義』だからとして反対意見を無視し、「敵」や「非国民」という言葉を使ったとき。「緊急だから」「今だけ」と言って規則を捻じ曲げて主張を押し通したとき。 メディアが「監視と説明」から「体制の翼賛と代弁」に機能変更したとき、総じて為政者が国民に成り代わり主語となる政治論法を展開し始めたときです。

このような「とき」を政府は小泉政権から継続して作り出して、国民の思考を刹那的で狭窄的視野へと転換してきたのではないでしょうか。

 

今回の高市首相の解散表明の意味するところ、それは日本国民に大きな岐路選択を迫る選挙だと考えます。

すなわち日本がアメリカ(との一体)化に邁進していくのか、 

それとも曲がりなりにも民主主義社会に踏みとどまるのか。

 

アメリカのどこが日本より優れているのか。

アメリカの底力というより、日本に比べて優れていると思う点を述べてみます。

それは、権力・為政者のアメリカ・ファーストの「戦略的思考」と戦略実行のための「システム構築力」、

社会の「敗者への寛容性・再挑戦の容認」だと思います。

 

戦略的思考は、国家と企業が一体化して経営戦略と市場政策を一緒くたにして遂行する、

官民一体型意思決定が基盤にあってこそ可能と思っています。

ところが日本ではすべて自分が通常で世界も同様だと思う人が多く、アメリカも国=政府と企業は

別枠だと思っているようです。表面は別でも裏では一体化してるのがアメリカ権力だと思います。

 

戦略的思考の例を挙げます。

第二次大戦終了後の世界制覇を目論み1944年に連合国側で締結した、「ブレトン・ウッズ協定」です。

この協定でアメリカは、事後にIMF世界銀行を設けて金本位制に基づく米ドルを基軸通貨としました。

そして外国為替の固定相場制度を敷いてアメリカ主体の世界金融システムを構築、アメリカ資本主義の世界的基盤を確立しました。

アメリカのシナリオとおりにアメリカ資本主義は発展拡大を続け、アメリカは海外に売るよりも多くのモノを

買い入れるようになり、貿易赤字は拡大しました。いっぽう、輸出国はおおいに潤いまたアメリカから遠く離れた工場を所有する

アメリカ企業はそこで上がった利益をウオール街に送金・投資しておおいに潤いました。

 

しかし累積する貿易赤字ベトナム戦費に苦しんだアメリカは、1972年ニクソン大統領が固定相場制を放棄して変動相場制に移行して

ドル安誘導という債務の棒引き(金防衛と借用書の割引)をやってのけたのです。まさにニクソン・ショックでした。

 

しかし、商品資本主義から脱却できないアメリカはモノ経済に固執、モノの生産は日本はじめ韓国やドイツにコスト的にかなうはずがなく

アメリカは1985年G5参加のプラザ合意で主に日本を狙い撃ちにするドル切り下げを断行しました。

 

それでも貿易収支は改善せず(アメリカが魅力ある商品を世に出せず)アメリカは戦争ビジネスに活路を求め、

湾岸戦争アフガニスタンイラクリビアなど相次ぎ失敗。しかし、軍需産業はIT産業が技術発展を遂げる重要な培養土となったのです。

次にアメリカが仕組んだのは金融カジノです。

債務を商品化してその商品の破綻リスクをも商品化するといった金融工学を駆使したギャンブル資本主義です。

やりたい放題の金融資本主義がわが世の春を謳うもつかのまリーマンショックが到来。

するとアメリカは中央銀行の水門を開けて惜しげまなく金融業界にドルを放出しました。

(金融業界への社会主義政策の適用です)金融業界は、その豊富な資金をシリコン・バレーに向かわせることになりました。

 

 

この間にシリコンバレーでは、マイクロソフトがモノからコトへのコペルニクス的転回に成功し、atom以上にbitへの価値に

気づいた消費者はアップルやグーグルを世界的企業へと引き立てました。(この時期に私はシリコン・バレーに居住していました。

ビル・ゲーツやステーブ・ジョブズは若者の神様、Being Digitalを日々生きていました)

彼らの努力はいくら失敗しても庶民は見限ることなく、再挑戦を温かく迎えました。

iphoneができるまでニュートンやらなにやらジョブズは繰り出しました、アメリカ社会は失敗するほどに次の跳躍に期待を寄せるのです。

そしてアマゾン、フェースブックなど続々とコト企業が誕生しました。

 

この動きに合わせるように昔ながらの物理的資本が支配する世界から切り離された「新自由主義イデオロギーを作りだして

「欲望」という名の美徳を崇める「グローバリズム」の布教宣伝にアメリカは方向転換したのです。

いまだグローバリズムというと民主主義同様、みんなに幸せをもたらす青い鳥と思い込んでいる人がいます。

しかしグローバリズムとは、元祖アメリカの現状を見るとわかるように、赤字と債務と投機が際限なく膨らみ続ける国際システムなのです。

 

グローバリズムの美名のもと、世界がモノの交易に励んだ結果、製造コストが高い先進国は日本をはじめ貿易赤字が拡大しました。

いっぽうアップルやグーグルはただで働いてくれるサードパーテイ開発者が生み出す売上から一定割合の

ピンハネをすることで利益(というより地代)を得るレント・ビジネスを確立しました。

モノの売買の差額で利益を出す利潤(商品ビジネス)と異なり、レント・ビジネスは供給量が固定しているためアクセス特権を生み出します。

利潤は市場競争の影響を受けやすく不安定です。

 

消費者はGAFAを無料で利用できますが、そのつど個人データをタダで提供し続けています。

モノの売買がない新しい資本主義ークラウド経済をアメリカは作り上げたといえます。

スマホでの情報検索や電話をする、商品購入・支払いをする人は世界で幾何級数的に増えているようです。

げんに私もスマホがないと身動きが取れない状況に蜘蛛の巣に囚われて居ます。

 

インターネットに乗ったクラウド経済、イーロン・マスクが巨額を投じてツイッターを買収したことで

アメリカは新たな経済圏の帝王に、しかし中国もアリババなどクラウド帝国を輩出しています。

クラウド帝国は世界の若者の意識を国民ではなくネット市民に転換してしまったのではないかと思います。

 

このようにアメリカは戦略思考とシステム構築能力に優れていると思います。

ただし、経済面のみの話です。

 

文化・思想や社会の面では比較基準が難しく私は論じられません。