bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

なぜ森友学園がセーフで、同志社国際がアウトなのか?

沖縄県名護市辺野古沖の小型船転覆事故をめぐり、文科省は同志社国際高校の研修旅行と教育内容について、

政治的中立性を定めた 教育基本法(14条2項)に違反すると認定しました。

 

教育の「政治的中立性」とは、いったい何でしょうか。

森友学園は、自らが運営する塚本幼稚園において園児に「教育勅語」や「五箇条の御誓文」を唱和させ、軍歌も歌わせていました。

しかし、文科省より何らお咎めはありませんでした。

 

辺野古沖で基地建設に反対する抗議船に乗船して不幸にも事故に遭遇した問題は、政治的問題ではなく安全管理上の問題であると

思います。

また 平和学習の観点から米軍基地構築の現場視察をすることが政治的中立性に反するものとは思えません。

軍事力が抑止力として稼働している現実や基地の役割などを視察することで、平和とは単なる理想ではなく、

生身の現実であることを眼にして真剣に安全保障を考える一助ともなりえます。

その結果、軍事施設を肯定的にとらえて軍事賛美になるかもしれませんが・・・。

それが政治的中立性を欠く教育だとは思えません。

 

そもそも「中立性」という抽象的な言葉は「中立」概念の具体的な定義なくしては成立しえません。

然るに、このような法解釈の前提条件たる用語定義を欠いた条文が存在し、罰則規定まであることには大きな疑問を感じます。

なぜならば、権力機構は恣意的な解釈と判断で「中立性」を定義して、いつでも国民を自由に拘束できるからです。

 

安全管理と教育内容という別個の課題を混交させ、文科省は恣意的な「中立性」判断を正当化しているのではないかと感じます。

 

 

 

「国論を二分する」を考える

高市首相は度々「国論を二分する」政策との発言をおこなっています。

しかし、具体的な政策の説明がなくいままで何のことか分かりませんでした。

それが、ようやく理解できたのです。

 

高市首相は4月12日開催された第93回自民党大会で党総裁として演説を行いました。

その概要は次の通りです。

・国家の使命は、国民・領土・主権を守ること
・そのために外交・防衛・経済など「総合的国力」を強化
・鍵は経済成長。 投資拡大で強い経済に
・地域経済を重視し、投資・インフラ・産業支援で地方活性化
・安定政権の基盤として「強い自民党」が必要
 伝統を守りつつ改革(保守の立場で)を推進
・皇室制度維持のため、皇室典範改正を急ぐ
・憲法改正は党是
「決断のための議論」で結論を出し、国民に問う
・日本の未来のため、成長と挑戦を続ける

政権与党の党首として、きわめて常識的な項目が並ぶ中でひときわ目を引かされたのは下記2点です。

・「皇位継承策」

皇統に属する男系男子の養子縁組を可能とする案を第一優先に「静謐な環境で皇室典範の改正を目指す」

・「憲法改正」

「立党から70年、時は来た。発議に何とかめどが立ったと言える状態で、来年の党大会を迎えたい」

 

上記2点は、いずれも憲法の改正を必要とする政策にもかかわらず、なぜ世論の分断を煽るよな強い表現を用いるのでしょうか。

そもそも、「二分する」とは事態の客観的把握において使用される言葉であり、政策を提示する当事者が二分すると自ら表明するのは何か可笑しな話です。

これでは 最初から賛成 vs 反対、勝つか負けるかという構図を強調することになります。分断をあおっているのではないかとも邪推してしまいます。

さらに「二分する」と宣言することは、次のような政治的逃避地を作っておく意図があるのではないかと思います。

・国民が二者択一の選択をしたという理由を根拠に責任の所在を曖昧にできる

・複数の政策を一括で「国論二分」とすると、どの政策が評価されたのか
何が支持されたのかが分かりにくくなる

・如何なる 結果が出たとしても選挙結果の解釈は都合よく使る余地がある

 

首相発言を読み砕くと、その意図するところは次のようなことではないかと考えます。

・目標は、選挙に勝ち続ける強い自民党を作ることである。その為の手段(政策)は憲法改正と皇室典範改正である。

・憲法と天皇を掌中にしたならば、自民党は常勝軍団の無敵政党になれるであろう。

 

「私を首相にするか否か」と国民に迫り、総選挙を断行して圧勝した高市首相です。その余勢を駆って、「国論を二分する」として国民に問うものは、「民主主義か強権主義か」その選択ではないでしょうか。

 

国家の使命を差し置き、自民党を強くすることが目標だと高市首相は言います。

主観と独善とを混同してあたかも客観的で合理的な主張であると表明する首相は、究極の二者択一を国民に強要する可能性が高いと思われます。

 

(論点集約)

高市首相はたびたび「国論を二分する政策」という言葉を口にされてきた。しかし、その具体像は長らく霧中にあり、真意を測りかねていたのが実情である。その疑念が確信へと変わったのは、去る4月12日、自民党大会における党総裁としての演説であった。首相が語った国家の使命や経済成長への道筋は、一見すれば政権与党の首長として範を示す内容であったが、その背後には看過し得ぬ野心が潜んでいたのである。

 演説において、ひときわ異彩を放ったのは「皇位継承」と「憲法改正」への言及である。旧皇族の男系男子による養子縁組を優先する皇室典範改正、そして立党70年を機とした憲法改正の発議。これらは国家の根幹を揺るがす重大事でありながら、首相はあえて「二分する」という不穏な語を用いてそれらを提示した。本来、政治とは合意形成の歩みであるはずだが、当事者が自ら分断を宣言する姿には、対話よりも対立を煽り、勝敗の構図を鮮明にせんとする危うさが漂う。

 あえて「二分」を強調する背景には、周到な政治的計算が透けて見える。国民に究極の二者択一を迫ることで、結果に対する政治責任を国民へと転嫁し、複雑な個々の政策への評価を勝利の美名の下に塗り潰そうとしているのではないか。その真の目的は、憲法と皇室を自らの大義に組み入れることで、選挙に勝ち続ける「常勝軍団」としての自民党を確立することにあると推察される。政策はもはや目的ではなく、党の盤石化を果たすための手段へと変質しているのである。

 先の総選挙を「私を首相にするか否か」という国民への審判として断行し、勝利を収めた高市首相。その勢いを駆って今、国民に突きつけようとしているのは、単なる政策選択ではなく「民主主義か強権主義か」という危うい境界線ではないだろうか。国家の使命を傍らに置き、党の強化を至上命令とするその姿勢は、主観と独善の混同に他ならない。合理性の仮面を被ったまま究極の二者択一を強要する首相の政治手法に対し、我々は今、刮目してその行方を注視せねばならない。

国旗損壊罪

「国旗損壊罪」の制定については、自民党と日本維新の会との連立合意書に明記されており、自民党は法制化に向けての議論を3月27日に開始したと報じられています。

これに先立ち昨年10月、参政党は「国旗損壊罪」を刑法改正案として参議院に提出しています。その法案条文は以下のとおりです。

「日本国に対して侮辱を加える目的で、日本国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、

又は汚損した者は、2年以下の拘禁刑又は20万円以下の罰金に処する」

 

この条文を読んでまず疑問に思うことは、1999年に制定された国旗・国歌法では国旗を日章旗と定めたものの、国民に尊重義務を課す規定や罰則は設けていません。

内閣府のホームページには、内閣総理大臣の談話として次のように掲載されています。

今回の法制化は、国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありませんが、本法律の成立を契機として、国民の皆様方が、「日章旗」の歴史や「君が代」の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただくことを願っております。」

なぜ今になって罰則規定が必要なのか、また条文そのものが曖昧で「侮辱」の定義は明示されていません。これでは、セクハラ・パワハラと同様に当事者(国家権力)の恣意的な判断で一方的に侮辱と断定されかねません。

東大大学院、斎藤幸平准教授いわく「外国には似たような法律があるじゃないかといわれますが、日本が大好きなアメリカは表現の自由を重視していて、そういった法律はないんです(国旗汚損罪に違憲判断)。逆に、皆さんが大嫌いな中国では、香港とかの抗議活動をする人を弾圧するために使われたりする。やはり、国民を弾圧するような懸念があるものは、そう稚拙に作ったりしない方がいいんじゃないかと思いますね」

国旗とは、国家の象徴です。この象徴に対して今回あえて罰則規定を設けるという背景は何か?

推測するに国家権力が国家の象徴を法的に管理すること、それが「国旗損壊罪」(刑法改正)の意図ではないでしょうか。もしそうであるなら、それは国家権力の国家(すなわち国民共同体および国民アイデンティティ)への過剰介入であると考えます。

日本における国家の象徴とは、天皇がそうであるように単なるシンボルや記号ではなく文化的自立性の象徴です。文化的自立性とは、国民の内面的な独立性から「象徴の尊厳」が歴史的に生成され維持・発展してきたものです。天皇を「天チャン」と呼んだら侮辱になりますか?文化的自立性は決して国家権力に強制されるべきものではありません。それゆえに、文化的自立性は国家権力の抑制機能を持ち得るのです。

この象徴を国家権力が管理することは、表現・内心の自由を制約して文化力の低下を招きかねません。そもそも「国旗損壊」という言葉は西洋かぶれの匂いが芬々で、国旗に対する思いやりと優しさのない官製の押しつけがましさしか感じません。

 

 

 

 

「国民会議」への危惧

「国民会議」は、2008年に当時の福田康夫首相が「社会保障国民会議」として閣議決定によって設置したことに端を発します。

その設立趣旨は、与党単独の多数決による決定では国民の強い反発が予想される重要な政策課題について、学識経験者や経済界、労働界など多様な立場の関係者を広く招き、建設的な議論を通じて社会的合意を形成することにありました。これは法律に基づく常設機関ではなく、特定の課題解決のために期間を限って設けられる協議体です。

 

今年2月の衆議院選挙で異例の首相選択という国民投票(?)を経て首相に選出された高市首相は、消費税減税と給付金付き税額控除の導入を目指し、新たに「国民会議」を設置しました。

ここで注目すべき事態が生じました。

高市首相は、給付金付き税額控除の導入に賛同することを野党参加の前提条件としたのです。さらに、「社会保障国民会議」であるにもかかわらず、議員定数削減といった別の政策課題にも議論を広げようとしています。

本来、多様な意見を持つ関係者が集い、合意形成を図るべき「国民会議」でありながら、異なる立場や意見を初めから排除する姿勢が見受けられます。

申すまでもなく、国政の重要課題を慎重に論議すべき場は国会です。しかし、現状では自民党が単独で3分の2を超える議席を有しているため、高市首相の意向に沿った参加者によって構成された「国民会議」の結論は明白であり、自民党による一党支配体制、すなわち戦前の大政翼賛会を彷彿とさせる状況が再現される恐れがあります。民主的な手続きにより国民が首相を選出したとはいえ、その帰結としてこのような政治体制が生まれることに、改めて民主主義政治とは何か熟考させられます。

トランプ・高市会談で得をしたのは誰か。


トランプ大統領と高市首相の日米首脳会談の後に開催された夕食会の参加メンバーに驚きかつ成程と思わされました。夕食会に招待されたソフトバンク孫正義会長兼社長ですか20日、米中西部オハイオ州で5000億ドルの投資を表明したというのです。
この巨額投資の内容は、データセンターを中心に電力や通信など幅広い産業が集積し、孫氏によれば「1カ所の投資として人類史上最大」ということです。
孫氏は昨年からこのプロジェクトの話をしていました。それを日米首脳会談後の夕食会に同席して翌日には公式発表したわけです。

トランプ大統領にすれば、5000億ドルの巨額投資を手にしたのですから、中間選挙に向け大きなフォローの風です。ホルムズ海峡に自衛隊が出動するより遥かに大きな政治・経済的に価値ある成果でしょう。一方で高市首相にとっては、危惧されたトランプ大統領からの無理難題は何ら投げかけられることなく、訪米は無事終了。めでたしめでたしです。
今回一番得をしたのは、ソフトバンクの孫氏ではないでしょうか?
日米トップの夕食会に参加というお墨付きですから、プロジェクトは財政的にも政治的にも両国の支援が期待できるのですから。
どうも今回の日米首脳会談のシナリオは孫氏が手がけたようにも思えてきます。

「国富論」250周年

'Wealth of Nations' 「国富論」は今から250年前の1776年3月9日に発表されています。

奇しくもアメリカの独立宣言と同じ年です。

 

アダム・スミスは本著作で輸入を最小限に抑え輸出を最大化しようとする重商主義帝国を強く非難しました。

それから歴史は流れて、今日のアメリカを見ますとトランプ大統領の関税政策や「アメリカ・ファースト」は、スミスが指摘した重商主義帝国との間に幾多の類似点を見つけることが出来ます。

 

アメリカは、スミスの教義すなわち自由市場や自由貿易にあまりにも実直に従った結果、自ら窮時代遅れの重商主義帝国に傾斜し、自虐的な関税戦術や無法な腕力競争に陥落したのではないでしょうか。

富の獲得と集積に熱中した結果、近視眼的な利益増大に走り国内生産を海外に放出してしまった兵站消滅のツケを一気に支払わされる

羽目に至っているように思えます。

 

「公共費用に対して、富裕層が自らの収入に比例する分だけでなく、それ以上のものを負担することは決して不合理なことではない」とアダム・スミスは書いてます。

また「いかなる社会も、その大多数が貧しく惨めな社会であれば、繁栄し幸せであることはありえない」とは彼の有名な言葉の一つです。

アメリカは、強欲国家から「富の配分」に思考のパラダイムシフトをすべきときではないでしょうか。

 

高市首相の作戦勝ち

今回の衆議院選挙は政党や政策選択の選挙ではなく、国民が現政権の全権を高市首相に白紙委任するか否か、その回答を要請された異様な選挙でした。

最初から政権維持目的の選挙であり、高市首相(その一味)の選挙戦略が上手かったと思います。
その戦略は三つの戦術から構成されていました。
一つは、短期決戦宣言(第二次大戦初期にドイツ国防軍が行った電撃戦を模倣か)による敵側の錯乱、
二つ目は簡単明瞭なスローガン「強い日本」を強烈に(「それしかない」)打ち出したこと、
三つ目は首相のイメージ(見栄え)戦略です。
この三つの戦術の編集が成功を挙げています。

この背景を辿ってみます。
・短期決戦

「首相への白紙委任を要請する選挙」を目的に、高市首相は国権の最高機関である国会の召集日、その冒頭に衆議院解散を表明しました。
野党も国民も「寝耳に水」の首相声明であり、さらに投開票日は2月8日と短期決戦の選挙を宣言されたたのです。
野党は政策云々や戦略立案どころではなく、国民は候補者の主張など十分に検討する時間的余裕もなく、投票日を迎えたと思います。

・簡単明瞭なスローガン
高市首相は衆議院解散の理由を次のように述べました。
高市早苗が、内閣総理大臣で良いのかどうか、今、主権者たる国民の皆様に決めていただく、それしかない。
『日本列島を、強く豊かに。』今、着手しなければ、間に合いません。」  
政策については何も語らず(ここがミソです)、「日本を強く」「高市早苗」そして「それしかない」の歯切れのいい啖呵、三語です。短期決戦ですから、これで十分でした。

・イメージ構築(見栄え良さ)
日本の選挙で有権者の支持を獲得するには、論理や政策ではなく肝心なのはイメージであることを高市首相は熟知していました。
そこで、投票者に政策や首相の発言を熟考する時間的余裕を与えず、直感で感覚的に投票先を決めさせるべく、短期決戦戦略を採ったのです。
さらに一昨年の自民党総裁選での敗北から学んだと思われる戦略つまりイメージ転換を図ったのです。(以下--部分は、東洋経済オンライン2月11日号記事からの要約です。)ーーまず見た目ですが、黒くて濃い眉毛をブラウン系に、ルージュは濃色からナチュラルカラーに、ダークスーツから
ライトカラーの柄物スーツに変えて、--険しい目つきはいつも笑顔となり、全身から親しみやすさを滲ませて国民に訴求したのです。
短期決戦は、投票者に熟慮の時間を与えぬこと、また笑顔の女性候補は真顔の女性候補より10%以上好感度が高く、投票者が直感で投票した候補者の当選率は70%であることなど各種データから高市陣営は学んでいたのでしょう。
FB友達でドイツ在住の女性大学教授は次のように述べています。
「最近、日本のメディアが拡散する「サナ」のイメージの影響で、大粒の真珠のネックレスや青色のジャケットがドイツの街中や通販サイトで、私の目にも入ってくるようになりました。
ARD(ドイツ公共放送連盟)の特派員は高市首相就任後のイメージ戦略を次のように報道しています。ー日本語では「サナ活」とも呼ばれる現象は、
彼女が常に持っている同じハンドバッグを人々が買い求めるところから始まりました。
そのバッグは日本製で、価格は約800ユーロ(約15万円)と決して安くはありませんが、すでに完売しています。テレビ番組では、彼女の服装がことさらにもてはやされています。
彼女が化粧品について何か発言すると、その発言は視聴者から非常に好意的に受け取られ、模倣されます。つまり、彼女本人やその外見に関わるあらゆることが、現在は大きな意味を持っているのです。」

・以上のような戦術を多角的に活用することで、首相としての能力も実力も分からぬのに「私で良いか決めなさい」それしかない、と問答無用で国民に質した結果、多くの国民は直観短慮で投票したのでしょう。
そして、高市首相は衆議院選挙で見事な戦略勝ちしたものと思います。