bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

麻生元首相のトランプ氏訪問

今朝の大手メデイアは、「自民党麻生太郎副総裁はニューヨークのトランプタワーでトランプ前米大統領と会談。トランプ氏は、ニューヨーク州の裁判所で行われている元不倫相手への口止め料をめぐる審理の合間をぬって、麻生氏をトランプタワーの玄関口で出迎えると、彼(麻生氏)は素晴らしい人物だ。我々はお互いを知り合わなければいけない。我々は現在の日本と米国、そして他の様々なことを話し合う。」と語った、と伝えました。

 

この報道に接して思ったことは、「日本はなんと道義(道徳律)のない国になり果てたのか」ということです。

岸田首相がバイデン大統領に面談して二週間と経たぬうちにバイデン大統領と次期大統領を競うトランプ氏に麻生元首相が面談に出向いたのです。

アメリカにとって、実質的な統治下にある日本の首相を国賓で招きコンプリメントにすぎぬ国会演説でオモテナシをしたにもかかわらず寸暇を置かず元首相が大統領の敵対者へ伺候したのです。安倍元首相が演じたとおり大統領選の結果どちらが大統領になっても保護領における権力維持を図りたいという為政者の姑息な意図、これをまたもや世界に向け発信したのです。飛んで火に入るなんとやら誰が大統領になっても日本政府の二股膏薬をネタにアメリカの次期大統領は大手を振って日本に対処できるでしょう。

 

アメリカについては既定路線の踏襲で(両大統領候補の気分はともかく)大きな問題ではないと思います。

問題は近隣諸国をはじめとする大アジアでの反応にあると思います。

 

かつて日本が重要な行動を選択する際、その判断に大きな影響力を持っていたのは道徳律だと思います。その中でも極めて重要かつ日本人の美徳の一つでもあったのが「正直さ」であったと考えます。

この道徳律の起源は何かと考えますと、インド仏教に背景が求められる輪廻に起因する因果応報の思想(嘘つきは泥棒の始まり)と、回向がもたらす農、商、工従事者の求道精神が結晶した道徳律(正直、勤勉)そして儒教にその萌芽をみる武士道、自己に対する厳しさと他者への尊敬の一体性として「心に心を恥じる」精神にまで高められた倫理性。その結果として日本的ノーブレスオブリージュというべき為政者の高貴さ(葉隠)となることで日本人の道徳律が完成されてきたと思います。

 

仏教も儒教も共に大アジアを母胎に発生、派生したものです。日本はこれらを積極的に取り込んで日本人の心情と歴史を織り込むことで洗練された道徳律にまで昇華させたのです。

このような日本人の姿勢が大アジアでは長いこと語り継がれ評価されてきたと考えます。その結果が、日本の戦禍に見舞われた国でさえも遺恨をさしおいてルック・イーストと日本人を称賛、戦後日本の国際的な地位向上に支援を賜ったものと陰ながら感謝しています。

 

このような地理的かつ歴史的背景を考慮するならば、今回の麻生元首相のトランプ氏訪問は大アジア文化圏に対して、なんとも言えない禍根を残すものと危惧します。