bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

「大東亜戦争」は禁句なのか。

4月8日の朝日新聞デジタルは、<陸自部隊の「大東亜戦争」投稿を削除 防衛省「誤解を招いた>と題して、陸上自衛隊第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)の部隊公式アカウントで戦没者追悼式を紹介する投稿に「大東亜戦争」という用語を使ったことについて、同隊は8日夜、この投稿を削除。防衛省は、投稿は隊の活動を紹介することが目的で、ほかの意図はなかったとして、「大東亜戦争という用語を使う必要がなく、誤解を招いた」として、投稿をし直した。また林芳正官房長官は8日の会見で、「大東亜戦争という用語は現在一般に政府として公文書で使用しなくなっている。いかなる用語を使用するかは文脈にもよるもので、一概にお答えすることは困難」と述べたと報じています。 

また、毎日新聞によると木原稔防衛相は9日の記者会見で「激戦の地であった状況を表現するため当時の呼称を用いた。その他の意図はなかったと部隊から報告を受けた」と説明したと報じています。

 

どうやらこの騒動は、陸自部隊の投稿がネット上で、『植民地統治や侵略を正当化する名称』『公機関が使ってはいけない』と波紋を呼んでいると一部メデイアが報じたことが、背景のようです。

 

そもそも「大東亜戦争」という呼称は、真珠湾攻撃から4日後の1941年12月12日に閣議決定された米英への「開戦詔勅」に基づくいわゆる第二次世界大戦を指すものでした。そして、敗戦直後の昭和20年10月30日、自らの手で戦争への道を検証しようと「大東亜戦争調査会」と称する組織が「閣議決定」で創設。これは幣原首相自ら総裁に就き委員・職員100余名という文字通り敗戦後初の国家的プロジェクトでありました。(余談ですが、当調査会は戦犯逮捕、公文書焼却など困難を極めるなかで40回超の会議と関係者インタビューを実施し資料収集を続けました。 ところが調査会メンバーに「旧帝国軍人」がいることを、「ソ連」が問題化しました。調査結果を利用して次は勝利の戦争へと日本を誘導することを危惧したのです。「戦争調査会」としての目的を達するために軍人を参加させてこそ趣旨に沿うものであることは自明の理であったにもかかわらずの言いがかりです。しかし、占領下における「連合国」のメンバー「米・ソ・中・英」で議論が交わされた結果、日本の「精神的独立」よりも、「国際的協調策」を選択した「米国」が「ソ連」に同調、「マッカーサー」は、「戦争調査会の廃止」を命じたのです。1946年3月の第一回総会から、わずか半年後に戦争調査会は調査の経緯も結論も集約することなく静かに幕を閉じたのです。)

 

この経緯をみればわかるように「大東亜戦争」という呼称は、第二次世界大戦の開戦から敗戦までわが国の正統な(由緒正しき歴史的)背景が反映された呼称です。しかし、占領下GHQ指令により使用禁止され「太平洋戦争」なる呼称への変更を余儀なくされましたが、昭和27年に使用禁止は解除され、平成19年2月に政府は<「太平洋戦争」という用語は、政府として定義して用いている用語ではない。>と閣議決定しています。

 

今回の騒動は「大東亜戦争」という「事実問題の呼称」をして、思想や価値観を内包する「歴史認識の問題」にすり替えるごとき(錯覚を起こしかねない)お話に思えます。

それよりも今回の騒動では、わが国の官房長官も防衛相も自国の現代史を勉強していないことに今さらながら驚かされました。