bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

75年目の真珠湾

安倍首相「敵対国でも同盟国になれる」オバマ大統領「日米は友情と平和を選択した」。
同盟国とはその国力比較が5:5またはせいぜい6:4で有効となりかつ同じ仮想敵の存在が必要だ。さらに仮想敵への対抗の意図を扇動するもの、流行りの言葉でいえば利己的ポピュリズムであろう。いっぽう友情とは勢力比較に関係なく成立する平和を目的とするもので、いわば利他的グローバル化といえる。
為政者の視野と叡智の差が歴然とした真珠湾でした。

明日は要らない今夜が欲しい

 

離脱派は騙されたと言いますが、この国ではアベノミクスとやらに騙され続け今や虎の子の年金積立まで詐欺まがいの賭場に放られています。ところが庶民は未だに為政者への高い支持を変えようとは致しません。普通の人が理性的に考えれば首をひねるでしょう。ところが資本主義の内在した矛盾から生じた金持ちと貧乏人の二極分化が固定化し更に拡大する一方で破綻した民主主義は庶民の無力感を煽るばかりなのです。近代国家を支えてきた資本主義と民主主義の制度疲労が招来した政治・経済・文化の桎梏状況がいまや先進国では当たり前の姿になっています。将来どころか明日にも希望を持てない多くの庶民は嘘と知りつつ一夜の夢でもいいから騙し続けて欲しいのです。
しかし二極分化の勝者(大企業、中央官僚はじめいわゆるエリート)は理性が意識や行動をコントロールできると信じたい人たちで自ら知識主義者と称し科学的分析論に立脚してEU離脱をして非論理的な理性の欠片さえない反知性主義の勝利などと解説を並べ立てています。しかし戦争や虐殺の歴史を顧みるまでもなく人は決して理性に管理された論理的生き物ではありません。ましてや国民投票や選挙ではその場の空気や情緒が個々人の理性の統制力を凌駕して明日よりも今夜の宴に溺れてしまうことが多いでしょう。宵越しの金なぞ持たぬのが粋なのですね。こんな人間の機微を熟知した方が騙されたと言われようが一枚上手ということなのでしょうね。
知性主義者と名乗る人たちが予期せぬ混乱が来るなどと騒ぎ立てるのは庶民目線からすると何ら不思議はないEU離脱という現象が象牙の塔の理性からは合理的に解釈、消化出来ずに自家中毒を起こしているのでしょう。

EU離脱問題と英国国教会

 

ちょうど今から500年前トーマス・モアの「ユートピア」初版が刊行されました。その翌年ドイツではルターの「95ヶ条文」から宗教改革の狼煙が上がりました。時を同じくしてイタリアではルネッサンスの華が開花しています。しばらくして宗教改革ルネッサンスは寄り添うように英国に浸透し始めました。このような時代の趨勢を背景に時の国王ヘンリー八世は何度請願しても離婚を許可せぬローマ教皇に愛想を尽かし英国国教会を創設し離婚・再婚を強行します。そして英国内教会からの収入をローマ教皇から国王の懐へと変更したのでした。つまり英国は全欧州の精神的盟主であったローマ教皇に反旗を翻し宗教的にも経済的にも脱欧州を果たしたのです。ところがヘンリー八世の寵愛を受けてナイトの爵位を授けられ大法官の職に就いたトーマス・モアはヘンリー八世の離婚宣言を拒否しローマ・カトリック教会に殉じ絞首台の露と消えていったのです。

その英国、こんどは国王専断ではなく国民の主導でEU離脱の可否を選択するというのです。

EU帰属、離脱派共にその論点はカネと強慾に起因するものらしくトーマス・モアの時代からなんら進歩はないようです。

国民の選択がどのような結果になろうとも「ユートピア」は一向に実現しそうにもありませんね。

経済成長は必要か?

1941年ロシアの秋、破竹の進撃を続けたヒットラー軍はクレムリンまであと十数キロのところまで迫っていた。しかし例年より早い冬の到来が招いた泥濘と降雪が進撃の足を止め、世界で最も近代的な機械化部隊はその攻撃の成功にもかかわらず農業用荷車しか持たぬ歩兵部隊に頼らざるを得ない状況に陥り敢え無くヒットラー軍は敗退した。

 

これすべて兵站戦術の失敗であるといずれの戦史家も述べてきた。

兵站戦術とは軍隊を動かしかつ軍隊に食糧弾薬や他の戦争必需品を補給する実際的方法でありすべての戦需品の消費量予測と補給基地から前線部隊までの搬送手段、距離などを問題に不確定要素をも加味して専門家が叡智を尽くし研究した結果の戦術即ち補給線である。

 

ナポレオン、ヒットラーの戦争は電撃作戦が功を奏し敵陣に与えた衝撃は大きく攻撃は成功したかにみえた、しかし進軍速度に追いつかないのが補給線であった。その限界が進撃を停止させ思わぬ敗退を招いた。

 

近代前の戦争において補給線の主たるものは食糧であり前線での現地徴収が可能であった。

しかし近代戦は科学技術の発展が兵器、輸送手段の強化と前線速度の高速化を可能にする一方で科学技術はかっての食糧と弾薬のみでなく現地調達が困難な自動車、重火器、燃料など幾何級数的な戦需品の多様化と増大という負荷を補給線にもたらすことになった。

 科学技術の兵器転換の境目で起きた前近代戦が日清・日露戦争であり、これは日本軍に幸いした。

しかし近代戦の時代に突入した満州事変に端を発した日中戦争では日本軍は大失敗を喫した。その敗因の本質とはまさに補給線の欠如だった。

 

翻って現代は金権至上主義に堕ちた資本主義経済の戦争時代である。かっては奇跡的な高度経済成長でジャパン・アズナンバーワンと世界に勇名を馳せたわが国。ところがアナログに固執し可視化されたモノにしか経済的価値を見いだせずIT技術を刺身のツマ程度に放置してきた。その結果、デジタル発想が欠落し現代の経済戦争には必要不可欠な情報カオス戦の高速化と多様化に追いつけずお隣さんにも周回遅れのテイタラク。この国の指導者は起死回生とばかり金融緩和に株価つり上げと特攻的な戦線拡大こそ国家の生命線なりと関東軍の亡霊のごとく妄動するも一向にインフレ目標に達せず。そもそも2%の根拠さえ国民には不明。こんな状況で果たして経済成長を支える知の補給線の構築が可能だろうか?いや必要なのだろうか?失われた30年とは知の兵站戦術の失敗の連続ではなかったのか?

 

経済という山頂を極めてからもう規範とすべきモデルはなく自ら新しい発展モデルは作り出せなかったのだ。高度成長期に知の補給線の確保を怠ったツケが回ってきたのだ。いまや身の丈に合った知的装備を整え大嵐の到来前に下山の途につくべきだろう。そしてモノ(可視化できる経済価値)からコト(不可視の経済価値)へ脱資本主義の新たな価値創造という潮流を認識して新たな登山計画を真剣に練る時期に入ったのではないだろうか?

 

ー18世紀の軍隊と近代の軍隊とを比較すると18世紀の軍隊は進軍が遅く軍需品倉庫に拘束束縛されていた、どころか、当時の運搬手段の理論的限界に対して近代の軍隊よりも優れていたのであるー

ルート66

カリフォルニアに在住している友人が不慮の事故で亡くなった。

日本では松の内のある日、妻と共にトロントにいる娘を訪ねた。家の戸口を開けるなり悲報が娘の口から飛び込んできた。

信じられない。

1日前にメールで新年の挨拶を交わしたばかりだった。

同年代の彼とはデンバー在住時に知り合った。それから彼は自身が経営する事業の都合でロスアンジェルスに移住した。半年後に私も転勤で同地に転居した。その間足掛け6年にわたるアメリカでの交流だった。それから数十年なぜか気ごころが合って彼が日本へ来るたびに日米の社会諸情勢を肴に酒を飲み交わす仲だった。

70歳になる前に車でルート66を辿る旅を一緒にしようと約束していた。

そろそろ実行しようかと思っていた矢先のことだった。

 

私が娘を訪ねたのは二人の幼児を持つ娘の家族とデズニークルーズでカリブを旅行する目的だった。

トロントからプエルトリコに飛びサンファンから出航しグレナダ、バルバドスなど東インド諸島を一週間で巡る旅。デズニーのエンターテイメント精神に溢れたおもてなしに孫たちは歓喜し私は初めて訪れたカリブ諸国の美しい自然と陽光溢れる船旅に心身ともに癒やされた。

やがてクルーズ船にはアダルトフロアという大人だけのデックがあることを知った私は夕食後のある夜そのフロアへ一人で出かけた。

客室フロアからの階段を降り切るとそこは一面に地図を模したフロアーであった。足を踏み入れたカーペットの靴先にはSanta Monicaの文字その先には車道が描かれている。

ルート66だ!廊下一面に描かれた車道と都市を辿り長く迂回した通路の先にたどり着くと灯りを絞ったバーがあった。

カウンターでジントニックを頼んで私は窓ぎわのソファに腰を下ろした。窓越しに見えるカリブ海は静かで暗闇の底に沈んで行くように思えた。運ばれてきた酒を口に含んで目を閉じた。

瞼にサンタモニカ・ピアの観覧車が浮かび、ゆっくりと回転する座席に彼の後ろ姿が一瞬浮かんで消えていった。